ゆう×ぱる! 1 / 「星熊勇儀の場合」
2009.06.13 Saturday | category:東方SS(勇儀×パルスィ)
彼女のことを最初に見かけたのは、旧都のはずれにある橋のたもとだった。
そこは、地底と地上を繋ぐ縦穴へと続く道の途中。
この地底が、忌み嫌われた妖怪たちの楽園となってからは、誰も通らなくなった場所。
そんな、渡る者の途絶えた橋のところへ足を向けたのは、些細な偶然でしかない。
旧都に住み始めて随分と永いが、あまり足を踏み入れない場所はいくつかある。その橋も、そういう馴染みの薄い場所のひとつでしかなかった。
――そして、その橋のたもとに、彼女は佇んでいたのだ。
ふわりと金色の髪と、長い耳。仄暗い地下の闇の中、薄く透き通る肌と――闇に光って見える翠緑の瞳が、どこか遠くを見つめていた。
足を止めた。息を飲んだ。あげようとした声が、喉の奥に詰まった。
彼女はこちらを振り向かなかった。自分は呆けたようにしばらく突っ立って、彼女がふらりと橋の影にその姿を隠すまで――その横顔を見つめていた。
それが、星熊勇儀と水橋パルスィの、割と一方的な出会いだった。
◇
星熊勇儀は、鬼である。
これは比喩でも何でもない。彼女は種族としての「鬼」だ。
人間と袂を分かち、地上を去った鬼たちは、この地底へと居場所を求めた。地獄のスリム化で切り捨てられた土地、旧都の一角に居を構えた。それが数百年前の話だ。
かつて地上でも天狗や河童らを従え、妖怪の山の頂点に立っていた鬼は、この地底でも社会のまとめ役になった。地上で忌み嫌われた妖怪たちを積極的に地底に受け入れ、地上からは隔絶された新たな社会を築いたのだ。
――まあ、そんな歴史的事実はさておき。
地底のまとめ役である鬼たちの中でも、勇儀は四天王と呼ばれるうちのひとりだ。
肩書きは大仰でも、鬼の社会に権力や階級は基本的に似つかわしくない。鬼の中でも力が強く、他人より少しばかり頼られる存在、というだけの話だ。
そんなわけで、勇儀は一応、旧都ではちょっとした有名人である。
本人は全く、そんなことは気にしていないのだが、それは純粋な事実なのであった。
さて。
「あの橋の? それは橋姫だよ、橋姫」
その日、鬼の四天王であるところの星熊勇儀は、顔見知りの土蜘蛛を捕まえていた。
黒谷ヤマメ。病を媒介する妖怪として忌み嫌われ地底に追われた彼女も、旧都では人気者のひとりである。誰彼構わず病に冒すわけではなく、話してみれば気さくなのだ。
そして、顔の広い彼女は自然と事情通である。
「橋姫ってーと、あれか。丑の刻参りかい」
「そうそう、嫉妬狂いの緑の眼。いつもあそこでひとりでさ、通りがかるのを妬んでるんだよ」
眉を寄せてヤマメは言う。割合と人なつっこい彼女が、他の妖怪に対して嫌悪感を見せるのは珍しいことだったので、勇儀は意外に思って目を細めた。
「あいつの近くにいるとね、こっちまで気分が悪くなるんだ。妬ましい妬ましいってあの気味の悪い緑の眼で見つめられると、胸の奥がこうムカムカしてきてね」
「そりゃ、お前さんの伝染病じゃないのかい?」
「自分で自分の病気に罹る馬鹿がいるかい」
全くその通りである。手にした杯を傾けて、勇儀は肩を竦めた。
「しかし、星熊の姐さんが何だってあんな奴のこと気にかけてるのさ?」
「いやなに、見かけない顔だったからね。ちょいと気になったのさ」
ふぅん? と目を細めるヤマメに、勇儀はぐびりとまた杯を傾ける。
「ま、あんまりあいつに関わるのはお勧めしないよ? 本人も他人を妬むことしか考えてないような奴だからね。顔を合わせるだけ気分が悪くなるだけさ」
「その『妬む』って感覚が、私らにゃよく分からんのだがねえ」
勇儀が呟くように言うと、ヤマメはやれやれと肩を竦めた。
「鬼は気楽でいいよね、天下太平唯我独尊?」
「旧都が太平である分には結構なことさ」
「まあね」
忌み嫌われた妖怪たちの楽園。それが今の地底、旧都だ。
――その外れの橋のたもと。彼女はその楽園の外側に、ひとりで佇んでいる。
忌まれた者たちの居場所からも忌まれる存在。それがあの橋姫だというなら。
「さて……どうしたもんかね」
ヤマメが去った後、ぼりぼりと頭を掻きながら勇儀はひとつ息をついた。
土蜘蛛に『気味が悪い』と評された、その緑の瞳。
仄暗い闇に光るその翠緑が、勇儀の意識にこびりついて離れないのだった。
◇
地の底は、いつも湿った冷たい風が吹く。
その風は岩肌を撫でて、仄暗い奥底へと沈んでいき、やがてはそこで淀み朽ちる。
けれど地底に潜む自分たちの姿をそこに重ねるのは、陰気な妖怪のすることだ。
住めば都の極楽浄土。いや、ここは元地獄だが、ともかく勇儀たちにしてみれば、この仄暗く湿った地底も楽園だ。――とはいえ。
賑やかな旧都の中心を外れ、明るさの消える方へと足を進める。街並みは急速に寂れていき、やがて冷たい風だけがごうごうと吹き荒れる岩肌の道へと続いていく。
この先は、地上へと通じる縦穴。
地底が封じられた今、誰も通ることのない道。
そこに架かる石橋は、誰が架けたのかも、何のための橋なのかも定かでない。
一条戻橋。橋の欄干にはそう刻まれている。
――そして、彼女は今日は、その欄干にもたれて佇んでいた。
地底に吹く冷たい風に、その緑の眼を細めて、彼女はひとりきりで、どこかを見つめている。
その横顔を、橋の手前でしばし勇儀は呆然と見つめていた。
否――見惚れていた、と言う方が、おそらく正しいのだろう。
彼女はこちらに気付く様子は無かった。勇儀は息をつくと、その橋に一歩を踏み出した。
――さて、何と言葉をかけたものだろうか。
近付くその背中を見ながら、勇儀は思案する。それから、そんなことで悩んでいる自分を意外に思った。相手にどんな言葉をかけるかで悩むなんて、とんと覚えがない。
こつ、こつと石橋に響く足音。その音に、彼女の長い耳がぴくりと揺れた。
勇儀は橋の中程で立ち止まる。風が止む。彼女が振り返る。
――翠緑の瞳に、間抜けな表情の自分の姿が映っていた。
「誰? こんなところに」
第一声は、露骨に剣呑な刺々しい声だった。
「酒なんか飲みながら、どこへ行くの? 妬ましいわね」
いかにも不機嫌そうに眉を寄せて、彼女はこちらを睨み据える。
妬ましいとか言われてもね、と勇儀は肩を竦めた。
「いや、ふらりと散歩していただけさ。お前さんこそ、こんなところで何か見えるかい?」
「妬ましい地上の光が見えるわ、遠くにね」
つい、と勇儀から視線を逸らして、彼女は緑眼を中空へ向けた。地上へと続く長い縦穴が見える。閉ざされた入口から、微かに漏れる光はあまりにも遠すぎる。
「妬ましいわ……」
「何がだい」
「何もかもよ。貴方もね、その太平楽な顔が妬ましいわ」
ふん、と鼻を鳴らし、彼女はこちらをまた強く睨んだ。
「悪かったね、太平楽で」
勇儀はどかりとその場に腰を下ろした。どうせ、他に行くところがあるわけでもない。杯をその場で傾けていると、彼女が眉間に寄せる皺が深くなる。
「何をしているのよ、こんなところで」
「酒盛りさね」
「私の眼につかないところでやってくれない?」
「どこで酒盛りをしようと、私の勝手さ」
嘯き、勇儀は杯に酒を満たした。奇妙なものでも見るように、彼女は目を細める。
「呑むかい?」
「いらないわ」
「つれないねえ。そんな退屈そうな顔してるぐらいなら、宴会で騒いで笑ってる方がいいさ」
「そういう鬼の太平楽さが妬ましいのよ。……ぱるぱる」
何か可愛らしい独り言を呟いて、彼女は口を尖らせる。
ヤマメの言うこともあまりアテにならんね、と勇儀は心の中だけで呟いた。
気分が悪くなるどころか――何だ、ごく普通に可愛い子じゃあないか。
勇儀は立ち上がると、彼女の隣で欄干に腕をかける。
彼女はまた睨むようにこちらを見つめたが、こちらを排除しようとする様子は無さそうだった。まあ、力比べで鬼に勝てる妖怪などまず居ないが。
「何なのよ、さっきから」
「さてね」
苛立った声をあげて横目に睨む彼女に、にっと笑いかけてみる。
「妬ましいわ」
「さっきからそればっかりじゃないか」
「貴方こそ、呑んでばかりじゃない。日がな一日呑み暮らして、妬ましいわ」
「鬼だからね」
ふん、と彼女はまた視線を逸らした。やれやれ、と勇儀は肩を竦める。
妬ましいわ、ともう一度呟いて、彼女はそれからくるりと勇儀に背を向ける。
「おや、どこ行くんだい?」
「貴方の居ないところよ」
「参ったね、これは。それじゃあ、退散するかい」
杯を干して、勇儀はそれを指の上で回した。散々邪険な言葉をかけられたけれど、不思議と気分は悪くない。いや――むしろ、浮かれてすらいた。
どうしてこんなに気分がいいのかは、勇儀自身にもよく解らなかったけれども。
「お前さん、名前は?」
去り際、ふとそのことを聞いていなかったのを思い出し、勇儀は振り返った。
「……何よ」
「名前だよ。名無しの権兵衛じゃあるまい?」
「……答える義理なんて無いわ」
視線を逸らしたまま、口を尖らせて彼女は答える。
「私は勇儀。星熊勇儀」
「言われても教えないわ」
「じゃあ、勝手に呼ぶかね。――そうさね、ぱるちーと呼ぼう」
「何よそれっ」
ばっと彼女が振り返った。顔を赤くしてこちらを睨む彼女に、勇儀は呵々と笑う。
「いや、何かさっき『ぱるぱる』とか可愛い呟きが聞こえたからね」
「――――ッ」
彼女の顔がますます真っ赤になる。そんな反応に、勇儀は笑みがこぼれるのを堪えられない。
全く、なんだい。本当に――可愛い子じゃないか。
「それじゃあ、また暇があればお邪魔するよ、ぱるちー」
「ぱるちー言うな! もう二度と来るな飲んだくれ鬼ッ!!」
悲鳴のような彼女の声を背中に聞いて、勇儀は足取りも軽く旧都への道を急ぐ。
どうしてこんなに気持ちが軽いのか、自分でもよく解らないままだったけれど。
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