りん×くう! 10/霊烏路空
2010.04.04 Sunday | category:東方SS(お燐×おくう)
その少女がそこにいることに、しばらく空は気がついていなかった。
彼女の存在に気付いたのは、古明地さとりという少女から《空》の字を与えられ、お燐とともにそれぞれ、この地霊殿での仕事を与えられた頃のこと。
ときどき様子を見に来るさとりの近くに、存在感の薄い少女がいる。
影のようにさとりの後ろについて回る、帽子を被った少女が。
『さとり様』
『なあに?』
『うしろ、だれですか?』
空の問いかけに、さとりはきょとんと目を見開いて、それから後ろを振り返る。
帽子を目深に被ったその少女は、ぼんやりと蜃気楼のようにそこにいた。
『……紹介してなかったかしら?』
『うにゅ?』
『こいしよ。古明地こいし。私の妹』
――そういえば、そんな名前を聞いたような記憶も、あるような無いような。
空は首を捻りながら、さとりの背後に佇む少女を見やる。
『こいし、様?』
空がそう呼びかけると、不意に少女はゆっくりと顔を上げた。
青い瞳が、ひどく茫漠とした視線で、空を見つめる。
『空。あなたもこいしと、仲良くしてあげて』
『ほへ』
さとりがそう言ったとき――不意に、こいしと呼ばれた少女の気配が、揺れた気がした。
それが何を意味しているのか、空には解るはずもなかったのだが。
『こいし様、うつほ……空です、よろしくー』
えへへ、と笑って言った空に、こいしは――薄く笑い返した。
――それは、微笑みを形作っているはずなのに。
どうしてか、空にはその顔が、笑っているようには見えなかった。
◇
地霊殿は、かつてそうだったように、しん、と静まりかえっていた。
主は居ない。親友も居ない。居るのはただ、自分ひとりだけ。
「……うにゅ」
リビングの片隅に座り込んだまま、空はただ、その静寂の中に息をひそめていた。
ボタンの弾け飛んだままの服、その前を押さえて、ぼんやりと床を見つめる。
コチ、コチ。大時計が時を刻んでいく音は、ひどく緩慢だった。
「お燐……」
呼びかけても、応えてくれる親友の声はない。
『あんたのこと、好きに、させて』
熱に浮かされたような、そんなお燐の声が耳元に甦った気がした。
あのとき。お燐は空に覆い被さって、口に口を押し当てて、口の中を舐め回して――身体のあちこちに触れて、吸い付いて。そんなことを、貪るようにしてきた。
空には解らなかった。お燐が、どうしてそんなことをするのか。
解らなかったから――怖い、と思ってしまった。
見たことのない色の瞳で、自分を見つめるお燐が。
むしゃぶりつくように、自分の身体に舌を這わせるお燐の行為が。
その意味が解らなくて、空は、嫌がってしまった。
それがいけなかったのだろうか?
自分が嫌がったから、お燐はあのとき――あんな泣き出しそうな顔で、自分から離れて、そして飛び出していってしまったのだろうか。
『そんな、おりん、いやだよ――』
嫌では、無かった。触れられること、舐められること、それ自体は。
お燐のことは、空は好きだから、お燐に身体を触られたって、顔を舐められたって、嫌なことなんてない。それが、ただ純粋にお燐の好意の発露であるのなら。
だけど――あのときのお燐は。
まるで、自分自身を痛めるつけるために、そうしているようで。
空の肌に触れながら、今にも泣き出しそうな顔をして――。
そんな顔を、してほしくなかっただけなのに。
空はただ、お燐に笑っていて欲しかっただけなのに。
――何がいけなかったのだろう?
何がお燐に、あんな悲しい顔をさせてしまったのだろう?
何がお燐を――傷つけてしまったのだろう?
考える。空は普段あまり使わない頭を一生懸命に使って考えるけれど、解らない。
空は、お燐が好きだった。
お燐も、自分のことを好きでいてくれると思っていた。
だけど何か、――何かが、すれ違ってしまっていた。いつの間にか、空の知らないうちに。
そのすれ違いの正体が、空には解らないのだ。
「……さとり様」
『大丈夫。……私が、お燐を連れて戻るから』
主の言葉を思い出す。お燐が飛び出していった後、さとりが自分にかけた言葉。
『だから、その服は着替えて、向こうで待っていて。ね?』
心の読める主なら、その違いも解っているのだろうか。
――自分も、さとり様のように心が読めたらいいのに、と空は思う。
そうすれば、お燐の考えていることも、望んでいることも、すぐ解るのに。
そうすればきっと、お燐にあんな顔をさせなくても済んだはずなのに。
「お燐……」
ぎゅっと自分の身体を抱いて、空は震えた。
いつもは、ひとりで居ても平気だった。灼熱地獄の炎を見守る、仕事の時間。基本的に空はひとりだったけれど、それを寂しいとは思わなかった。仕事が終われば、お燐は帰ってきて、それから先はずっとお燐と一緒だったから。
お燐はいつだって、ちゃんと自分のそばにいてくれる。
そう思っていられたから、寂しくなんてなかった。
だけど、今は。地霊殿にひとり残されて、空はひどく孤独だった。
「お燐……っ」
居ない。お燐が居ない。――居なくなる。自分のそばから。
その想像に、身も凍るような寒気が襲った気がして、空は身体を丸めて震える。
そんなのは、嫌だ。
お燐がそばにいてくれなきゃ――嫌だ。
なんで嫌なのかなんて、解らないけれど。
お燐が居ないなんて、耐えられない。
お燐にそばに居てほしい。
隣に居て、笑っていてほしい。
『おくう』って、名前を呼んでほしい。
――そんな、当たり前のはずだったあらゆることが、ひどく恋しくて。
それは同時に、――飛び出していったお燐が、もう二度とここに戻ってきてはくれないのではないか、という想像を、真実のように塗り固めていく。
そんな、得体の知れない感情の波に揺さぶられたまま、空は膝を抱えてうずくまり。
混乱する思考から逃げるように、ぎゅっときつく目を閉じて――。
目の前を、誰かの気配が通り過ぎた。
はっと空は顔を上げる。今、誰かがそこに居た。自分の目の前を通っていった。
「お燐?」
いや、違う。辺りを見回してみるけれど、お燐の姿はどこにもない。
それどころか、やはり今ここには空ひとりしか居ない。そのはずなのに。
誰かの気配が――確かに今、目の前を通っていった。
姿は見えない。だけれど、確かにそこにいる誰か。
ひどく朧に霞んだ、希薄な存在感。
「……だれ?」
空はその気配に呼びかけた。まだこのあたりに居るはずだった。
お燐ではない。そのはずはない。しかし、だとしたら――。
ふとそこで、空は思い至る。こんな希薄な気配には、覚えがあった。
誰かが居た。もうひとり。お燐と、さとり様と、もうひとり。この地霊殿に。
「こいし、様?」
そう、こいしだ。
さとりの妹。ひどく存在感の希薄な、あの青い瞳の――。
「こいし様なの?」
そういえば、随分と彼女の姿を見ていなかった気がする。
いつからだったのかは、もう覚えていないけれど。
空は立ち上がり、気配の通り過ぎて行った方向に足を向ける。
そちらにある部屋が、誰の部屋なのかは、空も覚えていた。
――さとりの部屋だ。
「こいし様――」
空は呼びかける。何故だか、その気配はこいしであるという確信があった。
他に、この地霊殿に現れる気配の心当たりが無かっただけかもしれないが――。
「……なんで最近、こう簡単に見つかっちゃうのかなあ?」
不意に、目の前の景色がずれるような感覚。
そして、次に空が気がついたときには、まるで最初からそこに居たかのように。
古明地こいしは、その場所に、――さとりの部屋の前に佇んでいた。
「あ、やっぱりこいし様だったんだ」
「正解。……何で解ったの?」
「うにゅ? んー、なんとなく」
ふうん、とこいしは目を細める。その口は問いかけを発してはいたけれど、表情はひどく平板な笑みのままで、そのことに空は違和感を覚える。
「ねえ、おくう」
「にゅ」
不意にそう呼ばれ、空は小さく身を竦めた。
――おくう、と自分のことを呼ぶのは、今までお燐だけだった。
さとり様は《空》と呼ぶし、他に誰かと会うこともほとんど無い。
だから、その呼び名をお燐以外から言われたことに、空は居心地の悪さを覚える。
「あれ、駄目だった? お燐がそう呼んでたから真似しただけなんだけど」
薄い微笑のまま、こいしは平板な調子でそう言う。
空がふるふると首を横に振ると、こいしはどこか楽しげに目を細めた。
「じゃあ、おくう。ひとつ、お願い」
「?」
「私がここにいたこと、――お姉ちゃんには黙っててね」
「ほへ」
「約束だよ? 破ったら、殺しちゃうからね」
微笑んだまま言ったこいしに、うにゅ、と空は身を竦める。
怖がらなくていいのに、とこいしは続けた。相変わらず、無感情な響きの声で。
「ああ、そうだ、おくう」
「うにゅ」
「大変だったね、さっき。見てたよ、お燐の」
「――――」
空は息を飲んだ。こいしはただ微笑のまま、――何の感情もない笑みのまま。
「お燐……」
「ねえおくう、どうしてみんな、誰かを好きになっちゃうんだろうね?」
「ほへ」
不意に帽子を目深に被り直して、こいしは呟くように言った。
「誰も、好きになんてならなければ」
帽子に隠された、こいしの顔が。
――微笑み以外の表情を浮かべているように、空には見えた。
「そんな気持ち、知らなければ――良かったのにね」
次の瞬間。空がはっと気付いたときには、もうこいしの姿は消えていた。
「こいし様?」
呼びかけても、どこにも見つからない。うにゅ、と空は首を傾げる。
こいしはこんなところで、何をしていたのだろう。
あんな風に姿を隠してまで――いったい、何から隠れているのだろう。
そんなことは、空には解らなかったけれど。
「うにゅ……」
こいしが最後に残した言葉が、空の頭の中をぐるぐると回った。
『誰も、好きになんてならなければ』
それは、誰と誰のことだろう。
自分と、お燐のことだろうか?
『そんな気持ち、知らなければ――良かったのにね』
空は、お燐が好きだ。
それがいけなかったのか? お燐を好きになったのは、いけないことだったのか?
何が悪かったのか、誰が悪かったのか――どうして、お燐が泣きそうな顔をしたのか。
やっぱり、空には答えなんて解らないけれど。
『好きなんでしょ? あの火車の娘――』
誰かから問われた言葉が、不意に甦った。
それを自分に問いかけたのは、誰だっただろう。思い出せない。
けれど、自分がそれに何と答えたのかは、空にも思い出せた。はっきりと。
『うん、大好きだよ』
――そう、確かに自分はそう答えた。それから、それからどうした?
『好きな相手がそばに居なくて――寂しくない?』
そうだ、そう聞かれた。
『だいじょぶだよ。だって、お燐は必ず帰ってくるもん。だからお燐は、いつも私のそばにいてくれるから。さみしくないよ』
そして自分は、そう答えた。誰に? 思い出せない。思い出せないけれど。
交わした言葉は、はっきりと甦る。
『……もし、帰ってこなかったら?』
『にゅ、それは困るなぁ』
『困るだけなの?』
記憶にない誰かは、そう目を細めて――緑の瞳でそう問いかけた。
だから自分は。空は。その問いかけに、答えたはずだ。
『困るから、探しに行くよ。お燐がいないなんてやだもん』
――そうだ。何をしているのだ、自分は。
空は顔を上げる。ぐるぐる渦巻いていた問いかけの答えが、見つかった気がした。
難しいことは、自分にはよくは解らないけれど。
お燐が居ないのは、嫌だ。
お燐のことが、好きだ。
それは、難しくなんてない。簡単で単純な、空の中の本当の気持ちだから。
だから、自分はそれに従うのだ。
お燐が居ないのは嫌だから。お燐のことが好きだから。
――お燐を、探しに行く。
『だから、その服は着替えて、向こうで待っていて。ね?』
「うにゅ……さとり様、ごめんなさい」
言いつけを破る後ろめたさはあったけれど、きっとお燐を探すことは、主の言いつけよりも大事なことなのだと、そんな確信が空にはあった。
「お燐――」
お燐は、どこにいるだろう。
今の自分のように、ひとりぼっちでいるのだろうか。
寂しくて、悲しい思いをしているのだろうか。
『友達っていうのは、さ』
『うにゅ』
『寂しいときとか、悲しいときに、そばにいてくれる誰かのことだよ』
――いつか、お燐はそう言ったのだ。
だから、もしもお燐がそんな気持ちでいるのなら、そばにいてあげなきゃいけないのだ。
「お燐っ――」
空はそのまま、地霊殿を飛び出す。そして、その姿を久しぶりに人型から鴉へと戻した。人の姿は、あちこち飛び回るには大きくて不便で、目につくから。
一羽の地獄鴉が、地霊殿から地底の仄暗い闇の中に飛び立つ。
逃げ出してしまった大切なものの姿を求めて、翼をはためかせる。
――それを見送る誰かがいたのかどうかは、定かではなかったけれど。
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Comment
続き乙です。
同じようって言っても形は色々ですよ!
何はともあれ、この先も楽しみにしてるので、頑張ってください!
同じようって言っても形は色々ですよ!
何はともあれ、この先も楽しみにしてるので、頑張ってください!
Posted by: |at: 2010/04/04 11:12 PM
本当に。「同じよう」なのはそれだけ「解決すべき」「難しい問題」を書いているからで、それが多くの悩みと救いを内包しているから俺の心を打ってくれるのだと……あぁなんか表現が中途半端だw
とりあえず「新しいことを探すのも諦めたりしちゃいけないんだろうけど、これまで書いてきた浅木原さんんの作品はどれも大体大っ好きですよー」と言うことが言いたい。うん。
とりあえず「新しいことを探すのも諦めたりしちゃいけないんだろうけど、これまで書いてきた浅木原さんんの作品はどれも大体大っ好きですよー」と言うことが言いたい。うん。
Posted by: くらん |at: 2010/04/05 2:18 AM
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