ゆう×ぱる! 34 / 「キスメの献身」
2009.11.20 Friday | category:東方SS(勇儀×パルスィ)
自分の首にかけられた細い指に、ぎり、と力がこもった。
喉が圧迫され、呼吸が塞がれた。息苦しさにキスメは口を開くが、酸素は流れてこない。
見開いた瞳に映るのは――自分にのしかかり、首に手を掛けて締め上げる影。
それは、大好きなひとだった。
キスメが恋をした、誰よりも大切な――土蜘蛛の少女だった。
――ヤマメ、ちゃん。
彼女の名前を呼ぼうとしたけれど、言葉は声にならなかった。
次第に掠れていく意識の中で、喉に食い込む指の感触に微かに呻きながら、キスメは。
ぽたり、と、頬に当たる雫の感触に、気付いた。
――ヤマメ……ちゃん?
薄れて、ぼんやりとした視界は、彼女の姿の明確な輪郭を捉えられないけれど。
ぽたり、ぽたりと、雫が落ちる。
――泣いてる……の?
自分の首を絞めながら、ヤマメは泣いている。
だからキスメは、声は出なかったけれど、手を伸ばした。
ヤマメの頬へ、その滴る雫を拭おうとするように、手を伸ばして――。
ぐっと、一層の重みが身体にかかって、軋むような痛みが胸に伝わった。
呼吸が塞がれて何秒経っただろう。解らない。苦しい。涙が出そうになる。
ヤマメの指は、それでも容赦なく、自分の首を絞め続けていて、
息が苦しくて、目の前がよく見えなくて、だけど、
頬に落ちる、ヤマメの涙のあたたかさだけが、やけにはっきりとしていたから。
だからキスメは、それを拭ってあげたかった。
大好きな彼女が泣いているのを――止めてあげたかった。
それだけだった。
「……なん、で」
不意に、唐突に、食い込んでいた指の力が緩んだ。
喉から急激に酸素が流れ込んで、キスメは思わず噎せる。首が痛い。目がチカチカする。
「なんで、なんで……ッ」
その髪を振り乱すように首を横に振って、キスメに馬乗りになったまま、ヤマメは叫んだ。
今にも泣き出しそうに、悲鳴のように。
「なんで抵抗しないのよ、キスメ――ッ」
何を言われたのか、よく解らなかった。
――ヤマメ、ちゃん……?
掠れた声でそう問いかけると、ヤマメは呆けたように、ぺたりと座り込んで。
「私――今、本気で、ヤマメを、」
殺そうと、した。
その言葉は恐ろしくて口に出せなかったのかもしれない。ヤマメは口ごもる。
キスメも解っていた。ヤマメの手は、悪戯ではなく本気で――自分を絞め殺そうとしていた。
たぶん今、自分の首にははっきりと、ヤマメの手の跡が残っているのだろう。
だけど、たとえそうなのだとしても。
今、キスメが見上げているのは、どうしようもないほどに。
キスメが大好きな、黒谷ヤマメでしかないのだ。
――だって、
キスメの言葉に、ヤマメはゆるゆると視線を下ろした。
笑えたと思う。たぶん自分は、微笑んでいるのだろうと、キスメは思う。
――ヤマメちゃんになら、何されても、平気だから。
「…………ッ!」
ヤマメの手が、キスメの頭を乗せていた枕を、殴りつけた。
キスメに覆い被さって、ヤマメは怒っているような、泣いているような、ひどく曖昧な顔をして――キスメを見下ろして。
――わたし、ヤマメちゃんが好きだよ。
キスメに出来ることは、ただ言葉をかけることだけだった。
大好きなヤマメに。一番大切な彼女に。
ただ、自分の心からの言葉を、かけるだけだ。
――もし、ヤマメちゃんが、わたしのこと嫌いになっても。
ヤマメは泣いていた。その目尻からこぼれた涙が、またキスメの頬に落ちた。
だからキスメは、その雫を拭おうと、ヤマメの頬に触れた。
涙で濡れたヤマメの顔は、いつもより少し、冷たかった。
――わたしは、ヤマメちゃんのこと、嫌いになんて、なれないから。
「馬鹿……キスメの、馬鹿……っ」
へなへなとくずおれて、そしてヤマメはキスメの胸元に顔を埋めて、震えた。
その金色の髪をそっと撫でて、キスメはただ目を細める。
ヤマメがどうして自分を殺そうとしたのかなんて、興味は無かった。
ただ、ヤマメがそばにいてくれれば、そこが天国でも地獄でも、自分は構わないのだ。
――大好きだよ、ヤマメちゃん。
それとも、ひょっとしたら、自分はもう死んでいるのだろうか?
とっくに自分は死体になっていて、ヤマメはそれにすがって泣いているのだろうか?
解らないけれど、やっぱりそれも、今のキスメにはどうでもよかった。
ただ――ヤマメに泣いてほしくなかった。
ヤマメに、自分の好きな笑顔でいてほしかったから。
――だから……泣かないで。
その髪を撫でて、キスメはいつまでも、ヤマメを抱きしめていた。
ヤマメはただ、言葉をなくしたみたいに、その姿勢のままで震えていた。
◇
いや、本当はきっと。
自分は、殺されてもいいと思っていたのだろう。
幸せだから。ヤマメがそばにいる今が、どうしようもなく幸せだったから。
こんな幸せを、永遠にしてしまえるならば。
大好きなヤマメの手で殺されるなら――その幸福は、永遠になるだろうから。
だからきっと、殺されてもいいと思っていた。
それだけのことだ。
そんな想いは、いびつだろうか?
歪んだ、おかしな、醜い想いだろうか?
――それでもいい、とキスメは思う。
自分はヤマメが好きだ。それ以上に大切なものなんて、どこにも無いから。
だからキスメは、ヤマメを許す。
何が起こっても、何をされても。――許してしまうのだろう。
黒谷ヤマメという土蜘蛛を、好きになってしまったときから。
自分はその糸に絡め取られて、食べられるのを待つ虫なのだ。
――そうであることが、幸せなのだと、キスメは信じていた。
◇
いつの間にか、眠ってしまっていたようだった。
瞼を開けば、視界に入るのはただ天井だけで。
そして――自分に触れてくれる彼女の温もりは、どこにも感じられなかった。
キスメはただ、呆然と視線を彷徨わせる。
そこは見慣れたヤマメの部屋。だけど、ヤマメの姿はどこにもなかった。
起きあがり、近くに転がっていた桶に入り込んで、キスメは声をあげる。
――ヤマメちゃん。
返事はなかった。ぞくり、と背筋を悪寒が走って、キスメは身震いする。
首筋に触れると、鈍い痛みが走った。きっと、痣になってしまっているのだろう。
そう、あのとき、ヤマメに首を絞められて、そして。
ヤマメの姿が、どこにも見当たらない。
最悪の予感にキスメは慄然と立ちすくんで、けれどすぐにその部屋を飛び出した。
ヤマメが居なくなったなら、探さなければいけない。
探して、伝えなければいけない。
ヤマメに、ちゃんと、何度でも、解ってもらえるまで。
けれど、存外にあっさりとヤマメは見つかった。
庭に出て、井戸で顔を洗っていたのだ。その後ろ姿にキスメは、拍子抜けして目をしばたたかせる。一瞬前までの悪寒は、どこかに吹き飛んでいた。
「……ん、あ、キスメ。おはよう」
振り返って、ヤマメは笑った。その笑みは、どこか力なくはあったけれど。
――お、おはよう、ヤマメちゃん。
おっかなびっくり返事をして、キスメはそろそろとヤマメに近付く。
足元に飛んできたキスメに、ヤマメはなんだか酷く曖昧な表情を見せた。
いつもだったら、すぐに抱きしめてくれるのに。
それを恐れるように、ヤマメは両手を虚空に彷徨わせていた。
――ヤマメちゃんっ。
だからキスメは意を決して、飛びつくようにヤマメに抱きつく。
ヤマメは驚いたようにたたらを踏んで、その手はすぐには背中に回されなかった。
「……キスメ」
囁かれるヤマメの声は、やっぱりどこか泣き出しそうに、キスメには聞こえる。
「いいの? ねえ――私また、キスメの首、締めようとするかもしれないよ?」
おどけたような声だけど、それは何か、精一杯の強がりなのだと、キスメには解ったから。
――それでも。
答えるべき言葉は、ひとつしか思いつかなかった。
――それでもわたしは、ヤマメちゃんを離さないよ。
押し当てた顔に、ヤマメの心臓の鼓動が聞こえていた。
そのリズムが心地よくて、キスメは目を閉じて、ヤマメの温もりに身を任せて。
「……なんでそんなに、馬鹿なのさ、キスメ」
呆れたような声とともに、ヤマメの腕が背中に回された。
抱きしめてくれる彼女の両手は、やっぱりどうしようもなく、優しかった。
「あのさ、キスメ」
囁かれる言葉、重ねられる問いかけ。
「どうして――私のこと、好きになってくれたのさ?」
答えるべき言葉は、いつだって変わらない。
――わたしがわたしで、ヤマメちゃんがヤマメちゃんだからだよ。
「答えになってないよ」
そう言って、ヤマメは力なく笑った。
「……首、痣になっちゃってるね」
首筋の痕跡を指先でなぞって、ヤマメが囁いた。
――平気だよ。
痛くない? と訊かれる前に、キスメはそう答えておく。
「……ごめんね」
謝罪の言葉は、あまりにもか細かったけれど。
ヤマメの全てを、自分は受け入れるのだ。ヤマメが何を求めても。何を望んでも。
それが幸せだと思えることを、今は誇りに思っていたかったから。
ただ、キスメはぎゅっとヤマメにしがみついて、離れなかった。
ヤマメもただ、それがただひとつの出来ることであるかのように、優しく強く。
キスメの背中に腕を回して――狭い腕の中に、キスメを留めてくれていた。
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