ゆう×ぱる! 31 / 「水橋パルスィの戸惑」
2009.11.12 Thursday | category:東方SS(勇儀×パルスィ)
「――結婚しよう、って言われたのよ」
「結婚?」
同じ頃。
地霊殿の地下、灼熱地獄跡の炎のほど近く。熱気の立ちこめるその場所に、またパルスィはいた。傍らには、あの頭の弱い地獄鴉の少女、空――《空》と書いて《うつほ》と読ませるらしい――がきょとんと首を傾げている。
「結婚って、えーと、なんだっけ」
「なんだっけ、って――」
「んー、お燐が何か前に言ってた気がするんだけど、覚えてない」
やれやれ、とパルスィは首を振った。本当にこの鴉、その図体と力に、頭の方が全く追いついていない。
どうしてパルスィが、そんな空の相手をしているのかと言えば。
――ここで待っていてくれ、と勇儀に言われたからだった。
「結婚っていうのは――あれよ。……ええと」
「にゅ?」
説明しようとして、パルスィは言葉に詰まった。あまりに簡単な、常識として自明な概念は、ときとして非常に説明が難しいものである。
「……好きな者同士が、ずっと一緒に暮らすことよ」
「ほえー」
感心したように頷いて、それから空は「あれ?」と首を傾げた。
「んーと、じゃあ、私とお燐も結婚?」
「は?」
「だって、私はお燐が好きだし、お燐もたぶん私のこと好きだと思うから」
あけすけにそんなことを言う空に、パルスィは目をしばたたかせて、それから疲労を覚えて吐息した。――だから本当に、この鴉は。
「違うわよ、それは」
「ちがうの?」
「……違うと思うわよ」
「んにゅ、むつかしい……」
唸る空。しかし、何が違うのか――と言われれば実際、答えづらいのは確かだった。
お燐という火車の少女と、この地獄鴉が一緒に暮らしていて、互いに好き合っているなら。
――結婚、という言葉を噛み締めてみる。
勇儀は自分に言った。結婚しよう、そして旧都で暮らすんだ、と。
この前まで、自分たちは既にあの橋の下で、一緒に暮らしていた。
それと何が違うのか。違うのだとすれば、それは、
「それじゃ、さとり様も違う?」
「さとりって、あんたのご主人様じゃないの?」
「そうだけど、私はさとり様も好きだよ?」
「……一方的に好きってだけじゃ、駄目なの」
うにゅー、と呻いて空はまた難しい顔をする。
そう、一方的に好きというだけでは、結婚は成立しない。
では、好き合っていればそれでいいのか。――そういうわけでもない。
だとすれば、結婚という儀式は、何の為のものだろう。誰の為のものだろう。
「じゃあ、私お燐と結婚する!」
「はいはい、勝手にすれば」
「うにゅー」
投げやりなパルスィの返事に、空は頬を膨らませた。
肩を竦めて、それからパルスィは自分が何の話をしていたのだったかを思い出す。
「……あんたのことはどうでもいいの。今はこっちの話をしてるのよ」
「ふえ?」
「だからね、勇儀は私に結婚しようって言ったのよ。離さないって言ったの」
「らぶらぶ?」
「そうよ、ラブラブなの、……って何言わせるのよ!」
うっかりノリで返事をしてしまい、パルスィは空を睨む。顔が熱いのは、この灼熱地獄の熱気のせいだ。そう思うことにしておく。
「……とにかく。勇儀ってば、あんなこと言った昨日の今日だっていうのに」
頬を膨らませて、パルスィはここにいない勇儀の顔を瞼に浮かべた。
――あの後、結局ふたりはこの地霊殿の一角を借りて、そこで休んだ。そして朝、目覚めた自分に勇儀は言ったのだ。旧都に行って、自分の不始末について話をつけてくる、と。
『すぐ戻るから、ここで待っていておくれよ』
そう言ってキスをしてくれた勇儀に、自分は。
――この間までなら、嫌、と言ってその身体にしがみついたはずだったのに。
どうしてか、素直に頷いてしまったのだ。
勇儀が自分を置いてどこかに出掛けていく。自分の目の届かない場所に行く。それはどうしようもなく妬ましくて、寂しくて、耐えられないことのはずだったのに。
――行ってらっしゃい、なんて、殊勝な言葉まで口にしてしまった。
そんな自分の変化が、パルスィにはどうしてなのか、よく解らないのだ。
「私を置いて、どこか行っちゃうんだもの……妬ましいわ」
そう呟いてみるけれど、以前のようなどうしようもない嫉妬の心は浮かんでこない。
代わりに蘇るのは、囁かれる勇儀の声と、触れる温もり。
その愛おしさばかりが募って、妬ましいという気持ちをどこかに追いやってしまう。
パルスィは全く慣れないその感覚に、ずっと戸惑っていた。
「……妬ましいのよ」
自分で自分に言い聞かせるように口にしてみても、やっぱりその言葉はどこか空回る。
いったい、どうしてこんなに――妬ましくないのだろう。
「んー?」
傍らでは、また空が不思議そうに首を傾げていた。
「お燐もね、私を置いていつもどっか行っちゃうよ」
その火車の少女の姿は、今もここには無かった。結局自分は、あの騒乱のとき以来、お燐という猫娘には会っていない。
「……あんたは、寂しくないの?」
「うにゅ?」
「好きなんでしょ? あの火車の娘――」
「うん、大好きだよ」
本当に、これほどあけすけになれれば、ある意味幸せかもしれないとパルスィは思う。
単にこの鴉の場合、何も考えていないだけなのだろうけれども。
「好きな相手がそばに居なくて――寂しくない?」
「え?」
きょとん、と首を傾げて、空は目をしばたたかせる。
「だいじょぶだよ。だって、お燐は必ず帰ってくるもん」
「――――」
「だからお燐は、いつも私のそばにいてくれるから。さみしくないよ」
そう言い切る空の顔には、どこにも暗い心など見当たらない。
それはただ、彼女が底抜けに頭が悪いからだろうか。それとも――。
「……もし、帰ってこなかったら?」
「にゅ、それは困るなぁ」
「困るだけなの?」
「困るから、探しに行くよ。お燐がいないなんてやだもん」
――ああ、どこまでもこの少女は、自分とは正反対なのだ。
そのことを感じて、パルスィは目を伏せる。
彼女は何も疑わない。自分の気持ちも、他人の気持ちも、ただ信じている。
それを愚かな妄信と笑うのは簡単だけれど――それには、あまりにも。
目の前の空の笑顔は、パルスィには眩しすぎたのだ。
「……本当に、あんたって悩みが無さそうで、幸せそうで、妬ましいわ」
「うにゅ、そんなに褒められたら照れるよ」
「褒めてないわよ、バカにしてるの」
「ばかじゃないよ、うつほだよ」
頬を膨らませる空に、パルスィはただ薄く笑って目を細めた。
――自分は、こんな風に勇儀を信じていられるだろうか。
こんな風に、どこまでも素直な笑顔で、勇儀に対して笑えるだろうか。
もし、そうすることが出来たら――勇儀が自分に言ったように。
あの旧都でも、自分が暮らしていくことは、出来るのだろうか。
「……妬ましいわね」
そう呟いてみるけれど、やはり心の奥は軋みをあげはしなかった。
そのことを、どう受け止めていいのかは、まだ解らないままだったけれど。
「――おおい、パルスィ!」
そこに、大声が割り込んで、パルスィは振り返った。
灼熱地獄の炎に揺らめく空気の先――愛する彼女の姿が、遠くに見える。
「勇儀っ」
宙を蹴って、パルスィは彼女のもとへ飛んだ。蜃気楼でもなんでもなく、勇儀は確かにそこにいて、その広げられた腕の中に、パルスィは体当たりするように飛び込む。
「ただいま」
ぎゅっと抱きしめられて、髪を撫でられる。その感触がどうしようもなく心地よくて、パルスィは柔らかな勇儀の胸に顔を埋めたまま、軽く泣き出したくなった。
「……おかえり、ばか」
「なんだい、帰ってきてすぐそれかい」
「置いていかれて、寂しかったん、だから」
ぎゅっとしがみついてそう囁くと、「ごめんよ」と微笑んで、それから勇儀の唇が額に触れた。それだけで顔がかーっと熱くなって、パルスィはそれを誤魔化すように俯くしかない。
「ちゃんと大人しくしてたかい?」
「子供じゃないわよ」
「そう言うパルスィは、子供みたいに甘えん坊じゃないかい?」
「……ぱるぱる」
そんな意地悪を言われても、どうしようもなくそれすら幸せなのだった。
◇
とかく灼熱地獄跡は暑い。そこを抜け出して地霊殿の中庭に戻ると、まだ熱気の気配は残っているとはいえ、地底の涼しい空気がひんやりと肌に触れて心地よかった。
「……話は、どうなったの?」
「うん? ああ――とりあえず、色々と謝ってきたよ。私が今まで旧都で、どれだけ無自覚に傍若無人にしていたかを、ね。……全く、馬鹿だよね私は」
「気付くのが遅いのよ」
「違いない」
その傍若無人を、豪放磊落という言葉だけで許すには、たぶん勇儀の力は強すぎたのだろう、とパルスィは思う。もちろんパルスィは、勇儀と旧都の関係については当事者ではないので、それもただ勇儀という存在と触れあっての印象でしかないのだけれども。
「まあ、それで。とりあえずパルスィと結婚する旨は伝えてきた」
「なっ――」
絶句したパルスィに、勇儀は「ん?」と瞬きひとつ。
「伝えたって、誰によ」
「そりゃ、旧都の皆にだよ」
「あ――あんた、まさか街道のど真ん中で堂々と宣言したとかじゃ」
「うん? まずかったかい?」
恥ずかしさで顔が爆発して死ぬかと思った。ああもうだからこの鬼はどうしてこう!
「な、なななっ、何考えてんのよあんたは本当に――ッ」
「おいおいパルスィ、落ち着きなよ。仕方ないじゃないか。お前さんを旧都に連れて行って一緒に暮らす件を伝えなきゃいけなかったんだから」
「――――」
勇儀の言葉に、パルスィは言葉を詰まらせる。
……そうだ、勇儀はそのために話をつけにいったのだ。
旧都を追われ、あの橋の下に居を構えたパルスィを、配偶者として旧都に迎え入れる。
勇儀はそのために、一度は決別を宣言した旧都に戻ろうと、話をつけに行ったのだから。
「……それで、どうなったのよ」
「まあ、とりあえず許しちゃもらえたと思うよ。今の旧都に私が必要とされてるのかはともかくとしてね。だから近いうちに、旧都の隅にまずは家を見つけようと思う」
勇儀の胸元にしがみついて、パルスィは顔を伏せる。
「……嫌かい? 旧都に戻るのは」
その表情を見たか、勇儀がいたわるように優しく、髪を撫でた。
自分が嫌か、嫌でないか、それで済む問題なのか。――自分はあそこで疎まれ追われた身だ。自分をよく思っていない妖怪たちは、あるいはそれで勇儀に対しても、
「勇儀が……居てくれれば、私は、どこだっていいわ」
「そうかい――ありがとう」
見上げた勇儀の笑みは優しくて、パルスィはまた泣きたくなる。
ひとりきりで、疎まれ嫌われ追い出されて――ただ、その灯りを妬むしかなかった自分。
だけど今は、勇儀がいる。自分を好きだと言ってくれる彼女がいる。
それだけで、妬みも不安も、ずっと遠くへ追いやられてしまうのだ。
「大丈夫、上手くやっていけるさ。パルスィがこんなに可愛い子なんだってこと、ちゃんと旧都の連中にも解ってもらわなきゃね」
おどけたように勇儀はそう言う。パルスィは微かに頬を膨らませた。
「馬鹿」
「な、なんだい」
「……そんなのは、……勇儀、あんただけが解ってれば、いいの」
次の瞬間、痛いぐらいきつく抱きしめられて。
その馬鹿力に辟易しながらも、やっぱりその温もりに、パルスィは幸福を噛み締めていた。
◇
まあ、それはそれとしてだ。ちょっとこっちへおいでよ、と言う勇儀に手を引かれ、パルスィは地霊殿の門のところまで連れてこられた。
いったい何があるのか。引っぱられるままに歩いてきたパルスィは、勇儀の示した門のところに視線をやって、それから思わず首を傾げた。
何も無かった。いや、あると言えば妙なものがひとつある。桶だ。
門のところになぜか、桶がひとつ置いてある。何に使うのだかは知らないが。
パルスィが訝しんで勇儀を見上げると、勇儀は「おーい、キスメ」と呼びかけた。
キスメ。どこかで聞いた覚えがある気がした。どこでだったか。
眉を寄せたパルスィの目の前で、置かれていた桶が不意に、がたがたと揺れた。
そしてその中から、おずおずと顔を出す少女がひとり。
目を丸くしたパルスィに、少女はひとつ、ぺこりと会釈した。
「紹介するよ、パルスィ。私の友達の、キスメだ」
勇儀の友達。パルスィは思わず勇儀とキスメの顔を見比べる。
桶に入ったまま身を縮こまらせる少女。釣瓶落としか何かだろうか。
勇儀とこの少女のどこに接点があるのか、パルスィには見当もつかないのだが。
「で、キスメ。お前さんは知ってるんだったかい? 私の嫁のパルスィだよ」
「……嫁って」
いや、結婚すると言い出したのだから、確かにそうなるのだが。
――え、ええと、初めまして。
と、不意に聞き取れないほど小さな声が、パルスィの耳に届く。
ぺこりと頭を下げるキスメ。……どうやら今の声は、彼女のものらしい。
パルスィも思わずつられて会釈し、それから勇儀をもう一度見上げた。
「……なに? どういうつもり?」
「どういうつもりも何も――ほら、あれだ。私の友人は紹介しておこうと思ってね」
――よ、よろしく。
おずおずとそう口にするキスメに、パルスィは肩を竦める。
「……よろしく」
そう挨拶してみるけれど、どうにも間抜けだと自分でも思った。
――あ、あの、えと。
どもるキスメと視線がかち合って、お互い酢を飲んだように黙り込む。
何をやっているのだろう、と首を振って、パルスィは勇儀をもう一度見上げ。
勇儀は「あー、うん」と頭をひとつ掻いて、それから杯を取り出した。
「よし、とりあえずパルスィもキスメも、一杯やろうじゃないか」
そんなことを言い出して、杯に酒をなみなみと注ぎ始めた。
「だから何でも酒を呑む口実にするなこのアル中!」
思い切りパルスィがその臑を蹴っ飛ばすと、「あ痛っ!?」と悲鳴をあげた勇儀の手から杯が滑り――注がれた酒が、撒き散らされる。
その下にいた、キスメに向かって。
「あ」
と誰からともなく声をあげたときには、キスメは頭から酒を被っていた。
突然頭上から降り注いだアルコールに、キスメは目をしばたたかせ、
ずぶ濡れになったキスメに、勇儀は「参った」と言わんばかりに首を竦め、
とりあえずパルスィは、馬鹿なこの鬼の耳を思い切り引っぱってやることにした。
「痛い痛い、パルスィ――」
「うっさいもうあんたって鬼は本当に」
酒がこぼれたのは自分が勇儀の臑を蹴飛ばしたせいかもしれないが、気にしない。
「酒のことしか頭に無いからそうなるんでしょうがっ」
「いやそんなこと言われてもね――」
唸るパルスィと、身を竦める勇儀に。
――ふふっ。
ふと、微かな笑い声が届いて、ふたりは顔を見合わせた。
酒を被ってずぶ濡れになっていたキスメが、気が付けば笑い出していた。
――勇儀さんも、パルスィさんも、楽しそう。
その言葉に、パルスィは目をしばたたかせて。
「ああ、そうさ。――楽しくて仕方ないよ、パルスィと居るとね」
勇儀はそう言って、豪放に笑った。
それに頷くように笑ったキスメの笑顔に、パルスィはどきりとする。
その笑顔はただ素直に、パルスィの緑の眼を優しく見つめていた。
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