ゆう×ぱる! 32 / 「黒谷ヤマメの嫉妬」
2009.11.15 Sunday | category:東方SS(勇儀×パルスィ)
キスメが居ないと、急に自分の部屋ががらんと広くなったような気がした。
先日の騒乱で半壊した際に、雑然としていたのを片付けたせいもあるだろう。けれどそれ以上に、キスメの不在に、ヤマメは言いしれぬ感情を抱えて布団に突っ伏していた。
キスメがこの部屋で暮らすようになったのは、つい最近だ。たった数日前、この部屋が半壊したあの騒乱の少し前からでしかない。それまではヤマメはずっと、基本的にこの部屋でひとりで暮らしていたのだ。
だから、ひとりで居るのはたかだか十日前とか、その頃に戻っただけのはずなのに。
「……キスメ」
愛おしい彼女の温もりを求めるように、毛布をかき抱く。
中毒と言えば、これほど分かりやすい中毒も無いだろう。
キスメが居ないと、落ち着かなくて、そわそわして、不安になるのだ。
全く、処置なしであるとは自分でも思うけれど、どうしようもなかった。
――キスメは今、あの橋姫のところに居るのだろうか?
その顔、緑の眼を思い浮かべると、急に胸の奥がむかむかとして、ヤマメは顔をしかめる。
水橋パルスィ。星熊勇儀が惚れた橋姫。嫉妬狂いの緑の眼。
あの騒乱の中で「旧都を棄てる」と言い放った星熊勇儀は、のこのこと旧地獄街道に戻ってきて、そして旧都に戻りたいと言った。それだけならばともかく――あの橋姫を連れて、夫婦として一緒に暮らしたい、と。
勇儀に、旧都に戻ってほしいと言ったのは確かに自分だ。
あのとき、橋姫のあまりに身勝手で醜い言い分に激昂して、ヤマメは橋姫の頬を張って罵倒した。そのことについて悔いはない。間違ったことを言ったつもりはなかった。
だが、言ってもどうしようもないことではあったのだろう、とも思う。
旧都を離れるという勇儀の意志を翻させたのは誰だろう。嘘をつかない鬼に、一度口にした言葉を撤回させるなんてのはただごとではないはずだ。
――自分は、勇儀と橋姫の仲を引き裂きたかったのだろうか?
その思考に、ヤマメは言いしれぬ感情を覚えて唇を噛んだ。
そんなことは出来るはずがなかった。自分が何を言ったところで、勇儀が橋姫に惚れてしまった事実は消せるはずがないし、約定を違えることを何より嫌う鬼が、たかが土蜘蛛の言葉で翻意するはずもないのだ、本来。
しかし、自分の「旧都に戻ってほしい」という言葉に、橋姫は含まれていなかった。
ヤマメは橋姫が嫌いだ。自分がどれだけ愛されようと、どれだけ大切にされようと、彼女は結局それに見向きなどしていないのだ。ただ自分の理想を相手に押しつけて、それが叶えられないことを妬むだけの醜い心。誰からも好かれないのは当たり前だ、彼女自身が誰からの好意もはねつけているのだから。そしてその責任を周りに押しつけて、自分は被害者のような顔をしている。自分ではなく世界が間違っているのだと決めつけている。――本当に、醜い。
きっと、こんなことを考えている今の自分も、橋姫に負けないぐらい醜い顔をしているのだろうけど。――敵意は、結局自分の身に跳ね返ってくるのだ。
「姐さんは……どうする気なんだろうね」
結局のところ、勇儀は橋姫を連れて旧都に戻ると言った。
そしてあの場の妖怪たちは、戸惑いながらもそれを受け入れたのだ。――少なくともあの場では。勇儀に対し真正面から否が言える妖怪が居るのか、という問題はさておくとしても。
だが、だからといって、かつて橋姫を疎み、あるいはその力に心を乱された者たちは、旧都の統率者の妻だと言われて、簡単に橋姫を受け入れられるだろうか?
――否だ。自分が、橋姫への評価を変えるつもりが無いのと同じように。
しかし、表だって勇儀に楯突くだけの力のある妖怪もまた、旧都には無い。
だとすれば、導かれる結果は誰にでも想像出来る。敬遠、だ。
受け入れられず、されど排除も出来ないとなれば、意識から遠ざける他に無い。
おおっぴらに敵意をぶつけるわけではなく、ただ居ないものとして扱う。
それが一番安全で、おそらくは勇儀にもどうすることも出来ない対処法。
勇儀が橋姫を受け入れさせようとしても、あの橋姫の性質それ自体が劇的に変化でもしていない限りは、空回り、徒労に終わるだろう。
勇儀は、それを解った上で橋姫を旧都に連れてくる気なのだろうか?
そして橋姫もまた、それを解った上で一度は排斥された旧都に戻ってくるのだろうか?
「……どうにもならないことってのは、あるんだよ、姐さん」
呟いてみるけれど、もちろんその言葉は勇儀には届くはずもない。
『この旧都は、地上を追われた誰にとっても楽園であればいい』
勇儀はあの場で、旧都の住民たちへ向けて、そう言った。
実際、ヤマメたちにとってこの旧都は楽園だった。地上を追われた妖怪たちが好き勝手に暮らす場所。地底に築き上げられた、除け者たちの楽園。
だけど、地上が自分たちにとって楽園ではあれなかったように。
この旧都もまた、万人にとっての楽園であれるなんてことは――無いのだ。
「……キスメ、遅いな」
ぼんやりと呟いて、ヤマメはゆるゆると首を振った。
勇儀に連れて行かれたキスメ。その行き先は橋姫の元だろうか。勇儀はキスメと橋姫を引き合わせて、何をしようとしているのだろう。
あの緑の眼を前にして、キスメは大丈夫なのだろうか?
「キスメ……」
不意に、ぼんやりと視界が霞んだ。詮無い思考に脳が疲れたのかもしれない、ふっと意識が遠くなる。睡魔だ、と思ったときにはもう、ヤマメは突っ伏すように眠りに落ちていた。
◇
夢を見ていた気がする。
ただそれは陽炎のように曖昧模糊として、不定形のまま霞んで消えていく。
その朧な幻の中に、愛おしい少女の声を聞いた気がして、ヤマメは手を伸ばし、
――ヤマメちゃん。
次に、耳元で囁かれる声と、自分の身体を揺さぶる手の感触に気付いた。
「……キスメ?」
ぼんやりとした視界に滲む輪郭は、彼女の姿なのか判然としなくて。
――ヤマメちゃん、起きた?
頬に触れる手の感触と、細く澄んだ声に、ヤマメは目をしばたたかせる。
「キスメ――っ」
そして次の瞬間、ヤマメは目の前にあったその細い身体をきつく抱きしめた。
――や、ヤマメちゃん、くるしいよ。
耳元であがる戸惑った声に、はっとしてヤマメは両腕にこめた力を緩める。
「あ、ごめん……」
――う、ううん。だいじょうぶ。……どうしたの?
心配げに目を細めるのは、確かにキスメだった。そのことにどうしようもない安堵の息を漏らして、それからヤマメはキスメの髪をそっと撫でる。
「ん……キスメ分が足りなかったんだってば」
誤魔化すようにそう苦笑して、ヤマメは大げさにキスメに頬ずりしてみる。
キスメはどこか困ったように目を細めて、ごめんね、と囁いた。
――帰ってくるの、遅くなっちゃった。
「姐さんに引き留められたんでしょ? 酒でも呑まされなかった?」
――呑まされはしなかったけど……。
苦笑いして、それからキスメはヤマメの首筋に顔を埋めた。キスメの吐息がくすぐったくて、頬が緩むのはそのせいだけではないのだけれども。
ただ、キスメの髪の毛からアルコールの匂いがするのは少々不可解だった。まさか頭から酒を浴びせられたわけでもあるまいに。勇儀がそんな勿体ないことをするとも思えないが。
――ヤマメちゃん。
「うん?」
――私も、ね。……ヤマメちゃん分が、足りないよ。
少し潤んだ瞳で、キスメは上目遣いにヤマメを見つめた。
理性が焼き切れるのを感じた。ああもう、そんな顔をされたら――どうしようもない。
「キスメ」
その細い身体に覆い被さって、白い肌に貪るように唇を這わせた。
切なげにキスメの指先が、甘い吐息ともにヤマメの背中に回された。
その温もりをかき抱きながら、ヤマメはふと思う。
もしも、自分が勇儀の立場だったら、どうするだろう、と。
キスメが、この旧都から疎まれる存在だったとしたら。
そしてそんなキスメを、自分がこんなにも好きになってしまったとしたら――。
――ヤマメ、ちゃん?
戸惑ったような声にはっと顔を上げると、キスメがこちらに目を細めていた。
――どうしたの?
「ううん……別に、何でもないわよ」
――本当に?
首を振ったヤマメに、食い下がるようにキスメは、ヤマメの手を掴んだ。
キスメの胸元をまさぐっていた手に、ひんやりとしたキスメの指先が重なる。
「キスメこそ……どうしたの?」
――ヤマメちゃんだよ。……いつもは、こんなに乱暴にしないのに。
言われて、キスメの首筋に視線を落とせば――自分の吸い付いた跡が真っ赤になっていた。
「あ……ごめん、痛かった?」
――ううん、そういうわけじゃ、ないけど。
気まずそうに目を伏せて、キスメはそれからヤマメの手に指を絡める。
――あのね、ヤマメちゃん。
いつになく真剣な目でヤマメを見つめて、キスメは。
――私は、ヤマメちゃんになら、どんなことされても平気だけど。
ふっと泣き出しそうな顔を、した。
――ヤマメちゃんが、辛そうな顔をしてるのは、嫌だよ。
「…………ッ」
何か、心の奥底の塊を掘り返されたような感覚に襲われて、ヤマメは顔を歪めた。
今の自分はどんな顔をしているのだろう。
どんな顔をして――キスメを見つめているのだろう。
「そんな、こと、」
言いつのろうとするけれど、言葉は尻すぼみになって、淀んだ空気に溶けてしまう。
ぎゅっと目を閉じて、キスメの視線を瞼から断ち切ろうとして、
浮かんだのは、あの緑の眼。
「……橋姫と、会ったの?」
キスメの顔が訝しげに歪んだ。なんでそんなこと聞くの? そんな表情だった。
けれど、浮かぶ言葉は留める術を知らないかのように、唇からこぼれ落ちる。
「橋姫と会ってきたんでしょ? ――姐さん、何をしようとしてたのよ」
困惑を浮かべてキスメは視線を彷徨わせて、それから静かに答えた。
――私に、あの橋姫さんと、友達になってほしい、って。
友達?
あの橋姫と? 他人を妬むことしか頭にない、あの嫉妬の塊と?
誰がそうなれる。誰があんな、醜い緑の眼と――。
――ヤマメちゃん。
キスメの声が、そんなヤマメの思考を見透かすように鋭く響いた。
こちらを見つめるキスメの眼差しは悲しげで――ヤマメは息を飲む。
『ただ、それを受け入れるかは、パルスィと――皆の問題だ』
勇儀は言った。橋姫を受け入れられるか否かは、橋姫だけの問題ではない、と。
醜いのはどっちだ?
橋姫の、あの嫉妬に狂う緑の眼か?
それとも――そこに映る、自分の顔か?
本当に醜いのは、どちらだというのだ?
――ヤマメ、ちゃん。
キスメの手が、ヤマメの頬に伸ばされた。
触れる、詰めたい指の感触が、
キスメの、深い緑の瞳が――、
ヤマメは何かを叫んだ。
それが声になっていたのかも、もうヤマメ自身には解らなかった。
ただ、目の前には緑の眼が、
忌まわしい緑の眼が、自分の醜さを見つめていて、
そしてヤマメは、その細い首筋に、両手をかけて、
――ヤマメちゃん。
囁かれた声が――呻くように、掠れた。
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