ゆう×ぱる! 6 / 「キスメの場合」
2009.07.06 Monday | category:東方SS(勇儀×パルスィ)
暗く狭い井戸の中が、キスメの世界の全てだった。
世界は四方を円柱状に切り取られていて、縦長の穴の中で完結している。涸れた井戸の乾いた土の上、古びた桶の中に身を収めて、何をするでもなく頭上のほのかな光を眺めて過ごす。それがキスメの一日で、それ以外に何もないはずだった。
『――こんな狭いところで何してるのよ?』
彼女が井戸の中を覗きこんで、自分に声をかけてくれるまでは。
『あんた、釣瓶落とし?』
カラカラと自分を引き上げて、彼女はそう言った。暗い井戸の中から明るい外に引きずり出されて、怯えて身を縮こまらせた自分に、彼女は訝しげに目を細めて。
『――怖くないわよ』
不意に目を細めて、その手で優しく髪を撫でてくれた。
キスメが顔を上げると、彼女はその金色のポニーテールを揺らして、にっと笑った。
キスメが初めて見る明るい世界で、その笑顔は直視できないくらい眩しくて――。
また縮こまって桶に潜ってしまった自分の髪を、彼女はまた撫でて。
『退屈なら、遊ぼ?』
そう言って、キスメが頷くまで笑っていた。
それがキスメと、黒谷ヤマメとの出会い。
――それからずっと、キスメにとって、ヤマメはたったひとりの友達で。
キスメの、一番大好きなひとだった。
◇
その日は、なかなかヤマメがやってこなかった。
別にヤマメも毎日決まった時間に来るわけではない。そもそも陽の差さない旧都では昼と夜の区別は便宜的なものに過ぎないし、中でも暗い井戸の中にいるキスメにとっては時間の区切りなど尚更縁の薄いものではある。気の向くままに食べ、気の向くままに眠る妖怪らしい生活スタイルだ。
その中で、仮に目を覚ましてから眠るまでを一日と定義するなら、その日はヤマメの来るのは随分と遅かった。ぼんやりと井戸の底でヤマメの来るのを待ちながら、キスメは何度目かのため息を桶の中に漏らす。
――ヤマメちゃん、まだかな。
頭上を見上げても、そこにこちらを覗きこむ彼女の顔は無い、
目を細めてみても、見つからないものは見つからない。
待つ時間は、遊んだ後の時間よりも遥かに永い、とキスメは思う。それは心の浮き立つ時間であると同時に、不安に心がさざめく時間でもある。
――ヤマメちゃん、本当に来てくれるかな。
いつだって、ヤマメを待っている時間は、そんな不安が思考を掠めるのだ。
井戸に引きこもっているキスメも、ヤマメがこの旧都の人気者だということは知っている。自分と一緒に旧都の街道を歩いていても、ヤマメに声をかける妖怪は多いし、ヤマメもそれらに笑顔で返事をして手を振って歩く。
そのひとりひとりが、ヤマメの「ともだち」なのだ――。
ただ事実として眼前にあるそれを見るたびに、桶の中でキスメの心はさざめくのだ。
通り過ぎていくたくさんの妖怪たち。キスメにとっては、全ての妖怪は「ヤマメ」と「それ以外」でしかない。もちろん名前を覚えている妖怪はいるが、それは単に情報として記憶しているだけで、それ以上の意味は無かった。
キスメにとってはヤマメだけが特別で、ヤマメが即ち全てなのだ。
井戸の中にひとりきりだった自分に出来た最初で唯一の友達――黒谷ヤマメ。
もう、ヤマメのいない毎日は考えられないし、いつだって頭の中ではヤマメのことばかり考えている程度には、キスメの中でヤマメという存在は大きかった。
だけれど、だけれども、である。
ヤマメは顔が広く、旧都に多くの「ともだち」がいる。
地底の人気者、アイドル。ヤマメがそんな風に言われているのを知っている。
――そんなヤマメにとっては、自分も大勢の「ともだち」のうちのひとりでしかないのではないだろうか? そんな不安が、いつも頭をかすめるのだ。
キスメにとって、ヤマメは全てだった。
他と比べるなどという発想自体存在しないほどに、唯一の存在だった。
――だから、ヤマメにとっても、自分がそうであってほしい。
そんな風に思うのは、おかしなことなのだろうか?
そんな風に思うのは――ヤマメにとっては迷惑ではないのだろうか?
自分は、キスメという妖怪は、黒谷ヤマメにとってどれだけの存在なのか――。
それが解らなくて、キスメはいつも不安なのだ。
もちろんそれは、ヤマメと遊んでいれば消えてしまう程度の小さなものだけれど。
「キスメ」
待ちこがれた声がして、キスメは顔を上げた。頭上にこちらを覗きこむ影。井戸の中に反響する声は聞き間違えるはずもなかった。ヤマメだ。
慌ててキスメは井戸を上りだす。滑車がカラカラと音をたてて、キスメの入った桶は井戸の外へと巻き上げられる。
「お待たせ。ごめん、ちょっと遅くなって」
少しばつの悪そうに、ヤマメは片手を上げて苦笑した。
キスメは目をしばたたかせて、それからきゅっと、ヤマメの服の袖を握る。
「ん、キスメ?」
きょとんと目を見開いたヤマメの顔を見上げて、キスメは桶の中で少し背を伸ばした。
え、と声をあげるヤマメの肩に手を伸ばして、いっぱいに伸びをして、こちらを覗きこむ格好になったキスメの唇に――ついばむように、自分のを重ねる。
「……って、い、いきなりなに?」
触れるのは一瞬で、ヤマメは顔を赤くして狼狽えたように声をあげた。
キスメはヤマメの袖を掴んだまま、押し黙って俯いた。
たぶん、自分の顔も真っ赤なのだろうけど。
待っていた時間が寂しくて、来てくれたことが嬉しくて、そんな気持ちがごちゃまぜのまま、思わずキスをしてしまった。――嫌がられては、いないと思いたい。たぶん。
「キスメ?」
顔をあげると、こちらを目を細めて覗きこむヤマメの顔。
――え、えと、ごめんね。
思いがけずその顔が近くて、キスメは慌てて声をあげた。先にキスしたのは自分なのに。
「いや、別に怒ってるわけじゃ……」
ヤマメは困ったように眉尻を下げて、それから手を伸ばしてキスメの頬に触れた。
その手は柔らかくて優しくて、はふ、とキスメは息を吐き出す。
――い……嫌じゃなかった? 急に、その、
しどろもどろにキスメがそう問うと、「何よいまさら」とヤマメは肩を竦める。
「……嫌なら、普段からしてないってば」
目を細めて、ヤマメの顔がすっと近付いた。
今度は少しだけ永く、互いの吐息を感じる程度に、唇が重なる。
「満足した?」
髪を撫でながら、額を合わせてヤマメは囁いた。その吐息の感触に、頬は熱いままだ。
唇と唇を合わせるという、何だか気恥ずかしい行為。
それが心地よくて、ヤマメに触れられていると幸せで、だからキスメはそれを求めてしまう。何だかんだ言いつつも、ヤマメの方もそれに応えてくれる。
だから、キスメは幸福なのだけれど。
――もういっかい、って、言ってもいい?
思わず、そんなわがままが口をついて出る。
ヤマメは肩を竦めて、それからもう一度目を閉じた。
触れてくる柔らかさを感じながら、胸の前でぎゅっと手を握りしめて、キスメは思う。
――幸せだなぁ、という気持ちと一緒に湧きあがってくる、胸の奥の小さな疼きはなんなのだろう。それが解らないから、キスメの気持ちは揺れる桶のように不安定なのだった。
◇
どこ行く? というヤマメの問いに、どこにも行かなくてもいい、とキスメは答えた。
ここでヤマメちゃんとお話ししてるだけでも楽しいよ。そう言うとヤマメは照れたように頬を掻いて、それから桶ごと自分を抱えてその場に座った。
ヤマメの胸に後頭部を預けて、えへへ、とその顔を見上げると、ヤマメも苦笑する。
こういうのも悪くないなあ、とキスメは思う。騒いで遊ぶのもいいけれど、ゆっくりするのもいいかもしれない。
「キスメって、ひとりでどこか出歩いたりしないの?」
ふと井戸の方を見やって、ヤマメが言う。キスメは首を傾げた。
――しないよ。ヤマメちゃんがいないときはいつも、井戸の中。
「ホントに狭いところ好きねえ」
呆れたようにヤマメは肩を竦めるけれど、実際そうなのだから仕方ない。井戸の外は広すぎて、ひとりでいると取り残されているようで嫌なのだ。ヤマメといれば、平気だけど。
――ヤマメちゃんと一緒の方が、好き。
「恥ずかしいこと言うな」
ぐりぐりと頭を押さえつけられて、キスメは思わず笑みを漏らした。
「じゃあ、私が居ない間は何してるのさ?」
頭上からこちらを覗きこんで、ヤマメは問うた。
キスメは目を細めて、素直に答える。
――ヤマメちゃんのこと、考えてるよ。
虚を突かれたように、ヤマメは目を見開いた。
「いや、それだけじゃないでしょ?」
――それだけだよ。
少し頬を膨らませて、桶の中で身体をひねってヤマメの方を振り返る。
――ヤマメちゃんと何して遊ぼうとか、ヤマメちゃんとどんなお話しようかとか、ヤマメちゃんはいつ来てくれるかなぁとか、今日もヤマメちゃんと一緒で楽しかったなぁとか――
普段こんなに長く喋ることが無いから、途中で少し息が詰まりそうになった。
なんでそんなに自分が必死に喋っているのかも、キスメにはよく解らない。
――ヤマメちゃんのことばっかり、ずっと考えてる、から、
自分は何を言いたかったのだろう。
ヤマメにそれで、何と答えてほしかったのだろう。――やっぱり、よく解らない。
「キスメ……」
何だかヤマメは少し困ったような顔をして、キスメの髪を撫でた。
――めい、わく?
思わず、ぽつりと、その言葉が漏れてしまった。
訊いてしまっていけない問いかけだったのではないかと、言ってしまってから不安になる。
――ヤマメちゃん、私、
何を言おうとしたのか自分でもよく解らないまま、キスメはヤマメの肩に手をかけて、
「ね、キスメ。今度はふたりじゃなくて、他の誰かも誘って遊ぼっか」
不意にヤマメはその表情を和らげて、そんなことを言った。
――え?
目を見開いたキスメに、ヤマメは優しく微笑みかけて囁く。
「大丈夫、旧都の連中は気のいい奴が多いから。キスメもすぐ仲良くなれるよ」
――ヤマメちゃん?
「友達はきっと、多い方がもっと楽しいからさ」
いつものように笑って、ヤマメはキスメの顔を覗きこんだ。
その目に見つめられると、キスメはもうそれ以上何も言えなくなってしまう。
――……うん。
小さく頷いたキスメの髪を、よしよし、とヤマメは撫でた。
その手の感触は心地良いのに――なぜだか、胸の奥がまた疼いた。
見上げるヤマメの笑顔は優しくて、キスメはどうしていいか解らず、曖昧に笑った。
言葉は口の中で空転して、小さな囁きとしても漏れることは無かった。
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