りん×くう! 3/火焔猫燐
2010.02.16 Tuesday | category:東方SS(お燐×おくう)
自分を手当てしてくれた少女が、地獄鴉だと知ったのは、次に目を覚ましたときだった。
いつの間にか、少女の膝の上ではなく、池のほとりに寝かされていた。先ほどに比べて痛みはいくらか治まっていた。立ち上がろうとしたが、折れた後ろ足がまだ繋がっていないようだったので、首を伸ばして冷たい水を舐める。
『うにゅ、おきたの?』
声にゆっくりと首を動かすと、一羽の鴉がずるずると何かを引きずってきていた。先ほどの少女の声だった。――あの少女は、この鴉だったのか?
人の姿をとる妖怪は多い。お燐も普段は猫の姿だが、赤毛の少女の姿にもなれる。ただ、地獄鴉で人の姿をとれるものというのを見たのは初めてだった。――いや、単に自分が地獄鴉についてよく知らないだけかもしれない。
自分が生きていくことしか、考えたことなどなかった。
他の誰かのことを気に掛けたことなど、今までなかった。
『はい、ごはんだよ』
鴉は――うつほは引きずっていたそれを、りんの前に差し出した。千切れた腕だった。どこかの亡者から千切ってきたのかもしれない。灼熱地獄の炎に黒く焼け焦げて、まだくすぶっているようだった。
自分がそれを訝しんで見つめていると、うつほは『うにゅ』と首を傾げる。
『きらいだった? 食べたくない?』
――食欲はあまり無かった。ただ、食べた方が傷の治りが早いことも理解していた。
前足を伸ばしてその腕を引き寄せ、指にかぶりついた。指の肉は焦げていて固かったけれど、骨ごと噛み砕いて飲みこむと、人心地ついたような気分になる。
『おいしいね』
見やると、うつほもちゃっかり二の腕の肉をついばんでいた。そこが一番美味いってのに、とりんは目を細めて、もう一本指を囓る。久々に口にした屍肉の味は、ひどく懐かしいもののようにも思えた。
『……あんた』
『あんたじゃないよ、うつほだよ』
りんが呼びかけると、うつほはまた不満げにそう返す。
『……うつ、ほ』
仕方なく、その名前を口にした。ひどく、奇妙な感じがした。
誰かの名前を呼んだのなんて、いつ以来だろう。
『うにゅ、なに?』
首を傾げるうつほ。赤銅色のその瞳に、りんの姿が映っている。
『なんで……あたいを、助けた、のさ』
『んにゅ?』
りんの問いかけに、うつほはもう一度首を捻り。それから、ぱっと笑って言った。
『んーと、……美味しそうだったから!』
――そんな剣呑な発言を、あっさりと。
意味が解らない、とりんは思わず頭を抱えた。死にかけていた自分を食べようとしていた、というのなら解る。地獄の生き物はそういうものだ。だが、助けておいて『美味しそうだったから』というのはどういう意味だ。自分を食べるつもりなら、放っておけば勝手に死んだだろうに。道理が合わない。
『いや、意味解らんて……』
『うにゅ?』
――ひょっとしてこの鴉、ただの馬鹿なのではないだろうか。
りんのその懸念は、端的に言えば大正解だったわけである。
◇
博麗神社には、レティ・ホワイトロックという冬妖怪が住んでいる。
この神社の巫女である博麗霊夢という人間は、妖怪退治を生業としている。先日の間欠泉騒ぎのとき、地霊殿にやってきたのも、その生業のためだった。結果、増長していた空を懲らしめ、地上侵略を諦めさせてくれたわけで。それを望んで怨霊を解き放ったお燐にしてみれば、彼女は恩人という他ない。
他にも神社には、伊吹萃香という昔地底に暮らしていた鬼が住んでいる。妖怪退治が本業の巫女が、どうして退治する対象であるはずの妖怪であるレティや萃香を住まわせているのか、お燐には不思議だったのだが――思いがけず、片方の謎が解けてしまった。
「あのさ、おねーさん」
「うん〜?」
霊夢の立ち去った方を見つめていたレティは、お燐の呼びかけに振り向いた。ほわほわとした柔らかな微笑み。身体つきも柔らかそうだが、それはさておき。
「……おねーさん、あの巫女の……なんてーのかな、えーと」
「ん〜、恋人……なのかしら〜?」
レティは小さく苦笑して、霊夢と触れあわせていた唇に指で触れた。
「なんで疑問型になるのさ。……キスしてたじゃん、今」
「う〜んと、それはちょっと複雑というか〜」
頬を染めて、レティは縁側から降ろした足をぶらつかせる。
「私がここに居候してるのは、霊夢のこと、好きになっちゃったからなんだけど〜。……霊夢が結局、私のことどう思ってるのかは、よく解らないのよ〜」
「――好きでもない相手と、……キスなんかしないと思うけどなぁ」
「そうだといいんだけどね〜」
間延びした口調で、けれどレティは少し寂しそうに苦笑した。
「たぶん、私も霊夢も、この気持ちが恋なのかどうか、決められないでいるの」
「……恋は恋じゃん?」
「猫さんも、好きな相手がいるの〜?」
「あ、いや、それは――あ、あたいはお燐。お燐でいいよ」
レティの問いかけを誤魔化すように、お燐は首を振ってそれから名乗った。レティはお燐の顔と、それから庭で雪と戯れる空を見やり、何か納得したように頷く。
「そこの子、かしら〜?」
「……そんな簡単に見抜かないでほしいなぁ、さとり様じゃないんだから」
はぁ、とお燐はため息。レティはくすくす笑った。
「霊夢から、この前の間欠泉事件の話は聞いたわ〜。あの間欠泉、あなたの仕業なんでしょ?そこの鴉の子が物騒なこと考えてたから、霊夢に止めてもらおうとしたって」
「うんまあ――そういうことなんだけどさ」
「素敵ね〜。そうやって、守りたいって思えるものが、あるっていうのは」
どこか羨望を込めた眼差しで、レティはお燐と空を見やった。お燐は目をしばたたかせる。レティと霊夢が恋人同士にあるのだとしたら――自分たちを羨むまでもなく、強い絆で結ばれているのではないのだろうか?
「おねーさん――」
「お燐、お燐、みてみてー」
レティに問いを発しようとしたところで、空の声がそれを遮った。振り返ると、空はいつの間にか、なにやら大きな雪玉をその場にこしらえていた。
「あのね、ゆきを丸めて、ころころしてたら、おっきくなった!」
「雪だるまでも作るの〜?」
「ゆきだるま? それ、たべもの? おいしい?」
レティの言葉に、空は首を傾げる。雪を知らなかった空が、雪だるまなんて知っているはずもない。レティは雪の上に降り立つと、もうひとつ雪玉をこしらえて転がし始めた。
レティの足元で大きくなっていく雪玉を、空は目を輝かせて見守る。ほどなく適度な大きさになったそれを、レティは持ち上げて、空の作った雪玉に載せた。
「おおー?」
「あとは……こうして、顔を作って〜」
頭の方の雪玉に、小さくくぼみを穿って目を作り、そこから削った分で鼻を作る。それからレティは、庭木から枝を一本手折り、それを鼻の下にくっつけて口にした。
「顔になった!」
「そうね〜。あとはこうして、雪だるまの出来上がり〜」
レティは被っていた白い帽子を脱いで、雪だるまに被せた。丸っこくその場に鎮座する雪だるまは、帽子を被せられたことでレティを象ったような姿になる。それに思いっきりキラキラと目を輝かせているのは空だ。
「すごいすごい! ゆきだるま!」
別に凄くもないだろう、とお燐は苦笑するが、空は相変わらず大変な宝物でも見つけたような顔をして、レティ謹製の雪だるまをしげしげと見つめた。微笑ましいその姿に、レティも楽しそうに笑う。
「いい子ね〜」
「まあね……馬鹿だけどさ」
「私の友達にもああいう子がいるから、解るわ〜。妖精だけど」
「……妖精と同レベル? まあおくうだもんなぁ」
「うにゅ?」
きょとんと振り返った空に、何でもないよ、とお燐は肩を竦めた。
「ただいま、って何やってんのよ」
そこへ、霊夢が戻ってくる。庭に現れた雪だるまの姿に、霊夢は訝しげに目を細めた。
「ゆきだるま!」
「いや、それは見れば解るから」
「作ってあげたのよ〜」
「……いやまあ、何でもいいけど」
やれやれと首を振って、それから霊夢は手に持っていたものをお燐の方に放った。お燐が受け取ると、袋に卵が四つ入っている。ほかほかと温かいので、ゆで卵だろう。
「毎度♪」
「ま、卵ぐらいなら別にいいわよ。おかげで温泉沸いて、こっちもまあ色々助かってるし」
「温泉浸かりに来るのは妖怪ばっかりだけどね〜」
「うっさい」
「いひゃいいひゃい〜」
半眼でレティの頬を引っぱる霊夢。涙目で「やめへ〜」と抗議しながらも、レティはどこか嬉しそうだった。――好きな相手に触れてもらえるという、それだけで幸せなのだということは、お燐にも解る。解ってしまう。
「うにゅ、お燐、それなに?」
と、ゆで卵の袋を見下ろして空が首を傾げた。
「ほらおくう、ゆで卵だよ」
「ゆでたまご?」
もう忘れたのかこの鴉は。我が親友ながらその記憶力には呆れる他ない。
「こいつを食べに来たんじゃないさ、おくう」
「うにゅ、そーだっけ?」
駄目だこりゃ。苦笑してお燐は、それから霊夢を振り返った。どうせ、熱いゆで卵は綺麗に殻が剥けない。雪で冷やしてからの方が綺麗に剥けるのである。
「んじゃ、お邪魔みたいだし退散するよ。おふたりはごゆっくり」
「はいはい。紫に見つかる前に帰りなさいよ」
「ん、心配してくれんの?」
「これ以上面倒なことに巻き込まれたくないだけよ」
肩を竦めた霊夢に、ひとつ笑い返して、お燐は思った。――何だかんだ言っても、この巫女はいい人間だ。退治されるはずの妖怪に好かれるのも、きっとそのせいなのだろう。
「おくう、ゆで卵も手に入ったし、帰ってゆっくり食べよ」
「うにゅ、帰るの? ゆきだるま、作りたいのに〜」
「また今度」
「うにゅ〜」
空は名残惜しそうだったが、お燐が促すと渋々頷いた。振り返って空は「ばいばーい」と霊夢たちに手を振る。レティが手を振り返し、その隣で霊夢は「なんかチルノを思い出すわね、あの鴉」と疲れたように首を振っていた。
◇
「ね、ね、お燐」
「ん?」
帰り道。いつの間にか陽はすっかり傾き、夕暮れのオレンジが雪景色を染め上げていた。色の変わった頭上を不思議そうに見上げる空の手を引いて、お燐は雪の上を歩く。右手に空、左手にはゆで卵。四つあるから、ひとつはさとり様へのおみやげにしよう――。
「そういえば、思い出したの」
「何をさ?」
「巫女とあの妖怪さん、なにしてたんだろね?」
「何って――」
不思議そうに言う空を振り返って、お燐は目を細める。はて、何の話だったか――。
「ほら、なんだかふたりで、口と口――」
「――――!?」
そうだ。思い出した。神社に行ったそのとき、自分と空はそれを目撃したのである。その後の雪だるまやら何やらで頭から抜け落ちていたけれど――博麗霊夢とレティ・ホワイトロックが、要するにその――キスしているのを。
「ね、お燐、あれなにしてたのかな? ふたりでなにか食べてたのかな?」
「あ、あれは――あれはね、おくう」
「うにゅ?」
やっぱり、空はあの行為の意味はよく解っていないらしい。それは僥倖というべきなのだろうか、それとも不幸というべきなのだろうか――。
どっちにしても、お燐にしてみればこれ以上厄介な問題もなかった。
キス、という行為。その意味。
恋という感情、恋愛という概念を理解していない空に、それをどうやって説明すればいい?
適当な言葉で誤魔化すか? しかしそれはそれで、空が後でさとりに質問を重ねたりしたら藪蛇というか、何がどうなるか予想もつかないので勘弁してほしい。
『さとり様ー、きすってなんですか?』
『それはね、空。――好き合った相手と、気持ちを確かめる行為ですよ』
『うにゅ?』
『空は、私のことは好き?』
『さとり様のこと? 好き!』
『ふふ、いい子ね、空――』
『うにゅ、さとり様? うにゅ――』
って、何を想像しているんだい、あたいは! ぶんぶんと首を振って、お燐は妄想を振り払う。主は、さとりはそんなことはしない。しないはずだ、うん。
「ねーねーお燐、お燐ってば」
「お、おくう」
ゆさゆさと空がお燐の肩を揺さぶる。空の顔が不意に目の前に近付いて、お燐の心臓が音をたてて跳ねた。すぐ近くにある、首を伸ばせば届く、空の柔らかそうな唇――。
そこに、触れてしまいたいという衝動。
抱きしめて、貪ってしまいたいという――劣情。
それを噛み殺すように、お燐は首を振った。
「あ、あれはね、おくう。――特別な相手とする、秘密のことなんだ」
「うにゅ? とくべつ? ひみつ?」
「そう、特別な、本当に特別な相手以外とはしちゃいけない、とっても大事なことなんだ」
「とくべつって、どのくらいとくべつ? お燐ぐらい?」
「――――」
お燐ぐらい? ――なんて、どうしてそんな。
どうしてそんな、残酷な問いを、無邪気に発するのだ。
奥歯を噛み締める。胸の奥が、じくじくと蝕むように痛む。
軋むような感情を、振り払うようにお燐は、苦笑を繕って首を振る。
「違うよ、あたいなんかよりもっと、ずーっと特別な相手とすることなんだ」
「うにゅ……」
困ったように眉を寄せた空の頭を、お燐は苦笑しながら撫でる。――ちゃんと苦笑を取り繕えているのかどうかは、解らなかったけれど。
「秘密のことだから、誰にも聞いちゃだめだよ、おくう。さとり様にも。秘密を破ったら、今のおくうよりもずっと強い妖怪が、今度こそおくうを食べちゃいに来るよ?」
「う、うにゅ……うん、わかった」
「よしよし。おくうは良い子だ」
笑って、笑顔を無理矢理に作って、お燐は空の頭を撫でた。その髪をくしゃくしゃにされながら、空は心地よさそうに目を細める。
「ほら、早く帰らないとさとり様が心配するよ。帰って、ゆで卵食べようじゃん」
「ゆでたまご?」
「美味しいよ」
「んにゅ、ゆでたまご!」
ぴょんぴょんと飛び跳ねる空の手を、もう一度握り直した。
えへへ、と空が無邪気にこちらに笑いかけた。
その笑顔は、お燐にとって、一番大切なもの。
ずっと守り続けていきたい、かけがえのない宝物。
「お燐」
――そのはずなのに、どうしてこんなに、胸の奥が痛いのだろう?
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