ゆう×ぱる! 27 / 「星熊勇儀の虚言」
2009.10.22 Thursday | category:東方SS(勇儀×パルスィ)
嘘をつく、という行為。
なぜ人間や妖怪が嘘をつくかといえば、それにより利するものがあるからだ。
あるいは、それによって利があると思いこんでいるから、とも言える。
騙し、欺き、謀って、人間は他者を貶め、畏れたものを討ち、脆弱な身を守っていた。
その弱さに大らかでいられるには、きっと鬼は人間に近すぎたのだろう。
鬼は、嘘をつかない。
そういう生き物だから、と言えばそれまでだが、つまるところは。
嘘によって得られる利など、所詮はその場限りの泡沫でしかないからだ。
因果は巡り、虚言はいずれ己の身に跳ね返る。
ひとつの嘘は、その綻びを糊塗するためにさらなる嘘を生み、いずれ破綻する。
そんなことは、人間だって解っているだろうに、なぜそれでも人は嘘をつくのか。
鬼にはやはり、その心根は理解しがたかったのだ。
また人は、約定を容易く反故とする。
それもまた、鬼には理解しがたい心根だった。
一度口にした言葉に、決定した事項に、どうしてそこまで無責任になれるのか。
それによって失われるものに、どうしてそこまで無頓着になれるのか。
失ったものを取り戻すことなど、それを最初に得るより遥かに難しいというのに。
なぜ、嘘をつく?
なぜ、騙し、欺き、謀ろうとする?
何のために。誰のために。
それでいったい、何を得ようというのか。
鬼には、どうしてもそんな弱さが、理解しがたかったのだ。
◇
どこにも、行くあてなど思い当たらなかった。
橋の上にいても、愛した橋姫はそこにはいない。
かといって、旧都を棄てた自分は、旧都の家にも戻れはしない。
――それは即ち、この地底に、自分の居場所が無いということだ。
「はは……お笑いぐさだね、全く」
目元を覆い、旧都の闇を振り仰ぎながら、勇儀は自嘲するように呟く。
その声も、地底の闇に吸い込まれ、どこにも届くことなく消えていった。
「私は――何をやってるんだろうね」
首を振り、足元を見下ろし、そして奥歯を噛み締めた。
一体、何が間違いだったというのだろう。
パルスィと出会ってしまったことか。あの緑の瞳に心奪われたことか。
彼女の元に通い詰め、心を通わせたことが。水橋パルスィを愛したことが。
――それが、全ての始まりで、どうしようもない過ちだったと。そう言うのか。
「パルスィ――」
呼びかけても、彼女の不機嫌そうな声は答えてはくれない。
地底の闇の中に掻き消えた背中は、今の勇儀には見つけられない。
叫びだしたいのを堪えるように、杯に酒を注いで飲み干した。
好物のはずの酒が、今は何の味もしない。ただアルコールの匂いだけがつんと鼻の奥に抜けて、勇儀は顔をしかめた。
空になった杯に、それでもまた酒を注ぐ。
水面に映る自分の顔は、揺れて滲んで、ぼやけて見えない。
――最低な顔をしているのだろう、と勇儀は思う。
「最低なのは……私だ」
自虐など、鬼には最も似つかわしくない心持ちだったはずなのに。
今の勇儀は、その心持ちがひりつくように胸の奥で疼いて、どうしようもなかった。
――そう、結局のところ、全ての原因は自分でしかないのだ。
旧都の統率という役目を担っていながら、パルスィのためにそれを振り捨て。
自分の不在で混乱に陥った旧都から、その責任を周囲に押しつけるように去り。
だというのに、パルスィの求めるものすらも、満足に与えることが出来ずに。
走り去ったパルスィの背中を、追いかけることさえも出来ないまま。
全ては、己に対する慢心と甘えが生んだもの。
傲慢で傍若無人で無神経、とパルスィは言った。全く、その通りだ。
――だが、それを知った今、自分に何が出来る?
旧都は棄てた。そしてパルスィは、見つからない。
パルスィを見つけたとして――今の自分が何を、彼女に言える。
あのヤマメの言葉を、満足に遮ることも出来なかった自分が。
パルスィを傷つける言葉から、彼女を守ってやれなかった自分が――。
「ああ……畜生ッ」
岩肌を殴りつけようとした拳を、寸前で止める。
無闇に力をこの地底の岩壁に振るえば、壁が崩れかねない――そんな冷静な思考を頭のどこかに浮かべている自分に、また勇儀は自嘲した。
何をすればいい。
これから自分は――何のために、誰のために。
「地上にでも、行くかね――」
目を細めて、勇儀は呟いた。
萃香のように、この暗い地底を離れて、光の射す地上に戻るか。
また、かつて地上を去ったときのように、何もかも棄てて――。
――勇儀。
パルスィの顔が、脳裏に浮かんだ。
抱きしめてやりたかった。その細い身体を。華奢な手足を、強く強く。
この力で精一杯に、守ってやりたかったのに――。
いつだって、求めたものは自分の腕の中をすり抜けていって。
結局は何ひとつ、手に入れることなど出来やしないのだ――。
――勇儀さん。
また、声が聞こえた。パルスィの囁きの幻聴に、勇儀はゆるゆると首を振る。
――勇儀さん……あの。
だけれど、それは何かが違った。パルスィは自分を、さん付けでは呼ばない。
勇儀さん、と自分を呼ぶのは――。
「…………キスメ?」
ゆっくりと振り向いた、その視線の先。
心配げに目を細めて、その釣瓶落としの少女は、勇儀の顔を見上げていた。
◇
「お前さん、ヤマメのところに居なくていいのかい?」
その場の岩壁に寄りかかるように、地肌に腰を下ろして、勇儀はキスメに問うた。
――ヤマメちゃんに、言われたの。
キスメは思案げにひとつ首を振って、それから答える。
――勇儀さんの様子を見てて、って。
「ヤマメに? ……そうかい」
あの後。パルスィが走り去り、それを追うことも出来ず立ちつくした勇儀の元から、ヤマメはいつの間にか姿を消していた。あの場に居続けても、どうしようもないのは確かだった。
――それから、勇儀さんに……ごめんなさい、って。
「……ヤマメが、謝ることじゃない。そう伝えておいておくれよ」
キスメの言葉に目を細めて、勇儀は吐き出すように呟く。
パルスィが居なくなった、その引き金は確かにヤマメだ。だがそれは結局、遅かれ早かれ崩れていたものが、少しばかり早まったというだけのことでしかなかった。
旧都を棄てたことに、自分が忸怩たるものを抱えていたのも。
その内心を、パルスィが悟っていたことも、全て事実でしかなく。
ただ、あの橋の上でパルスィと言葉を交わしていた頃のように、まっすぐにパルスィを見られなくなっていたから――きっといずれ、全ては瓦解していたのだ。
ああ、だとすれば。
嘘をつかない、鬼の星熊勇儀は。
とっくの昔に、大嘘つきになってしまっていたのだ。
パルスィが望むなら、全てを棄てると、そう言っておいて。
結局自分は、自分の作った旧都を棄てきることが出来なかったのだから。
嘘つきな鬼には――今のような惨めな姿は、お似合いなのだろう。
「……なあ、キスメ」
顔を覆いながら、勇儀は吐き出すように口にする。
「お前さん、ヤマメといて、幸せかい?」
勇儀の問いに、キスメは目をしばたたかせて、それから躊躇いがちに、小さく頷いた。
その仕草に、胸の奥が疼くのを、勇儀は感じる。
ああ――そうか。これが、嫉妬か。
自分が失ったもの。手に入れられなかったものを、誰かが持っている。
どうしようもないはずのことに対する、制御のできない感情――。
「羨ましいね……本当に」
そう呟いて、勇儀は顔を伏せた。
幸せになりたかったはずなのだ。パルスィも、自分も、きっと。
何が幸せだったのかが、解らなくなってしまっただけで。
――勇儀さんは……本当にもう、旧都には戻らないの?
ふと、キスメがそう問いかける。
「……棄てるって、そう言っちまったからね。今さら、戻れやしないさ」
答える言葉は、それしか思いつかなかった。
今さら自分が旧都にのこのこ顔を出して、何が出来るというのだろう。
旧都での信も、愛したものさえも、満足に守ることの出来ないこの自分が。
――嘘を、つけないから……?
「ああ。……鬼は、嘘をつかないんだ」
星熊勇儀は、旧都を棄てる。そう言い切ってしまったから。
もう自分は、旧都には戻れないのだ。
「キスメ。……お前さんは、ヤマメと幸せにおなりよ」
自分のような情けないことには、ならないで欲しいと思った。
せめてこの、土蜘蛛と釣瓶落としの友人たちには――幸せで居て欲しかった。
そう思うけれど、やはりずきりと、胸の奥が痛むのだ。
パルスィの顔が伏せた瞼に浮かんで、心が軋むのだ――。
――勇儀、さん。
不意に、ぎゅっとその小さな手を握りしめて、キスメが顔を上げた。
――私が、勇儀さんにこんなこと、言っていいのか、わからない、けど。
地底の風の音にもかき消されそうな、小さなキスメの声。
だけどの声は、ひどくはっきりと――勇儀の耳に、届いた。
――勇儀さんは、嘘をついたって、いいんだと、思うの。
「…………なんだって?」
全く予想だにしない言葉に、勇儀は眉を寄せる。
――あの、その。……ええと。
その表情に剣呑さを見て取ったのか、キスメが身を縮こまらせた。
繕うように力なく苦笑して、「いい、続けなよ」と勇儀は促す。
――……嘘をつくのは、確かにいけないことかもしれないけど。
訥々と、キスメは言葉を選ぶように、ゆっくりと続ける。
――誰も不幸にしない嘘は、……そんなに、いけないこと、なのかな。
「誰も、不幸にしない嘘……だって?」
――勇儀さんがっ。
ぐっと顔を上げ、それからゆるゆると首を振って、キスメは言葉を続けた。
――勇儀さんが、旧都に戻ってきてくれたら、きっとみんな、喜ぶと、思うから。
「今さら――私に何が出来るっていうんだい」
自嘲するように目を細めた勇儀に、ふるふるとキスメは首を振る。
――出来ると思うの。勇儀さんなら。……出来ないはずがない、と思う。だって、今まで旧都をまとめてきたのは、勇儀さんなんだから。……今でも、それは変わらないと思うの。
「私がまとめてきた、その結果が、あの騒乱だったんだよ? それでも――」
――それでも。ううん、だからこそ、勇儀さんは旧都に必要なんだと、思う。
微かだけれどもはっきりとした言葉を、キスメは勇儀の瞳を見つめて続けた。
――あの騒ぎを止められたのは、勇儀さんだけだったから。だから……。
勇儀はただ沈黙して、その言葉を受け止めて。
――勇儀さんが今、旧都に戻ったら、勇儀さんは嘘つきになっちゃうのかもしれないけど。
そしてキスメは、言い切った。
――その嘘は、旧都に必要な嘘だから。……誰かを幸せにできる嘘は、私は、いいと思うの。
「…………ッ」
息を飲んで、勇儀は天を仰いだ。
ただそこには、仄暗い闇と岩盤があるだけだったけれど。
「……誰かを幸せにできる嘘、だって?」
呻くように呟いて、ああ、と勇儀は息を吐き出した。
ああ――鬼は、嘘をつかない生き物だ。
嘘は、嘘で塗り固められて、疑念と不信しか生まないから、鬼は嘘を忌み嫌った。
本当か? 本当にそうなのか?
嘘をつかない。約定を違えない。己の言葉に背かない。
それは当たり前の、かくあるべきことだけれど。
それでも、――それだけでは為し得ないことが、あるとすれば。
己の言葉に背いてでも、為すべきことがあるのだとすれば。
嘘をつかないという意志で、それを為さぬのは――果たして、正しいことなのか。
「私、は――」
パルスィに誓った。パルスィが望むなら、全てを棄てると。
だけれど自分は、結局旧都を棄てきれなかった。
とっくの昔に、自分は嘘つきになってしまっていたのだ。
ならば――ならば、せめて。
「嘘を嘘と責めるだけなら、誰にでも出来る――か」
ゆっくりと、勇儀は立ち上がった。
「嘘をついてしまったのだとしても、その嘘で、誰かを幸せにする術があるなら――嘘を責めるだけよりは、よっぽど建設的だ」
首を振る。ひりつくような胸の奥の疼きは消えていた。
結局、ただ自分は怖かっただけなのかもしれない。嘘つき、となじられることが。
全く情けない、どうしようもなく傲慢で愚かな鬼。
だけれども――この身に為せることが、あるのだとすれば。
それを為さずに逃げることこそ、最もつくべきでない嘘に決まっている。
「キスメ」
足元の釣瓶落としを見下ろして、勇儀は微笑んだ。
今度はちゃんと、自虐的でない笑みを浮かべられたはずだった。
「ありがとう。――私は、私にしか出来ないことを、するべきなんだね」
杯を持ち上げ、酒を注いだ。そして、ぐっと一気に飲み干した。
喉を灼くアルコールの熱が、今は心地よかった。
鬼に為せること。この力で為すべきこと。――自分が為したいと思うこと。
悩んでいる暇があれば動け。その力を振るって、己が意志を通せ。
それが鬼の生き様。星熊勇儀の、生き方だ。
――勇儀さん。
「行ってくるよ。――パルスィを、私の好きな旧都で幸せにするために」
その言葉に、キスメはその目をまん丸に見開いて。
そして、笑顔で頷いた。
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