ゆう×ぱる! 14 / 「星熊勇儀の微睡」
2009.08.21 Friday | category:東方SS(勇儀×パルスィ)
例えばそれは、過ぎ去った記憶の残影。
人間に畏れられ、天狗や河童に傅かれ、幻想郷という小さな社会に君臨していた頃の記憶。
君臨といっても、例えば人間が持つような支配欲というものは、鬼には無縁だった。鬼の行動原理など結局は単純なのだ。楽しく酒を呑め、楽しく力比べが出来ればそれでいい。
いささか持つ力が強大であるが故に、例えば抑止力として、場を収める矛として担ぎ出されているうちに、支配者然とした扱いを受けていただけのこと。
河童のように、人間を盟友と慕うわけではない。
天狗のように、人間を小馬鹿にしてからかうわけでもない。
鬼が人間に求めていたのは、ただ自分たちを楽しませてくれることだった。
宴でもいい。力比べでもいい。
鬼たちはただ、そこにいる生き物たちと、楽しく生きていたかっただけなのだ。
――しかし、その力が強大であるが故に、人間は鬼を怖れた。恐れた。
鬼の戯れは、人間にとっては脅威に過ぎた。
故に、人間は鬼の持たぬ力を用いて、鬼を討たんとした。
それは嘘。だまし討ち。謀り、偽り、裏切りという力。
そして鬼は、人間を見限った。嘘つきな人間に嫌気が差して、地上を去った。
いや、それはきっと方便だ。
結局のところ、鬼はただ、悲しかっただけなのだ。
自分たちの楽しみが、戯れが、人間たちと解り合えないという事実が。
自分たちの力が、人間たちにとって強大すぎたという事実が。
鬼たちだってずっと、人間や天狗や河童たちと、酒を酌み交わしていたかったのだ。
それが叶わぬこと、人間たちがそれを望んでいないということが――悲しかったのだ。
あるいは、言葉を変えるなら。
きっと鬼たちは――自分たちは、寂しかったのだ。
ただ、それだけなのだ。
◇
微睡みの中に漂いながら、ひどく懐かしい夢を見ていた気がする。
けれどその映像は、瞼を開けた瞬間には、記憶の海の深くへ沈んでいく。
浮かび上がることのないそれに手を伸ばしても、両腕は虚空を切るばかりで。
何も掴むことのない自分の手を見上げて――勇儀はそこでようやく覚醒した。
「……んあ?」
見覚えのない天井に、いつもと感触の違う床。身体にかかっているのは薄い毛布一枚。
むくりと身体を起こし、ぼんやりとした思考を目覚めさせようと手探りで杯を探す。だが、いつも枕元に置いている愛用の杯は見当たらなかった。
「んー……?」
頭を掻きながら、さらに周囲を見回す。見慣れない簡素な部屋。勇儀の自室も大概殺風景だが、それに負けず劣らず何も無い部屋だ。
アルコールがすっかり抜けている。瓢から直接呑もうかと思ったが、瓢まで見当たらなかった。あれが無ければ酒も呑めない。どこへやったのだったか――。
「何よ、今頃起きたの? 妬ましいわね」
がちゃりとドアが開く音。そして聞き覚えのある声。勇儀は振り向く。
そこに、ふわりとした金色の髪と、綺麗な緑の瞳があった。
「……ぱるちー」
「ぱるちー言うな」
いつも通り不機嫌に眉を寄せて、パルスィは寝ぼけ顔の勇儀を睨んだ。
その身に纏っているのはいつもの服と、その上からエプロンが一枚。
「顔でも洗って来なさいよ。いつまでもそんなだらしない顔してないで」
タオルが投げつけられる。勇儀がそれを受け取ったときには、もうドアは閉ざされてかけていた。勇儀が声を掛けようとすると、機先を制すようにパルスィが振り返る。
「ご飯、食べる?」
「……あ、ああ」
「そう、だったらさっさと目、覚ましてきなさい。妬ましいわね」
ぱたん、とドアが閉ざされ、部屋にはまた静寂が満ちた。
ぼんやりと投げつけられたタオルを見下ろして、勇儀は目をしばたたかせる。
――はて、これではまるで。
「パル、スィ」
呟いて――そこでようやく、勇儀は昨晩のことを思い出した。
脳裏に鮮明に蘇る、震えたパルスィの言葉。
重ねた唇の柔らかさと、抱きしめたパルスィの身体の細さ。
『どこにも行かないで。私のそばにいて、私だけを見て、私だけに触れて。私から離れないで、私以外の誰とも楽しそうにしたりなんかしないで――』
パルスィは震えながら、そう言った。
『生涯ただひとり――水橋パルスィだけを愛すと、今ここで誓う』
自分はパルスィを抱きしめて、そう答えた。
――そしてその結果が、今のこれである。
「ああ……そうか、そうだったね。……たはは」
急に猛烈に照れくさくなって、勇儀は頬がだらしなく緩むのを抑えられない。
そう、昨日のことだ。パルスィが自分を、星熊勇儀を受け入れてくれたのは。
そして今自分は、パルスィの部屋にいる。
身体に残ったパルスィの熱の感触に、勇儀はぶんぶんと首を振った。
ああ、駄目だこれは。とりあえずパルスィの言う通り、顔でも洗ってこよう。
タオルを片手に部屋を出る。どこからかいい匂いがした。パルスィが朝食を作ってくれているのだろうか。だとしたらこれはまた、結構なことだ。
狭い廊下の突き当たりに裏口があった。外に出ると、小さな井戸がある。勇儀はひとつ伸びをすると、桶を引き上げて汲んだ水で顔を洗った。地底の冷たい風が、濡れた頬に心地よい。
地上に通じる縦穴の近く、そこにある橋の下。橋と言っても川に架かっているわけではない。冷たい岩肌の地面を踏みしめて、勇儀はぐるりと辺りを見回した。
旧都の灯りは遠く、橋の上に人影はない。喧噪は彼方、風が岩肌を撫でる音だけが静寂を際だたせる空間。
地上への縦穴が封じられて以来、ここは地底でも見捨てられた場所だった。
勇儀はひとつ首を振る。――今は、そんな益体もないことを考えても仕方ない。
家の中に戻ると、パルスィがドアから顔を出していた。その緑の瞳がこちらの姿を見つけ、いたずらを見つかった子供のような表情を一瞬見せる。
「朝ご飯、出来てるわよ」
「お、すまないね」
にっと笑いかけると、ふん、と視線を逸らしてパルスィは顔を引っ込めた。
その後を追ってキッチンに入る。香ばしい匂いが鼻腔をくすぐった。テーブルに並んだ料理に、ぐう、と腹の虫が鳴る。
「こりゃ美味そうだ」
椅子を引いて腰を下ろそうとすると、不意にパルスィがこちらを睨んでいることに気付いた。
「なんだい?」
首を傾げると、パルスィは頬を膨らませて「妬ましいわ」と呟く。
「結局、食い意地が第一なのね。……妬ましいのよ」
ぱるぱる、と呟いてテーブルを叩いたパルスィに、勇儀はひとつ苦笑を漏らす。
ああ、そういえばさっきは寝ぼけていたから、ちゃんと挨拶をしていなかった。
椅子を戻して、数歩パルスィに歩み寄る。睨むようにこちらを見上げたパルスィの頬に手を伸ばすと、目を細めたがパルスィはあまり嫌がる様子もなかった。
好きになった相手が、自由に触れさせてくれるということ。
たったそれだけのことも、勇儀には愛おしくてたまらない。
「おはよう、パルスィ」
その頬に唇を寄せて囁くと、触れたパルスィの頬から熱が伝わってきた。
「……妬ましいわ」
耳元で囁かれる、いつもの彼女の口癖。
「まだ足りないかい?」
「足りないわよ」
「じゃあ、どうすりゃいい?」
目を細めて見つめると、パルスィは頬を染めて、緑の瞳をふっと伏せて。
「……唇にしてくれなきゃ、妬ましいわ」
全く、可愛すぎてどうにかなってしまいそうだよ――と、勇儀はその柔らかな唇に自分のそれを寄せながら思った。
◇
「そういやパルスィ、私の瓢と杯を知らないかい?」
朝食を終え、洗い物をするパルスィの背中に、勇儀は声をかける。
洗い物ぐらい手伝おうと申し出たのだが、力加減を間違えて皿を割ってしまって、手出し禁止を言い渡されてしまったのだ。まあ、ぼんやりとパルスィの背中を眺めているのも、それはそれで幸せなのだが。
「知ってるけど、教えないわ」
振り向きもせずにパルスィは答える。んあ、と勇儀は口を開けた。
「なんだい、お前さんがどっかに片付けちまったのか。参ったね」
「何よ、無いとそんなに困るの?」
頭を掻いた勇儀を、パルスィが振り返って睨む。
「そりゃあ――あれが無いと酒が呑めないからねえ」
「なら、尚更教えないわ」
つん、と視線を逸らして、パルスィは洗い物に手を戻した。
「おいおい、意地悪はよしとくれよ」
「少しぐらい我慢したらどうなのよ。お酒が無きゃ生きていけないわけじゃないんでしょう」
「そうは言ってもねえ」
もちろん酒を切らしたところで死にはしないが、さりとて酒は鬼の友。いつでも好きなときに呑める状態にあるのが当たり前なのだが――。
「……返したら、また私を肴にして呑むの?」
「うん?」
洗い物の手を止めて、パルスィは大きく息をひとつ吐いた。
「妬ましいのよ。……私を肴にしてお酒なんて、本当に妬ましいわ」
「いやまあ確かに前にそんなことは言ったがね――」
「……お酒じゃなくて、私が一番じゃなきゃ、妬ましいのよ」
口を尖らせてそんなことを言うパルスィに、たまらず勇儀は立ち上がって抱きしめた。
ああもう、可愛すぎるじゃないかこの娘は。
「こら勇儀、離しなさいよ――」
「いいじゃないさ。ほら、これで妬ましくないだろう?」
もがくパルスィを押さえつけて抱きしめる。頬を膨らませて、パルスィは大人しくなった。
「ぱるちーが一番に決まってるじゃないかい」
「そういう軽々しい物言いが、妬ましいのよっ」
「軽々しくなんかないよ。鬼の言葉だ、信用しておくれ」
――というか、それを信用してもらうために、今こうしているのだったか。
生涯、水橋パルスィだけを愛するという、鬼の約束を守るということ。
鬼は嘘をつかないという事実を証明しきるには、一生を費やすしかないのだ。
そして今、抱きしめている彼女の温もりには、それ以上の価値があると、勇儀は思う。
「……後で、返すわ」
ふてくされたように勇儀の胸元に顔を埋めて、パルスィはそう呟いた。
「でも、あんまり呑んでばかりいたら、また取り上げるわよ」
「仕方ないねえ。控えめにするよ」
「それから」
顔を上げて、パルスィは赤らんだ頬をして、勇儀を半眼で睨んだ。
「……もう少し、力加減、優しくしてくれないと、妬ましいわ」
「おっと、こりゃすまない」
出来るだけ優しく抱いていたつもりだったが、それでも力を込めすぎたか。なかなか、パルスィの細い身体を抱く加減は難しい。怪力持ちも考え物だ。
「馬鹿力」
「悪かったね」
「お皿も割るし」
「いや、それはすまなかったよ、本当に」
まさかあんなに脆いとは思わなかったのである。言い訳だが。
「家の中のもの、これ以上壊さないでよね」
「気を付けるよ」
「酔っぱらいのことだから、信用ならないのよ」
「……本当に気を付けるから、瓢と杯は返しておくれよ」
困り顔で頭を掻くと、パルスィの両手が不意に、自分の頬に触れた。
綺麗な緑の瞳が、間近で自分を見つめる。
「何より、ね」
言葉と一緒にかかるパルスィの吐息が、ひどくくすぐったい。
「……私のことを、一番大切に、扱うこと」
「そいつはもちろん、承知しておりますよ、お姫様」
抱きしめたお姫様の唇を奪って、勇儀はその細い身体に幸せを噛み締める。
――こんな時間が、いつまででも続けばいい。
そんなことを、心から思った。
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