ゆう×ぱる! 25 / 「星熊勇儀の煩悶」
2009.10.15 Thursday | category:東方SS(勇儀×パルスィ)
一時の激情に身を任せた言葉というものは、後になればなるほど重くのしかかる。
自分が理性的だ、などと思ったことはない。気ままに享楽に身を委ねてきたつもりだ。
それでも、後悔などという感情とは今まで無縁だった。
失ったもの、手に入れられなかったものはある。だがそれを悔いたところで所詮時間は不可逆なのであるから、悔いたところでそれを取り戻せるわけもない。
故に、鬼は悔やまない。
それが誰の選択によるものであれ。
約定を違えないということは、決断を悔やまないということだ。
だから――勇儀も、その決断を悔いるつもりは無かった。
いや、あるいは、己にそう言い聞かせたかったのかもしれない。
『私は、星熊勇儀は、この旧都を棄てる』
全ては、その一言によって定められてしまったのだから。
それはどうしようもないのだと、信じ込むしかなかったのだ。
◇
騒乱も、破壊も、暴力も、全てはこの橋の下にはあまりにも遠かった。
渡る者の途絶えた端は、旧都の混乱とはどこまでも無関係に、ただ静かにそこにある。
そして、その橋の下のあばら屋で。
仄暗い部屋の中、勇儀は杯を片手に、パルスィの寝顔を見下ろしていた。
「……ん、ぅ」
寝返りをうつパルスィの、散らばった金髪にそっと触れる。
その柔らかさは、ただ幸福の証でしかなかったはずだった。
水橋パルスィという橋姫の少女に、自分は心奪われて。そして彼女も自分を受け入れた。
求めた温もりが腕の中にあるという、至上の幸福がそこにあるはずだった。
「――パルスィ」
触れた髪の下、露わになる首もとに残るのは――勇儀のつけた痕。
貪るように、パルスィの白い肌に刻んだ赤い痕は、まるで自分が旧都に叩きつけた激情の名残のようで、勇儀は思わず視線を逸らした。
ぐっと杯をあおり、淀んだ空気の中に息を吐き出す。
――自分があのとき吐き捨てた言葉が、燻るように胸の奥をひりつかせていた。
あの場に居た全員に向けて、旧都を棄てる、と言い放った自分。
鬼は、己の決断を悔やむことはしない。激情に任せての言葉であったとはいっても、あのときはそれ以外の言葉など思い浮かぶはずもなかった。
無論、勇儀自身に責が無いわけではないにせよ――あの光景は、あまりにも見苦しかった。妖怪の本能といえば聞こえはいいが、結局は誰も彼も昏い感情を力に変えて他人にぶつけているだけだ。生存本能に基づかぬ暴力とは、所詮は憂さ晴らしに過ぎない。
自分が作ったのは、地上を追われた者たちの楽園だと思っていた。
そう、脳天気に信じていたのだ。
――けれど結局のところ、忌まれた者たちには忌まれるだけの理由がある。
あの狂乱は、つまるところはそういうことだ。
自分はただ、意図せず己の力でもって、旧都の醜さを取り繕っていたに過ぎない。
いつだってそうだ。
人間たちが、鬼を謀り討とうとしたように。
信じた者たちは、その裏側に隠した醜さを、不意に自分たちにぶつけてきて。
そんなことを何度も繰り返している自分も――愚かなのだろうか。
「……ゆうぎ」
囁くような声に、勇儀は振り返る。
身を起こしたパルスィが、毛布に素肌を隠して、こちらに目を細めていた。
その綺麗な緑の瞳を見つめ返して、勇儀は力なく笑った。
――この瞳が、他者を狂わせる?
その姿を見てしまった今となっては、信じないわけにはいかないけれど。
それでも、勇儀にはパルスィの緑の眼は、美しい宝石のようにしか映らないのに。
「ああ……すまない、起こしちまったかい」
勇儀の言葉に、パルスィはゆっくりとかぶりを振って。
不意に手を伸ばし、勇儀の首もとにぎゅっと強くしがみついた。
「……パルスィ?」
「勇儀……っ」
胸元に顔を埋めて、小さく震えるその細い背中を、勇儀はそっとさする。
――そうして触れてやることしか、自分には出来ないのだ。
「なんだい、怖い夢でも見たのかい?」
「……子供じゃないわよ。妬ましいわね」
「いいじゃないさ。――怖い夢を見たって、私がちゃんとすぐ近くにいてやるからさ」
髪を撫でる勇儀の手に、パルスィは言葉を噛み殺すように、その肩に額を押し当てた。
――旧都がこのか細い少女を拒絶し、傷つけるなら。
そんな場所に、もう自分が居られるはずもない。
それがどうしようもなく摂理なのだと、理性では解っていても。
「本当、に?」
「ああ。鬼は嘘をつかない」
「――本当に、あんたは、それで……いいの?」
パルスィの問いかけに、勇儀は虚を突かれて目を見開いた。
――妬ましいわ。いつものようにそう呟いて、パルスィは痛いほど強く勇儀の肩を握る。
「旧都に義理を立てに行って――あんな、喧嘩別れみたいに」
「お前さんが気にすることじゃあないよ、パルスィ」
「――私のせいだって、そう言いなさいよ」
パルスィが顔を上げた。――その綺麗な顔が、泣き出しそうに歪んでいた。
「私が、あんたの言うことを破ってあそこに行ったから、私のこの目が、あんたが落ち着かせようとしていた連中を殺気立たせたから――だからあんたは、」
「パルスィ!」
咄嗟に声を荒げていた。パルスィがびくりと身を竦める。
声が強すぎたことを自覚して、勇儀は努めて表情を和らげて――パルスィの頬に触れた。
「そんなことを言うもんじゃないさ。――寂しがり屋のお前さんを置いていった私が悪いんだから、パルスィ、お前さんは何も気にすることなんか、無いんだ」
その身体を強く抱きしめると、パルスィは微かに身じろぎして、吐息する。
――そうだ、パルスィは何も悪くないのだ。
嫉妬狂いの橋姫。その緑の瞳は他者の嫉妬の心を操り狂わせる。
そうなのだとしても、それは決してパルスィが望んだ結果ではない。
望んだ結果ならば、パルスィが旧都の光に妬ましいと言う理由が無いのだから。
「大丈夫だよ、パルスィ」
その細い身体の震えを止めてやりたくて、勇儀は精一杯に優しく囁く。
「何があろうと、私はお前さんの味方だ。必ずパルスィを守る。――鬼の、約束だ」
抱きしめた、愛する少女の身体。
その温もりに、どうして胸の奥がこんなに――軋むのだろう。
幸福なはずなのに、心の隅に何かが燻り続けるのだろう。
勇儀には、その答えなど解らなかった。
◇
『勇儀ってばさ――なんだってそんなにお節介焼きなのさ?』
いつだったか、杯を酌み交わしながら伊吹萃香がそんなことを言った。
『そうかい?』
きょとんと答えた自分に、萃香は『そうだよ』と仰々しく頷く。
『旧都の運営なんて、他の妖怪に任しておけばいいじゃん』
『そうは言ってもね。この旧都に皆を受け入れたのは私らだ。なら、そのまとめ役を私らがやるのが筋ってもんだろうさ』
『そりゃそうかもしんないけどさ。勇儀ってば生真面目だよね、ホント』
『そうでもないと思うけどねえ』
『大真面目だよ。全く、鬼らしくないったらありゃしない。もっと太平楽に、どーんと構えてりゃいいのにさ。何かあったらぶっ飛ばす、それでいいじゃん』
『全く、萃香らしい言いぐさだね』
苦笑し合い、自分と萃香は杯を交わす。
『けどさ、勇儀』
と、不意に萃香がその酔った目を細めて、勇儀を見上げた。
『――深入りしすぎたって、いいことなんかありゃしないよ?』
その声は、幼い少女らしいキーの高い声ではなく、低く這うような鬼の声音だった。
勇儀は僅かに顔をしかめて、酒で満たされた杯をぐっと干す。
同じ鬼同士、その言葉の所以など解りきっている。
かつて地上で、人間たちにそうした記憶は、萃香にも勇儀にも残っている。
――その結果が、こうして地底にいるという現実だったのだから尚更だ。
勇儀は答えず、ただ杯に映る己の顔を見下ろした。
ああ――結局のところ、萃香の言うことは的を射ていたのだ。
旧都に深入りして、結局自分は望まずとも、旧都にとって大きな存在になりすぎた。
その結果が、旧都のあの混乱なのだとしたら。
――究極的には、旧都を滅ぼすのは、星熊勇儀なのかもしれない。
そして、勇儀は思う。
深入りしすぎたって、いいことなどない。萃香はそう言った。
かつて人の純朴な営みに触れ、そして人の醜さを知ったように。
深く何かを知るということは、そのものが美しいばかりでないことを知ることだ。
水橋パルスィ。橋姫の少女。
――彼女とこうして触れあう時間さえも、その例外で無いのだろうか?
考えたくなかった。
だから――勇儀は、考えるのを止めた。
ただ今は、パルスィの温もりを抱きしめているだけで勇儀は満たされている。
それで充分だと思うことこそ、鬼らしいはずだから。
刹那の享楽に気ままに興じる、太平楽な鬼のあるべき姿のはずだから。
「パルスィ」
その耳元に、甘やかに彼女の名前を囁く。
壊れ物を扱うように繊細に、精一杯優しく、その白い肌に触れて。
「……ゆう、ぎ」
潤んだ囁きに応えて、その唇を、肌を貪って。
――そうして、パルスィを求めるということ。
それ自体もまた、思考停止でしかなかったのかもしれないけれど。
『私は、星熊勇儀は、この旧都を棄てる』
その一言が、発されてしまった言葉がある限り。
――星熊勇儀に出来ることなど、それだけだったのだ。
◇
「やっぱりここに居たんだね、姐さん」
旧都の騒乱から数日後。橋の下の家に、土蜘蛛はやって来た。
頑丈な妖怪だ、騒乱の際に負った傷は既に治っているらしい。けれども、血にまみれて倒れた彼女の――ヤマメの姿と、それを見て悲鳴をあげたキスメの姿は、自分が旧都に残した咎の象徴のように、勇儀の心にこびりついている。
ともかく、黒谷ヤマメは玄関先で、応対に出た勇儀を見上げて笑った。
その今までと変わりない笑顔に、勇儀は目を細めるしかない。
「何だい? 旧都を棄てた鬼のところに」
苦笑混じりに勇儀が言うと、不意にヤマメは眉を寄せた。
「――そんな、姐さんらしくないこと言わないでよ」
その声はどこは寂しげで、はっと胸をつかれて勇儀は押し黙る。
自虐など、鬼には最も似つかわしくない心持ちだ。そんなことは解っているのだ。
今までの自分なら、決断が正しかったのか否かで後から悩んだり、そのことで自虐するなどあり得なかっただろうに――何をしているのだろう、星熊勇儀は。
「いや、すまない。……何かあったかい?」
首を振って訊ねた勇儀に、「いや」とヤマメは肩を竦める。
「何も無い、ね」
「何も?」
「ああ。――あれから、旧都は静かなものだよ」
遠い旧都の灯りの方を振り返って、呟くようにヤマメは言った。この橋から見える旧都の光は、かつて自分がそこに居た頃と何も変わることはない。
「姐さんが、みんなの前で旧都を棄てるって宣言しちまったせいで、みんな我に返ったみたい。あんな形で暴れてたけど――棄てられて初めて、みんな姐さんをどれだけ頼りにしてたかってことに気付いたんだろうね。馬鹿な話だよ」
「そんな大したことをしてたつもりは、無かったんだがね」
「姐さんは、姐さんが思ってるよりずっと、慕われ妬まれてたのさ」
そうなのだろう。それに自覚的で無かったことを、鬼らしい気楽さと言ってしまうのは簡単だけれども――旧都を作った者としては、やはり無責任だったのだと思う。
それもまた、今さら言ったって仕方のないことではあるのだが。
「それで今は、騒ぎで壊れた建物やら何やらの修復作業中。狂骨の旦那が陣頭に立って頑張ってるよ。私らも協力してるんだけどさ」
「旦那が? そうかい……」
そういえば、あのときあの場に彼は居なかった、と勇儀は思い返す。
――橋姫を旧都に連れて来ないでくれ、という狂骨の言葉。
あのとき、あの場に彼が居なかったことは不幸中の幸いだったのだろうか。
「それで――ヤマメは私に前言を翻させに来たのかい?」
わざわざこの橋姫の家までやって来て、目的が状況報告だけということはあり得ないだろう。旧都を棄てると言い放った統率者に、旧都の使者が求めるとすれば、それしかない。
ヤマメはどこか疲れたように息を吐き出し、「まあ――表向きはそういうこと」と言った。
「鬼が前言を翻さない生き物だなんて知ってるだろうにさ、無茶言ってくれるよ。――ねえ、そうだろう? 姐さん」
どこか試すようなヤマメの瞳に、勇儀は目を細める。
旧都が求めているものは、星熊勇儀が再び統率者の地位に戻ることだろう。
自分がパルスィに惚れ込むまで、旧都にあった安寧を取り戻す為に。
――では、この土蜘蛛は。黒谷ヤマメは、自分に何を求めているのだろうか。
「翻さないんじゃない。――翻せないのさ。鬼は、嘘をつかないんじゃない。嘘をつけない生き物なんだよ」
勇儀の答えに、ヤマメは値踏みするように数度目をしばたたかせた。
「……橋姫がそんなに大事か、なんて馬鹿なことは訊かないけどさ。……何だかやっぱり、姐さんらしくないよ。この間といい、今といい、さ」
「私らしく――ね」
苦笑するように鼻を鳴らして、勇儀は思う。
――鬼らしい、星熊勇儀らしい。そんな形。
そんなもの、今の自分にももう解らなくなっているのだ。
豪放磊落に、何も考えず酒と喧嘩に明け暮れた頃の自分と。
パルスィに恋をして、他の何も要らないと決め込んだ自分と。
過ぎ去ったことを思い悩んで、己の責を憂う自分と。
いったいどれが、本当の星熊勇儀だというのだろう?
それをいったい、誰が決められるというのだろう――。
「ねえ、姐さん。――姐さんはもう、旧都は嫌いなのかな?」
躊躇うようにしながら、ヤマメはその問いを投げかけた。
勇儀はただ、慨嘆するように息を吐き出して、ゆっくりと首を振った。
「……嫌いなわけじゃあないよ。自分たちが作った場所だ。今までずっと暮らしてきた街だ。そうそう簡単に、嫌いになんざなれるもんじゃない」
「そうだよね。……そうさ、姐さん。大切なものが、複数あっちゃいけないなんてことは、どこにもないんだ。そのふたつを、一緒に愛する方法だって、絶対に存在しないなんてことは、きっと無いって――私は思うよ」
「――――」
ヤマメの言葉を噛み締めるように、勇儀は目を伏せる。
パルスィのそばに居ながら、自分があの旧都を愛し続けるということ。
それが出来たら。パルスィと旧都で暮らせたら――どんなにいいだろうか。
――あの騒乱の中、旧地獄街道に現れたパルスィ。その緑の瞳に、落ち着きかけていた妖怪たちが再び、我を失って暴れ出した、あの光景。
狂骨から告げられた言葉が、木霊するように勇儀の耳に残り続ける。
橋姫が忌まれ、旧都からも棄てられたという事実の中で。
自分が、本当にこのまま旧都と縁を切ってしまう以外の道が――あるというのだろうか?
「……何よ、それ」
声。はっと勇儀は振り向き、ヤマメは僅かに顔をしかめた。
勇儀の背後に、いつの間にかパルスィが姿を現していた。
「遅いと思ったら――何の話をしてるのよ」
「パルスィ――」
「ふたつを一緒に愛する、ですって? ――馬鹿なことを、言わないでよ。妬ましいわ」
緑の瞳を、今にも泣き出しそうに歪めて、パルスィは叫んだ。
「どうして誰も彼も、一番大切なものを平気でいくつも持てるのよ! 全てに平等に愛を注ぐなんて、誰にもできっこないのに――どうしてみんな大切なものをたくさん持ちたがるの、どうしてひとつじゃ満足できないのよ! ひとつだけあればいい、私は勇儀が居れば他に何も要らない! どうしてそうじゃいけないの、なんで勇儀には私以外にも大切なものがあるのよ!私だけが勇儀の大切なものじゃないなら、私なんて所詮替わりの効くものでしかないじゃない、唯一じゃなきゃ、私だけが唯一無二じゃなきゃ、勇儀だって私を、私を――ッ」
「パルスィ!」
殴りかかるように叫んだパルスィに、勇儀は険しい声をあげて、
――パァン、と。
乾いた音が、その場に響き渡った。
それは、パルスィが頬を張られた音。
赤くなった頬を、信じられないという顔で押さえて、パルスィは目を見開き、
――平手を振り抜いた格好のまま、ヤマメはその緑の眼を見つめ返した。
「この際、はっきり言っておくよ、橋姫。今ので確信した。――私はあんたが嫌いだよ」
震える、パルスィの唇。勇儀はただ、睨み合うふたりを呆然と見下ろし、
「嫌いなのはあんたの緑の眼じゃない。あんたが私らの嫉妬の心をえぐり出すからでもない。
――あんたが、これだけ姐さんに愛されてるのに、ちっとも姐さんを信じちゃいないこと。それが私は、死ぬほど嫌いだ。反吐が出る」
吐き捨てるようなヤマメの言葉に、パルスィの顔が蒼白になる。
「妬ましいだって? 今のあんたが何を妬む必要がある。姐さんはあんたのために旧都を棄てた。あんたを守るために旧都を離れて、あんたのそばにいるんだ。私らはあんたのせいで姐さんから棄てられた。私らがあんたを受け入れなかったせいでね。――今さらそれをどうこう言ったって仕方ないけれど、けどこれだけは言える」
ヤマメは決然と、パルスィの顔を睨み据えて、言った。
「姐さんはあんたを愛してる。それは絶対だ、嘘をつかない鬼の言葉だ。それを、あんたが信じないでどうするんだ。――愛してほしいなら、愛されるようにしろ。自分から愛せ。それも出来ずに妬ましい妬ましいとばっかり言ってるから、あんたは棄てられるんだ」
「――私、は」
「せめて堂々としていなよ。星熊勇儀に旧都を棄てさせた、自分を選ばせたんだって、何にも恥じることなく姐さんの愛を受け入れて、幸せそうにしていなよ。そうした方がまだしもってもんだ。――そうでなきゃ、私らがただの間抜けじゃないさ」
「ヤマメ――」
どこまでも辛辣なヤマメの言葉。
パルスィはただ、顔を伏せて震えていた。その両手を血が滲むほどに握りしめて。
「自分が嫌われるのは、力のせい、緑の眼のせいだと思ってるのかい? 自分を嫌う世界の方が間違ってるとでも思い上がってるのかい? ――誰のことも信じないのに、自分のことだけは信じてほしいなんて、そんな傲慢には、誰も付き合いきれないだけだよ。そんなことも解らないんだったら――姐さんの前からあんたが消えるべきだ」
「――――ッ」
「あんたは棄てられるんじゃない。あんたが棄てさせているんだ。――消えなよ橋姫、嫉妬狂いの醜い緑の眼。姐さんをこれ以上傷つける前に、あんたこそが」
「いい加減にしなよっ、ヤマメッ!!」
ヤマメの肩を掴んで、勇儀は叫んだ。
「姐さん――」
「いくらヤマメでも――それ以上パルスィを侮辱するのは赦さないよ」
ヤマメの肩を押さえて睨みつけながらも――何故もっと早くヤマメの言葉を止めなかったのか、と勇儀は内心で煩悶する。
――それはきっと、ヤマメの言葉の一部が、どうしようもなく真実だからだ。
そのことを思って、勇儀は歯が砕けそうなほど強く奥歯を噛み締める。
――何が正解だなどと、誰が決められることでもないだろうに。
それでも、絶対的独占を求め続けるパルスィの愛の形を、どこか歪だと心の奥底で自分が思っていたのだということを、ヤマメの言葉に突きつけられた気がした。
崩れていく。
旧都という楽園が色褪せていったように。
パルスィとの幸福も。満たされていたふたりでの暮らしも。
欺瞞と詐称とで築き上げた砂上の楼閣でしかないと――気付いてしまえば。
崩壊はもう、止められない。
「――――――――!!」
パルスィが何事か、声にならない叫び声をあげて、走りだした。
勇儀とヤマメを突き飛ばすように、その家を飛び出していく、その背中。
「パルスィッ!!」
勇儀は叫んで追いかけようとするが、その腕をヤマメが掴んだ。強く、強く。
「ヤマメ――」
「私は、姐さんがあの橋姫に惚れたことをどうこう言うつもりは無いんだよ。どんなに嫌な奴でも、酷い奴でも、そいつを好きになる奴はどこかに居るんだから。……そう、こんなこと言ってる私を、キスメが好きだって言ってくれるみたいに、さ」
ヤマメは目を細めて、勇儀を見上げた。
「私は橋姫が嫌いだ。そんな橋姫に必死で報われない愛情を注いでる姐さんの姿を見るのも嫌いだ。――こんな私を、姐さんが嫌うならそれでいいけど。だけどひとつだけ、これだけは言わせて欲しいんだよ、姐さん」
そして、泣き出しそうな顔で――笑った。
「それでも私は、姐さんの居た頃の旧都が好きだったんだよ。――だから、姐さんに旧都に戻ってきて欲しいんだ。それだけなんだよ――」
ヤマメの手が解かれた。パルスィの姿は、もうどこにも見当たらなかった。
橋の下のあばら屋に、橋姫の姿は消えて。
星熊勇儀は、その場にただ、立ちすくんでいることしか出来ずに。
言葉にならぬ鬼の咆吼が、地上へ通じる縦穴へ木霊して、消える。
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