ゆう×ぱる! 35 / 「星熊勇儀の愛情」
2009.11.23 Monday | category:東方SS(勇儀×パルスィ)
仮の住まいは、旧都の片隅の廃屋に定めることにした。
中心である旧地獄街道からは離れて、どちらかといえば地霊殿にほど近いこの場所は、あまり暮らしている妖怪の数も多くはない。旧都の喧噪は遠く、静謐と言えば聞こえはいいが、要するに寂れた区画だった。
「……なんだかこれだと、あの橋の下と大差なく思えるんだけど」
このあたりにしよう、と一軒の廃屋を指した勇儀の隣で、パルスィは呟いた。
「それでも、あそこは旧都の外で、ここは旧都の中さ」
まずはそのことが重要なのだ、と勇儀は答える。
パルスィを連れて旧都に戻る。そこで、いきなり旧都の中心に我が物顔で住み着いて、以前と同じように奔放に振る舞ったら、同じ事の繰り返しなのだ。旧都は勇儀たち鬼の作った街だが、決して勇儀個人の所有物ではない。
旧都は、旧都に暮らす妖怪たちのものだ。
今の自分たちは、そこに間借りさせてもらう立場なのだ。
卑屈になるわけではない。かくあるのが道理だというだけの話である。
「なに、ここを終の棲家にしようってわけじゃあないさ」
お邪魔するよ、と無人の廃屋に声をかけ、勇儀はその扉を開けた。軋んだ音を立てて開いた扉の向こうから、むっとした埃の匂いが立ちこめて、パルスィが顔をしかめる。
「……中は酷そうね、これ」
「そりゃ、廃屋だからねえ。まずは掃除だね」
袖で口元を覆うパルスィに、勇儀は肩を竦めて埃の積もった中に足を踏み入れる。置いていかないでよ、とパルスィが慌ててその後についてきた。
廃屋の中は思ったより広かった。橋の下のパルスィの家よりも面積はあるかもしれない。ただ、前の住人が残していったと思われる家財のほとんどは朽ちていて、埃の中に埋もれている。掃除をしても使い物にはならなさそうだ。
「家財道具の類は、うちかパルスィのところから持ってくるしかないかね、こりゃ」
「力仕事は鬼の本領でしょ?」
「よしきた。しかし、先に掃除だよ掃除。これじゃ埃っぽくてかなわん」
勇儀が大げさに咳き込んでみせると、それでかえって床の埃が舞い上がった。余計なことしてんじゃないわよ、とパルスィに臑を蹴飛ばされる。
「てゆか、あんた普段掃除なんかするの?」
「そりゃあするよ。パルスィ、私をいったい何だと思ってるんだい?」
「家事なんかするようには見えないだけよ。毎日飲んだくれて散らかし放題じゃないの?」
「いやいや、人並みに掃除ぐらいはするさ。まあ、料理は苦手だがね」
「……あんたが厨房に入ってる姿なんて想像できないわね」
半眼で睨まれて、勇儀は肩を竦める。
「だからパルスィ、なあ」
「……何よ」
「そこはほら、夫婦らしく言わなくても解ってほしいところだね」
にっと笑いかけてみせると、パルスィは訝しげに眉を寄せて――それから照れたようにそっぽを向いた。そんな仕草も、愛おしくてたまらないのだ。
「――言われなくても、ご飯ぐらいは作るわよ。今までもそうしてたでしょ」
「楽しみだねえ」
「この間までと変わらないわよ」
「いやいや」
口を尖らせるパルスィに、勇儀はゆっくりと首を振って。
「夫婦なんだから、そこは是非『はい、あーん』とでも――あ痛、痛いってパルスィ!」
思い切り脇腹をつねられて、勇儀は鬼らしからぬ情けない悲鳴をあげた。
◇
掃除は結局、一日がかりになった。
溜まりに溜まっていた埃を掃き出し、ボロボロになった家財を運び出して、家中に雑巾をかける。言葉にすればそれだけだが、実際にやるとなれば結構な重労働だ。
棄てる家財の類は廃品回収をしている妖怪に後で預けることにして、パルスィとふたり、ひたすら家中の床という床、壁という壁、柱という柱を拭き磨いていく。いつから放置された廃屋なのか、勇儀が家から持ってきた何枚かの雑巾はあっという間に使いものにならなくなった。廃屋の中に放置されていた布類は触ると崩れるほどに朽ちていて、これではどうしようもない。結局勇儀がもう一度家に戻って、まだ使える敷布の類を裂いて使う羽目になった。
飛び上がって梁まで拭き、蜘蛛の巣を払っていると天井に穴を見つける。後でこれも塞がなければいけない。さらに柱と梁に何カ所か、朽ちて折れそうになっている部分があった。この補強もしておかないと、寝ているうちに屋根が崩れて来かねない。
「ねえ、勇儀。――ひとつ思ったんだけど」
「なんだい?」
延々と拭き掃除を続けているうちに、次第に無口になっていた勇儀とパルスィだったが、その最中、不意にパルスィが疲れたように声をあげた。
「一度この廃屋を潰して、新しく建て直した方が早かったりしない……?」
「――今さらそいつを言ったって遅いよ」
ふたり、盛大にため息を漏らすしかなかったけれど。
そんな徒労じみたことに苦笑し合うのすらも、今のふたりには楽しかった。
寂れた区画の隅でそんな大騒ぎをしていたのだから、自然とその音は周囲に響いていた。
とはいえ旧都のこんな外れに暮らしているのは、孤独を好む者か、旧都の中心に居場所を無くした者か、いずれにしてもあまり他人と積極的に関わろうとする者ではない。
なので、勇儀とパルスィが終わりの見えない掃除を続けている最中も、その廃屋の様子を伺いに来る影は見当たらなかった。少なくとも、勇儀にはそれらしき気配は感じられなかった。
そのことは、好都合というべきではないだろう、と勇儀は思う。
自分がパルスィを連れて旧都に戻ろうと言ったのは、決して周囲と没交渉になるためではない。それならあの橋の下と何も変わらないのだ。むしろ逆、――旧都の住民との交流を通じて、パルスィを旧都に受け入れてもらう。それが勇儀の当面の目的である。
だから、自分たちに誰も関心を持とうとしないというのは、少々困るのだ。
とはいえ、いきなり旧都の中心にパルスィを連れていったら、また傍若無人、無神経の誹りは免れない。だからこそ旧都の外れという妥協点を見いだしたわけなのだが――。
(どうしたもんかね、さて)
パルスィに気付かれないように、柱を磨きながら勇儀は息をつく。
周辺の住民に挨拶をして回るか? それも妙な話だ。となると、住む場所の選択を間違えたかもしれない。もう少し中心街に近い場所を選んでも良かったか。このあたりでは他の住民が没交渉すぎて、受け入れも何もあったものではないかもしれない。
(どこか、足がかりは必要だね)
心当たりは一応、あるにはある。例えば昨日、パルスィと引き合わせた釣瓶落としの少女、キスメだ。彼女が本格的にパルスィとうち解けてくれるか、パルスィがキスメを友達と思ってくれるかはまだ解らないが、そこが上手くいけば、きっとそれは大きな一歩になる。
橋姫の孤独を癒すのは、星熊勇儀ただひとりだけでなければいけない、はずはない。
『誰のことも信じないのに、自分のことだけは信じてほしいなんて、そんな傲慢には、誰も付き合いきれないだけだよ』
ヤマメの言葉を思い出す。それはパルスィに対する辛辣な罵倒ではあったが、一面の真実でもある。パルスィが他者をただ妬んでいるだけでは、妬まれる方も受け入れがたいに決まっているのだから。
嫉妬の心を操る妖怪であるパルスィに、他者を妬むなというのは、あるいは鬼である自分から酒を取り上げるようなものなのかもしれない。
けれど、他人の嫉妬心をえぐり出すというその緑の眼も。
必ずしもそうしないことだって、出来るはずだと、勇儀は思うのだ。
(あとは――やっぱり、ヤマメかねえ……)
パルスィの頬を張り、辛辣な罵倒を投げつけた土蜘蛛の少女の顔を思い出す。
キスメがパルスィを受け入れてくれたとき、彼女はパルスィをどう思うだろう。
もしも、ヤマメがパルスィとうち解けられれば――。
それは難しいことかもしれないが、やはり何事も、やってみなければ始まらないのだ。
「勇儀」
「うん?」
不意にパルスィの声が割り込んで、勇儀の思考は中断させられた。振り返ると、髪にまとわりついた埃を鬱陶しそうに払いながら、パルスィがこちらを見つめている。
「こっち側は、だいたい片づいたけど」
「お、そうかい。こっちもそろそろ終わるね。――なんとか目処は立ちそうだねえ」
ぐるりと廃屋の中を見渡して、勇儀は言葉を吐き出す。
いや、そこはもう廃屋と呼ぶのは相応しくないだろう。
ここはこれから、自分とパルスィが暮らす新居だ。
――愛の巣、なんて言ってしまうのはさすがに、甘ったるすぎるけれども。
「まあ、家財を運び込むのは一休みしてからでもいいか」
磨いていた柱を見上げ、指でなぞって、勇儀は呟く。
補修とか修繕とか、まだやるべきことは多いが、とりあえずは人並みに、住める場所にはなったとは思う。――何事も、地道が一番だ。
「よし、一段落にしようか」
宣言して、勇儀がひとつ大きく伸びをすると――不意にその胸元に重みがかかった。
「っと、パルスィ?」
パルスィが、勇儀の胸元に頬をすり寄せるように抱きついてきていた。「なんだい、また甘えん坊かい?」と勇儀はその髪を撫でようとして、自分の手が埃やら何やらですっかり汚れていることに気付く。服の裾で拭うわけにもいかないし、どうしたものか――。
「……勇儀」
パルスィが顔を上げ、そっと目を閉じた。触れあうことを求めるように、少し唇を上向きに差し出す。――掃除している間、ずっとそうして欲しいのを我慢していたのだとしたら、それはもう可愛くて愛おしくて勇儀としてもたまらないのだけれども。
「あのね、パルスィ」
困り果てて勇儀が声をあげると、パルスィは不満げに目を開けた。
「……何よ」
「いやね、私としてもそりゃ、ちゅーしてあげたいのは山々だけどね」
勇儀は肩を竦めて、汚れた両手をひらひらと顔の横にかざす。
「せめて手を洗わせてくれないと、お前さんの顔にも触れられないよ」
その言葉に、パルスィは沸騰したように真っ赤になった。
◇
本格的な家財の運び込みは明日にすることにした。
色々と持ち込んで、配置やら何やら考えるとなればきりがなくなるのは目に見えている。それでなくても、延々と掃除を続けて心地よい疲労が全身に溜まっていた。
というわけで、布団と毛布と枕だけを持ち込んで、まだ何もない床に敷き。
――そうして、勇儀の腕を枕にして、パルスィは寝息を立てていた。
その穏やかな寝顔を眺めながら、勇儀はパルスィの金色の髪を梳く。
赤子のように安らかなパルスィの顔。ときおり寝言で何事かを呟いているのがまた愛らしい。
「……守ってやるのが、私の役目、か」
確かめるように、勇儀はそう呟く。パルスィを起こしてしまわないように。
自分はパルスィを幸せにするために、ここに来た。この旧都が、パルスィが笑って暮らせる場所であるように。ここが誰にとっても、楽園であれるように。
けれど、それが容易いことでないこともまた、よく解っている。
『あの娘をここに連れ戻すことだけは、止しておいてくれないか。儂らはただ、誰も妬むことなく、平穏に暮らしていたいだけなんだ』
思い出すのは、いつか狂骨が自分に向けて放った言葉。
かつてパルスィの緑の眼に心を乱され、大切なものを失ったという彼の言葉。
旧地獄街道で自分が旧都に戻ると宣言したときも、彼はそこには居なかった。
狂骨は今、どうしているだろう? いつものように屋台を引いて、蕎麦を茹でているだろうか。自分がパルスィを連れて旧都に戻ってきたことは、既に聞いているだろうか?
もしそれを彼が知ったら――彼はどうするだろうか?
自分から大切なものを奪った緑の眼が、遠ざけたはずのそれが、またこの旧都に舞い戻っていると知ったら。それを連れてきたのが星熊勇儀だと知ったら――。
『……旧都には、橋姫を黙して受け入れられる者ばかりでもないでしょう』
ふと、さとりの言葉が脳裏を過ぎった。言われたときは、何故そんな当たり前のことを口にするのかと勇儀は訝しんだが――あるいはそれは、警句だったのかもしれない。
心を読むあの少女の目には、かつてパルスィを旧都から追いやった者たちの心に巣くう、橋姫への昏い思いが見えていたのだろうか。だとしたら。
(……私は、間違っちゃいないはずだ)
唇を噛みながら、勇儀は心の中だけでそう呟く。
しかし、狂骨のしたこと、彼の考えを間違いだと切って捨てるだけでは、何も変わらない。
――狂骨は、パルスィを許すだろうか?
彼がパルスィの緑の眼を、許し受け入れるという未来は――あり得るのだろうか?
(いや……それを作るのが、私のすべきことだ)
拳を握る。それはきっと、鬼の怪力無双だけでは為し得ないことだ。
かつて、裏切り、謀り、鬼を騙った人間に、鬼は失望し離れていった。
だがやはり、それは鬼の傲慢なのだろう。
どうして彼らが鬼を裏切り、謀ったのか。それを自分たちは知ろうともしなかった。
同じ過ちを何度も繰り返すことこそ、愚か者のすることだ。
誰も彼もが分かり合い、手を取り合える世界など確かに幻想だろう。
それでもやはり――誰もが酒を酌み交わし、楽しく笑い合える世界であればいいと勇儀は思う。それは勇儀も、パルスィも、狂骨も、さとりたちもだ。
望むだけなら誰でもできる。それを実現するのが、力あるということだ。
語られる怪力乱神、星熊勇儀に為せることのはずなのだ。
「……ゆう、ぎ」
パルスィの声が、勇儀の耳朶を打つ。振り向くと、パルスィは安らかに寝息をたてたままだった。寝言か。勇儀は苦笑して、もう一度その髪を撫でる。
「愛してるよ、パルスィ」
全ては、愛する者のために。
星熊勇儀は、そのために生きるのだ。
その決意をもう一度新たにして、勇儀はそっとパルスィの細い身体を抱き寄せた。
パルスィの吐息と鼓動を感じながら、勇儀は目を閉じる。
――この温もりの中で、どうかパルスィが笑っていられるようにと、願いながら。
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