ゆう×ぱる! 9 / 「星熊勇儀の愉悦」
2009.07.25 Saturday | category:東方SS(勇儀×パルスィ)
それを恋と呼んでしまうのは、鬼の自分にとってはいささか気恥ずかしくさえあった。
しかしまた同時に、恋としか呼びようのない感情であることも理解していた。
「……人間の小娘と変わらんねえ、これは」
自室の床に寝転がって、天井を見上げながら勇儀は苦笑混じりに呟く。
些細な言葉や仕草に頬を赤らめ、思い人の元へ通い、遠目に見つめ、文をしたため。回りくどい手順を踏んで伴侶を為す人の営みに、不思議な生き物と笑ったのも懐かしい話だ。
今にして思えば、その回りくどさこそが人間にとってたまらない娯楽なのだろう。
それは今、勇儀自身が恋をしてみて――ああ、小娘的に過ぎて本当に気恥ずかしい言い回しだが仕方ない。水橋パルスィという少女に惚れて、実感していることだった。
「ぱるちー……いや、パルスィ」
名前を呟いて目を閉じれば、彼女の笑顔がそこに浮かんだ。
角をぶつけて悶絶した自分に、涙まで浮かべて大笑いした彼女のその顔は。
――勇儀が初めて見た、水橋パルスィの笑顔。
「ああもう……どうしろってんだいもう」
じたばたと床の上を転がって、杯をつついて勇儀は呻いた。全く、こんな様子は仲間内には見せられたものではない。
惚れ直した、というかますます惚れた。ふてくされた顔、驚き顔、照れ顔、怒り顔。そのどれもが力一杯抱きしめたくなるほどに可愛らしいけれど――笑顔は本当にとびきりだった。
あの笑顔が見られるなら、鬼でなく道化になったって構わない。
わりと真剣に、勇儀はそんなことまで考えていたりする。
「ぱーるちー……」
目を閉じる。昨日のことがありありと思い出せた。
――ふたり笑い転げて、ひとしきり笑って、そして自分は言った。
『なあ、パルスィ』
『……何よ』
腹を抱えて笑っていたパルスィは、口元を押さえたままこちらを見つめて。
『さっきの笑い顔、今までで一番可愛かったよ』
――酒に酔いつぶれたみたいに、パルスィは顔全体を紅潮させてそっぽを向いた。
そんなことを思い出すだけで、またこっちの顔はにやにやとだらしなく緩む。
今、パルスィはどうしているだろう?
また橋の上、ひとりで地上の光でも見上げているだろうか?
その顔を、また自分が笑わせてやれたら――それはこの上もなく楽しいことだ。
「よしっ」
がばっと身を起こして、勇儀は杯を手に取った。思い立ったが吉日と言う。いや、ここのところ毎日あそこに顔を出しているのだから吉日も何もないが――善は急げという話だ。
会いたくなったから、会いに行く。
それもまた気ままな鬼らしいと自分で呟いて、勇儀は家を出た。
地底を照らす燐光が落とす影は、ひび割れた大地に長く伸びていた。
◇
浮き足だった気持ちのまま、脇目もふらずにまっすぐ彼女の元へ駆けていければ、それはきっと幸せなのだろうけれども。
そうするには、星熊勇儀はいささか地底に知り合いが多すぎた。
「おや姐さん、ご機嫌だねえ。どちらへお出かけだい?」
「まあちょいと、知り合いのところへね」
すれ違う狂骨の旦那に手を振る。それに限らず、勇儀に声をかけてくる者は多い。
揉め事の仲裁なんぞ途中で飛び込まないでおくれよ――。そんなことを思っている自分に気付いて、勇儀は苦笑した。もはや自分にとって、最優先事項はパルスィのことなのだ。
もちろん、声をかけてくる知り合いを邪魔と疎むつもりはないけれども――。
「あ、星熊の姐さん。やほー」
また声。振り向いて、勇儀は今度は足を止めた。パルスィが最優先とはいえ、その後の成り行きがどうなっていたかは気に掛けていたふたりがそこにいた。
「おう、ヤマメにキスメかい」
――え、ええと、……こんにちは。
ヤマメの抱えた桶からおずおずと顔を出して、キスメは恥ずかしそうにそう呟いた。
それを見つめるヤマメの視線は優しく、「ふぅん」と勇儀はひとつ笑みを漏らす。
「その様子だと、懸案は一応解消されたのかい?」
「え? ああ、いやまあ何と言いますか、たはは……」
ヤマメは照れくさそうに頬を掻いて、キスメは真っ赤になって桶に潜った。
微笑ましいそんなふたりの様に、「いいねえ」と勇儀は目を細める。
「仲良きことは美しき哉。――羨ましいねえ」
勇儀の言葉に、「え?」と不意にヤマメが意外そうに目を見開いた。
「なんだい?」
「いや、姐さんの口から『羨ましい』なんて言葉を聞くとは思わなくて」
ヤマメの言葉に、勇儀はひとつ肩を竦める。
「そんな変なこと言ったかね」
「姐さんが他人を羨むなんて、ねえ」
「おいおい、羨むものが何も無い人生なんて、そりゃあつまらないだろうさ。それともなんだい、鬼は羨むものが無くて退屈だから酒浸りだとか言い出すのかい?」
「いやいやいや、そんなつもりは」
慌てて首を振るヤマメに苦笑を返して、それから勇儀はひとつ首を捻った。
さりとて――確かに、羨ましいなどと他人の前で口走った記憶はとんと無かった。
怪力無双、地底の統率者たる鬼とて、何もかもを手に入れられるわけではない。手に入らないものも、失ったものもある。――全てを手にしてしまうのは死と同義ですらあるだろう。それ以上、その者はどこへも進むことが出来なくなるのだから。
ともかく、鬼とて何かを手に入れたいと思うことは必ずある。ただ――それを表に出すことは、確かにほとんど無いかもしれなかった。
自分もあの伊吹萃香のように、鬼らしくない鬼になりつつあるのだろうか。
そんなことを考えて、勇儀はひとつ苦笑した。
――勇儀さん。
不意にキスメが、小さな声で勇儀を呼んだ。
「ん?」
――勇儀さんも……誰か、好きな人がいるんですか?
その問いかけに、ヤマメが目を細め、勇儀はぼりぼりと頭を掻いた。
まあ、見抜かれるか。そのぐらいに今の自分はやはり露骨なのかもしれない。
「解るかい?」
――ええと、なんとなく。
参ったねこりゃ、と勇儀は苦笑する。その様に、ヤマメが少し顔をしかめた。
「姐さん、その相手って――」
「ん?」
「いや……何でもない」
首を振ったヤマメに、勇儀はひとつ鼻を鳴らす。
「っと、ちょいと急いでるんだよ。じゃあまた、仲良くやりなよ」
「あ、うん……それじゃあ」
――ばいばい、勇儀さん。
歯切れの悪い様子のヤマメと、桶から手を振るキスメに手を振り返し、勇儀はまた歩き出す。
ヤマメのしかめっ面が脳裏にちらついて、それが小さな棘のようにどこかで疼いた。
『あいつの近くにいるとね、こっちまで気分が悪くなるんだ。妬ましい妬ましいってあの気味の悪い緑の眼で見つめられると、胸の奥がこうムカムカしてきてね』
もちろん、気の合う合わないはあるだろう。社交的なヤマメだって馬の合わない相手はいて当たり前だ。そこに他人がどうこう口を挟む筋合いが無いことぐらいは解っているが――。
惚れた相手についての陰口。本人にその気が無いとしても――気分のいいものではない。
「――ああ、やだねえ全く」
それを振り払おうとするように、勇儀は抱えた杯をぐっと傾けた。
◇
「結局あんたは、ここに酒を呑みに来てるわけ?」
緑眼をふて腐れたように細めて、パルスィは棘のある声で言った。
いつもの橋の上。欄干にもたれるパルスィの傍ら、腰を下ろして勇儀は杯を傾けていた。そんな光景も全く、もはやいつも通りの日常ですらある。
ん? と杯から顔を上げて、勇儀はにっと笑みを浮かべた。
「そりゃあもちろん――お前さんに逢いに来てるに決まってるじゃあないか」
立ち上がり横に歩み寄ると、「ふん」とパルスィはそっぽを向いた。
だけどそんな仕草も、邪険というよりは子犬が拗ねているようで愛らしい。
「お前さんの横顔を見ながらだと、いつにも増して酒が旨いね」
「人を勝手に肴にしないで。――結局、酒がメインなんじゃないの」
つん、と背中を向けるパルスィに、勇儀はますます笑みを深める。
「なんだいなんだい、ぱるちー。拗ねてるのかい?」
「誰がよっ!?」
ばっと振り向いたパルスィの腕を、勇儀は捕まえた。ずっと顔を寄せると、パルスィの赤らんだ頬の熱がこちらまで伝わってくるような気がして、それがまた幸せなのだ。
「酒相手にやきもち妬いて貰えたのかね? そうだとしたら嬉しいねえ」
「馬鹿言ってんじゃないわよっ! 離せこらっ、ああもうっ――」
がり、と頬を引っかかれた。わはは、と笑い飛ばすと、パルスィは半眼で盛大に唸る。
「あんたのそういうところが無神経だって言うのよっ」
酒臭い顔近づけるなっ。頬を引っ掻いた指で勇儀の口元を塞いで、パルスィはもがく。
ぱっと勇儀が手を離すと、数歩よろめいたパルスィは、深くため息を吐き出した。
「参ったね、無神経だったかい?」
「自覚が無いのは本当に処置無しだわ……妬ましいわね」
ぱるぱる、と小さく呟いて、それからパルスィは人差し指を勇儀に突きつけた。
「嘘をつかないなんて誓うのは、嘘つきにだって出来るのよ」
「……そりゃまあ、その通りだが」
「信用して貰いたいなら、態度で示して見せなさいよ、態度で」
パルスィの言葉に、ふむ、と勇儀は首を傾げる。
「態度ねえ」
「他人のところに押しかけて延々ひとりで酒飲んでるのが誠意ある態度だっていうなら、そんなこと言う種族は鬼だけよ、間違いないわ」
はて、そういうものか。勇儀は腕を組んで唸った。鬼同士なら逢えばとりあえず杯を酌み交わし、話をしていても酒は切らさないのが当たり前なのだが――。
「ふむ、つまりぱるちー」
「だからぱるちー言うな」
「お前さんも呑みたいならそう言っておくれよ」
「何でそうなるのよあんたはっ!?」
違うのか。てっきり自分にも呑ませろと言うことだとばかり勇儀は思ったのだが。
顔を覆ってため息とともに首を振ったパルスィは、「何なのよ本当に、もう」とどこか嘆きのように呟いた。
「あんたは一体、どこまでが本気でどこまでがおふざけなの?」
「どこまでがって――ねえ」
杯を指の上で回しながら、勇儀は肩を竦める。
「お前さんに言った言葉は、全部本気だよ? 嘘偽りなんざ誓って無いさ」
「……それが信じられないからこんなこと言われてるんだって自覚しなさいよ」
そんなことを言われてもねえ、と勇儀は首を捻った。自分としては常に大真面目に、精一杯パルスィに自分のこの気持ちを解ってもらおうと努力しているつもりなのだが。
「どうすりゃいいんだい?」
「それを私に聞くのが無神経って――ああもう、本当にその太平楽さが妬ましいわ」
疲れたように首を振って、パルスィはそれから勇儀の手にした杯を指さす。
「とりあえず、人と真剣に向き合おうっていうなら素面になりなさいよ、素面に」
「……そういうもんかい?」
「酔っぱらいのたわごとって思われるに決まってるでしょうが!」
パルスィの言葉に、「それこそ心外だねえ」と勇儀は杯にまた酒を満たす。
「酔いに溺れて我を失うなんて下の下。少なくとも私ゃそんな下品な酒の飲み方はしないし、酔っていようがいまいが私は何も変わらんよ」
「――あんたがどうかじゃなく、こういうのは相手がどう思うかなんだって解ってる?」
勇儀は目をしばたたかせた。鬼の常識からは聞かれない言葉だ。鬼同士なら酒を呑んでいるいないで相手を区別などしないのだが――他の妖怪ではそうもいかないのか。
「ふむ……そういうものなのかい。難しいね」
「どこがよ。――あんたってひょっとして、とてつもない馬鹿?」
パルスィが半眼でこちらを睨みつけて言った。勇儀は苦笑する。
「ここのところ、馬鹿みたいにパルスィ、お前さんのことばっかり考えてるのは事実だがね」
「――――――っ」
頬に手を伸ばすと、またパルスィは噛みつきそうにこちらを睨んでばっと逃げた。
「本当だよ。部屋でゴロゴロしていても、お前さんのことばっかり頭に浮かんでねえ。今日も居ても立ってもいられなくて、こうして来たんだがね」
「……それでどうして、そこでひとりで酒飲んでるだけなのよ」
「なんだぱるちー、構って欲しかったのかい?」
「馬鹿言ってんじゃないわよ! しまいにゃその角へし折るわよ!」
そんな反応もやっぱり可愛らしくて、勇儀はまた呵々と笑った。
「……あんたは一体、何がしたいのよ?」
「そりゃあ、お前さんに会って、お前さんの顔が見たいのさ」
杯を傾ける。紅潮する頬は決してアルコールのせいではないと解っていた。
「話もしたいし、触れられるなら触れたいね。抱きしめさせてくれるなら言うことないねえ」
「馬鹿言ってんじゃないわよ!」
「だから真剣だって言ってるじゃないか。――なあ、パルスィ」
逃げようとするパルスィの腕をもう一度掴んで、勇儀はその髪に手を伸ばした。
身を竦めるパルスィの金色の髪は、さらさらとして指にその感触が心地よい。
「こう言うと、ちいと気恥ずかしいが――私ゃ本気で、お前さんに恋してるんだよ?」
「……似合わないわ、あんたにそんな台詞」
「違いない」
ふて腐れたようなパルスィの言葉に、勇儀は苦笑する。
恋、なんて言葉は甘ったるすぎて、酒の肴としては今ひとつなのだ。
「似合わないなら、やっぱり《惚れた》って言うべきなんだろうねえ。ベタ惚れ、ぞっこん、ぱるぱるぱるちーに首ったけさ」
「ぱるちー言うな! だからそういうふざけた言い方が――」
「ふざけてなんかいないって、どうすれば解ってもらえるんだい?」
「――話がループしてるわよ」
やっぱりあんた馬鹿でしょ。パルスィは呆れたようにそう言い放った。
「馬鹿な女は嫌いかい?」
「大嫌いよ」
「そういうはっきりした言い方が、私は好きだね」
髪に触れていた手を頬に添える。パルスィがまたびくりと身を震わせた。
「それじゃあ私は、お前さんに馬鹿と思われないようにしないといけないか」
「もうあんたは馬鹿で確定してますから、残念でした」
勇儀の手を振りほどいて、パルスィはあっかんべー、と舌を出す。
そんな仕草は、普段の澄ました様子とはかけ離れて可愛らしく、勇儀は微笑んだ。
「それなら、馬鹿の中で私だけは特別好きになってもらえるようにするかね」
「……どこまで前向きなのよ、あんたは」
「後ろを向いて拾えるものなんてどこにも無いからね」
時は不可逆だ。失ったものをどれだけ嘆いたところで、落とし物は拾い直せない。
それなら前を向いて、その先に落ちている新しいものを拾った方がいいに決まっている。
「前を向いてたら、お前さんっていう宝物を見つけちまったわけさ」
「――ああもうっ」
伸ばした勇儀の手を振り払って、パルスィは欄干に沿って少し離れると、
「お酒」
「ん?」
「私にも――そのお酒よこしなさいよ。ずっと独り占めして、妬ましいのよ」
ぱるぱる、と呟きながら、パルスィはふくれっ面でそう言った。
その顔もまた何よりも愛らしくて、勇儀は笑みを抑えられない。
「パルスィ」
「……何よ」
「酔った勢いで押し倒してくれたりすると嬉しいね――あ痛っ」
差し出した小さめの杯が、投げ返されて額の角を直撃した。
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