ゆう×ぱる! 30 / 「キスメの幸福」
2009.11.09 Monday | category:東方SS(勇儀×パルスィ)
「終わってみれば、家の中を片付けるきっかけになったのかな」
おどけてそう言ったヤマメに、キスメは何とも言えず苦笑した。
先日の騒動で半壊したヤマメの家。その修復がようやく終わったところだ。何しろあの騒動では旧都のあちこちで多数の妖怪が暴れたので、全壊や半壊した建物は数知れない。騒動が終息し、旧都が落ち着きを取り戻してから復旧作業は急ピッチで進んでいたが、作業の中心は被害の大きかった旧地獄街道で、そこから少し離れている民家などは後回しにされているのが現状だ。実際、ヤマメの家の周囲にはまだ壊れたままの建物も多い。
まあ、妖怪たちはあまり、家が壊れたところで人間ほど不便はしないのだが。
「やれやれ」
大げさに息を吐き出して、ヤマメはその場に腰を下ろす。そして、キスメにちょいちょいと手招きをした。キスメが首を傾げながら寄っていくと――不意にその両手が伸ばされて、キスメの身体は桶の中から、ヤマメの腕の中に抱きすくめられる。
――や、ヤマメちゃん?
「んー、キスメ分補充〜」
慌てて声をあげたキスメに、ヤマメは頬ずりする。顔が熱くなって身を縮こまらせたキスメの額に、ヤマメの唇が軽く触れた。おかげでますます顔が熱い。
――ど、どうしたの、急に。
「いや、考えてみたらここのところ、あんまりキスメとこうしてなかったなぁって」
キスメの髪を撫でながら目を細めるヤマメ。
――それは、仕方ないよ。
キスメは苦笑する。半壊した旧地獄街道の復旧作業は、旧都の運営の中心にいた妖怪たちが配下を総動員して進めていた。その中には土蜘蛛の長もいたわけで、土蜘蛛の末端であるところのヤマメも当然、そこに駆り出されていたわけである。
特に仲間をもたない釣瓶落としのキスメは部外者だったし、桶に入ったまま力仕事を手伝えるわけでもない。なので、作業に出掛けていくヤマメを見送り、帰りを待つことが多かった。
「だからキスメ分が足りないわけよ、キスメ分が」
――な、なにそれ?
「こうキスメをむぎゅーっとしてると溜まるの。で、また頑張ろうって気分になれるわけ」
背中に回されるヤマメの腕。耳元をくすぐる吐息。
何もかも、やっぱりキスメには愛おしくてたまらないわけで。
――えへへ、ヤマメちゃん。
「うん?」
――キスすれば、もっと溜まる、かな?
そんなことを囁いて、目を閉じてみる。
「そりゃ――もちろん」
返事と一緒に、寄せられる唇の感触。
それごとヤマメの温もりを抱きしめるように、キスメもその背中にきつく腕を回した。
「というわけで、今日は一日中キスメとこうしてごろごろしてようかと」
――いちにちじゅう?
「そ、一日中ずーっと。……嫌?」
ヤマメの腕の中、ふるふると首を振り、キスメは照れ笑いを漏らす。
もちろん嫌なわけはない。キスメは狭いところが好きだ。井戸の中、桶の中。いろいろと狭いところはあるけれど――この世で一番狭くて居心地のいい場所はひとつしかない。
ヤマメの、大好きなひとの腕の中だ。
――ヤマメちゃん。
「なに?」
――えへへ、だいすき。
「うん、知ってる」
頬に唇を寄せ合って、また額を合わせて笑った。そんな時間が、ひたすら甘やかで心地よかった。たぶん自分は今、世界でいちばん幸せだろう、とキスメはそう思う。
「寂しくなかった?」
――ヤマメちゃんが出掛けてるあいだ?
「うん。……なんつって、これはちょっと自意識過剰かな」
たはは、と頬を掻くヤマメに、キスメは笑って、その胸元に顔を埋めた。
――全然寂しくない、って言ったら嘘だけど。
また、髪を撫でてくれるヤマメの手。彼女の張る蜘蛛の糸に捕らえられて、離れられない自分。ぐるぐる巻きにされてしまっているのだ、ヤマメが好きだという気持ちの糸に。
――ヤマメちゃんが、わたしを好きでいてくれるから、だいじょうぶ。
それは疑る余地の無いことだから。目を細めたキスメに、ヤマメは照れくさそうに笑った。
――それに、ね。
「ん?」
――出掛けたヤマメちゃんの帰りを、ヤマメちゃんの家で待ってるとね。
「うん」
――なんだか、ヤマメちゃんのお嫁さんになった気分で、幸せだよ。
なんてことを囁いてみると、ヤマメはてきめん、真っ赤になった。
それから、「……ばーか」と視線を逸らしながら、指先でキスメの額を小突く。
「私だって女の子なんだけど?」
――あ、いや、別にそういう意味じゃなくて。
「まあ、どっちでもいいけどね」
苦笑して、それからヤマメはキスメの手をきゅっと握った。
握り返したヤマメの手のひらは、柔らかくてすべすべして、少し冷たい。
「ていうか、さ」
――なに?
「私としては、とっくにそのつもりだったんだけど――」
――え?
「あ、いや、やっぱりなんでもない」
慌てたように視線を逸らして、ヤマメは大げさに咳払い。
キスメは目をしばたたかせながら、ヤマメの言葉をもう一度頭の中で繰り返して。
理解した瞬間、顔が今度こそ爆発したみたいに熱くなった。
――ヤマメちゃん。
「いやだから本当なんでもないから聞き流してってば!」
わたわたと声をあげるヤマメに、キスメは噴き出すように笑って。
――この場合、どっちがお嫁さんなのかな?
「うー、あー……キスメの方が似合うと思うよ」
ぎゅっとまた抱きしめてくれる腕の温もりに、幸せを噛み締めながら。
――ヤマメちゃんだって、きっと似合うと思うな。
「でも、結局はさ。……キスメがうちに来てるんだから、キスメのがお嫁さんでしょ」
――じゃあ、これからヤマメちゃんのこと、「あなた」とか呼んだ方がいいのかな。
「ばーか。今まで通りでいいってば」
――うん、ヤマメちゃん。
触れ合いながら囁き合う言葉のひとつひとつが、口にするたびに幸福な甘さを広げて。
それを噛み締めるようにして、ふたりは何度も言葉を交わし合った。
そうしているだけで、ただずっと幸せでいられたから。
◇
けれど、それが幸福過ぎるということが。
ヤマメがどこまでも際限なく自分を求めてくれて、
自分もどうしようもなくヤマメを求めている、ということが。
――小さな小さな、目に見えないほどの棘を、キスメのどこかに刺していた。
キスメ自身も気付かないほどに小さな、棘を。
◇
家でずっとごろごろしているだけでも、お腹は空く。生理現象には抗えない。
別に食べなくても死にはしないのだが、いい雰囲気のところにお腹が鳴っては台無しだ。何か食べようかと思ったのだが、少々食べ物の備蓄も心許なくなっていた。
そんなわけで、買い出しも兼ねて、ふたりは旧地獄街道に足を運んでいた。
あちこちから今も復旧作業の音が響く旧地獄街道は、また活気に満ちていた。工事の様子がなければ、あんな騒乱があった後だとは思えない程に。
――なんだか、今までと変わらないね。
「そうだね。何だかんで、みんなあれでストレス発散できたのかも」
ヤマメは苦笑しながら、ぐるりと旧地獄街道を見渡す。その腕に桶ごと抱えられたキスメも、その景色に目を細めた。
広い場所、喧噪はやっぱり今でもあまり、得意ではないけれど。
ヤマメの鼓動を近くに感じていれば、心は落ち着いて、平気なのだ。
「まーでも、上の方はやっぱり色々揉めてるみたいだけどね」
――勇儀さんが、いなくなったから?
「結局、何でも最終決定は姐さん任せにしてたらしいからねえ。今はとりあえず復旧作業にみんな集中してるけど、それが落ち着いたらどうなるやら――」
ああ、止め止め。こんな話してもしょーがない、とヤマメは首を振った。
キスメは目を細めて思い出す。――それは前日、自分が会ったあの鬼のこと。
数日前の騒乱の中で、「旧都を棄てる」と言い切った鬼、星熊勇儀。
キスメは彼女と会って、そして言葉を交わした。旧都の支配者であった鬼に、今にして思えば随分と生意気な口をきいたものだと自分でも思う。
けれど、たぶん自分の言ったことは間違っていなかったと思うのだ。
なぜなら、言葉を交わした後に、立ち上がった勇儀の表情が、
それまでの曇りをぬぐい去った、晴れやかな笑みに変わっていたから。
『行ってくるよ。――パルスィを、私の好きな旧都で幸せにするために』
勇儀はそう言った。確かにそう言ったのを、キスメはこの耳ではっきり聞いた。
今のこの旧都は、勇儀の好きな旧都だろうか?
そうだとしたら、勇儀はきっと――。
「っと、それで、どこで何食べる?」
――わたしは、なんでもいいよ。
「んー、じゃあ旦那のところの蕎麦にしよっか。やってるかな、旦那の屋台」
そんなことを言って、ヤマメはきょろきょろと辺りに視線を彷徨わせて、
不意に、その視線の先にざわめきが起こった。
旧地獄街道を歩く妖怪たちが、足を止める。喧嘩だろうか、しかしそれらしき物音は聞こえない。ただあるのは妖怪たちのざわめきだけだ。
「なんだろ?」
――行ってみる?
「そだね。誰か何かやらかしたのかな?」
キスメを抱えたまま、ヤマメはふわりと浮き上がった。足を止めた妖怪たちの間に割って入るよりは、飛んだ方が早い。
妖怪たちの群衆を上から見下ろすと、その中心にひとつの影があるのが見えた。
長身の腰まで伸びるくすんだ金髪と、その額に屹立する赤い角。
それが誰であるのかを認識して、キスメは息を飲み、ヤマメは僅かに眉を寄せた。
その影――星熊勇儀は決然と前を向いて歩く。堂々と、臆することなく。
「姐さん、どうしてここに――」
群衆の中から、勇儀の前に歩み出たのは、近くの工事を指揮していた土蜘蛛の長だった。
馴染みの相手に勇儀は僅かに相好を崩し、それから誰も予想しない動作に出た。
「皆に、伝えたいことがある。――すまなかった」
怪力無双の鬼が、地底の統率者たる星熊勇儀が――頭を下げたのだ。
群衆がどよめく。勇儀は顔を上げ、言葉を続ける。
「謝らなければいけないことはたくさんある。私のやってきたことへの不満を、皆に溜め込ませてしまったこと。その上で私が色々なことを放り出したおかげで、この旧都に無用の混乱を呼び起こしてしまったこと。――そして、一時の激情に任せて感情的な発言をしてしまったこと。全て、私が至らなかったせいだ。本当にすまなかった」
再び深く頭を下げた勇儀に、誰もが顔を見合わせた。
勇儀への不満と、その不在への不安を抱えていた誰もがしかし、鬼にここまで真正面から謝られるとは全く想定していなかったのだろう。
そのどよめきが静まるのを待って、勇儀は再び口を開く。
「あんなことを言い捨てておいて、今さらのこのこ何をしに来たのだ、と言われても仕方ないことは解っている。――ただ、それでも。私自身がそれで嘘つきになるのだとしても、この場で謝っておきたかった。――私は、この旧都が好きだから」
誰も答える言葉を持たなかった。
鬼が嘘を誰よりも嫌うことは、この場の誰もが知っている。
その勇儀がこう言ったのだ。――嘘つきになってもいい、と。
そこにどんな葛藤があったのかなど、誰にも計り知れはしない。
勇儀が顔を上げる。誰もがざわめくばかりで、明確な言葉を返すことはできない。
「もしも――こんな私を、皆が許してくれるなら」
旧地獄街道をぐるりと見回して、勇儀は目を細めた。
「私は、ここに戻ってきてもいいだろうか。この――旧都に」
沈黙が落ちた。誰もが、勇儀の意図を計りかねていた。
キスメも――その傍らに、あるべき橋姫の姿が無いことを訝しむ。
まさか、勇儀が橋姫を棄てて旧都に戻ってきたはずもない――。
「……それは、姐さんの自由だが、ね」
口を開いたのは土蜘蛛の長だ。勇儀とは旧知の彼は、しかし眉を寄せながら問いかける。
「橋姫は――どうするんだい?」
そう、そのことが旧都と星熊勇儀を相容れなくした最大の問題。
旧都を追われた橋姫に、星熊勇儀が惚れ込んでしまった――それが全ての発端だったのだ。
そして今、勇儀の傍らに橋姫の姿はない。
だが、勇儀が橋姫を棄てたとは誰も思わない。だとしたら――。
「……私自身は、パルスィが皆の中で暮らしていける旧都であればいい、と願っている。この旧都は、地底を追われた誰にとっても楽園であればいいと」
勇儀ははっきりと、言葉を続けた。
「ただ、それを受け入れるかは、パルスィと――皆の問題だ」
群衆がどよめいた。
「しかしね、姐さん。橋姫の力は――」
「パルスィの力が無差別に影響を与えてしまう理由は、だいたい見当はついている。きっと、それはどうにか出来るはずなんだ。お前さんたち土蜘蛛だって、誰も彼も疫病に冒すわけじゃないだろう」
訝しむように顔を見合わせる群衆をもう一度見渡して、勇儀は言った。
「同情しろと言ってるわけじゃない。ただ、同じ地上を追われた者同士だ。いがみ合うより、一緒に楽しく酒でも呑んでいた方が、楽しいだろう? ――私は、この旧都はそういう場所であってほしいと思うんだよ」
それはいかにも鬼らしい言い分で、どこからか小さく笑いが漏れる。
勇儀自身も笑みを浮かべて、そして声をあげた。
「私はもう旧都の統率者ではない。地底に暮らすただの一妖怪だ。――そして、私には妻がいる。橋姫の水橋パルスィという、私の最愛の相手だ」
妻って、とヤマメが呻くように言い、キスメは小さく笑みを漏らした。
そこにいるのは確かに、あのとき笑ってみせた勇儀だと、キスメは思うのだ。
「私は、出来うるなら妻とともに、この旧都で暮らしたいと思う。すぐにとは言わない。ただ、地底の一妖怪として、この旧都という楽園に居場所を求めたい。――認めてもらえるだろうか」
答えられる者などいるはずなかった。
星熊勇儀が旧都に戻ることに、否と言える者などいないだろう。
その力に抗える者など、結局は存在しないのだから。
けれど、今の勇儀の言葉は、そんな力をよりどころとする言葉ではなく。
ただ真摯に――居場所を求める一妖怪としての、願いだった。
「……いつか、鬼が定めた旧都のルールにこうある。《来る者は拒まず、去る者は追わず》」
土蜘蛛の長は、ゆっくりと首を振って、言葉を返す。
「そのルールに従うなら、姐さん――貴方を拒む理由は、私らには無いさ」
勇儀の顔がほころんだ。「しかし」と土蜘蛛の長は表情を険しくする。
「橋姫に関しては、今すぐには保証は出来ない。その安全に関しては。姐さんも、橋姫に対して遺恨のある者を押さえつけ従わせたいわけじゃあ……ないんだろう?」
「ああ。――私はただ、受け入れてほしいんだ」
「それが為せる保証は今はない。――それでもいいなら、姐さんが旧都のどこかに橋姫と居を構えるのを拒むことは、私らには出来ないさ」
そして土蜘蛛の長は、肩を竦めて苦笑した。
勇儀は――深々ともう一度頭を下げて、「ありがとう」と言った。
それを見下ろして、ヤマメは深く息を吐き出し、キスメはそれを振り返る。
――ヤマメちゃん。
「ん……ああ、ごめんキスメ。私、変な顔してた?」
首を振って、キスメはそれから目を細める。――ヤマメがあの橋姫をよく思っていないことは解っている。キスメ自身は、橋姫とはほとんど顔も合わせていないので、彼女については何とも言い難いのだけれども。
受け入れて欲しい、と勇儀は言った。
他者への拒絶は、自分への拒絶として跳ね返ってくるのだ――。
そのことは、キスメ自身も解っている。怯えという拒絶を外の世界に向けていた自分は、井戸の中の暗闇にしか居場所が無かったのだから。
そんな自分を、外に連れ出してくれたのはヤマメだった。
ならばきっと――橋姫も。
「それじゃあ、今日のところはこれで退散するよ――」
勇儀の声が聞こえ、キスメは視線を下ろした。勇儀が視線を上げていた。
目が合った。
勇儀が一度、こちらに小さく手招きして、それから背を向けて歩き出す。
キスメはヤマメと顔を見合わせた。――どうしよう? キスメの問いに、ヤマメは首を傾げて、それから小さく苦笑した。
「私は、姐さんとはちょっと顔合わせづらいから、キスメ行ってきなよ」
姐さんはきっとキスメを呼んだんだと思うよ。ヤマメはそう言った。
キスメは少し躊躇して、すぐ戻るね、と言い残して、遠ざかる勇儀の背中を追った。
「ああ――キスメだけかい。ヤマメは……まあ、仕方ないか。昨日の今日だしね」
旧都の入り口のところで追いついたキスメに振り返って、勇儀は苦笑した。
昨日、ヤマメと勇儀とパルスィの間で何があったのか、具体的な話はキスメは聞いていない。けれど、仲の良かったヤマメと勇儀の間がぎこちなくなっているのを見るのは、やはり少し哀しかった。
――ええと、やっぱり私たちを呼んでたんですか……?
「ああ、ちょっとお願いしたいことがあるんだよ」
軽く頭を掻いて、そして勇儀はどこか苦笑混じりにキスメを見下ろして。
「キスメ。――お前さん、パルスィの友達になっちゃくれないかい?」
その言葉に、キスメはただ目をしばたたかせた。
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