東方野球in熱スタ2007EX異聞「猫はどこだ」
2009.07.08 Wednesday | category:東方SS(東方野球)
12月12日、水曜日の文々。新聞朝刊に、その見出しが踊った。
《八雲藍 フロッグス入団》
《橙&てゐ←→燐&にとり トレード成立》
各チーム予選の前半3試合を終え、折り返しに入った幻想郷リーグ。タートルズは3連勝、フロッグスも直接対決に敗れただけの2勝1敗と好成績で前半を終えたところでの、突然のトレード話に、野球熱の再燃した幻想郷は騒然となった。
「来た! おりんりんランド開園きた! これで勝つる!」
「どう考えてもこっちが圧倒的不利だろう、汚いなさすがタートルズきたない」
「あの打線に藍様加入とかちょっとシャレならんでしょ……」
などと亀ファン蛙ファンがあちらこちらで侃々諤々の大激論を交わす中――。
《彼》はひとり、愕然とした面持ちで紙面を見下ろしていた。
そこに踊る見出しが伝える事実の意味が、彼には理解しがたいものだった。
底知れぬ喪失感が彼を襲っていた。大切な宝物を勝手に母親に棄てられた子供のような。
ああ神よ! なんという裏切りか! この世に希望という光は無いのか!
天を仰ぎ、祈るように彼は嘆いた。悲嘆に叫んだ。
奪われてしまった彼の宝物の名を、どこにも届かぬ声で。
『リンチャァァァァァァァン!!』
――彼の名は、コーチ人形Gと言う。
◇
コーチ人形Cは激怒した。必ずかの邪知暴虐の監督を除かねばならぬと決意した。
コーチ人形には野球がわからぬ。コーチ人形はただの人形である。
――あれ、ならば自分はなぜコーチをしているのだろう?
悲しいかな、自己の存在意義に関して自己解決をなし得る程度の思考能力は彼には与えられていなかった。半自立とはいえ、《野球のコーチをする程度の能力》を付加されているだけという意味では彼も幻影と一緒なのである。
さりとて、ただ何もかも命ぜられるままに動くだけの人形でもない。彼にもまたある程度の学習機能は与えられており――言い換えるならばそれは擬似的な心であった。
そして彼は学んだのである。その心に刻み込んだ、ただひとつの言葉。
それは彼という存在を規定する言葉だった。
――しかし今も、その言葉は空しかった。
憤怒もどこへやら、とぼとぼと竹林ドームの通路を歩いていた彼は、不意に足音に顔を挙げた。同僚のコーチ人形AとBが、並んでこちらに手を挙げている。
「きいたか、トレードの話」
「もうけもんな話だねえ」
「けっきょく等価なような気もするが」
「いいじゃないの、どっちも得るものがあれば」
「…………」
沈黙した彼に、ん? とAとBが首を傾げた。
「おい、どうしたC?」
「っと、なんだい、元気無いじゃないか」
「けっこう顔色悪いぞ」
「いけないな、医務室行った方がいいかもしれん」
「…………」
さらに沈黙を続ける彼に、AとBは顔を見合わせる。
彼はどこか諦念を滲ませて、ぽつりと呟いた。
「…………ねこ大好き」
この言葉に、AとBは安堵したように肩を竦め、彼の肩を叩いた。
「きょうも張り切っていこうか」
「もうあとひとつ勝てば決まりだしね」
「けっしょう進出を3人で見届けようぜ」
「いやいや、Dも忘れないでやろうよ」
「ねこ大好き」
――けれどやはり、その言葉はどこか力ないのだった。
◇
「アリスさん」
デーゲームのフロッグス対全パの試合前。永遠亭特設ブルペンの方にいたアリスのところへ、早苗が姿を現した。
「あら、試合前に敵情視察? 余裕ね」
「いえ、そういうわけじゃなくて。あの、お借りしたコーチ人形のことなんですが」
何しろフロッグスもタートルズ同様、選手はともかく裏方に関しては人手不足も甚だしい。そんなわけでアリスは、コーチ人形のスペアとして用意してあった分を幻想郷リーグの期間中フロッグスに貸し出していた。
「あの人形って、全部アリスさんが操っているわけではないんですよね?」
「私が出してるのは簡単な命令だけよ。コーチ人形の行動自体は学習機能に基づいた半自立だけれど――何か?」
アリスは訝しげに目を細める。まさかこっちがコーチ人形を使ってスパイ行為をしていると疑っているのだろうか。
「いえその――何だか、人形の様子がちょっと変なんですよ」
「変?」
「何というかその、今朝からずっと落ち込んでるというか」
「……落ち込んでる?」
アリスは首を捻った。半自立とはいえ、そこまで高度な知性を持たせた記憶はない。
「四体とも?」
「いえ、一体だけです。三塁コーチャーをしてくれてる、73番の」
「コーチ人形Gね。……少なくとも、私には覚えが無いわ。試合に支障が出そう?」
「いえ、そういうことは無さそうです。ただちょっと、雰囲気が暗いのが気になりまして」
ふうん、とアリスは唸る。あの人形が落ち込む? ……もしあの人形が稼働するうちに知性を高めたなんてことがあれば、それは自立人形を作る手がかりになるかもしれないが――。
「今から……は時間が無いわね。試合後でも確認させてもらっていいかしら」
「こちらからも一応お願いします。何だか気になるので」
ぺこりと一礼して、早苗はぱたぱたと戻っていく。その背中を見送りつつアリスが首をひねっていると、「あら、何だか変わったこともあるものねえ」と輝夜が声をあげた。
「そうね、コーチ人形が落ち込むとか、そんなことあるはず無いんだけど……」
「いや、あっちの監督の子と、何だか普通に会話が成立してたじゃない。保護者抜きで」
「……そっち?」
輝夜の言葉に、アリスは盛大にため息を漏らした。
◇
ひどく有り体な言葉を使ってしまえば、それは恋だった。
ゆらゆらと揺れる長い尻尾、ふさふさの耳。気ままにベンチで丸くなり、奔放にグラウンドを駆け回るその動作に、仕草に、彼は恋をしたのだ。
それは決して叶うことのない片想い。自分は人形で彼女は妖怪、自分はコーチで彼女は選手だった。近いようでその距離はあまりに遠く、だから自分にできることは声を上げることだけだった。彼女の名前を叫ぶことだけだった。
「リンチャァァァァァァン!!」
けれどもその声も、今は空しく竹林ドームにこだますだけだ。
火焔猫燐は、幻想郷タートルズにトレードされてしまったのだから。
フロッグスの選手が練習する竹林ドームのグラウンドに、もう彼女の姿は無い。ぴこぴこと揺れる尻尾も、ボールが飛んでくるたびに可愛らしく動く耳も――。
「……リンチャン……」
視線を落とし、定位置の三塁コーチャーズボックスの近くをふらふらと彷徨っていた彼は、不意にボコン、と頭部に衝撃を感じて振り返った。
「あにゃあ、ごめんなさい〜!」
ぱたぱたとこちらに駆けてくるのは――猫耳と尻尾だった。
「リンチャァァァァァン!?」
「あにゃああああああああああ!?」
彼のあげた奇声に、猫耳の少女は悲鳴を上げる。
「ちぇえええええええええええええん!?」
瞬間、モフモフの九尾が視界を掠めたかと思うと――次の瞬間、彼の身体はベンチまで吹っ飛ばされていた。超高速で駆け抜けていったモフモフの物体が彼を弾き飛ばしたのだ。
「どうした橙、何があった!? 橙を怖がらせたのはどこのどいつだっ!?」
「ら、らんしゃまぁ……へ、平気ですぅ」
ベンチに叩きつけられた格好のまま、彼はいきり立つ藍の姿を見上げる。
その傍らにいる小さな猫耳と尻尾は、しかし彼の恋した彼女ではなかった。
――トレードでフロッグスにやってきた、橙という化け猫の少女。
だけどそれは決して、火焔猫燐ではないのだ。
「リンチャン……」
「おやおや、何事だい?」
そこへ姿を現したのは神奈子だった。このフロッグスのヘッドコーチ――即ち自分たちの現在の実質的なボスである。よろよろと彼は立ち上がり、それからはっと思い立つ。
――それは素晴らしい思いつきに思えた。問題は、それをどうやって伝えるか。
彼は視線を巡らし、そして見つけた。今朝の文々。新聞。彼はそれを手に取り、勇んで神奈子の元へ向かう。
「うん? あんたは三塁コーチの……」
振り向いた神奈子に、彼はその一面を突きつけた。
「なんだい、新聞がどうかしたのかい」
彼は自らの意志を伝えるべく、紙面を必死に指さした。《トレード》《タートルズ》、そして自分自身。
「……? トレード? お前さんを?」
訝しんで目を細めた神奈子に、彼は頷く。
「なんだい、自分もタートルズにトレードしてほしいっていうのかい?」
そうそう、そうなのだ! 伝わったことに感動を覚えて、彼は何度も頷いた。
「いやいや、選手はともかくコーチのトレードなんて聞いたことがないがね。タートルズが恋しくでもなったのかい?」
「……リンチャン……」
俯いて彼は呟いた。「ははぁ」と神奈子は肩を竦める。
「あの子をトレードに出したことが気にくわないのかい」
「リンチャァァァァァン!!」
「耳元で叫ぶんじゃないよ。トレードは選手たちも合意の上でだ、それは解っておくれ。それにこっちも人手不足なんだ、お前さんが抜けたら誰が三塁コーチャーをするんだい」
「……リンチャン」
「変な人形だねえ。まあどうしてもというなら向こうの監督に話ぐらいはしてみるが……少なくとも今日は無理だよ。それは我慢しておくれ」
やれやれと首を振った神奈子に、彼はとぼとぼと背を向けた。
「リンチャン……」
ああ、やはり彼女の姿を同じグラウンドで見ることは叶わないのか――。
肩を落としてベンチ裏に引き上げた彼は、しかしそこでひとつの邂逅を果たす。
「!?」
「!!」
そこにいたのは、彼と同じ顔をした、タートルズのユニフォームを着たコーチ人形。
タートルズの背番号73、コーチ人形C――。
そのとき彼に舞い降りたのは、天啓と呼ぶべき閃きだった。
「リンチャァァァァァァァン!!」
彼の叫びがベンチ裏にこだまし、竹林ドームを揺るがして消えていく。
◇
さて、そんなこんなで試合は始まって終わる。静葉がKOされフロッグスは痛い連敗、残り2試合が負けられない状態に追い込まれた。
ベンチ裏、話し合いをする早苗や神奈子を見つつ、コーチ人形たちはいつものようにベンチの片づけをしていた。この後はタートルズの試合、撤収は迅速にである。
「カントク、アマリキオワナイデー」
「ゼッタイカテマス、ダイジョブデス」
「ハッハッハ、オナカスイタネ」
「フロニデモハイッテ、イッショニユックリシマショー」
「リ……リンチャン……」
相方の反応の鈍さに、EとFが顔を見合わせた。その反応に彼は誤魔化すように首を振って、それからこっそりとため息をつきつつ、横目でそれを見た。
「らんしゃま〜♪」
「さあ、今日は帰ってゆっくりしようか、橙」
ふりふりと揺れる魅惑の尻尾と、ぴこぴこと動くその耳に。
「……ねこ大好き」
至福の表情で、彼はそう呟いた。
フロッグスの選手たちが引き上げ、観客の入れ直しを進めつつ、今度はグラウンドにタートルズの選手たちが散らばっていく。
「きっちり勝って、決めてしまいたいな」
「もう決まったようなものとはいえ、油断は禁物」
「けりは早めにつけてしまうに越したことはないさ」
「いう通りだけども」
「……ね、ねこ大好き」
「おい、まだ調子悪いのか?」
「つかれてるなら休んでてもいいぞ」
「けんこう第一だからな」
「いつもの調子を取り戻してくれよ」
「ねこ大好き」
彼の返事に、AとBは満足げに頷いた。その反応に彼はほっと息をついた。
よし、同僚にもバレていない。作戦は完璧だった。
あとは自分が《彼》を演じ切れれば、どちらにとっても幸福な結果が訪れる。
《彼》は上手くやったのだ。自分にもきっと出来るだろう。
「じゃっじゃーん! おりんりんランド、はっじまっるよー!」
次の瞬間、威勢のいい声とともに彼女がベンチからグラウンドに飛び出した。
――それは彼が恋した、愛くるしい黒の耳と尻尾。
「リ……ね、ねこ大好き」
咳払いとともに誤魔化して、彼は心の中だけでガッツポーズとともに叫ぶ。
――リンチャァァァァァァァン!! と。
試合はタートルズの方も敗戦ムードで進んだ。メディスンがHR2発で沈み、打線も全セ先発の上原に抑えられて、1−6と敗色濃厚で試合は終盤を迎える。
8回裏、無死から走者が出るもあっという間に二死1塁。しかし代打のにとりが繋ぎ、走者ふたりを置いて打順は一番に戻ってくる。打席に向かうのは移籍即スタメンの1番、燐。
勝負強さがウリの彼女の打席に、逆転を祈るファンの歓声が高まっていく。
その中で――彼は叫びだしたいのを、三塁コーチャーズボックスからぐっと堪えていた。
ああ、叫びたい。今すぐに彼女の名前を叫びたい。
溢れんばかりのこの思いを彼女に伝えたいのに――。
「……ねこ大好き」
ぐっと奥歯を噛み締め、彼は打席に立つ彼女を見つめた。
――リンチャァァァァァァァン!!
そう、今は心の中だけで叫ぶのだ。愛しい彼女へのこの思いを。
そして《彼》のように自分もしっかりと化けおおせて――。
キィン。痛烈な打球音が、スタンドの歓声を切り裂いてグラウンドに響いた。
はっと彼は顔を上げた。白球がドームの右中間へ舞い上がる。やや浅めに守っていた外野手を嘲笑うように、ドームの空気を切り裂いて――ボールはスタンドへ消える。
歓声が爆発した。一塁を蹴ったところで燐が右手を高々と掲げた。
バックスクリーンのビジョンに、「HOMERUN」の文字が躍る。
――4−6。追撃のスリーランホームラン。
二塁を蹴った燐が、こちらへ走ってくる。彼は半ば呆然とそれを見つめて。
燐が右手を上げた。彼も咄嗟にいつもの癖で右手を出した。
パァン、と交わされるのはハイタッチ。
すれ違いざま、燐の満面の笑顔が彼の視界を埋め尽くして――
「リンチャァァァァァァァァァァァァァァァァァン!!」
至福とともに、彼は我を忘れて叫んでいた。
――ベンチに居たコーチAが異変に気付いてこちらに向かってくるのも、全く意識の埒外のままに、彼は目の前で見届けた愛する彼女の活躍に酔いしれていた。
「――お前、誰だ?」
もちろん、直後にコーチAに冷や水をぶっかけられるのだが。
「ね、ねこ大好き!」
「やかましいわ!」
――その後、試合終了までタートルズの三塁コーチャーが背番号71に変わっていたことに気付いていた者は、ほとんど居なかったという。
◇
結局、試合はそのまま敗れ、タートルズの決勝進出決定は持ち越しになった。
試合後、ベンチ裏でインタビューを受けたのはトレードでの移籍組のふたりだった。代打でのヒットを放ったにとりと、追撃のホームランを打った燐。
「お疲れ様ッス」
「ん、どーもねー」
引き上げていくインタビュアーの椛。にとりも足早にどこかへ向かっていき、残された燐はひとつ腕を回して、「さて、帰ろうかねえ」と呟いた。ご主人たちはもう屋敷に戻っているだろう。移籍とはいっても、普段屋敷から出歩いているのと気分的には変わらない。
「ましかし、今日は上々かね♪」
ホームランはまぐれ当たりのようなものだが、守備でファインプレーひとつは上々といえた。自分の武器は本来足と守備だから、そこでのアピールは次回の出番にも繋がるだろう。インタビューでも言ったが、何だかんだでご主人たちとの対戦が楽しみなのである。
気分良く鼻歌など歌いながら歩き出した燐は、しかし次の瞬間目の前に現れた影に足を止め、見上げて「ひゃあ!?」と思わず悲鳴をあげた。
「お、いたいた」
「つかまえたよお燐ちゃん」
「けいきのいい活躍で何よりだったなあ、今日は」
「いちげきでアピール、見事だったよ」
「ねこ大好き」
タートルズユニフォームに身を包んだ、あのコーチ人形3人組と。
「カッコヨカッタデス、リンチャーン」
「ゼッタイカツヤクシテクレルトオモッテマシタ」
「ハッハッハ、オナカスイタネ」
「フクキタルリンチャンニ、シュクフクノメッセージヲ」
フロッグスユニフォームのコーチ人形2体。同じ顔の人形がぞろぞろと連れだって現れた様は、さすがの燐もちょいとばかり顔の引きつる光景だった。
「な、なんだいあんたら、雁首揃えて」
見下ろされるほど大きな人形ではないが、大勢並ばれると異様な威圧感があった。たじろぎつつ燐が問うと、コーチ人形の一体が後ろを振り向く。
――そこには。
「リ……リンチャン」
もう一体のコーチ人形が、その手に花束を持って照れくさそうに佇んでいた。
彼はぎこちなくこちらへ歩み寄ると、その手の花束をこちらへ差し出す。
「へ? あたいに?」
こくこく、と彼は頷いた。燐はその顔と花束を見比べて、
「そいつぁ、ありがとうね」
貰えるものは素直に貰っておく。花束を受け取って笑うと、コーチ人形の表情がどこかほころんだような気がした。
「リンチャァァァァァァァン!!」
――だからといって、叫び声とともに突撃されるのは想定外である。
「ちょまっ!?」
咄嗟に発動したスペルカードによって呼び出されたゾンビフェアリーが、コーチ人形をピチュらせた。というかピチュるのかこいつらも。
目を回したそのコーチ人形を見下ろして、他のコーチ人形達が大笑いする。
燐は手元の花束と、足元でピチュったコーチ人形を見比べて――、
「ご苦労様だねえ、本当に」
噴き出すように、そう苦笑した。
◇
――なお、上海人形とメディスンの出来事の裏で、自分の作った人形たちの間にそんなことが起きていたなど、製作者のアリスは全くあずかり知らぬことだったりするのであった。
⇒ こじたん (11/17)
⇒ 浅木原 (11/16)
⇒ こじたん (11/16)
⇒ 時の番人 (11/14)
⇒ 置き石 (10/14)
⇒ 葉月 (09/19)
⇒ ろっく (05/17)
⇒ 六仁祝 (08/27)
⇒ はまなす (06/20)
⇒ 橘 奏 (08/10)