ゆう×ぱる! 18 / 「星熊勇儀の懊悩」
2009.09.07 Monday | category:東方SS(勇儀×パルスィ)
それを無責任と言われれば、否、とは答えられないだろう。
この地底に、忌み嫌われた妖怪たちを受け入れた鬼の四天王のひとりとして、旧都のまとめ役を務めてきた。長く永く、この地底が棄てられてから今までずっと。
その役割を、誰にも何も告げずに放り出して、パルスィの元へ転がり込んだ。
確かにそれは、自分にまとめられてきた者たちにしてみれば、無責任だろう。
勇儀としては、自分はただ揉め事の仲裁役、いがみ合う連中の抑止役というだけで、別に旧都を支配していたつもりも、導いていたつもりも特に無いのだが――自分がどう思っているかと、他者にどう思われているかは別問題だ。
星熊勇儀は、旧都の統率者。
それは旧都に暮らす妖怪たちの共通認識だった。
立場というものが、関係性の中に生じるものならば、勇儀の立場はまさしくそれだったのだ。
望むと望まざるとに関わらず――星熊勇儀という存在は、旧都にとって大きすぎた。
それだけの話だ。
「さて、どうしたもんかねえ……」
遅い朝食を済ませた後、ちびちびと杯を傾けながら、勇儀はひとりごちた。
早朝のヤマメの来訪。彼女は勇儀に問うた。――いつ旧都に戻るのか、と。
勇儀は答えた。旧都に戻るつもりはないと。
その答え自体に迷いや後悔は無い。元々鬼は気ままな生き物だ。酒さえあればどこでだって生きていけるし――今は、何よりもここに大切なものがある。パルスィのそばにいることを選んだことを悔いるつもりは一切無い。
ただ、ヤマメの言葉が心に引っかかっているのも事実だった。
自分が居なくなって、旧都はゴタゴタが続いているという。
せめて上役の誰かに、自分の役割を引き継ぐぐらいはしておくべきだったかもしれない。いや、鬼の自分の役回りを引き継げる他の妖怪が居るのかはさておき。
「一度、顔ぐらいは出した方がいいのかもね」
旧都に戻らない、とは答えたが、それは住む場所としての話だ。旧都に一歩も足を踏み入れるつもりがない、と言ったわけではない。
あるいは、ここから旧都に通って、今まで通り仲裁役をしてもいいのだ。いや、それが一番穏当なのだろう、本来は。
――だが。
勇儀は顔を上げ、洗い場に立つ彼女の背中を見やった。
問題は、パルスィがそれを許してくれるのかどうか、だ。
今の勇儀にとって、何よりも優先すべきはパルスィのこと。あのときそう誓ったのだ。その言葉に偽りがないことを証明するために、勇儀は今ここにいる。
だから、パルスィが旧都に行くなと言えば、勇儀はそれ以上動けない。
「甘えん坊も考え物なのかねえ……」
パルスィに聞こえないように、勇儀は呟く。
ここに転がり込んで数日になるが、その間パルスィはほとんど片時も勇儀から離れようとしなかった。まるで勇儀の姿が視界から消えてしまったら、そのまま勇儀がいなくなるのではないかと思っているかのように、くっついて離れようとしない。
結局のところ、パルスィは極度の寂しがり屋なのだ。
数日一緒にいて、勇儀はそう確信していた。
そしてそのことも、勇儀にとっては幸せなことではあるのだが。
恐らく勇儀がひとりで旧都に出掛けるなど、パルスィは許してくれないだろう。
ならば、パルスィを旧都に連れて行くか?
『――あの娘をここに連れ戻すことだけは、止してくれないか』
狂骨の言葉が脳裏に蘇って、勇儀は顔をしかめた。
それはおそらく、旧都側が認めないだろう。どれだけ勇儀が庇ったとしても、パルスィを旧都から排斥した面々が、どんな行為に出るかは予測がつかない。パルスィも、自分が追い出された旧都に戻りたいは思わないだろう。
疎まれると解っていて、パルスィに嫌な思いをさせることもない。
追われた結果とはいえ――このあばら屋が、自分たちの楽園なのだ。
「……楽園、ね」
数日前までは、旧都がそうであると自分は思っていた。勇儀は自嘲のように苦笑する。
いや、旧都自体は何も変わっていないのだ。あの街に暮らせる妖怪たちにとっては、あそこは基本的には楽園だろう。昔も今も変わることなく。
ただ勇儀にとっては、大切なものが排斥された場所だった。
彼女が居られない時点で、そこは楽園ではなくなった。――それだけのことだ。
「ああ、これだから全く――」
ぼりぼりと頭を掻いて、勇儀は呻く。
旧都に自分が果たしてきた役割について、自己評価はさておき、けじめはつけるべきだ。
だが、今の自分はこの場所を離れがたいのだ、たとえ一時であっても。
――それが疎ましい拘束ではない、幸福が故の鎖なのだから、始末に負えない。
パルスィが好きだ。勇儀だって、パルスィと離れたくなどないのだ。
全く、処置無しである。
「勇儀」
「うん?」
エプロンで手を拭いながら、パルスィがこちらを振り向いた。勇儀は杯から顔を上げる。
「何か、考え事でもしてたの?」
「ああ――いや、ちょっとね」
頭を掻いた勇儀に、パルスィは緑の眼を不機嫌そうに細める。
「さっきのこと? ……妬ましいわね」
つかつかと勇儀に歩み寄ると、その肩を掴んで、パルスィは勇儀を見つめた。
「……旧都なんてどうでもいいって言ったのは、勇儀じゃない」
「ああ――解ってるさ」
「だったら、私のことだけ考えてよ。……私が目の前にいるのに、他のこと考えて上の空でお酒呑んでるなんて、妬ましいわ」
「……全く、わがままなお姫様だねえ」
その細い身体を抱き寄せて、勇儀はパルスィの髪を撫でる。
ふん、と鼻を鳴らしながら、胸元に顔を埋めるパルスィ。
「まあ、確かにさっきのことを考えてはいたよ。――でも、それもひいてはお前さんのことを考えてのことだよ、パルスィ」
「……なによ、それ」
「私が旧都に連れ戻されちまったら、お前さんが寂しがって泣いちまうだろうから、どうしたもんかねえって心配してたのさ」
「――泣かないわよ、失礼ね」
むぎゅ、と頬をつねられた。
「泣くかわりに、呪うわよ」
「いやいや、そんな怖い顔しないでおくれよ」
「私を置いて、ひとりでどこかに行こうなんて――それがまず妬ましいのよ」
「行かないよ、どこにも」
こちらを睨むパルスィに、小さく苦笑を返して、勇儀はその頬を優しく撫でた。
――ああ、そうだ。こちらが動けないなら、向こうに来てもらえばいいのか。
ぽん、と勇儀は手を打つ。発想の転換である。どうしてこんなことに気付かなかったのか。
ヤマメが平気そうにしていたように、ひとりでここに来て、話を短時間で済ませれば、たとえパルスィがその力で嫉妬心を操ったとしても、そこまでの影響はあるまい。
旧都の上役をここに呼んで、自分の仕事を代わってもらうお願いをすればいいのだ。
「ああ、どこにも行かないともさ。――パルスィ、お前さんと一緒だよ、ずっとね」
「……まだ、信じたわけじゃないわよ」
「信じておくれよ」
「それを信じさせるために、あんたはうちに来たんでしょ?」
「仰る通り」
苦笑して、勇儀はパルスィの顎に指を当てて、くい、と持ち上げる。
「愛してるよ」
「言うだけならタダよ」
「違いない。――だから、行動と態度で示せばいいんだろう?」
こくりと頷いたパルスィの唇を、また自分のそれで塞ぐ。
パルスィの唇の熱を貪りながら、痺れる思考の奥で――けれど勇儀は懊悩していた。
星熊勇儀は、旧都に対してどうあるべきなのだろう?
◇
鬼は強大で、長命で、それ故に元から数は少なかった。
そしてその強さが故に、人に恐れられ、鬼は討たれた。
何もかも、今となっては遠い過去の話だが――。
ただ事実としてあったのは、地上を去ったその時点で、鬼という種族はほんの数名しか残っていなかった。人に討たれた者もあり、どこかへ去った者もある。ただ事実として、旧都へと移り住んだ鬼は、かつて四天王と呼ばれた数人だけだったのだ。
そして今――旧都で暮らす鬼は、ひとりも居なくなった。
伊吹萃香は地上へ移り住んだ。他の二人は旧都の支配者という立場を疎んで地底の奥へ引っ込み、滅多に旧都へは顔を出さない。
勇儀は事実上、旧都に残ったただひとりの鬼だったのだ。
いつだったか、鬼らしくない、と萃香は笑って言った。
まだ萃香が地底に居た頃だ。酒を酌み交わしながら、勇儀を指して萃香はそう言った。
鬼にしては、勇儀は面倒見が良すぎる、と。
いや――あるいは萃香はこう言いたかったのかもしれない。
勇儀は、鬼にしてはあまりにも、優しすぎるのだ、と。
◇
それから数日は、何事もなく過ぎた。
――何事もなく過ぎてしまった、と言うことも出来る。
あれからパルスィの家を訪れる者はなく、勇儀とパルスィはただ、ふたりきりでいた。
勇儀は心の片隅に旧都のことを引っかけながらも、パルスィに溺れていた。
愛おしい相手がそばにいるという幸福に浸りきって――。
その数日間が、あるいはふたりにとっては、唯一の安寧だったのかもしれない。
――安寧を打ち砕いたのは、また朝早くの、ぶしつけなノックの音だった。
「なんだい、また……」
瞼を擦りながら、勇儀は起きあがる。傍らで身じろいだパルスィが、薄目を開けて勇儀を見上げた。「ゆうぎ」という甘やかな声に、勇儀は微笑と口づけで返す。
「また来客みたいだね。ちょっと出てくるよ」
「……ん」
まだ覚醒しきっていないのか、とろんと瞼を落とすパルスィの額にもう一度キスをして、それから勇儀は起きあがると、頭を掻きながら玄関へ向かう。
またヤマメだろうか。それなら言伝を頼もう、と考える。
旧都の上役へ、自分の代理を頼むように。
「はいよ――」
扉を開けて、しかしそこにあったのは、予期した顔では無かった。
「お前さんは――地霊殿の?」
「じゃっじゃーん、ってやってる場合でもないんだけどさ」
そこに居たのは、猫耳と黒装束の少女。旧都で見かけたことのある顔だ。確か、地霊殿で飼われている火車である。名前は――そう、お燐と言ったはずだ。
「さとり様から頼まれてね、星熊の姐さんを呼び戻してって」
「――さとりから? 何だってんだい」
地霊殿の主、あの心を読む少女の、裏の計れない顔を思い出す。
彼女が自分を呼びつけたことなど、とんと記憶にない。
「いやなに――ちょいと、旧都が厄介なことになってるんだよ」
「厄介なって」
「旧地獄街道で、ド派手な大乱闘中さね」
陽気な調子で言うお燐に、勇儀は顔をしかめる。――大乱闘?
「姐さんじゃなきゃ止められないってさ。あたいとしてはあのまま見物してたかったんだけどねえ。酒と喧嘩は地底の華ってさ」
「おいおい、ちょっと待っておくれよ。何がどうなってるって?」
「詳しいことは見てもらった方が早いよ。そんなわけで、旧都に来ちゃくれない?」
――勇儀は唸った。旧都で大乱闘騒ぎ? それなら確かに、自分が出ていかなければ収拾がつかない事態なのだろうが。
しかし、パルスィを置いて旧都に向かうわけにも――。
「勇儀?」
そこへ、パルスィが顔を出す。「あー」とお燐が顔をしかめた。
「橋姫は連れてこない方がいいってさとり様が言ってたんだよねえ……」
「――――」
今度は勇儀が顔をしかめる番だった。
「なに? ……どこに行くつもりなのよ、勇儀」
「いや――参ったね。旧都がゴタついてて、止めに出てくれないかってさ」
振り返ると、眉間に皺を寄せてパルスィは勇儀を睨んだ。
「……旧都なんてどうでもいいって、言ったじゃない」
「そりゃまあ、私はパルスィの方が大事だがね」
「だったら、そんなの気にすること無いでしょう」
ぎゅっと勇儀の服の裾を掴んで、パルスィは言う。
その言葉は刺々しいけれど、やはりそれは甘える寂しがり屋の言葉なのだと、勇儀は解る。
「そうは言ってもね。……一応、旧都のまとめ役をしてた身だ。私にしか収拾できない騒ぎと言われちゃあ、見て見ぬふりをするわけにも、ねえ」
「――嘘つき」
「嘘をついたつもりはないよ」
「嘘よ、そうやって理由をつけて、私から離れていくのよ、みんな――っ」
勇儀の服に顔を埋めて、パルスィは悲鳴のように叫んだ。
ひとつ息を吐き出して――勇儀は、その柔らかい金色の髪を撫でる。
「……パルスィ。旧都をまとめてきたのは私だ。だから私は、旧都に対して嘘つきにはなりたくないよ。そうなっちまったら――お前さんにも嘘をついちまうことになりそうでね」
「――――」
ぽんぽん、とその頭を数回撫でて、それから勇儀はお燐に向き直った。
「解った、旧都の騒ぎに星熊勇儀が出向こう。ただし――」
言って、勇儀はパルスィの肩を抱く。
「パルスィは旧都の近くまで連れていく。寂しがり屋なもんでね、このお姫様はね」
「――勇儀?」
パルスィが驚いたように顔を上げ、お燐は少し困り気味に首を傾げた。
「なに、騒ぎの中心までは連れていかないさ。お燐、お前さんがパルスィについててやってくれないか。それが私が旧都に出向く条件だ――いいかい?」
勇儀の言葉に、お燐はひとつ唸り。
「あいさ、了解したよ。それじゃひとっ走り、旧都までご案内!」
ぼん、とお燐は猫の姿にその身を変える。
「勇儀」
「なに、大丈夫さ。――ほれ、行くよ!」
パルスィの細い身体を抱き上げて、勇儀はお燐の後を追って走りだした。
ぎゅっと首元にしがみつくパルスィの熱。それに目を細めながら――勇儀は見つめる。
仄暗い地底の闇の先にある、旧都の灯りを。
それはまだ喧噪の気配もなく、静かに闇の中に輝いていた。
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