ゆう×ぱる! 37 / 「火焔猫燐の懸案」
2009.11.27 Friday | category:東方SS(勇儀×パルスィ)
「ねーねー、お燐」
「……何さ?」
思わず、苛立ちが声や表情に滲んでしまったようだ。んに? と首を傾げた空に、お燐は取り繕うように苦笑した。
「昨日、あの何だっけ、えーと……ぱるちーとお話したんだけどね」
ぱるちー、という耳慣れない名前に首を傾げ、それが橋姫のことだと思い当たる。主がこの地霊殿に連れ込み、二晩ほど星熊勇儀とともに泊まっていった、あの橋姫。
今、二人は旧都に戻っていったらしい。
「橋姫と? おくう、平気だったのかい?」
「うにゅ? 何が?」
きょとんと首を傾げる空に、それもそうか、とお燐は首を振った。
橋姫の緑の眼が操るのは嫉妬の心。――目の前の地獄鴉は、他人を妬むほど賢くはない。
どこまでもあけすけで、真っ直ぐで、――だけどそれ故に、道を間違えると軌道修正が効かないのが、目の前の霊烏路空だ。
そんな彼女の世話を焼き続けて、もう随分と永い身ではあるけれども。
「んと、それでね。ぱるちーは結婚したんだって」
「……へえ」
あの鬼と橋姫が、ここのところ旧都がごたついている原因であることはお燐も把握している。だがそれは、自分がわざわざ関わることではない。この地霊殿は旧都からは離れているし、自分たちの主は旧都に出向きはするが、あまり好かれてはいないのだ。だから旧都がどうなったところで、お燐にとっては大した問題ではなかった。
星熊勇儀が、空の力と、その増長に気付かなければ――空があの鬼に始末されてしまうようなことにさえならなければ、鬼が橋姫と結婚しようが旧都で暮らそうが、お燐にとってはどうでもいい話だった。
「だからね、お燐」
「うん?」
思考に沈んでいると、不意に空の顔が目の前にずいっと迫る。
驚いて軽くのけぞると、空はどこまでも脳天気な、太陽のような笑みを浮かべた。
その笑顔こそ、お燐の元気の源で、何としても守りたい宝物――。
そんなことを噛み締めていたお燐の思考は、しかし次の言葉に吹き飛ばされた。
「私も、お燐と結婚する!」
「……は!?」
◇
――というのが、おおよそ前日の出来事である。
「全く、おくうに変なことを吹き込まないで欲しいよ、本当に……」
誰に言うでもなく呟きながら、お燐は頭上の岩盤に手を触れていた。
地霊殿のほど近くには、地下を通る流水が溜まって、湖のようになっている空洞がある。普段はひんやりとしているその水は、しかし今はひどく生温い。
原因は、灼熱地獄の火力の増大だ。空の力の増大で生じた地熱が、空洞に溜まった水を温めている。ここの水は旧都の方にも流れ出しているから、川の水が温くなっていることに気付いている者もいるかもしれない。もちろんそれですぐ旧都の妖怪たちが動くこともないだろうが、あまり悠長なことを言ってもいられないのは事実だ。
「ちょいと乱暴な方法だけど、これしかないかね――」
岩盤を確かめながら、お燐は目を細める。
――地底も地上も、この力で焼き尽くす。そんな物騒なことを、空は無邪気に言い放った。その心理は、手に入れた玩具を見せびらかす子供のものと何も変わらない。ただそれは、見せびらかすには危険に過ぎる力だ。
それを理で諭せるなら話は早いのだが、いかんせん相手は空である。控えめに言っても馬鹿である空は、自分がどれだけ言い聞かせたところで、いずれは暴走してしまうだろう。今までも何度かそんなことはあって、痛い目にも遭っているのに、懲りるということを基本的に空は知らないのだ。
とはいえ、空はあれで案外と素直だ。自分より強い者、自分が恭順するに値すると思った者の言うことは聞く。今の主、古明地さとりがそうであるように。そして今までは、お燐もそうだった。お燐の方が、妖怪としての力は空より強かったのだ。だから空はお燐の言うことは聞いた。少なくともお燐が本気で怒れば、同じことを二度はやらかさなかった。
しかし今、得体の知れない力を手にした空は、明らかに自分より強くなっている。
だからこそ、お燐の言葉で空は止まらない。止めるにはもっと強い力が必要だった。増長する空をとっちめ、地上侵略を諦めさせてくれる強者が。
「とはいえ……こいつも賭けだよねえ」
地底の妖怪に頼り、ただでさえ旧都で疎まれている主の印象をこれ以上悪くするのも避けたかった。となれば、頼れるのは――地上の妖怪しかない。
地上の妖怪に、地底で異変が起きていることを知らせる。そして、その原因である空を止めてもらうのだ。――空が地上侵略を目論む危険分子として向こうに認識される前に、些細な異変の主犯ということにして、空を止めさせる。
そう、たとえば地霊殿で管理されている、封じられた怨霊が漏れだしてきた――などという、些細な異変の原因としてならば、地上の妖怪も空を始末まではしないはずだ。
「さとり様には、怒られるだろうけどね――全く」
怨霊の管理を任されているのは自分だ。それを解き放ったとなれば、厳しい叱責は免れないだろう。――だが、それで空を守れるなら安いものだ。
お燐、と笑いかけてくれる、あの太陽のような笑顔。
それこそが、お燐にとって何よりもかけがえのないものなのだから。
『私も、お燐と結婚する!』
「――馬鹿なこと言ってるんじゃないよ、本当に」
空は結婚の意味など、よく解ってすらいないだろうに。
そんな無邪気すぎる言葉を――嬉しい、と思ってしまうことが。
空に、自分が必要とされていることが、お燐には何よりの幸せなのだ。
どうしようもないほどに。
◇
方針はようやく固まりつつあった。
地上の妖怪に、空の異変を知らせる手段は思いついた。あとはそれを、空の異変がさとりや旧都の妖怪に露見する前に実行しなければならない。なるべくは速やかに。
あとはそれを実行するタイミングだ。さとりが屋敷に居ないときでなければならないだろう。怨霊が漏れ出ていることを、地上より先にさとりに気付かせるわけにはいかない。地上から空を止められる妖怪が来るまで、怨霊の発生という異変を終息させてはいけないからだ。
そんなことを考えながら、お燐は旧地獄街道を歩いていた。
お燐は旧都の運営に首を突っ込むような立場ではないから、さとりが呼ばれるような会合が次にいつ行われるのかは知らない。まさかさとり本人に尋ねるわけにもいかないが、かといって他に聞ける相手も思い当たらなかった。
――星熊勇儀はどうするのだろう、と思う。
今、勇儀は旧都に戻っているはずだ。彼女はまた旧都の運営に携わるのか、それとも距離を置くのか。勇儀が旧都の運営から距離を置いた場合、さとりの立場はどうなるのか。
もしさとりが屋敷から一歩も出歩かなければ、お燐も動きようがない。
「ああもう、どーすっかねえ……」
がりがりと頭を掻きつつ、不意に空腹を覚えてお燐は立ち止まった。考え事を延々続けていたせいか、随分と腹が減っていた。はあ、とお燐はため息をつく。どんな状況であっても生理現象は抑えられはしない。それは生き物の摂理だ。
「蕎麦でも食べようかね」
行きつけの屋台はいつも、このあたりで営業していたはずだ。視線を巡らせば、すぐに目当ての屋台と暖簾は目に入る。旧地獄街道の名店、狂骨の蕎麦屋だ。
「へい、いらっしゃい」
暖簾をくぐれば、店主の狂骨がカラカラと骨を鳴らして答えた。屋台には他に、客の背中がふたつ並んでいる。その後ろ姿に、ん、とお燐は目を見開く。見知った顔だった。
「あれ、ヤマメじゃん」
「ん? あ、お燐か」
顔見知りの土蜘蛛が、振り返って苦笑した。隣には、桶に入ったままの少女が居る。ヤマメの友達の釣瓶落としだったと記憶している。名前は聞いたことがない。
「旦那、月見一丁ね」
「あいよ」
狂骨に注文を告げ、ヤマメの傍らに腰を下ろす。ヤマメは自分の蕎麦を啜りながら、傍らの釣瓶落としの少女を愛おしそうに見つめていた。
――ヤマメちゃん、見られてると食べづらいよ……。
少女が苦笑して、「ごめんごめん」とヤマメが謝る。なんともまあ、とお燐は小さく肩を竦めた。仲が良いのは知っていたが、いつの間にこんなに睦まじくなっていたのか。
「へい、月見お待ち」
狂骨がお燐の前に丼を置く。「いただきますっと」とお燐は箸を取り、
「とーさまー」
と、甲高い子供の声が背後から聞こえて、お燐は視線だけで振り向いた。黒髪の幼い少女が、暖簾の下をくぐって狂骨の元に駆け寄っていく。「おお、なんだい、遊びに来たのかい」と狂骨が骨だけの顔に優しげな笑みを浮かべてその少女を迎えた。
「旦那、娘さん?」
「ん、ああ。ほら、お客様にご挨拶だ」
「いらっしゃいませー」
狂骨に抱き上げられてご機嫌らしい少女は、笑ってこちらにぺこりとひとつお辞儀した。
「……いつも不思議に思うんだけどさ、旦那」
隣でヤマメが、そんな姿に目を細めながら呟く。
「旦那からどうすればそんな可愛い子が生まれるんだろうね」
――ヤマメちゃん、それちょっと失礼だと思う……。
ヤマメの言葉に、隣の釣瓶落としが困ったように囁いた。当の狂骨は気にする風もなく呵々と笑うと、「そりゃお前、うちの娘だからさ」と骨の手で娘の頭を撫でた。
まあ実際、骨だけの狂骨の娘だというのに、少女には肉も皮もあるわけで。成長すると狂骨のような骸骨になるのだとすれば、それはちょっと恐ろしいかもしれない。
それからお燐は、ふといつか、狂骨が自分の元を訪れたときのことを思い出した。
少女の顔は、狂骨があのとき運んできたものの面影を、残している気がした。
そのことに思い至って、お燐は小さく首を振る。あれが狂骨の奥方なのだろうというのは察していたが、その間に何があったのかまで詮索する気は無かったし、あの後どうなったのかもお燐は知らない。別に、知らなくてもいいことだ。
ともかく、蕎麦がのびてしまう。お燐は改めて箸を取り、蕎麦をすすった。相変わらず、ここの蕎麦はコシがあって旨い。
「そうだ、とーさま」
「うん?」
狂骨の足元に下ろされた少女が、ふと思い出したように声をあげた。
「さっきね、きれいな緑の眼を見たよ」
――その刹那。
狂骨の顔がはっきりと歪んだのを、お燐は見た。
「……緑の眼、だって?」
「うん、きれいな緑。きらきらしてて、ほうせきみたいだったよ」
無邪気に語る娘に、狂骨は感情を押し殺したような声で、そうかい、と答えた。
その奥底にある感情がいかなるものか、お燐には解らない。
さとり様だったら、それも全て見透かしてしまうのだろうけれど。
「…………旦那」
隣で、ヤマメが小さく呟いた。
そのヤマメの顔もひどく険しく、釣瓶落としの少女が、心配そうに目を細めていた。
◇
地霊殿の建物が見えてきたあたりで、お燐は思考を切り替えた。
屋敷にいる間は、なるべく空の件のことは考えないことにしている。さとりは別に、こちらの考えていることを逐一監視しているわけでもない。だが、ふとした拍子に自分の懸案が見透かされてしまう可能性を考えれば、対策は心がけておくに越したことはなかった。
――どうして、心安らぐはずの我が家でこんなに気を張らなきゃいけないのか。
隠し事をするということは、余計な気苦労を抱えるということだ。その重さにお燐はため息をつきつつも、ここまで来たら最後まで隠し通すしかないと諦念混じりに顔を上げる。
代わりに頭に浮かんだのは、あの屋台で見た狂骨の旦那の表情だった。
娘から「緑の眼」という言葉を聞いて、言いしれぬ感情に歪んだ彼の顔。
――緑の眼。それが何を指すのかは無論、お燐にも解っている。
星熊勇儀が旧都に連れ戻した橋姫、水橋パルスィのことだ。
しかし、狂骨がなぜ橋姫のことにそんなに過剰反応を見せるのだろうか。
何か、過去に確執があるのかもしれないが、そこまで具体的なことはお燐も知らなかった。
(どうなることやら、ねえ……)
別に、橋姫や狂骨のことにさほど興味があるわけではない。だが、特定の考えを押し隠すには別のことを考えるのが一番だ。だからお燐は、半ば無理矢理、狂骨のことを頭に浮かべ、
「ああ、お燐。お帰りなさい」
「――さっ、さとり様」
全く唐突に声を掛けられたので、心臓が口から飛び出るかと思った。
尻尾を逆立てたお燐に、「どうかしましたか?」とさとりが首を傾げる。「あ、いえ、すみません、何でも――」と苦笑を返し、お燐は心の中だけでため息をつく。
「ところで、お燐。ちょっと話があるのですが」
「――なっ、なんですか?」
再び心臓が跳ねる。落ち着け、と自分に言い聞かせ、空のことは無理矢理思考から追い払った。ここで空のことを考えていると読まれたら、なし崩しに全てがバレてしまう可能性もあるのだから。
そんなお燐の内心を、果たしてどこまで見透かしているのか。
さとりが次に口にしたのは――しかし、空とは全く別のことだった。
「ひとつ、確認したいことがあるのです。――旧都のある人物のことについて」
「ある人物って――」
「蕎麦屋の主人をしている、狂骨のことは貴女も知っているでしょう?」
さとりの口から出た名前に、お燐は目をしばたたかせる。
「え、ええ、さっきちょうど、そこの蕎麦食べてきましたけど――」
「彼が、貴女の元を訪れたことが、ありませんでしたか」
さとりの問いかけに、お燐は息を飲んだ。――なんでそんなことを、主が知っている?
「……やはり、あるのですね」
胸元の第三の目を開いて、さとりは呟いた。
「どうしたんです、さとり様。急にそんな――」
「聞かせて欲しいのですよ、貴女に。そのときのことを」
真剣なさとりの言葉に、お燐は眉を寄せる。――旧都、橋姫、狂骨。何が起こっている?
「そ、それは構いませんけど――そのときのこと、って言われても」
「確かめたいのは、ただ一点です」
そしてさとりの訊ねたことは、至極シンプルな問いかけだった。
だからお燐は、ありのままに答えた。――狂骨が、火車である自分の元に《それ》を運んできたときのことを。
お燐の答えを聞いて――さとりは、どこか慨嘆するかのように屋敷の天井を仰いだ。
「……そうですか。それが、真実ですか」
「どういうことです? さとり様」
「いえ。――貴女が火車としての本文を違えなかったことに、今は感謝すべきなのでしょう」
「はあ」
さとりが何を言いたいのか、お燐にはさっぱり理解できない。
そんなお燐に、さとりはふっと優しい笑みを浮かべて、そしてお燐の髪をそっと撫でた。
そのくすぐったさに、思わずお燐は猫の声をあげる。
「――お燐。貴女にもうひとつ、お願いがあります」
「は、はい。何ですか?」
「それを探してきてください。――取り返しのつかない事態になる前に」
さとりの言葉に、お燐は再び目をしばたたかせた。
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