ゆう×ぱる! 4 / 「水橋パルスィの困惑」
2009.06.21 Sunday | category:東方SS(勇儀×パルスィ)
独りでいることが常だった。
孤独とは相対的な概念だ。他者との関わりを知らない者は、独りであっても孤独ではない。それが孤独であるということを認識できないからだ。
だとすれば、どうして自分は孤独という概念を知っているのだろう。
――それは、遠目に眺めて知っているからだ。
地上の光、旧都の灯り。そこで笑い合ういくつもの存在。独りではない者たち。
自分に無いものを持っている者たち。
妬ましい。ああ、本当に妬ましい。
自分には手に入らないそれを持っている者たちが、本当に妬ましい。
だから自分はここで、いつも独りで妬んでいる。
楽しそうに笑い合う地底の妖怪たちを。
ずっと、嫉妬し続けている。
それが自分だ。橋姫、水橋パルスィだった。
常に独りで、独りではない者たちを妬み続ける妖怪――。
そのはずだった。
◇
地底はいつも同じ風が吹いている。
湿った冷たい風は、同じように吹いて、同じように淀み、同じように朽ちていく。
それは決して変わり映えのしない、地底の妖怪の暮らしに似ていた。
誰もが永い生を持て余して、暇潰しに興じて生きている。
同じ事の繰り返しを馬鹿みたいに騒いで、笑って――。
そんな単純な妖怪たちが、やはり妬ましくて仕方ないのだ。
例えばそれは、いつも酒を呑んで騒いでいるばかりの、鬼であったり。
そう、そんな傍若無人で傲慢で馴れ馴れしい鬼が、妬ましくて――大嫌いなのだ。
大嫌い、なのだ。
静けさの満ちる縦穴の麓。
不意に固い音が響いて、パルスィははっと振り返った。
けれどそこに、もちろんあの大柄な影があるはずもない。
どこからか石が転がり落ちた音だったのだろうか。息をついて、パルスィは欄干にかけた両腕に顔を埋めた。……ひどく、この場所が静かだ。
そんなはずない、と呟いてみる。
誰にも聞こえない言葉は、地底の風に流されて消えていく。
――そう、あんな鬼、大嫌いなのだ。
馴れ馴れしくこちらを変な名前で呼んで、頭を撫で回して、その大きな身体で威圧するみたいにこっちに近寄って、頬に触れて――わけのわからないことを言って。
昨日言い放った通りだ。大嫌いなのだ、星熊勇儀のことなんて。
「そうよ……大嫌い、よ。妬ましいわ……」
ぱるぱる、と小さく口癖を呟いてしまって、またため息をつく。
そう、納得しているはずなのに、小さな疑問が脳裏にこびりついて消えないのだ。
――だったらどうして、この場所はこんなに静かなのだろう?
あの鬼が来たのはたった三日前からのこと。それ以前はずっと、ここにひとりで。この場所の静寂を乱す闖入者は、残らず追い返してきていたのに。
どうして、その静寂が、今はこんなに耳につくのだろう。
『おーい、ぱるちー』
「……ぱるちー言うな、ばか」
たぶんそれは幻聴で、それに返事をしてしまった自分に嫌気が差す。
これではまるで――あの鬼をここで待っているみたいではないか。
またあの馴れ馴れしい鬼がやってきて、自分を変な名前で呼ぶのを、待ちこがれているみたいではないか。――そんなはず、あるわけがないのに。
「星熊……勇儀」
聞かされたその名前を、小さく呟いていた。
ああ、自分でも本当に、解らないのだ。あの鬼のことが。
元々嫉妬の心が無いのか、自分の近くにいても脳天気に笑い続けて。こっちがどれだけ邪険にしても、構わず飲んだくれながら、馴れ馴れしく自分に触れようとするあの手。
大嫌いだ、と言った。
大嫌いだと――思いたかった。
自分はそんな馴れ馴れしいあの鬼が嫌いで、変な名前で呼ばれるのが嫌で、髪を触られたりするのなんか言語道断。もう関わりたくなんてないのだと、そう思っているはずなのに。
――そのはずなのに。
『お前さんが可愛いから、気になって仕方ないのさ』
勇儀の言葉が耳の奥に蘇って、かっと全身が熱くなった。
その熱が――どうしてか、不快に思えないから、困っているのだ。
『参ったね、どうやら――お前さんに、惚れちまったらしい』
そんなの、タチの悪い冗談に決まっているのに。
決まっているはずなのに――。
「……ゆう、ぎ」
どうして、あの太平楽な鬼のことが、さっきからずっと気になって仕方ないのか――。
「おお、やっと名前で呼んでくれる気になってくれたのかい?」
突然、本当に突然、その声は頭上から降ってきた。まるで釣瓶落としのように。
飛び上がって身を竦めたパルスィの頭上で、あの呵々とした笑い声が響く。
「ほっ、星熊っ!?」
間抜けにも素っ頓狂な声をあげて、パルスィは背後の影を見上げた。
いつものように、杯を片手に赤らんだ顔で、星熊勇儀はニヤニヤ笑いながら、その長身でパルスィを見下ろしていた。
「何だ、名前で呼んでおくれよ。ぱるちー」
「ぱる――ああもう、なんでここにいるのよっ!?」
動悸が速くて息が詰まりそうだ。それは単に驚いたからだと思いたかった。
「なんでって言われてもねえ」
「昨日行ったでしょう、二度と来ないでって――だ、大嫌い、って」
なぜそこでどもってしまうのか、自分の言葉が自分のもので無いようだ。
そして目の前の鬼は、その言葉にしょげて帰っていったはずだったのに――。
「そりゃあ、パルスィ――」
にっと笑って、勇儀は不意に欄干に手をつくと、ずいっと顔を近づけた。
「お前さんが、好きになっちまったからさ」
「――――っ」
真顔で勇儀の言った言葉の意味が、パルスィにはよく理解できない。
――好き? 好きって、誰が、何を?
「わ、わわわっ、私は――嫌いだって、言ったでしょう」
「ああ、だから、好きになってもらおうと思ってね」
酒臭い赤ら顔で、勇儀はこれ以上もなく脳天気に笑った。
「なっ、なるわけないでしょう――」
「そりゃあ解らんさ。私がお前さんに一目惚れしちまったみたいにね」
また、勇儀の手が頬に伸ばされた。思わずびくりと身を竦めて目を閉じる。
大きな手は、やっぱり冷たくて、けれど優しかった。
――その手の感触が、どうして不快じゃないのだろう。
「どっ、どうしてそうあんたは馴れ馴れしいのよっ!?」
「こっちにも馴れ馴れしくしてくれて構わないよ? 星熊、なんて他人行儀な呼び方じゃなくてね。勇儀って呼んでおくれよ、ぱるちー」
「ぱるちー言うなぁっ! 私はそういうあんたの馴れ馴れしいのが、き、嫌いなのよっ!」
顔が熱いのは、近付いた勇儀の身体が暑苦しいからだ。特に胸のあたりとかが。
そのせいだと、思いたい。
「だめかい? じゃあ、どんなのがお好みなのさ」
「どんなのもこんなのも――」
「ああ、橋姫だから、お姫様扱いしなきゃいけないか。こりゃあ失敬」
と、不意におどけて勇儀は身体を離すと、突然恭しくその場に膝をついた。
「お手をどうぞ、お姫様?」
すっと右手を差し出し、まるで紳士のような態度で勇儀は微笑む。
呆気に取られて、思わずパルスィは手を伸ばし、
「捕まえたよっ」
ぐいっ、とその手が引かれて、次の瞬間。
「きゃあっ!?」
パルスィの身体は、宙に浮いて――勇儀に両腕で抱き上げられていた。
「お姫様ったら、やっぱりこの格好だねえ」
「なっ、ばっ、馬鹿、離せーっ!」
腕をぶんぶん振り回すが、勇儀は笑うばかりで降ろそうともしてくれない。
両足が地から離れ、膝と背中を勇儀に支えられて、――これではまるで、本当に。
「こらこら、あんまり暴れるんじゃないよ。じゃじゃ馬なお姫様だねえ」
「いいから離せ、離しなさいってばこの――っ」
闇雲に振り回した腕が、めき、と勇儀の頬に入った。
あ、とパルスィが声をあげて手を離すと、勇儀の頬に赤い跡。
――しかし勇儀は、やっぱり太平楽に笑っている。
「元気で結構。さて、どうするかね。このまま攫っちまおうか」
「だから止め、離しなさいってば、いい加減に――っ」
勇儀の髪を掴む。髪を引っぱられても勇儀は痛がる様子も見せない。自棄になってパルスィは腕を振り回し、その額にある一本の赤い角へ手を伸ばして、
「っ!?」
その角に指先が触れた瞬間、勇儀がびくりと震え、パルスィを落としそうになった。
「ちょ、ちょっと、急に離さな――」
「ど、どこ触るんだいっ」
慌てた声をあげたのは勇儀の方だった。きょとんとパルスィは目を見開き――狼狽した勇儀の表情に、ひょっとして、というひとつの可能性に思い至る。
――だとすれば、それはなかなか、楽しいではないか。
「……ひょっとしてあんた、角が弱点?」
「な、何を言い出すんだい――」
「どーれどれ?」
「こ、こら、そんなところに触るんじゃないよっ」
パルスィが手を伸ばそうとすると、勇儀は慌ててパルスィの身体を降ろした。どうやら本当に、角に触られるのが苦手らしい。思わずパルスィは笑みを浮かべる。
散々やられっぱなしの鬼に、ようやく弱点を見つけた。
「何よ、散々人のあちこち触っておいて。触らせなさいよ、その角」
「だっ、だから止め、こらぱるちー」
「ぱるちー言うな、ほれほれ――」
勇儀に詰め寄り、パルスィは背の高い勇儀の、額にある角へ手を伸ばす。勇儀が反射的にそれを避けようとして――その足元の下駄が、硬い音をたててバランスを崩した。
「あっ――」
「えっ、ちょ――」
目の前でよろめいた勇儀に巻き込まれるように、パルスィもそのまま引き倒される。どすん、と音をたてて勇儀の身体が仰向けに倒れ込み――。
ぼふん、と何か柔らかいものに、自分の顔が弾んだ。
「な、何するのよ――」
鼻を押さえてパルスィは顔をあげて――勇儀と、目が合った。
それは丁度、自分が勇儀にのしかかるような格好。
自分の顔を受け止めた柔らかいものは、勇儀の豊満な胸だった。
――で、今顔を上げた自分の手も、その柔らかいものに触れていた。
「参ったね、ぱるちー」
酒のせいかそれ以外の理由でか、赤ら顔でこちらに目を細めて、勇儀は囁いた。
「そいつはちょっと、積極的に過ぎやしないかい?」
「――――ッ」
ばっと慌てて身体を離すと、「なんだい、残念だね」と勇儀は身体を起こした。
「そのまま押し倒してくれたって、私は一向に構わなかったんだけどねえ」
「馬鹿言ってんじゃないわよっ!」
叫んで、勇儀に背を向ける。――顔が熱くて、どうしようもなかった。
ああもう、本当に、わけがわからない。
この鬼の言葉に、一挙一動に、振り回されっぱなしの自分なのに。
――それすら、楽しいと感じているのだろうか?
「パルスィ」
背中から、また勇儀の声がかかった。
振り返らずにいると、――不意に、勇儀の腕が自分の目の前に現れて。
「ちょ、ちょっと!?」
後から、勇儀に抱きすくめられる格好になっていた。
「ひとつだけ、信じておくれよ」
「な……何をよ」
「鬼はね、嘘をつかないってことさ」
囁かれる声と回された腕は、やけに優しくて、くすぐったかった。
「――冗談でも悪ふざけでもなんでもなく、私は本当に、お前さんが好きになっちまったみたいなんだよ。嘘じゃないよ? 私には、鬼だからね」
振り返れなかった。振り返ったら、自分の顔が真っ赤だと気付かれてしまうから。
いや、あるいはもう気付かれてしまっているのかも知れないけれど。
「……私は、あんたのことが」
震えた声で、絞り出すようにして、パルスィは口にする。
ふりほどけない腕の代わりに、――精一杯の強がりを。
「大嫌いよ、星熊」
だけど、勇儀はどこか楽しげに、耳元で笑うばかりだった。
そんな勇儀の腕に抱きすくめられて、パルスィは真っ赤な顔のままで俯いていた。
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