りん×くう! 16/霊烏路空
2010.05.26 Wednesday | category:東方SS(お燐×おくう)
再びやってきた地上は、今日もきらきらと眩しい青と白に覆われて、冷たくて心地よい風が吹いていた。天井のないそらは高く高く、どこまでも飛んでいけそうで、空は鴉の姿で地上に飛び出した勢いのまま、一気に高く高くまで舞い上がった。
見下ろせば、雪に覆われた幻想郷が小さく見える。
それがつくりもののように見えて、なんだか恐ろしくなって空はゆっくり高度を下げた。
「お燐、どこだろ」
きょろきょろと見回すけれど、見えるのはただ凍った木々と、雪に覆われた大地と、遠くの山ばかり。
地上に出るのは二度目だったから、探すあてなど空には一箇所しか思い当たらなかった。
お燐と一緒に、ゆで卵をもらいに行った、あの神社。
またあそこで、お燐はゆで卵でも食べているのかもしれない。そう考えると、空もお腹がすいてきた。
お燐がそこにいたら、一緒にゆで卵を食べるのだ。
そう考えるとよだれが出て、それをぬぐいながらふと思い出す。ゆで卵の前に、何かすることがあったはず。
――あ、そうだ。ゆーわく、するのだ。
ヤマメが言っていたことを思い出す。服をはだけて、お燐をゆーわくする。で、お燐が何か言ってきたら、自分はひたすら、お燐のことが好きだってことを言い続ければいい。お燐が観念するまで。
なんだか意味はよく解らないけど、やることは簡単だ。
「あ、戻らないと……」
と、自分の姿を見下ろして空は気付く。縦穴を飛ぶとき、鴉の姿になったままだった。このままじゃ服を脱いでお燐をゆーわくできない。空は姿を人型に変える。
自分の胸元を見下ろして、お燐のことを思い出した。自分を組み伏せて、この胸の膨らみに触れたお燐の手。あのときは、お燐の顔が辛そうだったから嫌だったけれど、そうでなければどうだっただろう。
お燐が笑って、「おくう」と名前を呼んで、自分にああして触れてくれたら――。
なんだか顔が熱くなってきて、空はぶんぶん首を振った。よく解らないけど、ちょっと恥ずかしい気がする。でも、嫌じゃない。ぜんぜん、嫌じゃない。たぶん、うれしい。
きっとそれは、お燐のことが好きだからだ。
好きの意味はいろいろあるってヤマメは言うけど、難しいことは解らないから。
自分は、お燐が好きだ。
好きで好きで好きで、大好きなのだ。
「うんっ」
そのことを確かめて、空は頷くと、冷たい冬の空気の中に黒い翼をはためかせる。
博麗神社の建物は、既にその視界に映っていた。
◇
――そうして、空は神社の庭に降り立った。
「お燐、見つけた!」
探していた姿は、やっぱりそこにあった。神社の縁側に佇んで、お燐は呆然とこちらを見つめている。まだどこか、泣き出しそうな顔のお燐に、空は笑いかけてみる。
「おくう――」
縁側から、お燐がふらりと雪の上に降り立った。雪を踏む音。お燐は躊躇うように手を伸ばしかけて、胸の前でぎゅっと握りしめる。
その姿に駆け寄ろうとして、空はヤマメの言葉を思い出す。
『あんた、お燐を見つけたら――その服はだけて、誘惑しなさい』
ゆーわく、そうだ。それをしないといけないんだった。
どうするんだっけ、とさらに思い出す。ええと、確か――。
「えと、お燐、あのね」
空は胸元のボタンに手を掛けて、それを外していく。お燐が僅かに顔色を変えた。
「――おくう?」
目をしばたたかせるお燐の前で、ボタンを外した上着を開こうとして、ヤマメの言葉が再び甦った。『ただ脱げばいいんじゃないからね。こう、扇情的に、ギリギリ見えないぐらいに開くのがコツよ。で、ちょっと目元潤ませて――』
ヤマメの教えてくれた通りに、その場に膝をついた。足に触れる雪の感触が冷たい。
胸元を軽く開くと、冷たい空気が素肌に触れてちょっと寒かった。
上目遣いに、お燐を見上げる。お燐は戸惑ったようにこちらを見下ろしている。
――なんて言えばいいんだっけ。ええと、確か、
「お燐……あのね?」
「お、くう」
「――わたしのこと、好きにしていいよ?」
「わあああああああああッ!?」
その途端、お燐が奇声をあげて頭を抱えた。びくりと身を竦ませた空に、お燐は愕然とした表情のまま慌てて詰め寄り、肩を掴んでがくがくと揺さぶる。
「おくう、あんた――だっ、誰にそんなこと教わったのさ!?」
「ふえ。えと、ヤマメに――」
「ヤマ――あんの馬鹿、おくうに何てこと教えて、ああもうっ! こんなところでそんな格好するもんじゃないってば! 風邪ひくよ!」
髪を掻きむしって、お燐は喚きながら空の広げた胸元を無理矢理押さえる。
真っ赤になったその顔を見つめて、空はひとつ首を傾げた。お燐は何をそんなに慌てているのだろう。自分はただ、ヤマメの言う通りにしただけなのだが。
「お燐」
「ああいい、いいからっ! ヤマメに言われたことは忘れなよ、いいねっ!?」
「うにゅ――」
「ヤマメの奴、今度会ったらただじゃおかないよ、灼熱地獄に放り込んでやろうか――」
「お燐ってば」
視線を逸らして、そんなことを唸り続けるお燐の袖を、空は掴んだ。
はっと、お燐がこちらを振り向く。――その顔はまだ、どこか苦しそうに空を見つめる。
そんな顔を、してほしくないのだ。
お燐には、いつも笑っていてほしいのだ。
大好きなお燐には、自分のそばで幸せにいてほしい。
空が願うのは、本当にそれだけのことでしかないのだ。いつだって。
『ま、そこで誘惑に乗ってはこないだろうから、あとはおくう、あんたがどれだけお燐のこと好きなのか、とにかく言い続けなさい。お燐が止めてって言っても、観念するまで言い続けるのよ。お燐の馬鹿は、そのぐらいやらなきゃ解らないだろうからさ』
ヤマメの言葉を思い出す。それでお燐が笑ってくれるなら、空はそうするだけだ。
「お燐のこと、好きだよ」
だから空は、そう口にした。はっきりと、お燐の目を見つめて。
「好きだよ。大好きだよ。さとり様より、ゆで卵より、かくゆーごーより、わたし、お燐のことがいちばん好きだよ」
「おくう――?」
「好き。お燐が好き。大好き」
ぎゅっと、お燐の身体にしがみつく。お燐が耳元で慌てた声をあげるけれど、構わず空はお燐の細い身体を、強く強く抱きしめた。
とくん、とくんと、触れあった身体からお燐の鼓動が伝わってくる。
その温もりが、空の何よりも大切なものだから。
「お、おくう――」
「お燐になら、何されたってへいきだよ? お燐が、わたしのこと好きでしてくれるなら、なんだってうれしいよ。ほんとだよ?」
「――そんな、こと」
ぎゅっと、空の背中に回されたお燐の腕に、力がこもる。
強ばったお燐の身体を包み込むように、空は左手でお燐の髪を撫でた。
「ダメだよ、おくう――」
「うにゅ」
「あたいの、おくうへの気持ちなんて――そんなに、綺麗なものじゃ、ないんだ」
ゆるゆると首を振ったお燐に、おくうはひとつ唸る。
きれい、ってなんだろう。
「きれい、じゃなきゃ、ダメなの?」
「――え?」
「わたし、お燐が好きだよ。きれいか、きたないか、わかんないけど、お燐のこと大好きだよ。んと、きれいでもきたなくても、お燐が好きだよ」
好きにもいろいろあると、ヤマメは言っていたけれど。
空の、お燐への《好き》は、いつだって変わらない、たったひとつの《好き》だから。
それはどんなことがあったって、変わりはしないのだ。
「ねえ、わたしの好きと、お燐の好きは、ちがうのかな」
「おく、う……」
「ちがうなら、おしえて?」
身体を離して、空はお燐の手を握りしめた。冷たい冬の空気の中、重ね合わせた指先の温もり。向かい合ったお燐の顔はなんだか泣き出しそうで、震える吐息が白く空気に溶けていく。
「お燐の好きが、どんな好きなのか、わたし、知りたいよ」
そしてそれがどんなものでも、お燐が笑っていてくれるなら。
笑顔でそばにいてくれるなら、その《好き》は、空の幸せなのだ。
「きれいでもきたなくても、お燐がわたしのこと、好きでいてくれるなら、わたしもお燐のこと好きでいるよ。ずーっとずーっと、いつまでも、お燐のこと好きだよ。大好きでいるよ。いつまでだって、わたしのいちばんはお燐だよ。お燐がいちばん、大好きだよ」
そのことを、うまく伝えられているのかは解らないけれど。
自分にできる、精一杯の言葉を、空は重ねていく。
「お燐の好きがどんなのでも、お燐がわたしのこと、好きでしてくれるなら、どんなことだってうれしいよ。――さっきのだって、いやじゃなかったんだよ」
はっと、お燐が目を見開く。空は笑って、そのことを伝える。
「わたしがいやだったのは、お燐が泣きそうだったことだよ。……お燐が辛そうにしてるのが、いちばんいや。お燐が笑っててくれるなら、わたしはうれしいよ」
ひどく曖昧な表情で、お燐は顔を伏せて、小さく震えた。
空はそれを見て、また不安になる。――何か、間違えてしまっただろうか。
伝えたかったことはちゃんと口にしたはずなのに、言葉を間違えてしまっただろうか。
「それじゃ、ダメなのかな」
重ねた指先に視線を落として、空は小さくそう呟く。
お燐の返事はない。やっぱり、ダメなのだろうか。お燐は笑ってくれないのだろうか。
自分の好きと、お燐の好き。それはやっぱり、全然違ってしまっているのだろうか。
「わたしの好きじゃ、お燐は、しあわせじゃないのかな――」
不意に、両肩が強く押されて、空は雪の上に仰向けに倒れ込んだ。
ぼすん、と積もった雪が、空の身体を柔らかく受け止める。
頭上に広がるのは、凍りつくように澄んだ蒼穹と、降り注ぐ陽光。
そして――それを遮るように、自分を見下ろすお燐の、苦笑だった。
「……おくう」
「うにゅ」
「馬鹿」
「ばかじゃないよ」
「馬鹿だよ。……あたいも、あんたも。ホント、馬鹿みたいだよ」
そう言って、お燐は笑った。目を細めて、――だけどそれは、苦しみの笑顔ではない。
空の好きなお燐の、呆れ混じりの楽しげな笑顔だ。
「好きだよ。……おくうのこと、ずっとずっと、好きだったんだよ」
覆い被さるような格好のまま、お燐は囁く。なんだか気恥ずかしくて、空は身をよじった。
「わたしも、ずっとずっと、お燐のこと、好きだったよ」
「……でも、それは違う《好き》だ。あたい、ずっとそう思ってたんだ」
「うにゅ」
「だけどさ――」
そしてお燐は甘えるように、空の胸元に頬をすり寄せる。
「あたいの心はあたいのもので、おくうの心はおくうのものなんだよね」
「ん」
「あたいの好きと、おくうの好きと、おんなじもののはず、なかったんだ」
「ふえ?」
「好きって気持ちが、同じ形じゃなきゃいけない決まりなんて、無いんだ。――そんなことも解ってなかったあたいが、一番馬鹿だったんだよ」
吐息のようにそう囁いて、お燐は顔を上げた。
視線が重なる。見つめるお燐の顔は、優しく微笑んでいる。
いつも空に向けられる、お燐の笑顔。空の宝物の、大好きな笑顔だ――。
「あたい、おくうが好きだよ」
「……うにゅ」
「好きだから、おくうに触れたいよ。抱きしめたいよ。頬ずりしたいよ。キス、したいよ」
「きす?」
「あの巫女と冬妖怪のお姉さんがしてたやつ。口と口と合わせるの」
お燐の手が頬に触れて、顔と顔が近付く。白い吐息が、混ざり合いそうな距離まで。
「恋人同士の、しるしなんだ」
「こいびと」
「そう。世界で一番、大好き同士なんだっていう、しるし」
それなら、と空は思う。――それなら、お燐としたい。
だって空は、お燐のことが、世界でいちばん大好きなのだから。
「――おくう。……キスして、いい?」
「こいびと?」
「うん」
「わたしとお燐、こいびと? せかいでいちばん、大好きどうし?」
「ああ、――あたいは、おくうが世界で一番大好きだ」
「わたしも、いちばん、お燐が好きだよ」
こつん、と額がぶつかる。くすぐったい吐息に、ふたり笑い合った。
「じゃあ――あたいとおくうは、恋人同士、だ」
「……うん」
「目、閉じなよ。……恥ずかしいから」
「うにゅ……」
言われるまま、目を閉じた。少しの沈黙のあと、優しく――お燐の唇が、空のそれに触れた。
貪るようなものではない、ゆっくりと触れあう、重ね合うだけの優しい口づけ。
背中に感じる雪の冷たさと、覆い被さるお燐の熱が、身体の中で混ざり合う。
触れあった吐息が愛おしくて、ずっとそうしていてほしい、と願うように、空はお燐の首に腕を回した。重なりあう重みが、心地よかった。
大好き、と塞がれた唇で囁いてみる。
あたいも、と囁き返された気がして、それだけで溶けてしまいそうなほど幸せだった。
――ずっと、こんなふうにお燐に触れてほしかったんだ、と。
空はそんなことを確かめるように、ただお燐の触れる手に身を任せて――。
「おいこらそこの猫と鴉」
雪よりも冷たい声に、お燐が唇を離してびくりと身を竦ませた。
離れてしまった温もりに、空は目を開けて雪の上に身体を起こす。
――いつぞやの紅白の巫女が、額に青筋を浮かべてこちらを睨んでいた。
「あ、いやお姉さん、これはそのね?」
わたわたとお燐が首を振るけれど、返事は取り出された針とお札だった。
「ひとんちの庭で逢い引きすなっ! 家に帰ってやれってーの!」
「わあい!? お、おくう、ちょっとこの場は退散するよ!」
「う、うにゅー!?」
雨霰と飛んでくる針とお札の中を、お燐は猫に、空は鴉に姿を変えて逃げ回る。
そんな神社の狂騒を、冬の穏やかな陽光だけがひどく脳天気に見下ろしていた。
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