ゆう×ぱる! 44 / 「水橋パルスィの真実」
2009.12.13 Sunday | category:東方SS(勇儀×パルスィ)
夢を見る。
それは遠い遠い、記憶の彼方に埋もれた過去の残影。
まだ、自分がその名を持つよりも前のこと。
何がそれほどまでに妬ましかったのか。
どうしてそこまで、己の身を焦がすほどの嫉妬に駆られたのか。
そんなことは記憶の闇に沈みきって、浮かび上がっては来なかった。
ただ、耐えきれぬほどの嫉妬の心だけがこの身を焦がして。
このままでは生きていけぬ、嫉妬の心に狂い死ぬと知って。
これほどに深い、丑三つ時の闇よりも深い嫉妬に狂う己は、最早人ではないのだと。
そのような絶望に囚われて――人であることを棄てた娘がいた。
己が姿を鬼のごとくに変え、宇治の川に身を浸し。
その嫉妬の心のままに、手にした人ならぬ力を振るった。
――己が忌み嫌われ、そして斬られ追われたのは、全てはその所為だった。
嫉妬の心に囚われ、人であることを止めた娘。
橋に住み着いたその鬼を、人々は橋姫と呼んだ。
嫉妬に狂う、恐るべき緑の眼の怪物と。
嫉妬の心。
橋姫は、それ故に人を棄て、それ故に忌まれた。
嫉妬こそが橋姫の本懐であり、橋姫にあるのはただ嫉妬のみだ。
全てを妬み、全てを恨む嫉妬狂いの怪物。
――それが橋姫。
それこそが、水橋パルスィだ。
ただそれだけの夢だった。
◇
目を覚ますと、橋の欄干が頭上に見えた。
「痛たた……」
身体を起こすと、鈍い痛みが頭に走る。いつの間にか、橋の下で気絶していたらしい。
どうしてそうなったのか、と記憶を手繰り、すぐに思い出した。――妙な声のする陰陽玉を連れた人間の巫女にやられたのだ。
ぐるりと周囲を見回したが、巫女の姿はもう無かった。旧都の方へ向かったのだろうか。そもそも、あの人間はいったい何をしにこの地底へやって来たのだろう。
考えても、詮無いことではあるのだが。
「……勇儀」
それから、はっと思い至ってパルスィは顔を上げる。
あの人間が旧都に向かったなら――勇儀はどうしているだろう。
自分とそうしたように、あの巫女と勇儀はやりあったのだろうか。
旧都でも最強の妖怪である勇儀が、人間に負けるとも思えないが――。
ゆるゆるとパルスィは首を振る。それから、パルスィは川の流れの方に足を向けた。弾幕勝負でやられただけだ。大した怪我もしていないはずだが、顔に傷でも残っていたら勇儀に余計な心配をかけかねない。
――自分を気絶させた人間に対して、やり返したいという気持ちは浮かばなかった。
ただ、勇儀に余計な心配をかけたくないという思いだけが先に立って。
橋の下を流れる細い川に、パルスィは自分の顔を映す。
金色の髪と緑の眼が、川の流れに映し出されて、
ゆらり、と。
川面に映る自分の姿が、また――霞む。
「…………ッ」
息を飲んで、パルスィは水面を凝視した。
そこにはもう、変わらず自分の顔が映っているだけで。
けれど、何かがおかしい。違和感が消えない。
さっき、あの巫女とやり合う前も、こんな違和感を覚えた気がする。
何がおかしいのか、それが解らなくて、パルスィは水面に手を伸ばし、
水面に触れたはずの指先に、水の感触が無かった。
戦慄とともに、パルスィは自分の指先を見つめ、そして気付いた。
その違和感の正体に。揺らぐ川面に映る己の姿が孕む――その事実に。
「どう、して……なんで、こんな」
川面を見つめて、パルスィは目をしばたたかせる。
そこには、同じように瞬きする水橋パルスィの顔が映っている。そのはずなのに。
その姿が霞む。まるで蜃気楼のように――揺らめく。
「私は――」
水の中に、パルスィは両手を浸した。
冷たいはずの水の感覚が、なぜかひどく曖昧で。
両手のひらにすくい上げたはずの水は、すぐに川面にこぼれていく。
――冷たい川の水に、幾日も身を浸した。
そして自分は、人であることを棄てた。
唐突に。
全く唐突に――まるで電流が走るように、ひとつの事実をパルスィは覚った。
それは己の存在の定義。橋姫という妖怪の誕生にまつわる――遥か過去の記憶。
「あ……あ、あ」
濡れた手で顔を覆って、パルスィは呻いた。
解ってしまった。何もかもを、パルスィは悟ってしまった。
川面に映る己の影が孕んだ違和感の正体も。
そして、勇儀に抱かれた腕から伝わった、不安の正体も。
何もかもを、パルスィは知ってしまった。理解してしまった。
――それが己にもたらされた理由も、そして自分がこれから――どうなるのかも。
「ゆう、ぎ……」
たまらず、パルスィは呻くように、愛する鬼の名前を呼んで。
『パルスィ』
自分に向けられる、彼女の笑顔が脳裏に浮かんで。
その笑顔に、パルスィは。
ただ――泣きたくなるほどの幸福を、感じてしまっていた。
それが全てだった。
それこそが、水橋パルスィの全てだった。どうしようもなく。
星熊勇儀。語られる怪力乱神。旧都の統率者。
水橋パルスィの、最愛のひと。
彼女の笑顔が、言葉が、温もりが、走馬燈のように脳裏を駆け巡って――。
「あれ……あ、いたいた。おーい、パルスィ」
不意に頭上から声がかかって、パルスィは顔を上げた。
橋の欄干から、黒谷ヤマメとキスメが、心配そうにこちらを見下ろしている。
その友達の顔に、パルスィは不意に泣き出したいのを堪えて、笑い返した。
「見つからないと思ったら、こんなとこに居たのか」
肩を竦めて、キスメを抱えたままヤマメはこちらへ舞い降りてくる。
「ひょっとして、あんたもあの人間にやられた?」
巫女のことだろう。パルスィが頷くと、「やっぱりか」とヤマメは肩を竦める。
「こっちもやられたよ。全く、ちょっとちょっかいかけただけで容赦ない人間もいたもんだ」
キスメと顔を見合わせて、ヤマメは苦笑する。パルスィはただ曖昧に笑った。
「……旧都に行ったのかしら、あの巫女」
「じゃない? 姐さんにとっつかまえられてるんじゃないかな、今頃」
旧都の灯りの方を振り返って、ヤマメは呟く。
パルスィは目を細めて、それからヤマメの肩を叩いた。
「私たちがあの人間にやられたこと、勇儀には……秘密にしておいてほしいんだけど」
「へ?」
「勇儀に、余計な心配かけたくないから」
目を丸くしたヤマメは、傍らのキスメを見やって肩を竦めた。
――パルスィさん、大丈夫だった?
「うん。ちょっと気を失っただけ。……怪我とかしてないから、ね」
パルスィがそう微笑んでみせると、キスメは苦笑してこくりと頷いた。
そうだ、それでいい。今は勇儀には、余計な心配をかける必要はないのだ。
せめて今だけは、勇儀にはただ心安らかにいてほしかったから。
あの豪放磊落な笑顔が、最後まで曇ることがなければ――それで良かったから。
「ま、パルスィがそれでいいってなら、私もわざわざ人間に負けたこと喧伝する気も無いからいいんだけどさ」
やれやれと首を振って、それからヤマメはキスメの桶を抱え直す。
「……そういえば、縦穴はどうなってたの?」
「あ、穴は地上に通じてたみたい。やっぱりあの人間、封印を解いて入ってきたみたいだね。出ようと思えば出られそうだったけど、とりあえず止めておいたよ」
入り口で地上の妖怪が待ちかまえてるかもしれないしね、とヤマメは苦笑した。
パルスィは曖昧な微笑を返して、それから旧都の方へ足を向ける。
「戻りましょう。……勇儀が心配してるかもしれないし」
「へいへい、そうしますか」
ふわりと橋の上に舞い戻り、それからパルスィは旧都の方角へ歩き出す。
ヤマメたちに背を向けたまま、一度ぎゅっと目をつぶって、勇儀の顔を思い浮かべた。
――それだけで、自分は幸せなのだということを、確かめるようにして。
「しかし、パルスィが見つからなかったときにはちょっと焦ったよ」
帰りがけに、ヤマメはそう言った。
「橋の下覗いても見つからなかったしさ。あそこに出てくるまでどこにいたのさ?」
その問いかけにも、パルスィはただ曖昧に笑って返した。
――自分はずっとあの場所に倒れていた。
そんなことは、口にする必要は無いことだったから。
◇
旧都に戻ると、相変わらずあちこちで宴会は続いているようだった。
ただその中に、介抱されている妖怪の姿がちらほらある。
「おう、ヤマメちゃん。見たかい、あの人間の巫女」
「人間の巫女?」
「見なかったのかい。大したもんだったよ。単身この旧都で暴れ回って、立ちふさがった姐さんとの力比べにも勝って向こうに行っちまった」
ヤマメに声をかけた妖怪のひとりが、そんなことを楽しげに語る。
「姐さんに勝ったって?」
「ああ、姐さんは手加減してたみたいだがね」
なかなかいい勝負を見れたよ、とその妖怪は酒を呑みながら笑った。
「……勇儀は、大丈夫なの?」
思わずそう呟いて、酒を呑んでいた妖怪は「おお?」と瞬きする。
「そりゃ、負けたっつっても何か理由があってあの人間に道を譲ったって感じだったね。姐さんならピンピンしてたよ」
その返事に、パルスィはほっと息をついて「ありがとう」と頭を下げる。
妖怪は虚を突かれたように、目を白黒させた。
「ああ、おかえりパルスィ。ヤマメとキスメも」
言葉通り、勇儀は全くの無傷だった。少し前にそんな騒ぎがあったことなど全く感じさせない様子で、旧都の上役たちと相変わらず酒を酌み交わしている。
「……ただいま、勇儀」
その笑顔に笑い返して、それからパルスィは勇儀に駆け寄って、身体を預けた。
「おっと、なんだい、甘えん坊だね」
苦笑混じりに髪を撫でる乱暴な手つきと、酒臭い吐息。
そのひとつひとつに愛おしさを噛み締めて、パルスィは勇儀の背中に腕を回す。
誰かが笑っていた。それにつられるように勇儀も笑った。
自分もたぶん、勇儀の胸元に顔を埋めたまま、笑っていた。
笑っていられるはずだった。――勇儀の温もりが、ここにあれば。
「姐さん、なんか人間の巫女とやり合ったって?」
「ん? ああ、何か地上から調べに来てたようだったね。そうだパルスィ、お前さんたちは鉢合わせたりしなかったかい?」
不意に心配げに目を細めて勇儀が問う。パルスィは顔を上げ、首を横に振った。
勇儀はほっとしたように微笑を漏らし、頬に優しく触れてくれる。
「ま、私らとはあまり関係無さそうな話さ。とりあえずは当事者に任せるよ」
勇儀はそう言って、また杯を傾ける。
その腕に抱かれながら、パルスィは瞼を閉じて思った。
幸せだということ。
勇儀のことが、好きだということ。
――もう、何も妬ましくないのだということ。
それは全て、星熊勇儀がくれた宝物だから。
たとえそれが、何をこの身にもたらすのだとしても。
自分はそれを、きっと笑って受け入れられるだろう。
それは勇儀が、水橋パルスィを愛してくれた証なのだから。
きっと――最後まで、自分は笑っていられるだろう。
「勇儀」
顔を上げ、彼女の名前を囁いた。
うん? と振り向いた彼女の首に腕を回して、唇を重ねた。
周囲から囃し立てるような歓声が上がったけれど、気にすることは何もなかった。
勇儀が、苦笑するように背中に腕を回してくれる。
――不意に泣き出したくなったのを堪えて、パルスィはただ、勇儀の温もりを感じていた。
◇
そう。
もう、何も妬ましくないのだ。
水橋パルスィという橋姫は――何ひとつ、妬むことはなくなったのだ。
何も。
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