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ゆう×ぱる! 20 / 「火焔猫燐の憂鬱」
 おりんりんも色々と大変だったりする。










 地底をぶらついていることの多い燐は、当然ながら橋姫の話は耳にしていた。
 地上とを繋ぐ縦穴の手前、橋の上で通りがかる者を見つめている橋姫。
 その緑の瞳に見つめられた者は、心中の疚しさをえぐり出され、やがて狂うのだ、と。
 そんな風に噂された、誰からも好かれない緑の眼。
『心というものは、人にとっても妖怪にとっても、どうしようもなく急所なのですよ』
 彼女の主、古明地さとりはいつかそんなことを言った。
『肉体の痛み、傷はいつか消える。けれど、どんなに頑健な肉体を持つ妖怪でも、心という形のないものに刻まれた痛みは、隠すことは出来ても消えることはない――』
『――だから、自分は嫌われても仕方ないって言うんですか?』
 燐の言葉に、さとりはただ目を細めて答えた。
 他者の心を読む、さとりの第三の目。それ故に主が地底であまり好かれていないことは、燐も知っていた。地底のまとめ役である星熊勇儀が、主の力を地底の実力者たちの監視に使っているせいもあるのだろう。
 そういう意味でも、燐はあまり星熊勇儀という鬼のことが好きではなかった。
『仕方ない、というわけではありません。――ただ、そういうものなんです』
 そう言った主の目にあるのは、静かな諦念だった。
『あたいは、――さとり様が好きです』
 精一杯、せめてそれだけは真実として伝えたかった。
 いや、言葉にしなくても、さとりには既に自分の心は読まれているのだろうけれど。
 燐はさとりが好きだ。自分の主であるこの華奢なさとり妖怪を、守りたいと思う。
『ありがとう、お燐』
 微笑んで自分の毛並みを撫でてくれたさとりの手は、優しかった。
 ――主を避ける妖怪たちには、主の優しさは解るはずもない。
 それを知っているのは、自分たち地霊殿に暮らす者だけだ。
 そのことが誇らしくもあり――同時に、寂しくもあるのだ。

 自分の好きなものを、他者に理解してほしい、と思うのは何故なのだろう。
 どうして、自分ひとりが好きであればそれでいいと――満足してしまえないのだろう。
 とかく心というものは、永く生きる妖怪であっても、本当にままならないのだ。


      ◇


 旧都の外れ、薄暗い洞穴と開けた旧都の街並みの境目の場所。
 旧地獄街道の喧噪を遠くに聞くその場所で、お燐は橋姫とともに佇んでいた。
 聞こえてくる音からすれば、自分が出てきてからますます騒ぎが激しくなっているようだ。
 地底に暮らす妖怪として、喧嘩騒乱となればお燐とて血の騒がないはずもない。
 妖怪というのは基本的に、平穏よりは喧噪を、安寧よりは戦いを求めるのだ、本能的に。
 火車としての本能に任せて暴れたい。ついでに生じた死体を回収したい。
 うずうずと胸の奥で騒ぐ衝動をこらえつつ、お燐は傍らの影を見やった。
 橋姫、水橋パルスィ。旧都のまとめ役、星熊勇儀を色に狂わせた少女。
 パルスィは緑の瞳を細めて、ただ旧都の街並みを見つめて唇を噛んでいた。
 その緑の瞳を見ないようにして、お燐は小さくため息をつく。
 ――どうして自分が、こんなところで橋姫の見張りなんてしているのか。
 それは、星熊勇儀に頼まれたからだ。この橋姫の元に転がり込んで、旧都のまとめ役という自分の立場を放り出した、あの鬼に。
 星熊勇儀。鬼の四天王のひとり。旧都の統率者。語られる怪力乱神。
 この地底の平穏を保つ、まとめ役。
(何がしたいんだろうね、鬼って生き物は)
 ため息を押し殺して、お燐は旧都の仄かな灯りを見やる。
 地上で忌み嫌われた妖怪たちを受け入れ、地底に今の社会を築き上げたのは鬼だ。それは確かに事実である。そうして作り上げた社会を守るために、勇儀が旧都の統率者を引き受けている、という事情も理解はしているつもりだ。
 自分たちは、地上を追われた身。
 地底とはいえ、好き放題にやりすぎて危険を地上に振りまくようなことがあれば、地上の妖怪たちが黙ってはいまい。そうすれば、今度こそ自分たちに居場所は無くなる。
 だからこそ、自分たちの居場所を守るために、鬼は旧都を統率した。
 妖怪らしからぬ、平穏と安寧を第一とする安定した社会を目指した。
 その理屈は解る。解るが――やはりお燐は、星熊勇儀という鬼がどうにも気にくわない。
 さとりの力を、旧都の実力者たちへの牽制に利用している、という事実もある。
 結果としてそれは、さらに他の妖怪のさとりへの警戒心を強めてさせている。これではさとりはますます嫌われることはあっても、好かれるべくもない。
 それでなくとも――やはり、妖怪として、勇儀の統率はしばしば息苦しいのだ。
 酒を酌み交わし、腹を割って話し合え。勇儀はそう言う。喧嘩はその後だ、と。どうしても解り合えないなら喧嘩でケリをつけろ、ただしそれで後腐れは無し。
 勇儀たち鬼が作った、それが地底のルール。
 しかしそれは、所詮は鬼の作ったルールでしかない。
 酒を呑み、笑い合い、力比べをする。それで満足できる鬼ならばともかく――他の妖怪たちにとっては、まず《話し合え》ということそれ自体が難儀なのだ。
 交渉、譲歩、妥協。勇儀たちが求めるのは結局、そんなひどく人間的な決着だ。
 仮にも妖怪ともあろう者が、人間と同じ程度まで下げられている。
 そう、プライドを傷つけられた妖怪も居ただろう。
 鬼は人間にことさら畏れられた妖怪だった。しかしそれ故に、人間にことさら近しい存在でもあった。人の営みを遠目に眺めていた鬼(や天狗や河童)が、いつしか人に倣った社会を形成するようになるのは、あるいは当然の帰結だったのかもしれない。
 しかしそれが、他の妖怪に理解されるか、ということを、鬼たちは軽視していた。
 自分たちが、酒を酌み交わせば何でも解り合え、嘘もつかず隠し事もしない、どこまでもあけすけな心を持っているからこそ――嘘をつき、隠し事をし、欺き嫉妬する他の妖怪たちの心の有り様が、鬼たちには決定的に解っていなかったのだろう。
 ――そして今、この騒乱がその結果だ。
 星熊勇儀という鬼の怪力乱神に押さえつけられていた妖怪たちの鬱憤が、マグマのように噴き出して、旧都を舞台に激しくうねっている。
 これこそ、本来の旧都の、自分たち妖怪のあるべき形。
 お燐はどちらかといえば、そう考える方なのだが。
 ――主は、勇儀と同じく平穏を求める妖怪だった。
 そしてさとりが望むなら、お燐はそれに従う。さとりの幸福こそお燐の最上の望みだから。
(余計な悩みごと増やさないで欲しいよ、全く)
 心の中だけで毒づいて、お燐は小さく舌打ちした。
 ただでさえお燐にとっては今、かなり深刻な問題が身内で発生しているのだ。
 ――友人の地獄鴉が、妙な力を与えられて、調子に乗ってしまったという。
 単純で考え無しなあの友人は、手にした力に増長して、それを振るう機会を求めている。
 しかしそんな力を、たとえば旧都や、あるいは地上に向けて振るったりしたら。
 旧都の、地上の平穏を守ろうとする者たちは、おそらく容赦などしないだろう。
 そして或いは、自分たちの主であっても。
(おくうの件は、本当に早いところどうにかしないと――)
 さとりや、あるいは星熊勇儀に気付かれる前に。そういう意味では、勇儀が旧都から消えたというのは、お燐にとっては好都合ではあったのだが。
 もう一度、橋姫の方を振り返る。
 爪を噛んで、橋姫は緑の瞳を険しく細めたままだった。
 ――この橋姫の何に、あの勇儀は惚れたのだろう。お燐には知るべくもない。
 旧都すらも追われた、誰にも好かれない緑の眼。
 それを旧都のすぐ近くに連れてくるなど、何者かに見つかったなら自分はどう言い訳すればいいのか。気が重い。
 ますます、星熊勇儀という鬼が気にくわなくなってくる。
 旧都の平穏をずっと保ってきながら、あっさり橋姫のためにその役目を捨てた。
 そのくせ、また呼ばれれば旧都に舞い戻って、騒乱を止めようとする。
 本当に何がしたいのだ。全く――気にくわない。

 ――お燐には自覚などあるはずもなかった。
 その苛立ちは結局のところ、増長する友人を止められないでいる自分の不甲斐なさへのものでしかなく。単身で旧都に暮らす数多くの妖怪たちを抑えてきた星熊勇儀という存在の持つ力への、小さな嫉妬でしかないのだということは。

 どん、と不意に地面が揺れて、お燐はたたらを踏んだ。
 見上げた旧都の上空に、飛び交う弾幕が見える。お燐も見たことがあった。星熊勇儀が、どうしても止まらない喧嘩を収めるときのみに使う四天王奥義、三歩必殺。
 旧地獄街道からは少し外れた場所のようだ。何をしているのか、あの鬼は。
「勇儀……」
 声。振り向けば、パルスィはぎゅっとその両手を握りしめて旧都を見つめ。
 その緑の瞳が何を見て、何を求めているのかなど、お燐には知り得ないが。
 ――胸の奥が軋むように疼くのを感じて、しまった、とお燐は舌打ちした。
 パルスィの緑の眼を見てしまった。ぎり、と奥歯を噛み締めて、沸き上がる不快感を堪え、
「……ッ」
 だっ、と走りだす気配がして、お燐は顔を上げる。
 パルスィが走りだしていた。旧都から逃げるのか、あの橋の元へ戻るのか。それならそれでいい、そっちの方が気が楽だ――と一瞬お燐は安堵しかけて。
 けれど、パルスィの向かおうとしている方向は全くの逆だった。
 騒乱の続く旧都の中へ、パルスィは向かおうとしている。
「ちょっ、待ちなよ!」
 止めようと手を伸ばすが、するりとすり抜けてパルスィは飛んだ。
 ――待て、今の旧都の中に、嫉妬心を操る橋姫が乱入したら、どうなる?
 ぞっと背筋が寒くなった。勇儀への反発、その力への嫉妬で暴れる妖怪たち。その嫉妬心が膨れあがれば、単に旧都の内乱というだけで事態が収まらなくなることも、あるいは――。
「――ああもうっ、なんだってあたいの周りはこう面倒な連中ばっかりなのさ!」
 髪を掻きむしって、お燐は猫の姿に戻ると慌ててパルスィの後を追った。
 ざわめく旧都の街並みが――再び、胎動するように、ずん、と揺れた。



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| 浅木原忍 | 22:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
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 3 / 火焔猫燐
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 14 / 火焔猫燐
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 20 / 「火焔猫燐の憂鬱」
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