ゆう×ぱる! 26 / 「水橋パルスィの意識」
2009.10.19 Monday | category:東方SS(勇儀×パルスィ)
走っている。
ひとり、パルスィはあてもなく走り続けている。
何のために走っているのか。息を切らせて、よろめきながら、何のために、どこへ向かって。
――それは、逃げるためだ。
何から逃げる? 自分は一体、何に追われている?
それは声だ。無数の声だ。
自分を忌み嫌い、責め立てる声だ――。
「はぁ、っ、はぁっ――ぁっ」
恐ろしい緑の眼。嫉妬の塊。人の心を醜く歪ませる狂気の怪物。
皆がそう言い、自分を排除しようと追い立てる。心の安寧を保つために。
違う。自分はそんなものじゃない。そんなものになりたかったのではない。
自分はただ、ただ――。
「なんで――どう、して……っ」
妬ましい。ああ、妬ましい。
幸せそうな者が妬ましい。成功した者が妬ましい。
お伽話で幸福になる主人公の影では、常に誰かが虐げられているのに、誰もそれらに目を向けたりはしない。花咲爺の隣人夫婦も、舌切り雀の欲張りなお婆さんも、自業自得と罵られ嘲られるだけだ。
妬ましい。何もかも、妬ましい。
欲をはるのはそれほどの悪か。他人の手にしているものを自分も手にしたいと願うのはそれほどの罪か。ただ――誰も、幸福が欲しかっただけではないか。
「ゆう、ぎ……っ」
間違っている、と皆が言う。
それは間違っている。間違っているものは報われない。それが摂理だと言う。
罪を犯せば、欲を張れば、それは間違いだから報われない。
当たり前のように、そう語る。したり顔で糾弾する。
「……ゆう、ぎぃ……」
何が正しいというのか。
誰が、それを間違いだと言い切れるというのか。
――ただ、自分は、好きになった相手にそばにいてほしかっただけなのに。
ずっとずっと、離さないでいてほしかった。
自分以外の誰も、何もいらないと言ってほしかった。
ただ自分のためだけに生きると言ってほしかった。
離れないで、離さないで、永遠にふたりきりでいたかった。
それだけなのに――誰もがそれを、間違いだという。
「どう、して……っ」
――誰のことも信じないのに、自分のことだけは信じてほしいなんて、そんな傲慢には、誰も付き合いきれないだけだよ。
あの土蜘蛛は、自分の頬を張って、そう言った。
違う。違う。違う。
信じたいのだ。自分だって愛した相手を信じて、幸せになりたいのだ。
だから――信じさせてほしいだけなのに。
勇儀が本当に、自分だけを愛してくれるのだと、信じさせてほしいだけなのに――。
「勇儀ぃ……っ」
それなのに、それなのに。
――どうして、勇儀は自分を、追いかけてきてくれない?
自分がどれだけ全力で走っても、きっと鬼にはすぐ追いつかれるはずなのに。
いつまで経っても、どれだけ走っても、背後に足音は聞こえない。
あの下駄が響かせる甲高い音は、パルスィの耳には届かない。
勇儀は――自分を、追いかけてきてはくれない。
「嘘つき……っ」
離さないと言ったのに。ずっとそばにいると言ったのに。
どうして追いかけてくれないの。どうして捕まえて抱きしめてくれないの。
どうして、どうして、どうして――。
「……ぅぁ、ぁっ――」
勇儀ですらも、間違いだと言うのか。
自分のこんな愛は、疎ましいと、歪だと、間違いだと言うのか。
ずっとずっと、たったひとりだけを見つめて、そのひとりだけのために生きる。
ただそれだけの気持ちを求めているだけなのに――間違いだと、そう言うのか。
勇儀でも。勇儀ですらも――。
「嘘つき、大嫌いっ――」
幸せになりたかっただけなのに。
ただ、勇儀を好きでいたかっただけなのに。
それが間違いなら――自分は、自分はいったい、どうすればいいのだ。
愛した人が自分以外を見て、自分以外に笑って、自分の居ない時間に幸福を得る、そんなことを当たり前と受け入れて、妬む心に目を背けて、妥協して生きていければ、幸せなのか?
そんなのが幸せだなんて――そっちが、間違いのはずなのに。
誰も認めてくれない。
誰も受け入れてくれない。
誰も――自分を幸せに、してくれない。
「ぁッ――」
足がもつれて、パルスィはその場に転んだ。砂利に肌が擦れで痛みが走り、その痛みに泣き出しそうになるのを、歯を食いしばって堪えて、
――顔をあげて、そしてパルスィは、それに気付いた。
ここがどこなのかはもう定かでなかった。旧都から遠く離れた地底のどこか、入り組んだ洞穴の奥。仄暗い闇と湿った空気が満ちる、誰も居ないその場所に。
誰かの居る、気配があった。
それはあまりにも朧な、誰にも気付かれないほどに微かな気配。
存在自体が不確かな、まるで無意識のように認識を避ける存在。
――だが、パルスィには解る。
その無意識の存在が抱えた、嫉妬の心の気配が感じられるから。
「……だれ?」
身体を起こして、パルスィはその気配に声を掛けた。
気配は振り返らない。自分が気付かれているとは思っていないのかもしれない。
「あなたは――」
パルスィは、その気配に手を伸ばした。
どうして、その無意識の存在に声をかけようなどと思ったのだろう。
ただ――すがるものが欲しかったのだろうか。
「……?」
気配は、その声が自分へ向けられたものだとようやく悟ったか、ゆっくりと振り向いた。
姿も判然としないその気配が、パルスィを認識してか、少しずつ輪郭を取り戻す。
それは少女の姿をしていた。目深に被った黒い帽子に隠した顔、幼い体躯を包むようにまとわりつく神経の糸――そして、胸元で閉ざされた、象られた瞳。
「……私が見えるの?」
少女は帽子を持ち上げると、どこか不思議そうにパルスィを見つめた。
白色の髪が、地底の湿った風にふわりとなびいて揺れた。
◇
私に気付く人なんて久しぶり、とひどく薄く笑って少女は言った。
その姿はまるで蜃気楼のように曖昧で、朧に霞んだ不定形。ただ、その中心にある微弱な嫉妬の気配が、パルスィに少女の存在を認識させていた。
姿が曖昧なせいなのか、少女の顔には表情というものも希薄だった。
ただぼんやりと、無意識のようにそこに佇む少女。
その瞳はパルスィを見上げているようで、しかしどこも見ていない。
「……妬ましい、わ」
そんな少女の姿に、パルスィはまた胸の奥が刺すように疼くのを感じた。
こんな風に、朧な姿になって、誰にも気付かれずにいられれば。
あるいは自分は、誰からも嫌われずに済んだのだろうか――。
この緑の眼で忌み嫌われることもなく、ただ静かに、そこに居ることが出来たのだろうか。
「妬ましい? ……私が?」
少女はまた不思議そうに小さく首を傾げて、胸元の閉じた瞳を指先で撫でた。
「変なひと」
微笑か、苦笑か、嘲笑か。それずらも判然としない、あまりにも曖昧模糊とした笑み。
「私は、ただの嫌われ者なのにね」
その言葉は自嘲ではなく、ただの事実を述べるように淡々としていた。
――自分だってそうだ。パルスィはぎゅっと胸の前で拳を握る。
ただの嫌われ者。誰からも好かれない緑の眼。独りぼっちの怪物。
愛している、と言ってくれたひとさえも、自分を否定するならば。
目の前のこの少女のように、曖昧な存在になって消えてしまいたかった。
そうすればきっと――こんな軋むような気持ちに、振り回されることも無い。
そして自分は、また独りで、ずっと独りきりで――。
『パルスィ』
勇儀の顔が、脳裏に瞬いた。
脳天気な赤ら顔が、豪放磊落な笑顔が、瞼の裏にフラッシュバックした。
――勇儀。星熊、勇儀。
ゆるゆると首を振って、けれどパルスィはどうしようもなく、その場にしゃがみこむ。
勇儀が好きだ。勇儀のそばにいたい。勇儀に、ずっとそばにいてほしい。
その想いだけが、今も鎖のように重く重く、足に絡みついて。
――好きになんてならなければ、良かったのだろうか。
そうすれば、こんな痛みを抱えることもなくて、ただ静かに生きていられたのか――。
「あなたも、嫌われ者?」
不意に少女が、しゃがみこんだパルスィを見下ろして呟いた。
「……嫌われるのって、哀しいよね」
顔を上げたパルスィに、少女は平板な声のままで語りかける。
「誰にも嫌われない方法、教えてあげようか?」
閉ざされた胸元の瞳を、どこか愛おしむように撫でて。
少女はゆらりとした足取りで、パルスィに数歩、歩み寄る。
「簡単だよ。嫌われない方法は、すごく簡単なこと――」
その手が、朧な細い指が、パルスィの顔に伸ばされた。
「目を、閉ざしてしまえばいいの」
「……目?」
「そう、何も見なければいいの。何も見ないで、何も感じないで、何も求めないで――じっとしていればいいの。そうすれば、誰にも嫌われないよ」
少女は笑った。貼り付けたような、ひどく機械的な笑みだった。
笑う、という仕草を忘れてしまったのを、無理に再現しようとしているような。
どんな感情も伴わない、ただの笑顔。
「ほら――目を閉じて」
パルスィの緑の眼に、その指先が伸ばされる。
ただじっと、パルスィはその爪の先を見つめていた。
――何も見ず、何も感じず、何も求めず。
ああ、確かにそう在れば、誰にも嫌われないで居られるだろう。
だけど、だけどそれは、まるで――。
「……どう、して」
パルスィが絞り出した震える声に、少女は「うん?」と首を傾げた。
「私に気付いてくれたあなたへの、お礼だよ」
そこに喜びという感情があるのかも、パルスィには解らなかった。
「だから、ほら――」
そして少女の指先が、見開かれたパルスィの瞳に触れて、
「あなたの恋し心を、殺してしまおう――」
「……こいしっ」
声が、ふたりの間に割り込んだ。
びくりと少女が身を竦めて、パルスィの顔からその手を離した。
「……おねえ、ちゃん?」
ゆっくりと振り向いた少女が、その顔を僅かな驚愕に歪める。
それは、こいしと呼ばれたこの少女が見せた、初めての感情らしい感情だったかもしれない。
佇んでいたのは、見開かれた瞳を胸元に飾る少女。
「参ったなぁ……お姉ちゃんに見つかっちゃうなんて」
苦笑を形作ってみせるように、こいしは唇の端を僅かに吊り上げた。
「こいし――」
姉は、どんな言葉をかけるべきか迷うように、名前を呼んで手を伸ばして。
けれどこいしの姿は、それを拒絶するようにふっと薄く揺らいだ。
「またね、お姉ちゃん。ばいばい、嫌われ者の誰かさん」
そして、地底の薄闇の中に溶けるように、こいしの姿は掻き消えた。
いや、存在しなくなったわけではない。ただ、認識できなくなっただけだ。
その証拠に、パルスィには立ち去っていく嫉妬の心の気配が感じられた。その気配は、姉を前にして微かに強まってすらいたから。
けれど姉には、それは見えないのだろう。消えてしまった妹の姿に、ただ漫然と視線を彷徨わせて――そして、ため息をひとつ漏らす。
パルスィはただ、言葉を発することもなく、その様を見つめていて。
「――貴女は、橋姫の水橋パルスィですね?」
不意に、姉の方の少女がこちらに目を細めて言った。
眉を寄せたパルスィに、「申し遅れました。――地霊殿の主、古明地さとりと申します」と少女はどこか慇懃に一礼してみせる。
胸元に見開かれた第三の瞳が、ぎょろりとこちらの顔を覗きこんだ。
「……そう、星熊勇儀と離れて来たのですね」
さとりは目を細めてパルスィを見やる。その言葉に、パルスィはびくりと身を竦めた。
何故そんなことを、この目の前の少女が知っているのか。
――第三の瞳の視線が、ひどく居心地が悪い。
「戻る場所が無いのでしたら、こちらへどうぞ」
そんなパルスィの反応には構わずに、さとりは言葉を続ける。
「旧都にも、あの橋の上にも戻れないのでしょう?」
それは、行き場をなくした橋姫を労る言葉のはずなのに。
――その言葉がひどく冷たく聞こえて、パルスィは小さく身震いして。
「それとも、地底のどこにも行けないまま、独りで朽ちるのを待ち続けますか?」
細められたさとりの視線に、パルスィはどんな言葉を返すことも出来なかった。
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