りん×くう! 8/火焔猫燐
2010.03.13 Saturday | category:東方SS(お燐×おくう)
『おりん、うつほ』
古明地姉妹が、地霊殿に住み着いて数日が経った日のことだ。
さとりに呼ばれて、りんとうつほは猫と鴉の姿で飼い主のそばに寄った。さとりは微笑んでペットを見渡すと、『提案があるわ』と言った。
『飼い主は、ペットに名前をつけるものだけれど、貴方たちには既に名前があるでしょう?』
『うにゅ?』
『だから、貴方たちの名前に、新しい字をあげようと、そう思うの』
りんはうつほと顔を見合わせた。
名を与えられる。それは、名付けた者の配下となることを意味する儀式だ。
さとりが優しい主であることは、既にりんもうつほも解っている。美味しいご飯も食べさせてもらっているし、このままここでさとりに飼われるのも悪くない。
『あたらしい?』
『そう、新しい字。うつほ、貴方は――そう、《空》がいいわね』
さとりはそう言って、《空》と大書された紙を差し出した。空、と書いて、うつほ。変わった読みではある。うにゅ、とうつほは鴉の姿のままで首を傾げた。
『それから、おりん。貴方は《燐》がいいと思うわ』
もう一枚、《燐》と大書された紙があった。燐。鬼火を意味する字だとりんも知っている。地獄の炎に住む火焔猫には、これほど相応しい字もあるまい。
『おりん、お燐?』
うつほが羽根で《燐》の字を指して首を傾げた。――お燐。響きは何も変わらないけれど、りん、というただの音に、それで意味が与えられた。燐。鬼火。地獄の炎。火焔猫のお燐。
名付けるということは、その名の持つ意味、力を与えるということ。
『じゃあ、わたしはお空! おうつほ!』
『なんだいそりゃ』
名付けられたという不思議な感覚にひたる間もなく、うつほの馬鹿な発言にがっくりきた。りん――お燐は苦笑して、《空》の字を指す。
『うつほ。この字の読みは《うつほ》だけじゃないよ』
『うにゅ?』
『《そら》《から》それから――《くう》』
『くう? お空で、おくう?』
――おくう。おくう、か。
『私、おくうがいい! お燐と、おそろい』
うつほは――空はそう言って、『えへへー』とお燐に身をすり寄せた。
『おくう』
『んにゅ、お燐』
呟いてみると、呼び返された。――ずっと昔からそう呼びあっていた気がする。そのぐらい、耳に馴染む響きだった。おくう。このちょっと頭の弱い友人には、うつほ、なんて仰々しい名前よりは、おくう、ぐらいの気の抜けた呼び名の方が似合う。
『決まり、ね。お燐、空。これから、よろしく』
さとりはそう言って、お燐と空を優しく撫でてくれた。
お燐。
その名前は、親友と主と、ふたりがくれた名前。
だからお燐は、この《お燐》という愛称が好きだ。
そして、親友の――おくう、という呼び名も。
それが、自分だけの呼び名だから。
◇
地霊殿が見えてきたあたりで、お燐は深くため息をついた。
頭の中では、先ほどヤマメからかけられた言葉がぐるぐると渦巻いている。
『本当に、あんたが思ってるほど、そのおくうって子は馬鹿なのかな』
――そんなはずは、ない。
空とはもう随分と長い付き合いだ。空のことなら、何だって知っている。好きな食べ物も、口ずさむ調子外れな歌のレパートリーも、だらしない寝相も、――おくうはいつだって、無邪気で素直で、無鉄砲で――。
空は、知らないはずだ。
今まで、地上にある空の色、太陽の輝きを知らなかったように。
恋とか、愛とか、そんな感情の持つ眩しさも、――それが生む影も、知らないはずだ。
……それは、自分がそうであってほしいと思っているのだけなのだろうか?
空が口にする、無邪気な「好き」という言葉。
それは――自分が空に抱いている感情と、同じなのか?
自分がただ、それから目を逸らしているだけなのだろうか――?
「あたいが、さとり様だったらなぁ……」
さとりなら。心を読むことが出来る主なら、きっとこんなことに悩む必要はないのだろう。
空が自分をどう思っているのか、何でも解ってしまえたら、簡単だ。
それが出来ないから、お燐はこうして、ため息をつくしかないのだ。
かと言って、さとりに確かめてもらうわけにもいかない。それはさすがに――ルール違反だ。
「……おくう」
瞼を閉じると、空の天真爛漫な笑顔が浮かんだ。
それだけで幸せで、だけど同時に胸が痛かった。
――おくうが好きだ。あの無邪気な笑顔が、奔放な仕草が、何もかも、好きだ。
自分のものにしてしまいたい、と思う。
抱きしめて、その子供のような肌を貪ってしまいたい――と、思う。
そういう邪な情念が、放っておいたら暴発してしまいそうで、お燐は奥歯を噛み締める。
――せめて、もう少し綺麗な恋が出来たら良かったのだろう。
空が好きだというこの気持ちが、ただ綺麗な、プラトニックなものであれば。
だけど、お燐の中には、確かに空を求めて止まない――情欲がある。
ヤマメは、それが当然だと言う。
好き合った者同士、触れあい、求め合うのは自然なことだという。
そうかもしれない、そうかもしれないけれど――。
空は、どうなのだろう。
あの無邪気な、子供のような笑顔の下に、自分のような情欲を隠しているのだろうか?
そんな即物的な感情を、自分のように持て余したりはしているのだろうか?
――そうであって欲しくはない、とお燐は思うのだ。
空は綺麗な、プラトニックな――子供のように純真無垢なままでいてほしいと。
それこそが、自分の好きな空なのだから。
だけどそれも、自分の勝手な理想の押しつけなのだろうか。
空は――空は、自分は。
どうすればいいのだろう? どうすれば、この気持ちを、この感情を――この情欲を。
「お燐、おかえりー!」
がばっ、と。
唐突に目の前が黒い影に覆われて、お燐は悲鳴をあげる間もなくその場に押し倒された。
「お、おおお、おくう?」
考え込んでいるうちに、地霊殿の中まで足を踏み入れていたらしい。
黒い影は、親友のマントだった。黒い羽根とマントを広げ、空が自分にのしかかってきたのだ、とお燐はようやく理解する。
「えへへ、お燐」
「……お、おくう。ただいま」
「うんっ」
自分にのしかかったまま、満面の笑顔で空は頷く。その笑顔は自分の好きな空の笑顔で、そのことにお燐はまた、安らぎと小さな痛みを感じるのだ。
のしかかる空の重みと、その身体の柔らかさと、熱と。
それをただ、純粋な幸福として感じていられればいいのに。
――貪ってしまいたいという衝動が、身体の奥で疼いている。
空の胸元の膨らみに、白いうなじに、柔らかい頬に――肌に、振れて、吸って、この衝動を満たしてしまいたい――。
「と、とりあえずどいてよ、おくう。起きあがれないよ」
「うにゅ」
素直にどけた親友に、小さくため息をついて、お燐は身体を起こす。
地霊殿の廊下は、しんと静まりかえっている。さとりは部屋だろうか。同じペット仲間の火焔猫の姿も今は見当たらない。ただ静かな廊下に、自分と空がふたりだけ。
「どうしたのさ?」
「んにゅ?」
「いや、おくうが自分から仕事場の外に出てるなんて珍しいからさ」
空は基本的に、灼熱地獄からは動かない。食事や睡眠のとき以外は、いつもあの炎の上にいて、炎を見守っている。それが仕事だからだが、空自身も、お燐と違ってひとりで出歩くのはあまり好きではない質のようだった。
――お燐と一緒がいい、といつか、空が言った。
そんな風に頼られることも、嬉しくて、同時に――痛い。
「んとね、お燐を待ってたの」
「あたいを? なんでさ」
「んーと」
訝しんだお燐に、空は「うにゅ」と首を傾げ、それからぽんと手を叩いた。
「結婚!」
「……は?」
空が叫んだ言葉に、お燐は目をしばたたかせる。――結婚?
そういえば、少し前に空とそんな話をしたけれど、どうしてまた急に、
「あのね、さとり様に聞いてみたの」
「聞いてみたって」
「結婚ってなに? って」
――主は、この親友になんと答えたのだろう?
結婚。あまりにもありふれて、あまりにも難しい、その言葉の意味を、あの主は、
「そしたら、さとり様ね、こう言ったの」
「……なんだって?」
「だれかを、いっしょう、まもっていくこと」
一語一語確かめるように、空はそう口にした。
――誰かを、一生、守っていくこと。
ああ、なるほど――そうかもしれない。守っていくということ。生涯をかけて守るべきものを持つということ。結婚とはつまり、そういうことだ。
「だからね、お燐」
「……なんだい?」
「私とお燐も、結婚、だよね?」
首を傾げて、空はそう言った。
――胸が、突き刺された痛みに呻くように、震えた。
「……なんで、そうなるんだい」
「だって、お燐は、私のこといつも、守ってくれるから」
無邪気な。どこまでも無邪気な笑顔のままで、空は言う。
「私がさみしいときも、かなしいときも、お燐はいつもそばにいてくれるから」
無垢に。あまりにも無垢に――その言葉を語る。
「だから、私とお燐はやっぱり、結婚、だよね?」
ああ――そうだよ、おくう。
あたいが守りたいもの。あたいにとって一番大切なもの。
それはあんただ。おくう、あんたなんだ。それは、間違いない。
おくうのためなら、さとり様にだって牙を剥いてやるよ。鬼にだって悪魔にだって――。
だけど、違うんだ。違うんだよ、おくう。
結婚、っていうのは。好きになる、っていうのは。
あたいが――おくうのことを好きだっていう、この気持ちは。
そんなに、綺麗なものじゃ、ないんだ――。
駄目だった。もう、耐えられなかった。
好きだ。空が好きだ。どうしようもなく――好きだ。
だけど、だから、痛い。空の純粋な好意が。無垢な笑顔が。
その全てが、自分の醜い欲望を鏡のように映しだしているから。
自分はこうはなれない。こんなに素直に、綺麗に、空のことを想えない。
だって今でも――今だからこそ、空を貪りたいと、その衝動が――。
「お燐」
ぎゅ、と。空の手が、お燐の背中に回された。
柔らかな空の温もりが、お燐をあまりにも優しく包み込んで、
「だいすき」
――その言葉で、全てが壊れた。
違うんだ。違うんだよ、おくう。
あんたの口にする「好き」と。
あたいの抱えている「好き」は。
同じ言葉だけれど――全然、違うんだ。
「……おくう」
「うにゅ?」
壊れてしまいそうだった。
だから、壊してしまいたかった。何もかもを。
汚してしまいたかった。全てを。
自分の穢れた情欲を映す、綺麗すぎたこの笑顔を。
無垢な雪原に足跡をつけて回るように――踏みにじってしまいたかった。
「あたいのこと、好きかい?」
「うん、好きだよ」
「そうか、じゃあ――」
空の肩に手をかけて、強く押した。「うにゅ」と、空は声をあげて仰向けに倒れた。
お燐はその上に、四つんばいになって覆い被さった。
「お燐?」
「じゃあ――おくう」
お燐がその手で首筋に触れると、空はくすぐったそうに目を細めて、
「あんたのこと、好きに、させて」
「え? ――――んっ、む」
返事を待たずに、唇を、空のそれに押し当てた。歯と歯がぶつかって空が顔をしかめたが、構わずその唇を貪るように吸った。空の唇は柔らかくて、今朝食べたハンバーグにかけたケチャップの味が微かにした。
「んむ、む……ぷは、お、お燐? な、なにするの?」
唇を離すと、戸惑った顔で、空はお燐を見上げる。
やっぱり、何も解っていない。今の行為の意味さえも、空は。
それなら、それでいい。
全部、汚してしまえる。
全部、自分の色に染めてしまえる。
無垢な空を、火焔猫の黒と赤に染めて――。
「おくう」
「にゅ……」
「好きだよ」
もう一度、唇に吸い付いた。空は今度はされるがままだった。薄く開いたその唇から、お燐は舌を滑り込ませる。空の身体が驚いたように震えた。それを押さえつけて、お燐は舌で空の口の中をまさぐる。唾液が唇の端からこぼれて、空の頬を伝って床に落ちた。
唾液の絡まる水っぽい音が、意識を、理性を焼き切っていく。
怯えたように引っ込んでいた空の舌を、お燐の舌が探り当てた。差し込んだ舌をのばして、絡め取って吸った。空の唾液と、自分の唾液が混ざり合って、意識すらも溶けてしまいそうだった。
おくうの唇、おくうの舌、おくうの唾液――。
貪りたかった。ずっと、全て自分のものにしてしまいたかった。
願っていたそれが、叶ったのに――。
どうして、身体の奥が、少しずつ冷たくなっていくのだろう?
「んぷ……ぁ」
呼吸が苦しくなって、唇を離した。つ、と銀色の糸が舌と舌の間に伝った。
見下ろした空の顔は、驚きと戸惑いに赤く染まったまま、自分を見上げていた。
その瞳に映る自分の表情は、陶然とした淫靡な――自分のものとは思えない顔をしていて。
「お、おりん……」
「おくう」
今度はその首筋に顔を埋めて、舌を這わせた。「ひぅん」と身を竦めたおくうの胸元に手を伸ばす。子供っぽいおくうには不釣り合いな、胸元の大きな膨らみを、服の上から両手でまさぐった。もったいないほど豊満なそれは、ふにふにとお燐の手の中でマシュマロのように柔らかく形を変えた。
「ふぁ、お、お燐、くすぐったいよぅ……」
「気持ちよくなるよ、そのうちね――」
「ふえ……」
うなじから耳元に回り込んで、耳たぶを噛んだ。「ふぁ」と耳元であげられる空の声が、たまらなかった。耳たぶからまたうなじにもどって、跡がつくほどその白い肌を強く吸う。赤くなったその痕跡を指でなぞって、お燐は陶然と考える。こんな跡を、自分の痕跡を、おくうの全身に残してしまいたい――と。
「おりん、」
「――好きだよ、おくう。好きだ、あたいは――」
うわごとのようにそう呟いて、お燐は空のシャツに手をかけて、力任せに開いた。ボタンが弾け飛んで、空の白い肌が露わになる。――そこには今は、かつては無かった赤い宝石が埋め込まれていた。いつか空がヤタガラスと融合したときに生じた赤い瞳――。
けれどその異形すらも、お燐には美しいと思えた。
柔らかな白い肌。ふたつの乳房。そして――。
「おくう、」
「――お燐……」
泣き出しそうに怯えた、空の、瞳。
そこに映っている、お燐の顔は。
――どこから見ても、汚れた情欲に身を委ねきった、獣でしかなかった。
露わになった乳房をまさぐろうとした手が、止まった。
今にも泣き出しそうな顔で、空が自分を見上げていた。
「……こわいよ、おりん」
空が、
だいすきな、うつほが、
自分を見上げて、泣いていた。
「そんな、おりん、いやだよ――」
何を。
何をしていた? 自分は今、何をしていたのだ?
空を、ただ自分に、無垢な好意を向けてくれていただけの親友を、
――押し倒して、その唇を奪って、その白い肌を貪って、
「おく、う」
首筋に、お燐の吸い付いた跡が、赤く、痛々しく残されていた。
半分破けた服を押さえて、おくうは怯えたまま、縮こまっていた。
それをお燐は、どこまでも間抜けに、見下ろしていた。
身体が冷えていく。意識の芯までもが、氷を詰め込まれたように冷えていく。
――あたいは、あたいは何を、おくうに何を――。
両手が、身体が、全身が震えて、止まらなかった。
空が、傷ついた顔で、こちらを見上げていた。
信じていた親友に、乱暴をされて――どうしていいか解らない、迷子の顔で、
「あ、ああ、あ…………――――――――ッ!!!」
その悲鳴は、言葉にすらならなかった。
自分の中の、大切な何かがその瞬間――音を立てて砕け散ったのを、お燐は聞いた。
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