ゆう×ぱる! 33 / 「古明地さとりの思惟」
2009.11.18 Wednesday | category:東方SS(勇儀×パルスィ)
「世話になった」
橋姫をこの地霊殿に導いた、その翌日の夜。
さとりの部屋を訪れた星熊勇儀は、ひとつ頭を下げてそう言った。
「私は明日、パルスィを連れて旧都に戻ることにするよ」
「――そうですか」
目を細めたさとりに、勇儀はどこからか杯と瓢を取り出して差し出す。
首を傾げてみせると、「せっかくだから、付き合っちゃくれないかい」と勇儀は笑った。
「晩酌ですか。……まあ、たまにはそれもいいですね」
杯を受け取ると、勇儀がそこに酒を注ぐ。さとり自身はあまり酒は飲まないが、全く飲めないわけでもない。ただ、杯を傾けて騒ぐような場とは、自分は縁遠かった。それだけの話だ。
「橋姫はいいのですか?」
「パルスィなら、今頃は幸せな夢の中さ」
杯を傾けながら言う勇儀の心の中には、一切の懸念が見当たらなかった。
「……本当に幸せな夢ならいいのでしょうけれど」
「幸せな夢に決まってるよ」
赤ら顔を、しかし不意に引き締めて、勇儀は口にする。
「私が、パルスィを幸せにするんだからね」
それは、どこまでも真摯な鬼の言葉。裏表のない、真正面からの言葉だ。
鬼は嘘をつかない。裏表のない、どこまでもあけすけな生き物。
その眩しさに、さとりはただ目を細める。
「貴方がそう言うのなら、そうなのでしょうね」
杯に映る自分の顔を見下ろして、さとりは呟いた。
そこに揺らめく朧な自分の顔からは、自分自身の心は、この第三の目でも見透かせはしない。
「――なあ、さとり」
不意に、勇儀が低い声で、呟くように名を呼んだ。
顔を上げ、第三の目で彼女の顔を見つめ返せば――そこに、ひとつの疑念が浮かんでいる。
「私が橋姫を、あの灼熱地獄跡に引き込んだ理由、ですか?」
「お前さんを疑るつもりは無いんだがね。――ただ、お前さんがパルスィをここに連れ込んで、何をしたかったのかだけは、聞いておきたい」
まさか、灼熱地獄跡に突き落とそうとしたわけでもないだろう。――そうではないと言ってくれ、と勇儀の心は言っていた。
さとりはひとつ息をつき、杯を軽く傾ける。
「どうしても言えないことなら、構わないがね」
「いえ――そうですね。確かに彼女を連れてきたのは、故もなくのことではありません」
勇儀がぴくりと眉を動かした。さとりは薄く微笑んで、言葉を続ける。
「けれど、大したことではないのですよ。貴方が思っているほどのことでは」
そしてさとりは、中庭の方を振り返った。正確には、その地下にある灼熱地獄跡を。
「……うちのペットが、少し退屈していたようでしたので」
「ペット? あの鴉かい?」
「ええ。少しあの子の遊び相手にでも、なってくれればいいと思いましてね」
その言葉に、勇儀は目をしばたたかせ。
真偽を確かめようとするように、勇儀はその目を細める。
――自分の心の内は、星熊勇儀には見透かせはしないのだ。
そのことを自らに言い聞かせるように、さとりはもう一度杯を傾けた。
「パルスィの力のことを知らなかったわけじゃあないだろう?」
「大丈夫だと判断しましたし、事実大丈夫だったでしょう」
さらりと答えると、勇儀は「ううむ」と唸った。
今日、勇儀が旧都へ出向いている間、橋姫は地下で空と話をしていたようだった。少なくとも、橋姫にとって空は向き合いやすい相手ではあったのだろう。
「一応聞いておくが、その判断の根拠はなんだい?」
「――あの子は、他人を妬むほど賢くはありませんから」
さとりの答えに、勇儀はきょとんと目を見開き――そして、腹を抱えて笑い出した。
「わはは、なんだいそりゃ――私と一緒か。なるほど、こりゃ傑作だ」
床を叩き、それから杯をぐっと一気に干して、勇儀はどこか遠くを見るように天井を仰いだ。
「誰もがそうである世界は、幸せだろうか、ね」
「――幸せでしょう、きっと」
久しぶりのアルコールの熱が、さとりの顔も軽く火照らせていた。
「けれど、賢い者に、愚かになれというのは――とても、難しいことです」
「違いない」
そして、だからこそ橋姫は疎まれ、自分も疎まれた。
つまりは、そういうことでしかない。
「愚かであることが幸福であるとしても、永遠に愚かなままではいられない。だからこそ幸福は永続はしない――それが世の摂理だとしたら、なんとも世知辛い話だ」
瓢から杯に酒を注ぎ足して、独り言のように勇儀は口にする。
「しかしそれが愚かだとしても、不幸になりたい奴なんて居ない――そうだろう?」
問いかけは、答えを求めてのものではなかったのだろう。
勇儀は注ぎ足した酒を一気に飲み干して、酒臭い息を吐き出した。
そして、しばしの沈黙が落ちる。さとりの杯の中身があまり減ってないのに気付いて、「なんだい、もっと呑みなよ」と勇儀が軽く笑った。さとりは苦笑を返す。
「さとり」
ぽつりと呟くように、勇儀は口にした。
「パルスィが幸福に暮らせる旧都を作ることは――出来ると思うかい?」
それはひどく、勇儀らしからぬ問いかけだった。
だからさとりは、杯を手にしたまま、ひとつ息をついて答える。
「鬼は、嘘をつかないのでしょう?」
それが、勇儀の求めている答えの筈だった。
勇儀はひとつ頷いて、「ああ――そうだ」と口にして、立ち上がった。
「さとり、お前さんは――」
しかし、言葉は途切れ。勇儀はひとつ、酔いを払うように首を振った。
「いや、なんでもない」
その途切れた言葉の先に続くものを、さとりの第三の目は捉えている。
――旧都がそうなったら、お前さんはそこで暮らしたいと思うかい?
橋姫と自分。心という、あらゆる者の急所に触れるが故に、旧都から疎まれた存在。
橋姫がそこに受け入れられるなら、覚の自分もまた、受け入れられるのかもしれない。
けれどそれは――さとりには意味のない問いかけだった。
「昨日も答えたはずです、勇儀さん」
ぐっと干して空になった杯を、さとりは勇儀に手渡す。
「貴方の楽園が旧都なら、私の楽園は、地霊殿ですから」
そうだったね、と勇儀は笑った。
さとりは笑い返した。――笑い返せたはずだと、信じることにした。
「夜分に失礼したね。私もそろそろ眠るよ。起きてパルスィが寂しがってもいけないしね」
扉の方に足を向けた勇儀の背中に、「勇儀さん」とさとりは声を掛けた。勇儀は振り返る。
「なんだい?」
目を細めた勇儀に、さとりはひとつ思案する。
――狂骨のことは、今、彼女に伝えておくべきなのだろうか。
灼熱地獄に突き落としてくれ、と彼は言った。――自分はあの橋姫を認められない、受け入れられないから、せめてこの手がもう一度過ちを犯してしまう前に。彼の心はそう叫んでいた。
狂骨が、この地底のルールを犯していること。
そしてあるいは、橋姫に対し凶行に及ぶ可能性も有り得るということ。
それは、狂骨とも懇意であるはずの彼女には、伝えておくべきなのだろうか。
「……旧都には、橋姫を黙して受け入れられる者ばかりでもないでしょう」
結局、口にしたのはそんな曖昧な言い回しだった。
勇儀はひとつ鼻を鳴らして、小さく首を竦めてみせる。
「解ってるさ、そんなことは。……だから、私が何とかするんだ、それを」
「――気を付けてくださいね」
さとりの言葉を、勇儀はどう受け取ったのだろう。ただ「ああ」と頷いた。
そして扉に手を掛けて、けれど勇儀は再び振り返る。
「そうだ、さとり」
「……なんですか?」
勇儀の言葉は読めていたけれど、さとりは敢えて問い返した。
少し調子を狂わされたように勇儀は苦笑して、言葉を続けた。
「――橋姫じゃなく、パルスィと呼んでやってくれないか」
それだけだよ、と呟いて、勇儀は部屋を後にする。
その背中を見送って、さとりはただ無言のまま目を閉じた。
――久しぶりのアルコールが、意識に染みこむように熱を伝えていく。
思考を乱すその熱が、今はなぜか、心地よく感じた。
◇
そのまま、いつの間にか眠りに落ちていたようだった。
「さとり様。……さとり様?」
囁かれるペットの声に、さとりは薄く瞼を開ける。
ぼんやりとした視界に映るのは、彼女の飼う火焔猫の一匹、お燐の顔だった。
「お燐。……ああ、すみません。眠ってしまっていましたか」
「いえ、こちらこそ……でも、こんな格好で眠っていたら身体によくありませんよ」
椅子で眠りこけるなんて、あまり記憶になかった。やはり久しぶりに呑んだアルコールのせいだろう。軽い頭痛に首を振りつつ、さとりは目の前のお燐に目を細める。
お燐はその視線に、どこか居心地悪そうに目を逸らした。
その仕草に、さとりはお燐に気付かれないように小さく息を吐く。
――杯を酌み交わしながら、星熊勇儀に語ったいくつかの言葉。
それは真実の断片ではあるけれど、全てではない。
例えば、自分があの橋姫――水橋パルスィをここに引き込んだ理由も。
自分のペットで、灼熱地獄の火力調整をしている地獄鴉、霊烏路空に引き合わせた理由も。
勇儀に語ったのは、あくまで真実の一面だけだ。
「お燐」
「な、なんですか?」
びくりと身を竦めたお燐に、さとりはふっと目を細める。
「――勇儀さんは明日にも、橋姫を連れて旧都に戻るそうですよ」
「あ……そうですか」
どこかほっとしたように頷くお燐は、鬼と橋姫にはあまり興味は無さそうだった。
――今、お燐の心を占めているのがもっと別のことであるのは、さとりも解っている。
そして、お燐がそのことを、自分に対して隠したがっていることも、解っている。
そんなペットの姿を、さとりはただ見守るだけだ。
お燐が隠したがっていること――それが具体的に何なのかまでは、さとりは敢えて見透かしてはいなかった。それは主としての、ペットへの干渉の最後の一線だ。
言葉を用いずとも心が通じるから、火焔猫や地獄鴉は自分に懐いてくれる。
けれど、言葉を用いるようになれば、読まれたくないことは必ず生まれるのだ。
ただ、おおよその見当はついている。お燐が主である自分に対してまで隠したがること。そして、普段なら出掛けてももっと早く戻ってくるのに、こんな遅くまで地底を駆けずり回ってまで何かをしようとしている、その理由。
――おそらくは、霊烏路空のことだろう。
お燐と空は、この地霊殿で自分に飼われるようになる前からの親友だった。
あまり頭の良くない空の世話を焼くのは、お燐の生き甲斐のようになっている。だからふたりには、灼熱地獄の火力調整と、そこに封じられた怨霊の管理という比較的近い役目を任せている。もちろんふたりが、さとりのペットの中でも強い力を持っていることが大きいけれど。
無邪気に笑う空と、その姿に苦笑するお燐。
そんなふたりの姿を見るのは、さとりも好きだった。
だから、このふたりの間のことには、なるべく干渉はしないようにしているのだ。
空のことは、お燐が一番よく知っている。
空に何かあったとき、そのために一番よく動けるのはお燐なのだ。
だから、ここのところお燐の様子がおかしいのには気付いていたけれど、静観していた。
無論、主としていつまでもただ黙って見ているだけというわけではなかった。数日で好転するかと思われたお燐の様子が、何日経っても変わらなかったからだ。
お燐に、『さとり様が自分の懸念に気付いている』と思わせないためには、自分が直接空に接触して様子を見るわけにはいかなかった。普段、自分はあの灼熱地獄跡には滅多に顔を出さないのだから。
だからさとりは、あの場で捕まえた橋姫を、空の元に送り込んだのだ。
空と言葉を交わした橋姫の心を読むことで、空の様子を探る為に。
――まあ、その目論見は、橋姫の心の中が追いかけてきた勇儀の事でいっぱいになって、空の様子などまるっきり吹き飛んでしまっていたがために、失敗したのだけれども。
「あの、さとり様――」
ふとお燐が、こちらを伺うように首を傾げながら言葉を発しかけて。
「あ、いえ、何でもないですっ」
慌てて首を振って打ち消したので、さとりはただ目を細めるだけにした。
――あの鬼は、おくうについて何か言っていましたか。
お燐が自分に対してそう訊こうとしていたことは、さとりには見えていた。
だけどそれを追求することはしない。それはやはり――お燐に任せるべきことなのだろう。
「私は休みます。もう遅いですから、お燐、貴方もお休みなさい」
「あ――はい。おやすみなさい、さとり様」
立ち上がりベッドに向かうと、お燐は慌ててぺこりと一礼し、部屋を出て行く。
その揺れる尻尾を見送りながら、ベッドに仰向けに倒れ込んで、さとりは目を閉じた。
――妹の気配は今も、屋敷のどこにも感じられなかった。
「こいし……」
呟いた声に、答える声などあるはずもない。
橋姫を――水橋パルスィをここに連れ込んだ理由。
それは、空の様子を探らせるためだけではなかった。
――パルスィを見つけたそのとき、そこに妹が、こいしが居たから。
無意識に身を置き、その存在を誰にも気付かせずに、今もどこかを放浪する妹が。
橋姫の、嫉妬の心を操る緑の眼。
もしもその眼が、自分の見失った妹の心を、こいしの心を見つけられるなら。
橋姫を手元に置いておけば、あるいは自分も、またこいしを見つけられるだろうか。
そしてこいしと――言葉を、交わせるだろうか。
心を閉ざしてしまった、たったひとりの妹と。
――全ては、どこまでも詮無い話でしかなかった。
見上げた天井に力ないため息を吐き出して、そしてさとりはシーツを握りしめる。
「……こい、し」
手を伸ばしても、その手は誰にも触れはしないから。
この地霊殿が楽園だと、自分は勇儀に答えたけれど。
本当にここが楽園になるには、一番大切なものがきっと、欠けている。
星熊勇儀が、お燐が、羨ましかった。
愛する者に、一途に己の全てを捧げられる彼女たちが。
自分には、それすら許されていないのだから。
――お姉ちゃん。
そう自分を呼んで笑っていた、いつかの妹の顔ももう、上手く思い出せない。
BACK|NEXT
⇒ こじたん (11/17)
⇒ 浅木原 (11/16)
⇒ こじたん (11/16)
⇒ 時の番人 (11/14)
⇒ 置き石 (10/14)
⇒ 葉月 (09/19)
⇒ ろっく (05/17)
⇒ 六仁祝 (08/27)
⇒ はまなす (06/20)
⇒ 橘 奏 (08/10)