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ゆう×ぱる! 34 / 「キスメの献身」
 それもまたひとつの幸福。









 自分の首にかけられた細い指に、ぎり、と力がこもった。
 喉が圧迫され、呼吸が塞がれた。息苦しさにキスメは口を開くが、酸素は流れてこない。
 見開いた瞳に映るのは――自分にのしかかり、首に手を掛けて締め上げる影。
 それは、大好きなひとだった。
 キスメが恋をした、誰よりも大切な――土蜘蛛の少女だった。
 ――ヤマメ、ちゃん。
 彼女の名前を呼ぼうとしたけれど、言葉は声にならなかった。
 次第に掠れていく意識の中で、喉に食い込む指の感触に微かに呻きながら、キスメは。
 ぽたり、と、頬に当たる雫の感触に、気付いた。
 ――ヤマメ……ちゃん?
 薄れて、ぼんやりとした視界は、彼女の姿の明確な輪郭を捉えられないけれど。
 ぽたり、ぽたりと、雫が落ちる。
 ――泣いてる……の?
 自分の首を絞めながら、ヤマメは泣いている。
 だからキスメは、声は出なかったけれど、手を伸ばした。
 ヤマメの頬へ、その滴る雫を拭おうとするように、手を伸ばして――。
 ぐっと、一層の重みが身体にかかって、軋むような痛みが胸に伝わった。
 呼吸が塞がれて何秒経っただろう。解らない。苦しい。涙が出そうになる。
 ヤマメの指は、それでも容赦なく、自分の首を絞め続けていて、
 息が苦しくて、目の前がよく見えなくて、だけど、
 頬に落ちる、ヤマメの涙のあたたかさだけが、やけにはっきりとしていたから。
 だからキスメは、それを拭ってあげたかった。
 大好きな彼女が泣いているのを――止めてあげたかった。
 それだけだった。

「……なん、で」

 不意に、唐突に、食い込んでいた指の力が緩んだ。
 喉から急激に酸素が流れ込んで、キスメは思わず噎せる。首が痛い。目がチカチカする。
「なんで、なんで……ッ」
 その髪を振り乱すように首を横に振って、キスメに馬乗りになったまま、ヤマメは叫んだ。
 今にも泣き出しそうに、悲鳴のように。
「なんで抵抗しないのよ、キスメ――ッ」
 何を言われたのか、よく解らなかった。
 ――ヤマメ、ちゃん……?
 掠れた声でそう問いかけると、ヤマメは呆けたように、ぺたりと座り込んで。
「私――今、本気で、ヤマメを、」
 殺そうと、した。
 その言葉は恐ろしくて口に出せなかったのかもしれない。ヤマメは口ごもる。
 キスメも解っていた。ヤマメの手は、悪戯ではなく本気で――自分を絞め殺そうとしていた。
 たぶん今、自分の首にははっきりと、ヤマメの手の跡が残っているのだろう。
 だけど、たとえそうなのだとしても。
 今、キスメが見上げているのは、どうしようもないほどに。
 キスメが大好きな、黒谷ヤマメでしかないのだ。
 ――だって、
 キスメの言葉に、ヤマメはゆるゆると視線を下ろした。
 笑えたと思う。たぶん自分は、微笑んでいるのだろうと、キスメは思う。
 ――ヤマメちゃんになら、何されても、平気だから。
「…………ッ!」
 ヤマメの手が、キスメの頭を乗せていた枕を、殴りつけた。
 キスメに覆い被さって、ヤマメは怒っているような、泣いているような、ひどく曖昧な顔をして――キスメを見下ろして。
 ――わたし、ヤマメちゃんが好きだよ。
 キスメに出来ることは、ただ言葉をかけることだけだった。
 大好きなヤマメに。一番大切な彼女に。
 ただ、自分の心からの言葉を、かけるだけだ。
 ――もし、ヤマメちゃんが、わたしのこと嫌いになっても。
 ヤマメは泣いていた。その目尻からこぼれた涙が、またキスメの頬に落ちた。
 だからキスメは、その雫を拭おうと、ヤマメの頬に触れた。
 涙で濡れたヤマメの顔は、いつもより少し、冷たかった。
 ――わたしは、ヤマメちゃんのこと、嫌いになんて、なれないから。
「馬鹿……キスメの、馬鹿……っ」
 へなへなとくずおれて、そしてヤマメはキスメの胸元に顔を埋めて、震えた。
 その金色の髪をそっと撫でて、キスメはただ目を細める。
 ヤマメがどうして自分を殺そうとしたのかなんて、興味は無かった。
 ただ、ヤマメがそばにいてくれれば、そこが天国でも地獄でも、自分は構わないのだ。
 ――大好きだよ、ヤマメちゃん。
 それとも、ひょっとしたら、自分はもう死んでいるのだろうか?
 とっくに自分は死体になっていて、ヤマメはそれにすがって泣いているのだろうか?
 解らないけれど、やっぱりそれも、今のキスメにはどうでもよかった。
 ただ――ヤマメに泣いてほしくなかった。
 ヤマメに、自分の好きな笑顔でいてほしかったから。
 ――だから……泣かないで。
 その髪を撫でて、キスメはいつまでも、ヤマメを抱きしめていた。
 ヤマメはただ、言葉をなくしたみたいに、その姿勢のままで震えていた。


       ◇


 いや、本当はきっと。
 自分は、殺されてもいいと思っていたのだろう。
 幸せだから。ヤマメがそばにいる今が、どうしようもなく幸せだったから。
 こんな幸せを、永遠にしてしまえるならば。
 大好きなヤマメの手で殺されるなら――その幸福は、永遠になるだろうから。
 だからきっと、殺されてもいいと思っていた。
 それだけのことだ。

 そんな想いは、いびつだろうか?
 歪んだ、おかしな、醜い想いだろうか?
 ――それでもいい、とキスメは思う。
 自分はヤマメが好きだ。それ以上に大切なものなんて、どこにも無いから。
 だからキスメは、ヤマメを許す。
 何が起こっても、何をされても。――許してしまうのだろう。

 黒谷ヤマメという土蜘蛛を、好きになってしまったときから。
 自分はその糸に絡め取られて、食べられるのを待つ虫なのだ。
 ――そうであることが、幸せなのだと、キスメは信じていた。


       ◇


 いつの間にか、眠ってしまっていたようだった。
 瞼を開けば、視界に入るのはただ天井だけで。
 そして――自分に触れてくれる彼女の温もりは、どこにも感じられなかった。
 キスメはただ、呆然と視線を彷徨わせる。
 そこは見慣れたヤマメの部屋。だけど、ヤマメの姿はどこにもなかった。
 起きあがり、近くに転がっていた桶に入り込んで、キスメは声をあげる。
 ――ヤマメちゃん。
 返事はなかった。ぞくり、と背筋を悪寒が走って、キスメは身震いする。
 首筋に触れると、鈍い痛みが走った。きっと、痣になってしまっているのだろう。
 そう、あのとき、ヤマメに首を絞められて、そして。
 ヤマメの姿が、どこにも見当たらない。
 最悪の予感にキスメは慄然と立ちすくんで、けれどすぐにその部屋を飛び出した。
 ヤマメが居なくなったなら、探さなければいけない。
 探して、伝えなければいけない。
 ヤマメに、ちゃんと、何度でも、解ってもらえるまで。

 けれど、存外にあっさりとヤマメは見つかった。
 庭に出て、井戸で顔を洗っていたのだ。その後ろ姿にキスメは、拍子抜けして目をしばたたかせる。一瞬前までの悪寒は、どこかに吹き飛んでいた。
「……ん、あ、キスメ。おはよう」
 振り返って、ヤマメは笑った。その笑みは、どこか力なくはあったけれど。
 ――お、おはよう、ヤマメちゃん。
 おっかなびっくり返事をして、キスメはそろそろとヤマメに近付く。
 足元に飛んできたキスメに、ヤマメはなんだか酷く曖昧な表情を見せた。
 いつもだったら、すぐに抱きしめてくれるのに。
 それを恐れるように、ヤマメは両手を虚空に彷徨わせていた。
 ――ヤマメちゃんっ。
 だからキスメは意を決して、飛びつくようにヤマメに抱きつく。
 ヤマメは驚いたようにたたらを踏んで、その手はすぐには背中に回されなかった。
「……キスメ」
 囁かれるヤマメの声は、やっぱりどこか泣き出しそうに、キスメには聞こえる。
「いいの? ねえ――私また、キスメの首、締めようとするかもしれないよ?」
 おどけたような声だけど、それは何か、精一杯の強がりなのだと、キスメには解ったから。
 ――それでも。
 答えるべき言葉は、ひとつしか思いつかなかった。
 ――それでもわたしは、ヤマメちゃんを離さないよ。
 押し当てた顔に、ヤマメの心臓の鼓動が聞こえていた。
 そのリズムが心地よくて、キスメは目を閉じて、ヤマメの温もりに身を任せて。
「……なんでそんなに、馬鹿なのさ、キスメ」
 呆れたような声とともに、ヤマメの腕が背中に回された。
 抱きしめてくれる彼女の両手は、やっぱりどうしようもなく、優しかった。

「あのさ、キスメ」
 囁かれる言葉、重ねられる問いかけ。
「どうして――私のこと、好きになってくれたのさ?」
 答えるべき言葉は、いつだって変わらない。
 ――わたしがわたしで、ヤマメちゃんがヤマメちゃんだからだよ。
「答えになってないよ」
 そう言って、ヤマメは力なく笑った。
「……首、痣になっちゃってるね」
 首筋の痕跡を指先でなぞって、ヤマメが囁いた。
 ――平気だよ。
 痛くない? と訊かれる前に、キスメはそう答えておく。
「……ごめんね」
 謝罪の言葉は、あまりにもか細かったけれど。
 ヤマメの全てを、自分は受け入れるのだ。ヤマメが何を求めても。何を望んでも。
 それが幸せだと思えることを、今は誇りに思っていたかったから。
 ただ、キスメはぎゅっとヤマメにしがみついて、離れなかった。
 ヤマメもただ、それがただひとつの出来ることであるかのように、優しく強く。
 キスメの背中に腕を回して――狭い腕の中に、キスメを留めてくれていた。



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| 浅木原忍 | 23:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
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