ゆう×ぱる! 8 / 「水橋パルスィの孤独」
2009.07.14 Tuesday | category:東方SS(勇儀×パルスィ)
街の灯は、人や妖怪の営みは、いつから自分にとって遠いものになったのだろう。
それが最初からだったのか、それともかつて自分にも、他人の輪の中にいられた時間があったのか――そんなことももう、思い出せなかった。
ただ、確かなことは。
今の自分は、忌み嫌われて地上を追われ。
追われた先の地底でも、やはり独りでいるしかない存在だった。
常に遠くから、営みの喧噪を、光を眺めているだけ。
――この、誰からも好かれない緑の眼で。
◇
右手がひどく、腫れたように痛んだ。
彼女の頬を張ったのは自分なのに、どうして自分の右手が痛いのか。
そのことが理不尽で妬ましくて、パルスィは右手をさすりながらしゃがみこむ。
「……妬ましいわ」
振り返れば、けれど橋はまだ近くにあって、――勇儀の姿はもう無かった。
結局自分は、あの橋の上から離れられないのだ。
彼女がもう居ないことに微かな安堵を覚えつつ、パルスィはゆっくりとその橋に歩み寄る。
ここが自分の居場所。ここだけが、自分の居場所だ。
欄干に手をかけると、また右手が痛んで、パルスィは顔をしかめる。
――頬を打たれた勇儀の、呆然とした表情が脳裏を過ぎった。
「どうして……」
右手をさすりながら、俯いてパルスィは小さく呻く。
囁かれた勇儀の言葉が、耳鳴りのように頭の中で反響する。
『私が、お前さんの何に最初惹かれたってね』
全く、何の罪も無さそうな顔をして、無神経にこちらの顔を覗きこんで。
――星熊勇儀は、あまりに致命的な言葉を囁いた。
『その綺麗な、緑の眼さ』
どうしてそんな、嘘を、つくの。
目元を覆って、パルスィは「……どうして」と繰り返した。
言葉はどこにも届かない。思考はただ、ぐるぐると同じところを回り続ける。
この場所からどこにも行けない自分のように、ぐるぐる、ぐるぐると。
――この目を好きになる者なんて、どこにもいるはずがない。
誰もが嫌った。忌み、遠ざけた。嫉妬にまみれた緑の眼の怪物。
この緑の眼で、自分は何もかもを妬んできた。
……どうして? どうしてそんなに、何もかもを妬んできたのだろう?
「私は……」
思考が千々に乱れて、何も考えられない。
星熊勇儀というあの鬼のことが、パルスィにはやはり、理解できないのだ。
鬼は嘘をつかない。勇儀は何度もそんなことを言う。
けれど、その言葉自体が嘘ならば――何の意味も無いではないか。
そう、そうだ。――だって、あり得ないのだ。
自分なんかを、この緑の眼を、好きになる誰かなんて、いるはずがない――。
だから、あの鬼のことなんて、気にしなければいいだけの、はずなのに。
――どうして、彼女の呆然とした顔が、頭から離れてくれないのだろう。
あの太平楽な笑顔と、こちらに無遠慮に触れてくる大きな手の感触が、自分の中にこうやって、居座り続けているのだろう――。
解らない。理解できない。星熊勇儀とはいったい何なのだ?
自分は、あの無神経な鬼に――いったい、何を見ているのだろう?
「妬ましいわ……」
自分はいったい、何を妬んでいるのだろう?
それが解らないから、ただパルスィは欄干にもたれて、俯いているしかなかった。
縦穴に吹く風だけが、いつもと変わらずに冷たく吹き抜けていた。
◇
目覚めは、いつも最悪だ。
夢を見ていた気はする。だけどどんな夢なのかは、弾けて消える泡のように記憶の奥底に沈んでいって、二度と浮かび上がってくることはない。
――ただ、胸のむかつく嫌な感覚だけが、いつも塊のように身体にのしかかる。
だからきっと、見ている夢は悪夢なのだ。覚えていないのは、むしろ幸いなのだろう。
ため息をついて起きあがると、パルスィはいつもの服に着替えて、また橋の上に出る。
家でじっとしていれば、悪夢の続きが自分にのしかかってくる気がするのだ。
橋の上は、どこか安らぐ。どうしてなのかは解らないけれど。
――あるいは自分は、橋の下に棄てられた子供だったのかもしれない。
そんなことも、もうパルスィには思い出せないほど遠い昔のことなのだが。
いつもより少し生温い風に目を細めて、パルスィはまた息を吐き出す。
……静かだ。渡る者の途絶えたこの橋の上は、いつだって静かだけれども。
どうしてそれを、今さらのように静かだと認識してしまうのか。
――それはきっと、あの騒がしい闖入者のせいに違いなかった。
「勇、儀……」
ぽつりとその名前を口にした自分自身に、パルスィは胸の疼きを覚えて顔をしかめる。
だから、どうしてあの鬼のことばかり、こうも考えてしまうのだ。
あんなはた迷惑で、無神経で、傍若無人な飲んだくれのことを。
――だけどもう、今度こそ、彼女はここには来ないだろう。
昨日のことを思い出して、パルスィは自分の右手を見下ろした。もうとっくに、叩いた右手の痛みは消えているはずなのに、どうしてかまた手のひらが疼いた気がした。
あのときの拒絶は、それまでのものとは違ったと、自分でも思う。
全身での、本能的な拒絶。彼女の言葉を、自分は拒否した。
――この緑の眼を好きになる者なんて、どこにもいないのだ。
だから、だから――自分は。
彼女の頬を張って、そして逃げ出した。彼女の元から離れたかった。
何から、自分は離れたかったのだろう。
……解らない。彼女のことになると、自分の思考がわけのわからないものになる。
星熊勇儀。この橋の上に現れる酔狂な鬼。彼女は――どうして。
『鬼は嘘をつかないよ。私が惚れたのはお前さんひとりだけさ、パルスィ』
嘘を、つかないで。
そんな嘘は――つかないで。
だって、惨めになるだけじゃないか。
どうせ、私のことなんて、誰も好きになりはしない。
ただの酔狂な鬼の、一時の気の迷いに振り回されて――。
それだったら今までと同じように、ずっとひとりでいたかったのに――。
「…………ゆう、ぎ」
どうして、普段と変わらないはずの、誰も通らない橋の光景に。
この胸が、軋むように痛みを訴えるのだろう。
『おーい、ぱるちー』
――だから、変な渾名で呼ばないで。
幻聴のように彼女の声が蘇って、パルスィは耳を塞いだ。
解らない。どうしていいか解らないのだ。
彼女を拒絶したのに――ずっと大嫌いと言い続けてきたのに、
それでもこちらに笑顔を浮かべて、『好き』だの『惚れた』だの囁く勇儀のことを。
自分は、
「……なあ、どうして、そんなに泣きそうな顔をしてるんだい」
声が、した。
幻聴だと思って、パルスィは目を閉じたまま首を振った。
「泣いてなんか――いないわ」
幻聴に返事をしてしまう自分は、きっとどうかしている。
「だけど、泣きそうな顔にしか見えないよ、パルスィ」
けれど幻聴にしては、その言葉はあまりにも鮮明で。
おそるおそる目を開ければ――やはり彼女の姿は、目の前にあった。
「……星、熊」
いつも携える杯を持たずに、星熊勇儀はパルスィの前で、ひどく曖昧な笑みを浮かべて。
「どうして……?」
どうして、ここにいるのだ。
もう、今度こそもう、ここに来ることもないと、そう思っていたのに――。
「どうしてって、そりゃあ……謝ろうと、思ってね」
ひどく殊勝に頭を垂れると――そのまま勇儀は、石橋の上に膝をついて。
「すまなかった」
あろうことか、パルスィの目の前で土下座を始めたのだ。
「ちょ、ちょっと、星熊!?」
「すまない。そんなつもりは無かったんだけど――私は、お前さんを傷つけちまった。だから謝る。この通りだ。――許してくれなくても構わないから、せめて謝らせておくれ」
「や、止めてよ――」
そんなことをされても、自分にどうしろというのだ。
パルスィが困惑の声をあげても、勇儀は顔を上げる気配もない。
「お前さんが……いや、言い訳はよそう。すまなかった。そんな泣きそうな顔をされるぐらいに傷つけちまったなら――お前さんが嫌なら、もうここには来ないから。だから――」
「待ちなさいってば!」
思わず叫んで、パルスィは勇儀を見下ろして唸った。
――どうしろというのだ、この状況。地底に、いや地上に暮らす人間妖怪全てを含めても、鬼に土下座された者なんて自分の他にいるのだろうか。
「何なのよ、あんた……謝るぐらいなら、最初から……っ」
最初から、勇儀がここに現れなければ。
自分はここで、何も変わらない孤独を抱えたままでいただろう。
――そして今、勇儀が居なくなれば、また自分はそれに戻るのだ。
「…………っ」
そのことに思い至って愕然とし、また愕然とした自分にパルスィは顔をしかめた。
何だ、それは。今まで通りに戻るだけのことに――何を、そんな。
勇儀が来なくなる。ここにまた独りになる。
――それが、嫌だとでも言うのか?
今までずっと独りきりで永い時間を過ごしていたのに、何を今さら――。
「……すまない、本当に」
額の角を地面に擦りつけるような格好のまま、勇儀は動かない。
「……そうやって、一方的に謝罪だけ押しつけるなんて卑怯よ。妬ましいわ」
勇儀は顔を上げた。勇儀を見下ろすなんて、そういえば初めてだと今さらのように思う。
「だったら……どうすりゃあいいんだい?」
傲慢な鬼が、土下座までして自分に許しを乞うた。
妬ましくなんてないはずのことなのに――どうしてか、胸が疼く。
「どうもこうも無いわよ。……傲慢な嘘つきの謝罪なんて、聞きたくない」
「――――っ」
そんな言葉を投げかけるたびに、軋むように胸の奥が悲鳴をあげるのだ。
その痛みを見ないふりをして、パルスィは勇儀からも視線を逸らした。
「……嘘は、つかないよ。信じてくれなくてもいい。だけど、嘘じゃないんだ。パルスィ」
背中から聞こえる勇儀の声は、どこか泣き出しそうにすら聞こえた。
「そうだよ。私は確かに傲慢だった。一方的に惚れて、一方的にお前さんにこっちの気持ちを押しつけて、お前さんのことを考えてなんかいなかったんだ――」
「何よ、今さら――」
「――鬼だってね、好きな相手に大嫌いって言われたら、泣きたくもなるんだよ」
弱々しい声で、勇儀は呟くように言った。
「だけどそれは私の無神経のせいだ。だからせめて――謝ってだけは、おきたかったんだ」
立ち上がる気配がした。下駄の音が、ひどく甲高くその場に響いた。
「でも、これだけは聞いておいておくれよ。……パルスィ」
その手は自分に触れない。見えない勇儀との距離は、ひどく遠い。
「私は本当にお前さんが好きだ。――だけどそれがお前さんを傷つけるなら、もうここには来ない。だからせめて、覚えていておくれ。……お前さんを好きになった鬼がいたことを」
勇儀が踵を返す気配がした。
下駄の足音が、遠ざかっていく。
パルスィはぎゅっと、奥歯を噛み締めた。
――二度と来ないで。
そう言ったのは自分だったのに。
どうして、その遠ざかる足音に――胸が、軋むのだ。
「……星熊っ!」
叫んだ。気が付いたら、その名前が口から溢れ出ていた。
足音が止まる。「……パルスィ?」と、勇儀が振り返る気配がする。
「嘘つき」
「なっ――」
パルスィの呟きに、勇儀は微かに気色ばむ。
だけどパルスィは構わず、勇儀に背を向けたまま、言葉を続けた。
「あんたは嘘つきだから――そんなこと言って、また明日も、ここに来るんでしょう」
「……パルスィ?」
「どうせ、あんたに力でなんて敵わない。だけど私は、ここにしか居場所がないのよ」
自分が何を言いたいのか、パルスィ自身にも解らないまま。
「だから……あんたについては、もう処置無しって諦めることに、したのよ」
勇儀が息を飲んだ。……ああ、何を言っているのだろう、自分は。
だけど、言葉は止められなかった。
「好きにすればいいわよ。来るも、去るも、勝手にすれば。――あんたのことなんて、気になんか、しないんだから」
ふん、と鼻を鳴らして言った言葉は、負け惜しみみたいで情けなかった。
だけどそのことが――何故かあまり、妬ましくない。
「……パルスィ、そいつは、つまり」
「うっさい黙れ。同じこと何度も言わせるな」
――ああ、と勇儀が声をあげた。きっと、あの太平楽な笑みを浮かべているのだろう。
「パルスィ」
「何よ」
「……ありがとう」
「感謝されるようなことなんて、した覚えがないわ」
「――いいや、ありがとうだよ」
横目で、後ろをちらりと振り向いた。――勇儀はまた、土下座しようとしていた。
「ちょ、だから止めなさいって――」
「いや、これは謝罪じゃなく感謝の一念――あ痛っ!?」
がばっと勇儀が膝をつき、頭を下げようとした拍子に。
かーん、といい音がして、その額の角が石橋にぶつかった。
「痛っ、あ痛、痛ぁーっ!?」
途端、素っ頓狂な悲鳴をあげて、勇儀はその場をのたうちまわる。
その様に――気が付いたら、パルスィは。
「……ぷ、あは、あははははっ、何それ、馬鹿みたい――」
腹の底から笑いが込み上げてきて、噴き出すように笑っていた。
そのパルスィの笑いに、角を押さえて涙目になっていた勇儀も。
「……ははっ、はははっ、何だいもう――全く、ははははっ」
目元を覆って、堪えきれないといった様子で笑い出す。
笑いが止められずに、そのままパルスィは勇儀とふたり、しばらく笑い転げていた。
渡る者の途絶えた橋に、ふたりぶんの笑い声が、途切れることなく響いていた。
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