東方野球in熱スタ2007EX異聞「わりと憂鬱な霊夢の一日」
2009.07.04 Saturday | category:東方SS(東方野球)
12月14日(金)、博麗神社。
目を覚ますと、頭痛と悪寒とだるさがいっぺんに襲ってきて死ぬかと思った。
ぼんやりとした頭で、風邪だ、と理解する。何年ぶりだろう、ここまで本格的な風邪を引いたのは。ここ数年は記憶にない。
焦点を結ばない視界を彷徨わせて、ふわふわした意識のままに手を動かすけれど、布団の中に求めた温もりは無かった。熱で浮かされているはずの身体が、すっと冷えた気がした。
「……れてぃ?」
掠れた声で、恋人の名前を呼んだ。返事は無かった。
「レティ」
だるい身体で、もぞもぞと布団を這い出そうとする。ひやりとした冬の空気が途端に肌に触れた。寒い。身を縮こまらせて、しかし布団に戻る気力が沸かず――
「こら霊夢、何やってるのさ、もう」
声がして、霊夢はゆるゆると顔を上げた、
そこにあったのは求めた人の姿ではなかったけれど。
「すいか?」
「ほら、熱があるんだから布団に戻りなよ。風邪引いてるんだから安静に、安静に」
萃香に引きずられて、布団の中に戻される。霊夢の身体に毛布をかけて、萃香はいつもの赤ら顔でやれやれと酒臭いため息をついた。
「レティなら、今おかゆの準備してるから」
「れてぃが?」
熱いのが駄目なレティが、火を使う料理をどうやって――そんな思考が浮かんだけれど、熱でぼんやりとした頭ではそれ以上考えられなかった。
「うー……」
もぞもぞと布団の中で呻いて、霊夢は天井を見上げた。
ガランガランと頭の奥で鐘でも鳴らされているような気分だ。頭痛に顔をしかめながら、霊夢は長く息を吐く。……全く、何をしているのだろう。
それからようやく、試合のことを思い出した。そうだ、今日も試合だった。
目を閉じて思い出す。昨日の試合。フロッグスとの直接対決、3点リードの9回表。抑えとしては一番気楽な場面で――自分は。
調子は悪くなかった。そのはずだったのに、結果は4失点の敗戦投手。
はあ、とため息を吐き出す。それで今日はこのざまか。全く、どうしようもない。
どっちにしろ、昨日の結果があれでは、今日は展開に関わらず出番は無かっただろうが――。
「れいむ〜、おかゆ作ったわ〜、あちち」
土鍋を抱えて、レティがその場に姿を現した。
「ちょっと、だいじょうぶ?」
「平気よ〜、あちあち」
鍋敷きごと畳の上に土鍋を置いて、レティは鍋掴みを外すと指先に息を吹きかけた。やっぱり熱かったのではないか。その指先を握りしめたい衝動に駆られたけれど、身体はだるくてうまく動かせなかった。
「霊夢〜、食欲はある〜?」
「……あんまり」
こりゃ重症だ、と萃香が肩を竦めた。食い意地が張っているみたいな言い方するな、と睨もうとしたけれど、やっぱりそんな気力も沸かないのだった。
「具合が悪い時は無理にでも食べた方がいいよ」
「そうね〜。食べないと元気も出ないわ〜」
レンゲで白い粥をすくって、「はい、あ〜ん」とレティが差し出した。力なく開けた口に熱が放り込まれて、はふ、と霊夢は白い息を吐く。
「……今日の試合は?」
「そんな具合で何言ってるのさ。アリスに話は通しておくから、霊夢はゆっくり寝てなって。大丈夫、勝てば決勝だし、明日は休みだからさ」
だから、今日はゆっくり寝て決勝までに回復しないと。萃香はそう言って笑った。
「そうよ〜。霊夢が居なくても大丈夫だから〜」
「……そりゃ、3点差守れないクローザーは居ない方がいいわよね」
「そ、そういう意味じゃなくて〜」
背中を向けて呟くと、レティが困った声をあげた。
「れいむ〜」
レティがこちらに寄ってくる気配。ふん、と拗ねてそっぽを向いていると、頬に触れる指があった。ひんやりとした、レティの指。
「ええと、私たちは後で試合に行くけど〜。出来るだけ早く帰ってくるから〜」
「……勝手にすれば」
試合でも何でも行けばいい。どうせ自分の出番は無いのだ。
「一応、私の分身残して行くからさ。困ったことあったらこいつに言ってよ」
萃香がミニサイズの分身をこちらに寄越す。脳天気な赤ら顔に何となく腹が立ってデコピンしてやったら、仰向けに転んでもがいていた。
「れいむ〜、拗ねないで〜」
「拗ねてないわよ」
「じゃあ、こっちむいて?」
また、レティの指が頬に触れる。あつっ、という小さな声が聞こえた。
ため息をついて、霊夢はごろりと身体の向きを変える。それだけの動作も億劫だった。
「霊夢」
レティが目を細めて、優しくこちらを見下ろしている。
頬から首筋をなぞる冷たい指先が心地よくて、霊夢は小さく声を上げた。
「……レティ」
レティが目を閉じた。霊夢も目を閉じる。そっと近付くレティの気配と吐息――、
「いや、人前では少し自重しなよ、ねえ?」
萃香の苦笑混じりの声に、はっとふたり顔を見合わせた。
「ま、お邪魔虫は先に退散しますかしらね」
ごゆっくり、でも試合には遅れないよーにね、と言い残して、萃香は分身を引き連れて出ていった。その背中を見送って、霊夢はレティと額を寄せて苦笑し合う。
「霊夢」
「ん」
「今日ね、たぶんスタメンだと思うから〜」
「うん」
「霊夢の分も、頑張るわね〜」
「……よろしく」
くすぐったい吐息が心地よくて、ふっと睡魔が意識を侵蝕した。
「おやすみ〜」
レティの優しい声を聞きながら、霊夢の意識は眠りの底に沈んでいった。
◇
嫌な相手の気配を感じた気がして、目が覚めた。
開いた瞼に、あのふざけた薄笑いは無かった。どこかに隠れているのかもしれないが、見つけられないのなら一緒のことだ。
軽い頭痛に顔をしかめつつ、霊夢は身体を起こす。いつの間にかすっかり陽は落ちて、辺りは薄暗くなっていた。
「よく寝てたねー」
ミニ萃香がからからと笑いながら声をあげる。なんとなく腹が立ってデコピンしてやった。
寝覚めが悪かったのは、紫の気配なんかを感じて目が覚めたからだ。
そうでなくても最近、妙に冬眠中のはずの紫の気配を近くに感じるのだが――。
「うー……」
ともかく、頭痛と悪寒は多少は治まったけれど、まだ全身は熱っぽくてだるい。起きあがる元気の出ないまま、寝返りをうって霊夢は時計を見上げた。
もうすぐ、タートルズと全パの試合が始まる時間だった。
霊夢の寝室に、KP印のテレビは無い。今はあのテレビは居間に置かれている。
紫の気配のことはすぐに頭の隅に追いやられて、思考に浮かぶのは――彼女のことだ。
「レティ……」
自分の居ない球場で、レティはどうしているだろう。
今日の先発は魔理沙のはずだ。魔理沙とは第一戦でもバッテリーを組んでいたし、あのときは魔理沙と揃って猛打賞だった。やっぱり今の季節、レティは調子がいいらしい。
だから――心配なのは、レティが活躍できるかどうかではない。
自分が、心配しているのは――。
「れーむ、さっきのおかゆの残り、食べる?」
ミニ萃香がそう訊ねる。……ぐぅ、とお腹が鳴った。「食欲あるならだいじょぶだねえ」とミニ萃香はまた笑って、「持ってくるよー」とその場で分裂して走りだす。
それを見送って、霊夢は疲れた息を吐き出し、天井を見上げる。
れてぃ、と呟いてみても、なに〜? と答えてくれる彼女の声は無かった。
伸ばした手を握りしめてくれる優しい手も無い。
毛布を握りしめて、霊夢は目を閉じる。風が襖を鳴らす音がかたかたと響いた。
神社の中は、こんなに静かだっただろうか――。
「……レティ」
毛布を抱きかかえるようにして、霊夢は布団の中で身を丸める。
かつては当たり前だったはずの神社の静寂が、ひどく居心地が悪かった。
握りしめた毛布は温かいけれど――抱きしめた彼女の温もりには遠く及ばない。
吐き出した息は、彼女の吐息と混ざり合うこともなく消える。
「レティ」
無性に、レティの温もりが恋しかった。
レティを抱きしめて、その温もりに顔を埋めて眠りたかった。
――れいむ、と優しく囁いて、髪を撫でて欲しかった。
ああ、まだ自分はだいぶ弱っているらしい――と、霊夢はため息をつく。
レティは今は球場だ。これから試合に出て、魔理沙の球を受けて、――
自分がそこに居ないことを、レティは寂しがってくれるだろうか。
――今の自分と同じぐらい、寂しいと思ってくれるだろうか。
そう思って貰えないと、なんだか負けたようで悔しいではないか。
「れーむ、おかゆ持ってきたよー」
ミニ萃香……が分裂したチビ萃香たちが、わらわらと土鍋を運んでくる。
「れーむ?」
背中を向けたままの霊夢に、チビ萃香たちが首を傾げる。
「……ねえあんたら、居間からテレビ運んできてくれない?」
霊夢がそう口にすると、「うえ?」とチビ萃香たちはざわめきだした。
「運んでくるだけなら出来るけどー」
「配線繋ぐのは無理だねー」
「そのへんのことは河童じゃないと」
「にとりも試合があるから捕まらないだろーし」
「ちょっと難しいかなー」
「いっぺんに喋るなやかましい!」
声を張り上げたら余計に体力を使った。布団に潜り込んで、霊夢は息をつく。
「食べないの?」
「……食べるわよ」
けれど結局、空腹には勝てないのだった。
◇
おかゆを食べ終えると、少し元気が沸いた気がした。全く、現金なものだ。
「……ごちそうさま」
「おそまつさまー」
「片付けろー」
わらわらとチビ萃香たちが土鍋を運び去っていく。吐息して、霊夢は時計を見上げた。もうすぐ19時。試合が始まって一時間が経とうとしている。
試合はどうなっているだろう。レティは――どうしているだろう。
枕を抱いて、霊夢はもう一度時計を見上げた。今から球場に向かえば、ゆっくり飛んでも30分もあれば竹林ドームに着く。お腹にものが入ったせいか、球場まで飛んでいくぐらいなら何とでもなりそうな気がした。
立ち上がってみる。多少ふらつくが、歩けないほどではない。
「レティ……」
ゆるゆると首を振って、霊夢は襖を開け放つ。冷たい真冬の空気が、熱っぽい身体にかえって心地よくさえあった。冴え冴えと月が照らす雪の庭。縁側からそこを見下ろして。
――ああ、寝間着のままだ。だけど着替える時間も、今は惜しい。
早く、レティに会いたかった。
レティに会って、それで、それで――。
「ちょ、霊夢、何してるのさー!?」
「まだ起きあがっちゃだめだって!」
「布団に戻りなよー」
「安静安静ー、この寒い中に居たら悪化するってばー」
「うっさい」
お札を投げつけると、「わひゃー」と声をあげてチビ萃香たちはばらばらと逃げ回る。
「霊夢がそのつもりなら、こっちも力ずくで止めるよー」
「止めるぞー」
「合体だー」
「パイルダーオンだー」
わけのわからないことを言って、チビ萃香たちはわらわらと一箇所に萃まると、ぼんっと煙を上げて合体した。それでも相変わらずミニサイズなことに変わりはないが。
「邪魔するんじゃないわよ」
お札を投げつけた。やっぱり「わひゃー!?」と悲鳴をあげてミニ萃香は逃げ回る。分裂している以上、本来の萃香に比べると妖精レベルの力でしかない。
「だめだってば、霊夢、レティに余計な心配かけちゃー」
それでもミニ萃香は、霊夢の寝間着の裾を掴んで引っぱる。
「大丈夫よ……大丈夫だってば」
「まだ顔色青いじゃん! 震えてんじゃん、もー」
「うっさい黙れ……へくしっ」
寒い。冷たい風が身体に沁みた。両腕をさする霊夢に、ミニ萃香が「だからー」と声をあげ、
「ええいもう、本気で布団に引きずり戻すよ!」
ぼんっ、と音がして、ミニ萃香の傍らにどこからともなく萃香の本体が姿を現した。
「萃香? あんた、試合どうしたのよ」
合体だー、とミニ萃香を取り込んで、それから萃香は肩を竦めて霊夢に詰め寄った。
「病人が布団を抜け出してたから、試合抜けてきたよ。どうせ分裂してたせいでパワーダウンしてたし、今日の先発は魔理沙だしね。今頃DH放棄してるんじゃない?」
それより、と萃香は霊夢を睨んだ。う、と霊夢は小さく呻く。
「何やってんのさ、ホントに。大人しくしてなって言ったじゃん。霊夢が布団抜けだそうとしてるって言ったら、レティ涙目で困ってたよ?」
「う……」
半眼で睨まれそう言われると、霊夢としては返す言葉が見当たらなかった。
「せっかくレティ、活躍してるんだから。これ以上余計な心配かける前に布団に戻った戻った」
「……やーよ」
思わず、そんな子供みたいな言い返しが口をついた。
「何そんな、子供じゃないんだから」
「……テレビ、見る。球場行けないなら、せめて中継、見させてよ」
自分でもみっともないと解っていたけれど、そう言うしかなかった。
やれやれと萃香は肩を竦める。処置なし、という表情だった。
「テレビで中継見られるなら、大人しくしてる?」
「……してる」
「了解。なら、居間のこたつで大人しくしてなよ。絶対だよ? 見張ってるかんね?」
「解ったわよ……」
萃香に促され、寒い縁側をぺたぺたと霊夢は足早に居間に向かった。
――本当に、どうしようもないと自分に呆れてみるけれど。
風邪で弱ってる病人なのだから、少しぐらい我が侭を言ったって罰は当たらないだろう。
勝手にそう、自分を納得させることにした。
◇
テレビを点けると、丁度CMが流れていた。白玉@食品のCMを見るともなしに眺めつつ、霊夢はこたつにもぐりこんで息をつく。
「……昼の試合はどうなったの?」
「8−4でフロッグスが勝って決勝進出。うちは予選通過には勝利が最低条件、1位通過には6点差で勝たなきゃいけないんだけど」
「相手の先発、誰?」
「楽天の岩隈」
「そりゃ、6点差は無理そうね……」
日本シリーズでやり合ったときには、初戦で7回零封された相手だ。二度目の対戦では3点を奪ったが、いいピッチャーなのは間違いない。6点取るのは相当な難題だ。加えて6点取っても、こっちが零封しなければいけないわけだから、さらに難易度は上がる。
しかし、萃香はニヤニヤとこっちを笑いながら見つめていた。
「何よ?」
「まあ、見てみなよ。ほら、始まった」
霧雨道具店のCMが終わり、中継が再開された。5回裏、魔理沙がマウンドに上がっている。スコアは――。
「……6−0? ちょっと、どうなってんのよ?」
まるで狙い澄ましたように6点差。魔理沙の零封はともかく、岩隈からどうやって6点も取ったというのだ。萃香を振り返ると、ニヤニヤとした笑みのまま萃香は肩を竦める。
「いやあ、何しろ序盤でグランドスラムが飛び出したからねえ」
「そりゃまた……楽天キラーの妹紅? それともフラン?」
「そいつは、この回が終わってのハイライトを見てのお楽しみ」
5回の裏、魔理沙は一死満塁のピンチを招くが、咲夜の好守と鈴仙のホームゲッツーでなんとか無失点でしのいだ。相変わらず危なっかしい投球である。
グラウンド整備に合わせて、ここまでのハイライトが流れ出した。萃香は相変わらずニヤニヤと笑っている。画面は2回の表、一死満塁の場面。打席には――レティ。
「え?」
映し出された映像に、霊夢は一瞬我が目を疑った。
岩隈の初球を、レティはいつも通り何も考えてなさそうなフルスイング。真芯で捉えた打球は、レフトへ高々と舞い上がって――そのまま、札幌ドームの高い外野フェンスを越えてレフトスタンドに弾んだ。
「嘘ぉ!?」
思わず叫んだ。レティがグランドスラム? 岩隈から? いやいやいやいや。
「ホントだよ。レティの満塁弾だよ。嫁の大活躍ですよ旦那さん、いかがなお気持ちで?」
にしし、と萃香は意地の悪い笑みを浮かべて霊夢を見やった。
「……なにそれ」
こたつに顔を埋めて、霊夢は口元を隠した。たぶん、口元はだらしなく緩んでいた。
そりゃあまあ、レティが活躍してるとなれば、嬉しくないわけはないのである。
『霊夢の分も、頑張るわね〜』
「……ばーか」
全く、頑張りすぎというものである。本当に。
「魔理沙の調子も良さそうだし、このままいけるんじゃないかね、今日は」
残り2点はエラーでの得点だったらしい。それでKOなのだから岩隈が不憫だ。
「アテにならないでしょ、魔理沙の絶好調は」
「ま、そりゃそうだけどさ。レティのリードも冴えてるよ?」
「……ふぅん」
6回の表の攻撃はサクサクと終わった。魔理沙がマウンドに上がり、キャッチャーボックスにレティが入る。……マウンドにいるのがどうして自分じゃないのだろう、とふと思った。
別に、レティは藍と違って自分だけの専属捕手ではないのだから当たり前なのだが。
魔理沙の快速球が、レティのミットに収まる。にこにこといつもの脳天気な笑みを浮かべて魔理沙に返球するレティの姿が大写しになった。
『今日のレティは、バットだけでなくリードも冴えてます』
『魔理沙の制球がいいですからね。カーブを有効に使って、魔理沙の武器である速球を最大限に活かすリードをしています。レティらしい献身的なリードですね』
実況と解説の談話に、投球練習をする魔理沙の姿が重ねられた。
――献身的。レティのリードを評するなら、確かにその言葉が一番似合うのだろう。
輝夜のように、自分がゲームを支配するという意識よりも、投手の投げたいように投げさせるリード。霊夢ならフォーク、魔理沙なら速球、メディスンなら制球、それぞれの武器を活かすために様々な手を尽くすのが、レティだ。投手のために尽くす女房役という意味では、レティの方が捕手らしい捕手なのかもしれない。
――それはいいのだけれども。
『バッテリーの呼吸がピタリ合ってますね』
『ナイスピッチング、ナイスリード。言うことありませんね、素晴らしい』
けれども。
――なんでそんなに、相性抜群みたいな息の合いっぷりなのだ、そこのふたり。
6回裏も無失点に抑え、グラブを打ち交わして魔理沙とレティはベンチに戻っていく。
その様子を見送って、何だか喜び以外の感情がもやもやとしてくるのを霊夢は感じた。
ベンチで魔理沙がレティと何やら言葉を交わしている。レティは楽しそうだ。魔理沙の手が馴れ馴れしくレティの肩を叩いた。――こら、人の嫁に勝手に何を。
「霊夢?」
「……何でもない」
って、何を考えているのだ、自分は。霊夢はため息をつく。
レティは捕手としての仕事を務めているだけ。乗せられ上手の魔理沙をおだてているだけだ。
そのはずなのだが、なのだが――。
『節丸さん節丸さん』
『はい犬走さん』
『萃香選手の途中退場ですけど、今日欠場している霊夢選手の関係で何かトラブルがあって、その対応に向かったらしいッス。女房役で同棲中のレティ選手にそのことで話を伺ったッスけど、「ちょっと心配だけど、今は試合に集中するわ〜。今の私は魔理沙の女房役だから〜」とのコメントだったッス』
――魔理沙の女房役だから。
「…………」
いや、それはもちろん捕手としての話である。そのはずである。
しかし、「ちょっと心配だけど」って、自分のことは「ちょっと」なのか? いや、選手としてはその態度が正しいのだろうが、輝夜も今日は欠場だろうし――、
『まるで浮気宣言ですね』
『はっはっは、旦那が聞いていたら試合後は大変ですね』
――聞いてるわよ馬鹿。
「霊夢ー?」
「……ふん」
こちらを見つめる萃香の視線から目を逸らして、霊夢はこたつの中に深くもぐった。
◇
結局試合はそのまま6−0で、9回裏の守備を迎える。
マウンドに向かう魔理沙の肩を、ベンチ前でレティが叩く姿が映し出されていた。
「このまま逃げ切れるかねー」
隣で酒を呑みながら呟く萃香に、霊夢は黙ってお茶を啜る。……しぶい。
「んー? 勝ってるのになに不機嫌そうなのさ?」
「……そんなことないわよ」
魔理沙とレティ。このまま魔理沙が完封すれば、投打のヒーローでふたりがお立ち台だろう。
――自分だって、レティとふたりでお立ち台に上がったことなんて無いのに。
方や前日フルボッコにされて、風邪で欠場の抑え投手。
方や決勝進出を決める力投エースとその女房役――。
「…………」
なんで今、あのマウンドにいるのが自分ではないのだろう。
レティの返球を受け取っているのが、自分ではなく魔理沙なのだろう――。
「……寝る」
「え、ちょっと、もう試合終わるよー?」
もぞもぞとこたつの中に潜り込んだ霊夢に、萃香が驚いた声をあげた。
「もう決まったでしょ、めでたしめでたし。……おやすみ」
「レティのお立ち台、見ないの?」
「…………」
魔理沙と並んでのお立ち台ではないか。自分ではなく。
「霊夢のために頑張ったの〜、とか言うと思うけどなー、レティのことだから」
「……それはそれで恥ずかしいから、寝る」
「そこで寝てるのって旦那としてどうなのさー?」
ニヤニヤと笑いながら言う萃香に、枕代わりにした座布団に突っ伏して霊夢は呻いた。
――どうしろっていうのよ。
「っと、おおお、さすがだねえ」
萃香の声に思わず顔を上げる。咲夜と美鈴の二遊間がまた芸術的なゲッツーを獲ったところだった。二死走者なし、完封勝利まであとひとり。
全パの6番和田が、4球目のストレートを打ち上げた。平凡な内野フライを、二塁の美鈴が確実にグラブに収める。――スリーアウト、試合終了。
竹林ドームに大歓声が響いた。6−0、全パを完封勝利。しかも6点差で、予選リーグ1位通過のおまけつきである。ハイタッチを交わすナインの姿が映し出されていく。
「おー、きっちり6点差で勝った勝った。これで1位通過だね」
「……そうね。てゆか、この試合もし負けてたら」
「敗退だったよ?」
「…………」
つまり、昨日炎上した自分が最大の戦犯になるところだったわけか。
――勝ってくれて良かった、と今だけは心から思った。
で、ヒーローインタビューである。
『今日のヒーローはこのお二方。見事全パ打線を完封しましたバッテリーお2人、霧雨魔理沙投手とレティ・ホワイトロック捕手です〜』
インタビュアーの文がマイクを向けるお立ち台には、案の定魔理沙とレティが並んでいた。
『アレ? 実は私ら2人共中継あるときのお立ち台って初めてじゃないか?』
『そうね〜。特に私は大した活躍とかしてなかったもの〜』
魔理沙の呟きにレティが答える。
「……開幕戦、紫に勝ち消されてなければねえ」
結局、何だかんだ言いつつ見ている自分にため息をつきつつ、霊夢はお茶を飲みながら呟いた。開幕戦、満塁から3点タイムリーを放ったレティ。案外満塁に強いのかもしれない。
「そういや、そんなこともあったね」
杯を傾けつつ萃香も呟く。それからニヤニヤとまたこちらに酒臭い笑みを向けた。
「やっぱり嬉しい? 嫁のお立ち台は」
「……うっさい」
口元を隠して、霊夢は萃香を軽く睨んだ。
『まずはレティ選手です。ご自身も初めてという見事な満塁ホームランでした。ご感想をどうぞ』
『特にないわ〜。いつも振り回してるだけだし、それがたまたまホームランになっただけよ〜』
ゆるいコメントに、文が反応に困ったように苦笑した。まあ何とも、レティらしい。
『……い、いや〜。シーズン中は春から秋にかけてで調子が出ませんでしたが、冬の今、まさに貴方の季節ですね!!』
『そうね〜。体調がいいのは確かね〜。でもたまたまよ〜』
謙遜というか、レティの場合はこれが素なのだ。文もやりにくそうである。
「……そんだけ?」
「ん、霊夢?」
「……なんでもない」
何だ、風邪で伏せっている旦那に対するコメントは何も無いのか。
隠した頬を膨らませて、霊夢はテレビの画面を睨んだ。
『……ありがとうございました。次は魔理沙投手です。何でも試合前から完封宣言をしていたとか?』
『まぁな。今日負けたら終わり。霊夢もいない。じゃあ私がやってやるしかないだろ?』
魔理沙は相変わらず魔理沙だった。大した自信である。
――というか、何でレティからじゃなく魔理沙から自分の名前が出てくるのだ。
『それを実現してしまうところがすごいですねぇ。しかもきっちり六点差。予選リーグ1位通過ですよ!!』
『ま、6点取った立役者はこいつだぜ。よくリードしてもらったし、いい女房をもらったもんだぜ』
――ちょっと待て。
『魔理沙もいい旦那様だったわよ〜。今日はしっかり要求通りのところに投げてくれたもの〜』
――こら、そこの二人。
『あやややや、お熱いですねぇ』
そして煽るなそこの天狗!
「霊夢、いやいや、冗談だってふたりとも、ねえ?」
「――――」
そんなに剣呑な表情を自分はしていたのか、萃香が慌てたようにフォローの声をあげた。
……冗談、そう冗談だ。魔理沙の軽口に、レティが調子を合わせただけ。
そんなことは解っている、解っているのだけれども。
『それでは決勝に向けての意気込みを一言ずつお願いします』
『ぼちぼち頑張るわ〜』
『……それだけかい。私もできれば出場したいが、多分できても中継ぎだろうな。ま、ぼちぼちやるぜ』
『最後まで息の合ったお2人でした〜』
文の言葉にフラッシュが焚かれ、お立ち台の2人がスタンドへ手を振る。
『……いいんですか? 霊夢さんに怒られますよ?』
その中で、マイクの切り忘れかそれともわざとか、文の呟きが放送に乗った。
それに対する、レティの返事も。
『大丈夫よ〜。どうせ今頃寝てるから〜』
――――――。
「れ、霊夢さん?」
「寝る。……全力で寝る。朝まで絶対起きない」
こたつに潜り込んで目を閉じた。お立ち台のレティののほほんとした笑顔が浮かんだ。
――人が風邪引いて寝てるってときに、うちの嫁は。
「……レティのばか」
割と真剣に泣きたくなった。
◇
本気で不貞寝するつもりだった。さすがにこたつで寝ては風邪が悪化しそうなので、部屋に戻って完全に寝る体勢に入っていた。レティが帰ってきたって起きてやるもんか、なんて思いつつ目を閉じて、気持ちのいい微睡みに落ちようとしていたのだけれど。
「こんばんは」
「こんばんわー」
「やあ、お邪魔するよ」
思いがけない来客があって、結局霊夢はもぞもぞと起き出す羽目になった。
「……こんな時間になによ?」
やってきたのは守矢神社の3人組と、
「夜分遅くに失礼します」
古明地さとりである。フロッグス首脳陣と地霊殿の主が何の用だというのだろう。
「これから、アリスさんや魔理沙さんらもこちらにいらっしゃるはずです。……ええ、両チームの首脳陣である皆様にお話しなければならないことがありまして。……詳しいことは全員が揃ってからに」
こちらが疑問を返す前に、勝手に先取りしてさとりは話を進める。
「人の思考を勝手に読むな。……まあいいけど。病人だから大したもてなしも出来ないけど、そういうことなら上がってて」
「ありがとうございます」
さとりが頭を下げ、守矢組もそれに倣って、おのおの神社に上がり込んだ。
「ああ、あんたたちも予選通過したのよね。……一応、おめでとうと言っておくわ」
「一位通過はそちらに持って行かれちゃいましたけどね。決勝でもよろしくお願いします」
もっと何か言い返すかと思ったが、早苗は殊勝にひとつ頭を下げただけだった。拍子抜けして霊夢はそれを見送る。もっと突っかかって何か変なことを言うかと思ったのだが。
「……あによ、炎上した抑えは敵として眼中に無いってこと?」
「いやいやいや」
霊夢の呟きに、神奈子が苦笑して肩を竦めていた。
「あ、霊夢ー。アリスから電話。何か話があるから守矢組とここに集まるって」
「遅いわよって言い返しておきなさい」
萃香の声に、やれやれと霊夢はため息を吐き出した。
で。
「こんばんわ〜。もう皆萃まってる?」
そんな声とともに、残りの面々が姿を現した。アリス、魔理沙、パチュリー。そして、
「ただいま〜」
その3人に連れ立って、レティは脳天気な笑みのまま声をあげた。
「……おかえり」
アリスたちを案内する萃香を横目に、霊夢はぶっきらぼうにそれを出迎える。
「霊夢、起きてたの〜? 大丈夫〜?」
「大丈夫よ。一日寝てたから」
答えつつ、眉間に皺が寄っていることを霊夢は自覚していた。
「れいむ?」
きょとんとレティは首を傾げる。――ええいとぼけるか浮気の現行犯。
「何だかアリスたちが話あるみたいよ〜」
「聞いてるわよ」
アリスたちの萃まる部屋に向かう。部屋ではアリスと魔理沙が守矢組と何やら話をしていた。その隅の方に霊夢は座布団をひき――「で」とレティに向き直った。
「さてレティ。……何か申し開きがあるなら聞こうじゃないの?」
「ほえ?」
半眼で睨むが、レティは相変わらずきょとんと首を傾げていた。
――ああ、またふつふつと怒りが、こう。
「ほえ、じゃないわよ。――ヒーローインタビュー」
「……え、霊夢、見てたの〜?」
目をしばたたかせて、それからレティの顔がものすごく気まずそうに引きつった。
「見てたの。……ねえ、随分息ぴったりだったじゃないの?」
「あ、いや、あれはその〜」
「何よ」
「れ、れいむ〜、あのね〜」
「あんたなんか魔理沙と結婚でも何でもすればいいじゃないの〜」
むに。その頬を両手でつまんで思い切り引っぱった。むにー、と相変わらずよく伸びる。
「いひゃいいひゃい〜、れいむやめへ〜」
涙目でもがくレティに、「うっさいこの浮気者」とさらにつねる。
ええい、風邪でへばってるときに浮気現場を見せつけられた旦那の気持ちになってみろ。
「テレビの中継見ながらなら安静にするって条件で大人しくさせたからさぁ。インタビューまで見てたんだよね」
萃香の声。振り向けば、周りの視線がこちらに萃まっていた。
「そりゃ悪かったな。もっとやれ」
浮気相手は爽やかにそう言い放ち、他の面々はニヤニヤと笑みを漏らしている。
――ああもう、自分だけ馬鹿みたいじゃない。
魔理沙の方を軽く睨んで、それから霊夢はため息とともに手を離した。「う〜」と涙目で呻くレティに、とどめのデコピンを一発。このぐらいは罰も当たるまい。
「……本題に入ってよろしいですか?」
疲れた様子でさとりが言い、「あ、ごめんなさい。ちょっと、そろそろ静かにして頂戴」とアリスが場をまとめに入る。そういえば、何か話し合いがあるのだったか。
「はいはい。で、何の話なの? こんな夜更けに病人のいるところに大勢萃めて」
れいむ〜、という隣の小声は無視して、話を進めにかかる。何しろ一応病人だ、日付が変わる前には眠りたいのである。
こほん、とさとりは咳払いをひとつ。そして顔を引き締めると、おもむろに口を開いた。
「今から話すのは、貴方達が『球宴異変』と呼んでいる一連の騒動の裏で暗躍していた、八雲紫についてです――」
◇
話し合いが終わり、場が解散したのは結局日付が変わる頃だった。
紫の思惑の件は、霊夢にとっては割とどうでもいい話だった。紫が裏でどんな策謀をしているのであれ、自分に被害が及ばないなら別に気にはならない。あのロケット騒ぎのときのような羽目はさすがに勘弁してほしいところだが。
――ともかく。
「ええと……ごめんなさい」
目の前でうなだれる嫁のことの方が、霊夢にとっては重大事なのだった。
「まさかほんとに、霊夢が見てるとは思わなくて〜……」
「私が見てなかったら浮気していいってこと?」
「ち、ちがうわ〜」
慌てて首を振るレティを、眉間の皺を消さずに睨む。
――実際のところ、そこまで本気で怒っているわけではない。魔理沙を乗せる上で少し調子に乗っただけの言葉だということぐらいは解っている。
けれども、である。
「あれはだから、バッテリーとしての比喩的表現で〜……」
「あら、じゃあうちに嫁に来たのも比喩的表現?」
「ちがうってば〜」
むにー。頬を引っぱる。「いひゃいいひゃい〜」。うるさい馬鹿。
「れいむ〜、信じてほしいわ〜」
「何をよ」
「……私が好きなのは、霊夢だけだってこと〜。本気で浮気なんて、絶対しないわ〜」
すがるようなレティの言葉に、霊夢は大きく息をついた。
「レティ」
「う、うん〜」
「――そんなことはね、知ってるのよ馬鹿」
むにー。
「あう〜」
「誰もね、あんたが本気で浮気したなんて思ってるわけじゃないのよ」
むにむに。その頬に触れながら、霊夢はこつんとまだ少し熱っぽい額をレティにぶつけた。
「……夏場のあんたが、勝手に拗ねてた気持ちはよく解ったけど」
思い出す。夏場に倒れて登録抹消され、神社で寝ていたレティは言った。
『……霊夢が頑張ってるのに、それが辛い自分が、嫌なの』
自分のために頑張ってくれているのだ、ということが解っていても。
好きな人が、自分以外の誰かと頑張っているのは、見ていて何か辛いのだ。
――子供みたいな嫉妬心だというのは解っているのだけれども。
「ねえ、解るでしょ?」
「……れいむ」
「レティ。……私がどうしてほしいか、解ってるでしょ? こっちは病人なんだから」
ああ、こんなことを口走ってしまうのも、まだ熱っぽいせいだ、きっと。
今は、そういうことにしておきたかった。
「霊夢」
レティの腕が、霊夢の背中に回された。
ひんやりとしたレティの身体が、火照った自分の肌に触れる。
「……明日休んだら、明後日から決勝だから〜」
「うん」
「今度は絶対、打たれないように私も頑張るから〜」
「うん……」
「風邪治して、一緒に頑張りましょ〜」
「……解ってるわよ」
レティの柔らかな身体に身を預けて、霊夢は大きく吐息とともに目を閉じた。
ひやりとした手が髪を撫でる感触に、睡魔が鎌首をもたげてくる。
――大好きな人に抱きしめられて眠る心地よさを、全身が求めていた。
それを今、こうして手にできる自分は、やっぱり幸せなのだ。
「おやすみ〜、霊夢」
……おやすみ。
呟いた声が音になったのかは解らないけれど。
小さな幸せを抱きしめるようにして、霊夢は静かに眠りに沈んでいった。
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