ゆう×ぱる! 43 / 「地底への闖入者」
2009.12.11 Friday | category:東方SS(勇儀×パルスィ)
その日、地底に雪が降った。
◇
来客は、旧都の上役のひとりである土蜘蛛の長だった。
「わざわざこんなところまで、なんだい?」
胡座をかいて向き合い、勇儀は土蜘蛛の杯に酒を注ぐ。それを受け取って、土蜘蛛はふっと笑うと、勇儀の杯と軽く打ち鳴らした。
「姐さんが戻ってきたってのに、挨拶に来ないわけにもいかないだろう」
「別に気兼ねなんざしなくても構わんのだけどね」
「気兼ねじゃないさ。――純粋に、姐さんの顔が見たかったんだ」
杯を傾けつつ口にする土蜘蛛に、勇儀は苦笑する。
「おつまみ、どうぞ」
そこに、器に盛ったつまみを持ってパルスィが姿を現した。土蜘蛛は差し出されたそれと、パルスィの顔を見比べる。パルスィはその視線に、ふっと微笑みを返した。
「ほどほどにしなさいよ、勇儀」
「はいはい、解ってるよ」
そう言い残して、パルスィは台所の方へ戻っていった。その背中を見送って、土蜘蛛の長はふっと長く息をつき、勇儀を見やる。
「――あれが、姐さんの妻の橋姫かい」
「ああ、パルスィってんだ。可愛いだろう?」
笑って答えた勇儀に、土蜘蛛は目を細めて頷く。
「やっぱり大したもんだよ、姐さんは」
「ん、何がだい?」
「さすがは、この旧都を我々の楽園にしただけのことはあるってことさ」
「大したことじゃあないさ」
「大したことだよ。――それより、姐さん」
杯を置いて、軽く身を乗り出して、土蜘蛛は不意に顔を引き締めた。
「ウチんところの者から聞いたんだが――式を挙げるんだって?」
「ん? ああ、そのことか」
ヤマメの流した噂話はさっそく土蜘蛛の長の耳にも届いたらしい。
「そのつもりだよ。どういう形にするかはまだ考えちゃいないんだが――」
「――姐さんが良ければ、式の段取りと進行は、私ら土蜘蛛に任せちゃくれないかい」
土蜘蛛の言葉に、勇儀は目をしばたたかせた。
「そりゃあ、ありがたい話だが」
「実はね。――姐さんがこの前、旧地獄街道で皆に頭を下げたじゃないか。あの後、姐さんと橋姫の件をどうするのか、ってのは上役の間でも何度か話し合ったんだが」
杯に残った酒に、勇儀と土蜘蛛の顔が映り揺らめく。
「結論としちゃあ、私らは姐さんを信じることにしたんだ」
「――信じる、ね」
「橋姫の力を、どうにかできると姐さんは言った。なら私らは、それを信じて姐さんと橋姫を受け入れるのが、旧都の在り方として最善だと思ったんだよ。姐さんたちの創ったこの旧都が、私らは好きだからね」
目を細めて笑う土蜘蛛に、勇儀は少しの照れくささを覚えて頬を掻いた。
「あんな騒ぎも起こってしまったが――みんな、姐さんを嫌ってるわけじゃあない。姐さんが結婚するってんなら、みんな祝福するにはやぶさかじゃあないんだ」
「照れくさいねえ」
「橋姫のことも、姐さんが言うのならもう一度、確かめてみてもいいんじゃないか、ってね。その緑の眼が、この旧都には危険なものなのか、そうでないのか――」
そして土蜘蛛は、パルスィのいるはずの台所の方を見やる。
「――綺麗な眼だと、私は思ったよ、今さっきね」
その言葉に、勇儀は破顔して、杯をぐっと傾ける。
「解ってるじゃあないか。綺麗だろう? うちの嫁はさ。ああ、世界で一番可愛いよ」
勇儀の言葉に、土蜘蛛は苦笑して、自らも杯を干した。
「ついては、そのへんの話をしたいと思うんだが、姐さんはこれから大丈夫かい?」
「ああ、問題ないよ。――おおい、パルスィ」
呼びかけると、「なに?」とパルスィが台所から顔を現す。
「式の段取りについての話し合いをするんだが、お前さんも来るかい?」
「……私抜きで話を勝手に進めないでよ、当事者なんだから」
頬を膨らませたパルスィに、勇儀は苦笑混じりに目を細めた。
◇
「あれ、雪だ」
――ホントだ。どこから降ってるのかな?
家の窓から頭上を振り仰いで、ヤマメはひらひらと舞い降りてくる結晶を見上げた。
仄暗い闇に覆われた地底の空から、白い結晶が羽根のようにゆっくりと降り注ぐ。
ヤマメの手のひらに降りた結晶は、すぐにじわりと溶けて小さな水滴に変わった。
「地面に穴でも開いたのかしらね?」
地上にいた頃は、雪なんて珍しくもないものだった。しかしこの地底に降りて以来は、見ることもなくなった。地底なのだから当たり前なのだけれども。
――綺麗だね、ヤマメちゃん。
ヤマメの腕の中、雪の結晶を伸ばした手のひらに受けて、キスメは微笑む。
「寒くない?」
――ヤマメちゃんの腕の中なら、あったかいから平気だよ。
後ろからキスメを抱き締めた格好のまま、ふたり苦笑し合い、また空を見上げる。
ひらひら、ひらひらと途切れることなく降りしきる雪。
それは、地面に落ちる前に消えてしまう結晶が大半だったけれど。
「せっかくだから、外に出てみよっか」
――そうだね。
キスメはいつもの桶に入って、その桶を抱えてヤマメは家の外に出る。道に出てみれば、他の旧都の住人たちも、物珍しさに外に姿を現していた。
「旧地獄街道の方でも降ってるのかな」
――行ってみる?
「よし、行ってみますか」
キスメの桶を抱え直して、ヤマメは歩き出す。
地底の雪という物珍しい光景に、妖怪たちは浮かれ始めていた。
◇
地霊殿の外にも、その雪が降り始めていた。
これも、自分の引き起こした事態が生んだ異常だろうか。おそらくはそうだろう。
もちろん、目的は旧都に雪を降らせることなどではない。
もっと別のところへ、異常の存在を知らせることだ。
「……上手くいっておくれよ」
小さく呟いて、お燐は雪の降る頭上を見上げた。
――本当に、これで何もかも上手くいくだろうか?
そんな疑念が頭をよぎるけれど、もはや引き返せる状況ではない。
賽は振られた。事態は動き出した。お燐はその引き金を引いたのだ。
今頃、地上にはおそらく間欠泉とともに、お燐の管理していた怨霊たちが解き放たれているはずだ。それを見て、地上の妖怪たちが動き出してくれれば。
さとりに何もかも気付かれる前に、空を止めるには、これしかないのだ。
「――あとは、おくうを見張ってるしかない、か」
地上から、空を止められる者が来る前に、空がその力を勝手に振るわないように。
つい先ほど、軽く試し打ちをさせたのだから、それで満足していてくれればいいのだが。かえってそれで気分が高揚してしまっている可能性も充分にある。
今は空をなだめて、その気を惹き付けておくしかない。
「頼むから、今のおくうに勝てる奴が来ておくれよ、ホントに――」
そうでなければ意味がないのだ。地上からの使者が空に敗れてしまえば、むしろかえって空の増長をますます促しかねない。本当に分の悪い賭けだ。
――だけど、どうなっても。
せめて、空が無事に、笑っていられるように。
そうであるようにすることだけが――お燐の願いだから。
「……おくう」
どれだけ迷惑をかけられても、どれだけあの考え無しに振り回されても。
――火焔猫燐は、どうしようもなく、霊烏路空のことが好きなのだ。
それだけは、あるいは主の命以上に、お燐には抗えない真実だった。
◇
「地底に雪なんて、珍しいこともあるもんだねえ」
番傘を頭上でくるくると回しながら、勇儀は呟く。
「初めて見たわ」
「私だって初めて見たよ。地上のどっかから吹き込んでるのかねえ」
勇儀の隣に寄り添って歩きながら、パルスィはその手のひらに雪の結晶を受け止めた。
自分の手の中で溶けてしまう、白く儚いその欠片。
その冷たさに目を細めて、それからパルスィはしがみつくように勇儀にもたれる。
肩を抱いてくれる勇儀の腕は、常と変わらず温かかった。
「しかし、こいつはなかなか風情のある光景だね」
番傘を揺らしながら、勇儀は旧地獄街道の街並みを見つめる。
仄暗い地底に灯る光の中、舞い降りてくる白い結晶。
それは確かに、なかなか幻想的な光景かもしれなかった。
「……みんな、珍しがってるわね」
「そりゃ、地底に来て以来初めてだしねえ」
通りすがる妖怪たちも、皆どこからともなく降る雪を見上げている。
旧都に降りしきる白は、何かの前触れなのだろうか?
「姐さん、こっちだよ」
先を歩いていた土蜘蛛の長が、街道の一角を指し示す。その先を見やって、勇儀はひとつ鼻を鳴らした。土蜘蛛の長が指したのは、蕎麦の屋台ののれんだ。
案内されてのれんをくぐれば、カウンターについていた客達が振り返ってこちらを出迎えた。パルスィには覚えのない顔ばかりだったが、勇儀は「なんだ、みんな揃ってたのかい」と相好を崩す。彼らが、旧都の運営を担っていた上役たちなのかもしれない。
そして――視線を巡らせたパルスィは、はっと息を飲んだ。
カウンターの向こうに立つ、この屋台の主の姿に。
「いらっしゃい」
狂骨はそう言って、がらんどうの目を細める。
パルスィはひとつ、詰めていた息を吐いて、ぺこりと頭を下げた。
狂骨が、自分のことをどう思っているのかも。あの頃、この力で彼とその家族にかけた迷惑が、謝って済むものなのかも解らないけれど。
――狂骨はそれ以上言葉を発するわけでもなく、ただこちらを静かに見つめていて。
「さて、紹介するよ」
と、不意に勇儀がパルスィの肩を掴んで、ぐいとその身体を引き寄せた。
「うちの嫁の、水橋パルスィだ」
顔を上げれば、こちらを見つめる旧都の住人たちの視線。
「あ……は、はじめまして」
パルスィは慌てて、もう一度ぺこりとお辞儀する。返ってくるのは、ただ沈黙。
彼ら、旧都の上役たちに、自分はどう見られているのだろう?
沈黙の居心地の悪さに、パルスィは小さく身を竦めて、
「どうだい? 私の自慢の嫁さ」
パルスィの肩を叩いて、勇儀は豪放に笑った。その笑みに、場の空気がふっと和らぐ。
「大丈夫だよ、パルスィ。――みんな、いい奴らだからさ」
そして勇儀は、小さくそう耳打ちした。
「……うん」
勇儀がそう言うのなら、きっとそうなのだろう。
自分はただ、勇儀を信じていればいい。怯えることも、妬むことも何もない。
肩に触れる勇儀の温もりが、今はただ心地よかった。
◇
旧地獄街道は、地底の雪という珍事に浮かれて、お祭り騒ぎになっていた。
何か珍しいことがあれば、騒ぎたがるのは妖怪の習性のようなものだ。宴好きな鬼の創った街なのだから、この旧都では尚更のことである。
――みんな楽しそうだね。
「ここんとこ皆忙しかったんだろうし、騒げる口実見つけて万歳ってことじゃない?」
例の騒動で壊れたものの復旧やら何やらで、ここのところ旧地獄街道を中心に忙しく動き回っていた者たちも多かった。それも今は、皆が仕事を放り出してあちこちで呑み騒ぎだしている。地底ではまずあり得ない雪見酒というわけだ。
「私らもどっかに混ざろっか?」
――私は……別にいいかな。お酒、あんまり得意じゃないし。
冗談交じりにそう言うと、腕の中でキスメは小さく苦笑した。
――私は騒がなくても、ヤマメちゃんと居られれば楽しいよ。
「ばーか」
キスメの言葉に笑い返しつつ、ヤマメもやっぱり浮かれた気分で街道を歩いていた。
お祭り騒ぎの雰囲気は好きだ。陽気で愉快で、ひどく刹那的だけれど、そこがいい。
そんな中を、キスメと一緒に歩いていられることが、ささやかだけれど幸せなのだ。
「っと、あれ?」
と、街道の先に見覚えのある顔を見つけて、ヤマメは足を止めた。
狂骨の蕎麦屋の屋台の前、ため息をつきながら佇んでいる緑の眼は。
「パルスィじゃん。こんなところで何やってんのさ?」
駆け寄ると、パルスィはこちらを振り返って肩を竦めた。
「……勇儀に連れてこられたのよ」
「姐さんに?」
屋台の方を見やれば、のれんの向こうからは騒がしい声。宴会中らしい。
よく見れば、パルスィの頬もどこか赤い。恐らく呑まされた後なのだろう。
「結婚式の段取りの話をするって言ってたのに、勝手に宴会始めちゃったのよ」
「なんだい、姐さんの隣で呑んでりゃいいじゃん」
「……お酒は苦手なのよ」
口を尖らせるパルスィに、ヤマメは苦笑する。あ、私も、とキスメが笑った。
「んー、暇ならどっか行く?」
ヤマメがそう声をかけると、パルスィは「え?」と目をしばたたかせた。
「姐さんが宴会始めたら、まあしばらくは飲んだくれてるだろうしさ。私らで良ければ暇潰しの相手ぐらいにはなるよ」
「……いいの?」
「友達じゃん、気にしない気にしない」
目をしばたたかせたパルスィに、ヤマメは笑いかける。
くすぐったそうに微笑んだパルスィの緑の眼は、優しい輝きを灯している。
あの嫉妬狂いの橋姫が、こんなに優しく笑うようになった、ということ。
その事実に、星熊勇儀という存在の大きさを思って、ヤマメは小さく息をついた。
「おーい、姐さん」
「うん? なんだ、ヤマメじゃないか。混ざるかい?」
「いや、止めとくよ。それより、ちょいとパルスィ借りていい?」
のれんをくぐって、杯を一気に干していた勇儀に声をかける。
パルスィを? と勇儀は瞬きして、ヤマメの後ろのパルスィを見やった。
「酔ったから少し風に当たりたいんだってさ」
「それなら私が――」
「姐さんは呑んでなって。すぐ戻ってくるからさ。取ったりしないから安心しなよ」
ヤマメの言葉に、勇儀を囲んでいた上役たちがどっと笑った。その中心で、勇儀は照れくさそうに頭を掻く。――全く平和な、宴会の光景。
「じゃあ、お願いするよ」
「あいよ。それじゃパルスィ、行ってこよ」
「……勇儀、また後でね。ほどほどにしなさいよ」
「へいへい」
パルスィが手を振ると、勇儀もぶんぶんと振り返して。そして、宴会の声がこだまする屋台を離れ、ヤマメとキスメはパルスィを連れて歩き出す。
「さて、どこ行こっか?」
「私は……どこでもいいけど」
――私も、どこでも。
「主体性のない連中だなあ」
ヤマメは肩を竦めて、それから雪が降り続ける頭上を振り仰いで、手を叩いた。
「縦穴の方、行ってみよっか」
「縦穴? 地上の方の?」
「そうそう、あそこ」
頷いて、ヤマメは雪を見上げる。
「この雪、地上から吹き込んでるなら、あそこからかもしれないしね。ちょっと行って確かめてみようよ」
パルスィとキスメは、きょとんと顔を見合わせた。
◇
地上へと通じる、長い長い縦穴。
そこは閉ざされて久しく、地上と地下の行き来はもうずっと失われている。
故に、その縦穴の近くに寄ってくる者など、元々そう多くはない。
だからこそ、パルスィはかつてそこに居を構えていたわけなのだが。
「風、いつもより強いね」
縦穴から吹き抜ける風に目を細めて、ヤマメが呟く。
地上と地底を行き来する風の通り道。旧都に比べて風が強いのはいつものことだったが、今日はそれにも増してごうごう、ごうごうと強い風が吹いていた。
「でも、雪の気配は無いなあ」
「他のところに新しい穴でも開いたんじゃないの?」
「それはそれで、地上が煩そうだけどねえ」
言いながら、三人は縦穴の下にある橋にさしかかる。一条戻橋。パルスィのかつての居場所。
昨日も勇儀とここに来た。勇儀に強く抱きしめられて、少し苦しかった。
そのことを思い出して、パルスィは自分の手を見下ろす。
勇儀の背中に回した自分の腕。自分を抱きしめた勇儀の腕。
それは確かな温もりで、ずっと自分のそばにあるはずのもの。
――そのはずだ。
「縦穴の上の方、行ってみよっか」
ヤマメが縦穴を見上げて言った。腕の中のキスメもこくりと頷く。
「……私は、ここで待ってるわ」
パルスィの言葉に、ヤマメが振り向いて首を傾げた。
「そう?」
「うん。……ふたりで行ってきて」
欄干にもたれて言ったパルスィに、ヤマメとキスメは顔を見合わせた。
「ん、解った。ま、何事も無いようならすぐ戻ってくるよ。あんまりパルスィを長く借りてたら姐さんに怒られそうだしね」
ヤマメはそう笑って、キスメを抱えて縦穴の方へ飛び立っていく。
それを見送って、パルスィは小さく息を吐き出した。
もう一度、自分の両手を見下ろして、ぎゅっと握りしめてみる。
――その感触は、確かなはずだった。
「勇儀……」
ほっと胸の奥があたたかくなる、最愛の彼女の名前を呟いてみる。
けれど、その温もりの奥底に――何かが潜んでいる気がするのだ。
それが何なのかが、パルスィには解らない。
「……妬ましいのよ、もう」
そう呟いてみても、妬ましいという感情はもう浮かび上がってこない。
勇儀を信じていて、勇儀を愛していて――自分は幸せだ。
だから、何も不安に思うことなど無いはずなのに。
自分を強く抱きしめた勇儀の腕から伝わった、あの感覚は何だったのだろう。
言いしれぬ、胸の奥に淀む影。それは意識しなければ気付かないほど小さな澱。
これ以上の幸福など、今の自分に有り得るはずがないのに。
――何が、自分の胸の奥に巣くっているのだろう。
「私は……勇儀が好き。勇儀のそばにいる。……ずっと」
確かめるように口にして、欄干から橋の下を見下ろした。
そこにあるのはかつて自分が暮らしたあばら屋と、その傍らの小さな川。
川の水面に、見下ろすパルスィの緑の眼が映っている――。
水面が、揺らめく。
波紋が――影を打ち消して、
川面に映っていたはずの、パルスィの影が――朧に霞む。
「……っ」
息を飲んで、パルスィは目を擦った。
見下ろした川面には、相変わらず自分の顔が映っていた。
今のは何だ。……ただの見間違いか、錯覚か。
まるで、水面に自分の姿が映らなくなったような――。
そんな違和感のことを、パルスィが深く考える間も無く。
不意に、縦穴の方から吹いてくる風の音に、別の音が混じった。
ヤマメたちが戻ってきたのだろうか。パルスィは顔を上げて――眉を寄せる。
「この穴、何処まで続いているのよ!」
聞き慣れない声が、風に紛れてパルスィの耳に届いた。
目を細める。視界の先、現れる影はヤマメとキスメのものではない。
紅白の巫女服に身を包み、周囲に何やら陰陽玉を引き連れて飛ぶ――人間の少女。
『もうついたかえ』
「知らないわよ、何処に向かっているのかもよく判らないのに――」
どこからか響いた別の声に、その人間は苛立たしげにそう答えた。
パルスィは眉を寄せる。――人間? 人間がどうしてこの地底に?
と、飛んでいた少女の視線が、こちらを捕らえた。
少女は面倒くさそうに、けれど剣呑な視線をこちらに向ける。
何者だろう、この少女は。一体何の用で、この地底にやって来たのか。
「もしかして人間? 人間が旧都に何の用?」
「旧都?」
パルスィがそう問いかけると、巫女服の少女は訝しげに問い返した。
「旧都の妖怪の力でも目当てに?」
『うんにゃ、そんなの興味無いよ。あんたは橋姫かい?』
巫女服の少女とは別の声がどこからか訊ねた。どこか酔っぱらったような幼い声。
「……私を知ってるって、何者?」
「私はあんたの事なんて知らん」
人間の少女が答える。なんなのだこいつらは。というかこの陰陽玉は。
『嫉妬心に駆られる下賤な妖怪だよ。ここでこの橋を守ってるのかい?』
――下賤な妖怪。
傲慢なその言いぐさには、さすがにパルスィもカチンときた。
自分を馬鹿にするだけじゃない。――それは、自分を好きになってくれた勇儀や、友達だと言ってくれるヤマメたちをも馬鹿にする言葉だ。
「――舐められたものね。その下賤な力を恐れて封じたのはあんたたちでしょうに」
「いや、だから私はあんたのことは知らんってば」
人間の少女は肩を竦めるが、陰陽玉の声と仲間なら同じことだ。
パルスィだって妖怪である。正面から喧嘩を売られて黙っていられる質ではない。
「封じられた妖怪の力、思い知りなさい!」
「ああもう、面倒くさいわね――」
パルスィが光弾を放つのと、少女の手からお札が放たれるのはほぼ同時だった。
◇
旧都に満ちる雑踏が不意に色を変えたことに、最初に気付いたのは勇儀だった。
誰もが浮かれ、呑み騒いでいた旧地獄街道のざわめきが、その気配を変える。
「姐さん?」
杯を干すのを止めた勇儀に、土蜘蛛の長が訝しげに首を傾げた。
「済まない、ちょいと外の様子が変だね」
屋台ののれんをくぐって、街道の様子を勇儀は見渡す。そしてすぐに異変に気付いた。
街道をまっすぐに、妖怪たちを蹴散らすようにして突っ切ってくる影がひとつ。
「なんだいなんだい――お祭り騒ぎに誘われて妙な輩が紛れ込んできたのかい」
酒と喧嘩は旧都の華。さりとて、無法者を捨て置けるわけもない。
勇儀は飛び立つと、旧都を突っ切って飛んでくる影の前に立ちはだかった。
「あんた、なかなかやるねえ」
飛んできたのは、紅白の巫女服を身に纏った少女。気配は妖怪のものではない。人間だ。
人間なんて目にしたのはどれくらいぶりだっけね、と勇儀は肩を竦める。
「何者か知らんけど、暴れる奴には暴れて迎えるのが礼儀ってね!」
その言葉とともに、勇儀は中空で足を踏みならした。どん、と弾幕が少女に襲いかかる。
しかし、紅白の影はそれをかいくぐり――こちらに札を放ってきた。
「ほう――」
札を避け、勇儀は口角を吊り上げる。こいつは、鬼の血が騒ぐ。
久しぶりに、楽しい力比べが出来そうな相手じゃあないか。
「気に入った!」
勇儀の放った弾幕を避けきった少女に、ぱんと拳を打ち鳴らして勇儀は告げる。
「もっと愉しませてあげるから、だめになるまでついてきなよ!」
杯を手にしたまま獰猛に笑った勇儀に、人間の少女は肩を竦めて返した。
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