ゆう×ぱる! 45 / 「星熊勇儀の幸福」
2009.12.15 Tuesday | category:東方SS(勇儀×パルスィ)
それを幸福と呼ばずして、何をそう呼ぶに値するだろう。
◇
パルスィと旧都で過ごす時間は、ゆっくりと、賑やかに流れていた。
結婚式は、旧地獄街道を中心に盛大にやろうと周りが言い出した。恥ずかしがるパルスィを尻目に、皆がすっかり乗り気になって、式の段取りを打ち合わせ始める。
そんなに目立たなくたっていいのに、とパルスィは少し困り顔で言った。
皆が祝いたいって言ってくれる気持ちを尊重しようじゃないか、と勇儀は答えた。
自分が、パルスィと結ばれるということ。
それを、旧都の仲間たちが盛大に祝福しようとしてくれる。
悪い気分のはずもない。パルスィもそれが解ったのか、こくりと頷いた。
少々派手な形にはなるけれど、この結婚式が上手くいけば。
きっと、旧都は勇儀にとって、本当に地底の楽園になるだろう。
愛すべき地底の仲間たちがいて。
この世で一番大切な、愛する女性がいる場所。
それが旧都。星熊勇儀の楽園。
そこに生きるから――自分は、紛れもなく幸福だった。
ヤマメが笑っている。
キスメが笑っている。
狂骨とその家族が笑っている。
旧都の上役たちが、住人たちが笑っている。
その中心に――自分とパルスィがいて。
手を取り合って、寄り添って、笑い合っている。
それが幸福だ。星熊勇儀の幸福だ。
これからも永遠に続いていく、水橋パルスィとの幸福な暮らしの。
その一ページに刻まれる、他愛ない光景。
当たり前の日常の一コマ。
ずっと続いていく――幸福の形だ。
そう信じていた。
いつか胸に燻った不安を忘れて、勇儀はそう信じていた。
パルスィはずっと、自分のそばにいると。
その細い身体をずっと離さずにいられると。
彼女の温もりは永遠に、自分の傍らにあり続けるのだと。
信じていた。信じ切っていた。
――いつか、星熊勇儀は水橋パルスィに誓ったから。
ただ生涯、水橋パルスィだけを愛すると。
それを証明するために、生涯をパルスィの傍らで過ごすと。
そう誓ったから、――信じ切っていたのだ。
自分がその約定を違えない限り。星熊勇儀が嘘をつかない限り。
パルスィはずっと自分の隣にいるのだと――無邪気に、信じていた。
永劫に変わらぬものなど無いと、その永い生の中で知っていたはずだったのに。
◇
「ああ、勇儀様。ちょうどいいところに」
仕立屋の前を通りかかったところで、不意に勇儀を呼び止める声があった。
足を止める。振り向くと、仕立屋の主である老婆がこちらに目を細めていた。
「なんだい?」
「いえいえ、頼まれていたものですがね、明日にもお届けにあがれるかと」
勇儀は目をしばたたかせた。そうか、もう出来たのか。
仕立屋に頼んでいた、自分とパルスィの結婚式の衣装。
「さすが、仕事が早いね」
「いえいえ。ちいと年甲斐もなく張り切っちまいましたよ」
ほっほっほ、と老婆は目を細めて笑う。勇儀も微笑を返した。
「それなら、明日私が取りに――いや、式の当日まで預かってて貰えるかい」
言いかけて、勇儀は考え直す。せっかくの花嫁衣装だ。我が家で保管しておくよりは、仕立屋に預けておいた方が間違いがなくていいだろう。
「はいはい、解りましたよ。でも、一度試着には来てくださいな」
「そりゃあもちろん。明日早速出向かせてもらうよ。なあ、パルスィ」
そこで勇儀は、傍らのパルスィを振り返った。
うん、とパルスィは勇儀に寄り添いながら、こくりと頷いた。
――そして、何故か。
老婆は、きょとんとパルスィの姿に目をしばたたかせていた。
「うん? どうしたんだい?」
「ああ――いえ。私も歳ですかしらねえ」
目を擦り、老婆はゆるゆると首を振る。
「勇儀様ひとりに話しかけてるつもりになってましたよ」
「何を言ってるんだい。パルスィはずっと隣にいたじゃないか」
苦笑する勇儀に、そうですよねえ、と老婆は首を傾げた。
不意に、勇儀の腕を掴んだパルスィの手に力がこもる。勇儀が振り返ると、パルスィは勇儀の顔を見上げて何かを誤魔化すように微笑した。
――何だ? 訝しみ、勇儀はひとつ鼻を鳴らす。
だがその疑念を確かめる間もなく、「では、また明日に」と老婆はひとつ頭を下げて店へ引っ込んでいた。その背中を見送って、勇儀はもう一度パルスィを振り返る。
「勇儀」
甘く囁くようにして、パルスィは勇儀にもたれてきた。
その肩を抱き返しながら――けれど勇儀の胸には、いつか覚えた小さな懸念が再び燻り始めていた。その正体が、何なのかも解らないまま。
我が家の近くまで来たところで、今度はヤマメと出くわした。
「ああ、姐さん。居ないと思ったら出掛けてたのか」
勇儀の姿を認めて駆け寄ってきたヤマメは――しかし、パルスィには視線を向けなかった。
「なんだい、キスメは一緒じゃないのかい?」
「そんな四六時中べたべたしてるわけじゃないってば、姐さんと――」
照れたようにヤマメは苦笑して、だけど不意に不自然に言葉を途切れさせる。
「ヤマメ?」
目を細めた勇儀に、ヤマメは小さく首を振った。
「あ、そうそう。式の段取りの最終確認をしたいから、明日来てくれってうちの長が」
「ああ、そうか。解った、衣装の試着もあるし、そのついでに寄るよ」
「お、式の衣装できたんだ?」
「ヤマメは本番を楽しみにしてなよ、とびきり綺麗なパルスィを見せてあげるさ」
そう笑って、勇儀は隣のパルスィの背中を軽く叩いた。
そこでヤマメははっと目を見開いて、初めてパルスィを見据えた。
まるで、そこにパルスィが居ることにたった今気付いたかのように。
「……姐さんはどうするのさ? ふたりして花嫁衣装?」
「いや、私はたぶん紋付き袴だねえ」
「そりゃそうか。姐さんにはきっとそっちのが似合うよ」
ヤマメは楽しげに笑う。その直前の驚きなど無かったように。
「んじゃま、私はそれだけだから。またね」
そしてヤマメは手を振って駆けだした。その背中を、思わず勇儀は呼び止める。
「うん?」
振り向いたヤマメに、しかし何を問いかければいいのか、勇儀には解らなかった。
――ヤマメ、お前さん、今私の隣にいるのが誰なのか、解ってるのかい?
その問いかけは、言葉にならない。
それを言葉にしてしまったら――何かが壊れる気がした。
しかし、何が壊れてしまうのかも、勇儀には解らなかった。
「……いや、何でもないよ」
結局、勇儀はそう首を横に振ることしか出来ず。
「ん、じゃね、姐さん」
そして、ヤマメは再び駆けだしていく。
――その口から、パルスィの名前はとうとう、発されることはなかった。
◇
何かがおかしかった。
杯に映る自分の顔を見下ろして、勇儀は眉を寄せる。
家に帰り着いて、パルスィは夕飯の支度を始めている。炊事場から立ちのぼる食欲をそそる匂いと、パルスィの包丁がたてる規則正しいリズム。
それは、星熊勇儀の日常にある、ひとつの幸福の形だったはずなのに。
思考にこびりついた違和感が、勇儀の胸の奥を騒がせる。
『勇儀様ひとりに話しかけてるつもりになってましたよ』
仕立屋の老婆は、そう言った。
『ん、じゃね、姐さん』
黒谷ヤマメは、パルスィの名前を口にしなかった。
――ふたりとも、勇儀の隣にずっと居たはずのパルスィが、まるで居ないかのように話をしていた。そんなはずはない。確かにパルスィはずっと勇儀の傍らに寄り添っていたのだ。
ふたりに、パルスィの姿が見えていなかったはずがないのに。
何かがおかしい。勇儀の感覚がそう告げている。
仕立屋の老婆はともかく、ヤマメの態度は明らかにおかしかった。
まるで、パルスィのことを無視するかのような態度。
確かにかつて、ヤマメはパルスィを嫌っていた。だけどそれは過去のことで、今のヤマメはパルスィを友達と認めていた。そのはずだ。
ヤマメが今、パルスィを無視する理由はどこにもない。
――だとしたら、なぜヤマメはあんな態度を取ったのだ?
パルスィの存在自体に気付いていないかのような、あんな態度を――。
「勇儀」
パルスィの声。勇儀が顔を上げると、パルスィが呆れたようにこちらを見下ろしていた。
「晩ご飯の前から呑んでるの? 相変わらずいいご身分ね」
「いいじゃないさ。酒は鬼の命の源だよ」
勇儀が苦笑混じりに返すと、まあいいけど、とパルスィは息をつく。
「おみそ汁の具、何がいい?」
「パルスィの好きなものでいいさ」
「はいはい」
肩を竦めて、それからパルスィはエプロンで手を拭うと、勇儀へとかがみ込んだ。
顔を上げたままの勇儀の唇に、パルスィのそれが軽く触れる。
一瞬の触れ合い。顔を離して、そっぽを向くとパルスィは何でもないように言った。
「もうすぐ出来るから、呑むのはほどほどにしておいてよ」
そして炊事場に戻っていく背中を、勇儀はただ見送って。
――訊ねられるわけがない、と力なく首を振った。
パルスィは、いつもと何も変わらずに振る舞っている。
自分が、変に気にしすぎているだけなのだろうか? そんな気すらしてくる。
だいいち、パルスィ本人に何と訊ねればいいのか。
ヤマメに無視される心当たりがないか? ――あるはずもないだろう。
ヤマメだって、そんな性格ではないはずなのだ。少なくとも勇儀の知る限りは。
――しかし、だとしたらあれは一体どういうことなのだ?
「あーっ、くそ……なんだってんだい」
考えても埒があかなかった。杯をぐっと干して、勇儀は大きく息を吐き出す。
こんな自分の懸念など、杞憂であってくれればいい。
明日、衣装合わせにパルスィと出掛ける。パルスィの花嫁衣装姿を見られるのだ。
そして、式の最後の打ち合わせをする。
そうすれば――結婚式はもうすぐだ。
パルスィと、夫婦として、家族として、この旧都で暮らしていく。
永遠を誓い合うための儀式は、もうあと数日後なのだ。
――何を怯えている、星熊勇儀。
水橋パルスィは自分のそばにいる。ずっと勇儀が、この力で守っていくのだ。
何があっても。
「勇儀、もうご飯出来るわよ」
「はいはい、今行くよ」
パルスィの声に、杯を置いて勇儀は立ち上がる。
自分の懸念は、パルスィに悟らせることもない。
ただの杞憂で終わるはずなのだ。そのはずなのだ。
自分自身に言い聞かせるように、勇儀は胸の中でそう繰り返した。
◇
その晩。
「勇儀」
床の上に正座した姿で、パルスィは着物の肩をはだけて、勇儀を見上げていた。
勇儀は殊更に大きくひとつ咳払いして、その潤んだ瞳を見下ろす。
「なんだいパルスィ、そんな改まって――」
「――抱いて」
真っ正面からの求めに、勇儀の方が思わず赤面する。
別にパルスィを抱くのは初めてのことではない。けれど、こんな風にパルスィの方からはっきりと求めてくるのは初めてだったかもしれない。
「な、なんだい、いや私は構わんけどね……」
「……お願い」
パルスィの手が、勇儀の背中に回されて、きつく力が込められる。
勇儀はふっと力を抜いて、その金色の髪を指で梳いた。
とくん、とくんとパルスィの鼓動が、自分の身体へと伝わる。
自分の心臓の音も、パルスィの細い身体に大きく響いているのかもしれない。
「お願い……乱暴にしても、いいから」
「馬鹿を言ってるんじゃないよ」
囁かれた言葉に苦笑して、勇儀はパルスィの身体を優しく横たえ、その頬に触れた。
「パルスィ」
愛してる、と囁く代わりに、その柔らかな唇を塞いで、白い肌に指を這わせた。
パルスィがどうして、それほど求めてくるのかは解らなかったけれど。
己の胸の内の不安を紛らわすように、勇儀はパルスィを貪った。
――そして。
「ねえ、勇儀」
勇儀の腕を枕にして、パルスィは勇儀の髪に触れながら、囁いた。
「なんだい?」
空いた手でその頬に触れながら、勇儀は傍らの愛する少女に目を細める。
「……約束」
「ん?」
「約束、したわよね。……一生かけて、私のこと好きで居続けること、証明するって」
「ああ」
それはいつか、あの橋の上で交わした誓い。
生涯ただひとり、水橋パルスィだけを愛すと、勇儀は誓った。
今の勇儀は、ただそのためにここにある。
こうして、パルスィを抱きしめている。
「勇儀」
不意に、パルスィが――どこか泣き出しそうな声で、勇儀を呼んだ。
けれどその唇は、続く言葉を紡ぎ出しはせず。
ただパルスィは、きゅっと唇を引き結んで――勇儀の胸元に、顔を埋めた。
その細い身体を抱きしめて、勇儀は優しく、パルスィの柔らかい髪を撫でる。
何もかも、愛おしい感触。愛おしい温もり。そばにあるはずの、大切なもの。
「……愛してる。ずっと、何があっても――私は、勇儀のことが、好きだから」
「ああ」
不意に、睡魔が鎌首をもたげた。
瞼が重くなる。目の前のパルスィの姿が、ぼんやりと霞む。
「――忘れないで」
最後に。
囁かれたその言葉の意味を、考える間もなく。
勇儀の意識は、深い眠りのそこに沈んでいく。
ただ、パルスィの細い身体だけを、離さないようにきつく抱きしめたまま。
◇
夢は、見なかった。
◇
そして、勇儀は身体を起こした。
寝癖の残る髪を掻きながら、ぼんやりと身体を起こして、視線を巡らせた。
時間は朝だった。もちろん地底に陽の光はないが、今は時間の区切りでは朝のはずだった。
家の中は、いつもと何も変わらなかった。
そう、――たったひとつきりの事実を除いて、何も変わらなかった。
「……パルスィ?」
愛するひとの名前を呼んだ。
返事は、なかった。
「パルスィ? ……おい、パルスィ?」
布団の中に、パルスィの姿は無かった。
弾かれたように勇儀は立ち上がる。服を着るのもそこそこに、炊事場への戸を開けた。
そこには、パルスィがいるはずだった。
エプロンを身に纏い、朝食の支度をしているはずだった。
――けれど、そこには誰もいなかった。
竈は火を落とされたまま、食卓には何も並んではいなかった。
「パルスィ――パルスィ!」
悲鳴のように叫んで、勇儀は家中の扉を開け放った。
――狭い家の中のどこにも、水橋パルスィの姿は、見当たらなかった。
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