ゆう×ぱる! 40 / 「星熊勇儀の審判」
2009.12.05 Saturday | category:東方SS(勇儀×パルスィ)
「……どうなってんだい、こりゃあ」
新居の前に辿り着いて、勇儀はそんな感想を漏らすことしか出来なかった。
玄関先にあったのは、見知った顔たちの姿。
座り込んだパルスィと、その傍らで心配そうな視線を向けるキスメ。
そのパルスィの前、蜘蛛の糸に両腕を縛られ、呆然と虚空を見つめている狂骨。
そして、狂骨の背中を静かに見守っているヤマメ。
ヤマメの足元には、蜘蛛の糸が絡みついた包丁が転がっていた。
「勇儀……」
パルスィが、泣き出しそうな顔で勇儀の名前を呼んだ。
勇儀が駆け寄ろうとすると、けれどパルスィは首を横に振って、狂骨を見やった。
勇儀も狂骨を見つめる。抜け殻のようなその姿には、およそ生気というものが無かった。
「……何があったんだい」
「旦那が――恨みを、晴らそうとしていたんだよ」
勇儀の呟きに答えたのは、ヤマメだった。
包丁をもう一度見やり、勇儀は唇を噛む。――やはり、そういうことだったのか。
狂骨の奥方が居なくなっている理由。それはやはり、パルスィに絡んでいたのだ。
だから狂骨はパルスィを旧都から追いやり――そして、今。
勇儀がパルスィを旧都に連れ戻そうとしたから、強硬手段に出たというのか。
「ヤマメ……お前さんが、パルスィを守ってくれたのかい」
狂骨の両手を縛る蜘蛛の糸は、つまりはそういうことだろう。
けれどヤマメは、どこか苦笑するように息をついて、首を横に振った。
「違うよ。――私が守ったのは、旦那の方さ」
その言葉に、勇儀は曖昧に笑って、そして狂骨に歩み寄る。
「旦那」
膝をついて声をかけると、狂骨はびくりと身を竦めて、そしてゆっくりと勇儀を振り返り。
「……違うんだ、姐さん」
掠れた声で、そう口にした。
「違う? 何がだい」
「儂は……儂は、橋姫を殺しに来たわけじゃあ、ないんだ」
ゆるゆると首を振る狂骨に、勇儀は眉を寄せる。それはただの言い逃れには聞こえなかった。こんなところで、そんな言い逃れをしたところで仕方ないだろう。
「だったら――何をしに来たんだい」
そんなものまで持って、と包丁を見やった勇儀に、狂骨は薄く笑う。
「――姐さん。この旧都は忌み嫌われた者の楽園だ。だけど、楽園に居られない者はいる。楽園の秩序を乱し、ルールを破ったものは、本来ここに居るべきじゃあない」
訥々とした狂骨の言葉に、勇儀は眉を寄せる。
それは一体、誰のことだというのだ。
「旦那、あんたは――」
「儂は」
勇儀の言葉を遮るように、狂骨ははっきりと、言葉を続けた。
「私は――妻を殺してしまった」
その言葉に、勇儀も、ヤマメも、パルスィもキスメも、目を見開いた。
「そこの橋姫を拾ってから、その緑の眼に己の醜さを、嫉妬の心を突きつけられて、儂は狂いかけていた。幸福だったはずの妻との暮らしが、嫉妬と嫌悪とでひび割れていって――そして、儂はそれに耐えきれずに、妻を、この手に――」
縛られた両手を見下ろして、狂骨は叫ぶように呻いた。
その姿にかけるべき言葉を、勇儀は見つけられない。
「ちょうど、あの手長足長の夫妻の件で近所が騒がしかったときだった。儂は殺めた妻の亡骸を密かに火車に預けて、そして妻はどこかへ居なくなったことにした。――自分が妻を殺してしまったことを、忘れて生きていこうとしたんだ。この手で大切なものを殺めていながら、儂は汚れた手で娘たちを抱いて、この楽園で生きていこうとしていたんだ――」
「……旦那、じゃあ、まさか」
「解っているさ。ああ、解っている。橋姫に突きつけられた嫉妬の心は、所詮自分のものだ。儂が狂ったのは儂自身の醜さ故でしかない。――それでも、こうする以外は思いつかなかった。せめて、儂がもうこの楽園に居られないなら、せめて己の罪の証の前で――」
「――自害するつもり、だったのかい」
勇儀の乾いた問いかけに、狂骨はただ、静かに頷いた。
息を飲み、奥歯を噛み締めて、勇儀は己の内に宿った炎を握りつぶす。
言いしれぬ感情が渦巻いて、行き場を無くしたまま燃えさかっていた。
目の前でうなだれる狂骨の罪。水橋パルスィという存在が生んだ悲劇。
それに対して――自分が何を言えるというのだろう。
ただ、己の我が侭を通すために、彼の元へ再び罪の証を連れてきた自分が――。
「……ごめん、なさい」
その声に、狂骨がひどく緩慢な仕草で、顔を上げた。
「ごめん、なさい……ごめんなさい」
震える、今にも泣き出しそうなその声は。
振り向いた狂骨が、どんな顔をしているのか、勇儀には解らなかった。
ただ、その視線の先で。
――水橋パルスィが、泣いていた。
「ごめん、なさ……っ、ごめんなさい、ごめん、な、さい……っ」
肩を振るわせ、身を縮こまらせて、パルスィは泣いていた。
その涙にどんな思いが込められているのかも、勇儀には計り知れはしないけれども。
奥歯を強く噛み締めて、勇儀は立ち上がった。
「――旦那。あんたは確かに、旧都のルールを犯し、嘘をついたんだろう」
振り向いた狂骨が、空洞の眼窩で勇儀を見上げる。
「だが――今あんたが、そんな形で全てを清算しようとしたところで、いったい誰が、それで幸せになれるって言うんだい。残されるあんたの娘はどうするんだい」
「姐、さん」
「――私はね、あんたの屋台の蕎麦が好きだったんだよ」
どんな顔をするべきなのか解らなかったから、勇儀は笑った。
鬼らしい、豪放磊落な笑みを浮かべて、狂骨を見つめた。
そんな勇儀の顔を、狂骨はただ、呆然と見つめていて。
「……あなた」
そこに、ひどく唐突に、別の声が割り込んだ。
狂骨でも勇儀でも、ヤマメでもキスメでも、パルスィでもない女の声。
その声に、狂骨がびくりと身を震わせて。
骨だけの顔を、ゆっくりと声の方に向けて――愕然と、その口を大きく開いた。
「お――お前、ど、どうして――」
勇儀たちも振り返る。――そこに、幼い少女の手を引く、美しい黒髪の女がいた。
白襦袢を身に纏い、艶やかな黒髪を垂らすその姿は、誰が見ても手を引く少女との血の繋がりを明示していて。――そして、連れている少女は。
「とーさま」
狂骨を、そう呼んだ。
「あなた……っ」
女が狂骨に駆け寄り、その骨だけの身体を強く抱きしめる。
狂骨はただ呆然と、幽霊でも見たような顔で固まっていた。
それは、見守る勇儀たちも同様だ。――狂骨の妻? 狂骨に殺されたのでは無かったのか?
「あー、なんかひょっとして、いいタイミングだったりしたのかな」
と、物陰からまたひとつ、別の影が現れる。今度はそれは見知った顔で、さすがの勇儀も状況がさっぱり把握しきれない。
「お燐? お前さん、なんでここに――というか、こりゃいったい全体どういうことだい」
姿を現した火車の少女、火焔猫燐はひとつ首を傾げると、狂骨を抱きしめる女を見やった。
「ま、割と旧都じゃよくあることなんだけどね」
小さく呆れたように肩を竦めて、お燐は自らの傍らを飛ぶ人魂をつつく。
「私ゃ人間の死体集めるのが仕事だってのに、妖怪の死体預けに来る輩も結構いるわけよ。まあ地獄の火力調節にゃどっちも同じ燃料だから、預かったらちゃんと運ぶけどさ。――たまに、まだ生きてるのを死体と勘違いして預けに来る輩もいるわけよ」
その言葉で、勇儀は納得した。――なんだ、そういうことだったか。
「まあ人間ならともかく、妖怪じゃこっちで勝手に死体にしちゃうのも手間だかんね。生きてた死体にはさっさとお帰り願うことにしてるわけ。――そこのも預けられてから息を吹き返してさ。てっきり旧都に帰ったんだと私ゃ思ってたんだけどね」
――最愛の夫に殺されかけて、あるいは自分も嫉妬の心に狂いかけていたのだろうか、狂骨の妻は夫の元へは戻ろうとしなかった。そして地底のどこかでひっそりと暮らしていたのだ。狂骨はそれを知らず、自分は妻を殺めたと思いこんだまま生きていた――。
「は、ははは……何だいそりゃあ。それじゃあ儂は――ただの道化じゃあないか」
「……ごめんなさい、あなた」
「いや――お前が謝ることじゃあないさ。悪いのは儂だ。儂の弱さだ――」
妻の身体を抱きしめて、それから狂骨はきょとんとしたままの娘の頭を撫でた。
「ひょっとして、お前は知ってたのかい? 母様のことは」
「うん。とーさまにはないしょにしろって言われてたから……」
娘の答えに、狂骨はもう、力なく苦笑するしかないようだった。
「……姐さん、儂は」
顔を上げ、狂骨は勇儀を見つめた。
勇儀は、その呆然とした顔に向けて――もう一度、破顔一笑した。
「なんだい旦那、そんな心細そうな顔して。――これで一件落着だ、もっと喜びなよ」
狂骨の目が見開かれる。勇儀は笑ったまま、狂骨の肩を叩く。
「しかし、姐さん、儂は」
「旦那は何をしたって? ――何もしちゃいないじゃないか」
「だ、だが――」
「存在しない罪に与えられるべき罰なんざ無いんだよ、旦那。――ここは楽園だ。そして旦那も、この楽園の住人だ。ならば等しく――幸福であるべきだ」
勇儀の言葉に、狂骨はその妻と顔を見合わせて。
そしてようやく――狂骨の顔に、微かな笑みが浮かんだ。
「姐さん……ありがとう」
「当たり前の道理を通しているだけさ。――旦那の蕎麦、また食べに行かせてもらうよ」
「ああ――ああ。最高の蕎麦を出すよ、この地底のどんな食い物より旨い蕎麦をね」
そりゃ楽しみだ、と勇儀が笑うと、狂骨も笑った。狂骨の妻も、娘も。
ヤマメはお燐と顔を見合わせて苦笑し合い、キスメは微笑んで、そして。
「貴女は……あのときの子ね」
呆然と成り行きを見つめていたパルスィに、不意に狂骨の妻が声をかける。
びくりと身を竦ませたパルスィに、けれど狂骨の妻は、ふっと優しく微笑んだ。
「貴女にも、大切なものが出来たのね。その眼を見れば解るわ。――綺麗な眼」
「――――ッ」
投げかけられた言葉を、受け止めきれない様子で、呆然と座り込んだままのパルスィへ。
狂骨の妻は、ひとつ優雅に頭を下げて、「ごめんなさい」と告げる。
「私たちの弱さが、きっと貴女に辛い思いをさせてしまったのでしょう。――だけどどうか、それを許して。私たちもただ――大切なもののそばに居たかっただけなのだから」
「……私、は」
答える言葉を見つけられないパルスィに、狂骨の妻はもう一度微笑みかけて。
「幸せにおなりなさいな、貴女も」
そして、夫と娘の手を引いて、彼女は歩き出す。
「帰りましょう、あなた。……私たちの家へ」
「――ああ。姐さん、ヤマメちゃん、そこの火車も、ありがとうな」
「ありがとうございましたー」
ひとりだけ状況を把握していない娘が、脳天気な声をあげ、それに皆が笑みを漏らして。
そして、狂骨たちの姿は、旧都のざわめきの中へ消えていった。
◇
いつの間にかお燐の姿も消えて、その場には四人だけが残っていた。
勇儀、パルスィ、ヤマメ、キスメ。
「……パルスィ」
座り込んだままのパルスィに、どんな言葉をかけるべきか分からず、勇儀はただ歩み寄り。
――結局、抱きしめてやることしか出来なかった。
狂骨の妻がかけた言葉を、パルスィはどう受け止めたのだろう。
しかしそれは――確かに。
水橋パルスィという少女の居場所を、この旧都という楽園に作る、始まりの言葉だった。
「勇儀……ゆう、ぎぃ……」
すがりつくように勇儀の胸に顔を埋めて、パルスィは嗚咽した。
少女の細い身体を抱きしめて、勇儀は優しくその髪を撫でて。
「――ヤマメ、ありがとう」
それから勇儀は、もう一度土蜘蛛の少女を振り返った。
「……だから姐さん。私は別に――」
「それでも、お前さんはパルスィを守ってくれたよ。――だから、ありがとう」
勇儀の言葉に、ヤマメはどこか居心地悪そうに苦笑する。そんなヤマメの傍らに飛び寄ったキスメは、どこか心配げにヤマメとパルスィを交互に見つめていた。
「……ありがとう」
不意に、もうひとつの声が上がる。
それが、勇儀の胸元から顔を上げた、パルスィの言葉だった。
「……ありがとう。ごめんなさい」
パルスィは、勇儀の胸元から顔を離して――ヤマメへ向けて、頭を下げた。
その姿に、ヤマメはひどく居心地悪そうに、小さく身を竦めて。
「言っておくけど、ね。――私はやっぱり、今でも橋姫が嫌いだよ。嫉妬狂いの、他人を妬むことしか頭にない、自分の幸福すら信じられないような奴は、嫌いだ」
ヤマメの言葉に、傍らのキスメが驚いたような視線を向ける。
けれどヤマメは――不意に相好を崩して、パルスィに笑みを向けた。
「だけど、ね。……この子の友達に、水橋パルスィっていう橋姫がいるらしいんだ」
キスメの頭にぽんと手を載せて、ヤマメは言う。
目を見開いたパルスィに、ヤマメはどこか照れくさそうにそっぽを向いて。
「この子の友達なら、橋姫でもきっと、いい奴なんだろうって思うんだよ」
橋姫なら誰も彼も、嫉妬狂いの嫌な奴ってわけじゃないんだろうさ。
どこかわざとらしくそう言って、そしてヤマメは。
「――ところで、あんたの名前は、何て言うんだっけ?」
目を細めて、パルスィを見つめて、そう問うた。
パルスィは、ひとつ息を飲んで、そしてぎゅっと両手を握りしめて、答えた。
「水、橋……水橋、パルスィ」
ヤマメも、キスメも、そしてパルスィも、勇儀も。
たぶんその時には皆、泣き笑いのような顔になっていたのだろう。
「そっか、あんたがキスメの友達か」
そしてヤマメは、右手をパルスィに差し出した。
その手をおっかなびっくり見下ろしたパルスィに、ヤマメは笑う。
屈託のない、地底の誰をも明るくする笑顔。
「それなら――あんたも、私の友達だよ」
その言葉に、パルスィは息を飲んで、ヤマメの手を見下ろして。
勇儀は、パルスィの肩に手を置いた。振り向いたパルスィに、笑いかけた。
それで充分だった。――それだけで、全ては伝わっていたから。
パルスィの細い指が、ヤマメの手をそっと、握り返した。
ヤマメはその感触を確かめるように、二度、三度、強くパルスィの手を握って。
「私はヤマメ。土蜘蛛の黒谷ヤマメ。――よろしく、パルスィ」
ヤマメは笑った。キスメも笑った。勇儀も、どうしようもなく笑みを堪えられなかった。
そして、パルスィも。
「……よろしく、ヤマメ」
地底の仄暗い闇に、花を咲かせるように――綺麗な緑の眼を細めて、笑っていた。
「よし、よーしよし!」
たまらず、勇儀は声を張り上げる。
気分は最高だった。――ああ、こんなときは、呑んで騒ぐ宴に限る。
「こいつぁ景気がいいや。ここはいっちょ、祝杯といこうじゃないか!」
杯を取り出し、瓢から豪快に酒を注いで、一気にぐっと干し、
ぷはぁ、と酒臭い息を吐き出したところで――何か冷たい視線に気付いた。
「パルスィ?」
「……あんたね」
見下ろせば、パルスィが呆れたように勇儀を睨んでいて。
「だからそう、何でもかんでも宴会の口実にするなっ、この飲んだくれ鬼ッ!」
勇儀の手から杯を取り上げて、思い切り投げた。
回転しながら飛んだ杯は、かいーん、といい音を立てて、勇儀の角に命中した。
「あ痛っ、痛、痛――ッ!?」
脳髄に直接響く衝撃に、勇儀は思わず情けない悲鳴をあげて。
その姿に、ヤマメとキスメが顔を見合わせて――噴き出すように笑い出した。
そしてパルスィも、目尻に涙を浮かべて、お腹を抱えて笑っていて。
「なんだいもう……全く」
勇儀も、それにつられて、声をあげて笑った。
旧都の片隅、地底の果てに。
鬼と、橋姫と、土蜘蛛と、釣瓶落とし。
四つの笑い声が、闇の中で一筋の輝きのように、長く永く響き渡っていた。
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