東方野球in熱スタ2007異聞「野球の国、向日葵の妖精」(4)
2009.04.11 Saturday | category:東方SS(東方野球)
◆
太陽の畑がその名で呼ばれるのは、夏の間じゅう咲き乱れる一面の向日葵が由来だ。
陽光を受けてまっすぐに伸びる、背の高いいくつもの太陽の花。
その中にひとつ、揺れる白い日傘がある。
「今日も、みんないい子ね」
咲き誇る向日葵を見上げて、風見幽香は満足げに笑みを浮かべた。
――と、その視界に来訪者をとらえて、幽香は日傘を下ろして目を細めた。
珍しい来客、ではない。幽香にとっては比較的馴染みの顔だった。
夏の夜、この近くでコンサートをやっている騒霊楽団の長女、ルナサである。
「あら、いらっしゃい」
「……ああ、どうも」
笑顔で出迎えると、何やら歯切れの悪い様子でルナサは会釈した。
ふうん? と幽香は首を傾げる。そういえば、いつも一緒の妹ふたりも見当たらない。
「コンサートの下見かしら?」
「いや――そういうわけじゃないけど」
ふわりと向日葵畑の中に舞い降りて、ルナサは幽香に向き直った。
「それなら、昨晩のこと?」
「――――」
沈黙は肯定だ。幽香は肩を竦める。
「故意じゃないわよ。言い訳みたいだけど。打たれて激昂して故意死球で退場なんてみっともないじゃない。――威嚇がすっぽ抜けただけよ」
「そもそも、威嚇自体どうなのかと思うけど」
「内角攻めなんて、捕手がよっぽど弱気じゃなきゃ誰でもやることじゃない」
ルナサは眉を寄せる。――やっぱりそういうことね。幽香は小さく苦笑した。昨晩の件でルナサが来る理由など、まあ他に思い当たらないのだが。
「まあ、私のせいであの子に怪我させちゃったことに関しては、一応反省はしてるわよ」
「一応、なのね」
「でも、どうしてそのことで、特に関係の無い貴女がここに来るのかしら?」
「――――」
ルナサは言葉に詰まったように俯いた。
「あの子たちの保護者は、冬妖怪さんじゃなかった?」
「いや、そういうわけじゃ――」
「そうよね、保護者じゃないわよね?」
押し黙って赤くなったルナサに、幽香は呆れ混じりの笑みを漏らす。全く、解りやすい。
「ジギタリス」
「え?」
「今の貴女にお似合いの花よ。――毒にも薬にもなる花だわ」
幽香はその手に紫の釣鐘状の花を咲かせる。全く、お似合いというものだ。
「……花言葉はあまり詳しくないんだ」
「覚えておいた方がいいわよ。花を贈るときは特にね」
――さて、あの子はどちらの意味であの花を受け取っただろう。
「いいことを教えてあげましょうか」
「え?」
「貴女といるときのあの子には、ブローディアがとてもよく似合うわ」
「いや、だから――」
「贈るなら、アイリスがおすすめよ?」
諦めたようにルナサは息を吐き出す。幽香は愉快に笑った。
異変の影で進むいくつかの小さな恋。キューピッドを気取るつもりはないが、道端の花のようにささやかなそれを眺めているのは、なかなかいいものだ。
――ともかく。
「何でも良いけど。あんまり危険な真似は止めてほしい」
「特にあの子のときは? 過保護ねえ」
「全体的に。乱闘にでもなったら試合がメチャクチャになる」
「誰かが止めてくれるわよ。お人好しが多いもの、あのチームは」
「……全く」
頭を抱えるルナサに、幽香は「それにね」と微笑してつけ加えた。
「あの子は貴女が思ってるよりも、アリウムの似合う子だと思うわよ?」
◇
8月15日、水曜日。対横浜ベイスターズ17回戦(下関球場)。
「スタメン志願とはねえ。まあ、こっちは楽させてもらうわ」
私の希望は聞き入れられた。夏場にフル出場が続く輝夜さんを休ませたいという理由もあるのだろう。今日のスターティングオーダーには、私の名前がある。8番キャッチャー大妖精。スタメンは三度目。捕手としては二度目――。
「がんばります」
「そりゃ、私じゃなくあっちに言うべきじゃない?」
ベンチの奥を見やり、輝夜さんが言う。そこでは今日先発の幽香さんが、メディスンさんと何やら話をしていた。相変わらず、幽香さんはブルペンで肩を温めることすらしない。
あの試合から一週間。再び巡ってきた幽香さんの登板。相手は同じ、横浜。
――取り返していけばいい。妹紅さんはそう言った。
取り返すチャンスを貰えたのだ。私に出来ることは、全力を尽くすことだけ。
幽香さんが私をどう思っているのかは解らない。ただ、私のスタメン捕手志願については受け入れてくれたらしい。試されているのだとしたら、応えられるように頑張らないと――。
ぎゅっと拳を握りしめる私に、輝夜さんがふと目を細めた。
それからちょいちょいと奥の方へ手招きする。私が振り向くと、姿を現したのは、
「ルナサ、さん」
こちらに寄ってきたのはルナサさんだった。ルナサさんは輝夜さんと私を見比べて、それから何か笑みを浮かべた輝夜さんに小さく肩を竦めてみせる。
「大妖精」
「はっ、はい」
ルナサさんがこちらに向き直って、私を呼んだ。思わず声が裏返る。
「……がんばって」
ぽん、と頭に手が乗せられて、くしゃりと髪が掻き乱された。
はひゅ、と変な声をあげてしまった私を、ルナサさんは優しく目を細めながら撫でる。
ちょ、ちょっと恥ずかしい。というか何か、リリカさんとかレミリアさんとかこっちを見て笑ってるし……。でも逃れるわけにもいかなくて、結局私はルナサさんの手に身を任せる。
こそばゆくて、なんだかあったかいその手に、緊張がほぐれていく気がした。
それでようやく、自分が随分緊張していたんだということに気付く。
輝夜さんもそれを見抜いていたから、ルナサさんを呼んだのかもしれない。
……不思議だ。ルナサさんに触れられていると、なんだかすごく、落ち着くのだ。
『守ります横浜ベイスターズの先発メンバーをご紹介します』
アナウンスとともに、横浜の選手たちがグラウンドに散っていく。そちらを振り向いた私の肩を、不意に叩く手があった。慧音さんだった。
「芳太が来てる。スポンサー招待枠でバックネット裏だ」
私は思わずそちらを見やった。ベンチからバックネット裏の観客席は見辛くて、あの子がどこにいるのかはよく解らなかった。――けど、確かに彼がそこにいるなら、きっと声が届く。
「がんばれ」
ぽん、と背中を叩かれて、私は何だか泣きたくなった。
――ああ、こんなに、私を支えてくれる人たちがいるのだ。
それはどんなに嬉しいことだろう、と思う。心から。
試合が始まる。1回表、タートルズの攻撃は咲夜さんが四球で出たものの、横浜先発の山口がレミリアさんとフランさんを打ち取って無得点に終わった。
立ち上がった幽香さんが、今日はじめて、私の方を見やる。
――大丈夫。怖くない。私はぐっとその視線を見つめ返した。
先週の私は、幽香さんに怖いというイメージを勝手に抱いて勝手に怯えていた。試合の前から、気持ちで臆していた。――臆病と言われても仕方がない。
でも、今度は負けない。
見つめ返す私に、幽香さんはどこか楽しげな笑みをその顔に浮かべる。
「行きましょうか、妖精さん?」
「――はいっ」
守備に就く面々がグラウンドに散っていく。私もその後を追って、キャッチャーボックスへ向かった。まだ薄暮の空に、照明の光が眩く輝く。その照らし出す、扇の中心へ。
響く球場の歓声。その中に私がいる。私なんか、がじゃない。
幻想郷タートルズの背番号08、大妖精がここにいるのだ。
「幽香さん」
マウンドに駆け寄る。幽香さんはボールを握り直しながら、好戦的な笑みを浮かべた。
「配球なら先週と一緒よ。全部内角に構えててくれればいいわ」
その言葉に、だけど私は首を横に振った。幽香さんが目を細める。
「私は、リードにはあんまり、自信ないですけど」
その剣呑な視線に負けないよう、球場の歓声に消されないよう、私は声をあげた。
「外を使った方がいいと思ったら、外に構えます。おかしいと思ったら、首を振ってください。私なんかのリードに従えないなら、構えと逆に投げていいです。――ちゃんと止めますから」
幽香さんの目を見つめ返して、私は言う。
剣呑な視線のまま、幽香さんはこちらを見つめるけれど、私は目を逸らさない。
――それは随分永く感じたけれど、たぶん数秒のことだったのだと思う。
「黄色のクロッカス」
「え?」
「今、貴女が私に差し出した花よ。――確かに、受け取ったわ」
……花言葉で話をするのは、意味がよく解らないから止めてほしいと思う。
ただ幽香さんはどこか満足げに私の肩を叩いた。私は今ひとつ釈然としないまま、キャッチャーボックスへ戻る。仁志が打席に入ろうとしていた。
私はミットを構える。内角へ。言われたからではなく、自分でそう考えて。
リードなんて大したものじゃないけど、私にできる精一杯で、幽香さんの投球を支えよう。
幽香さんは頷く。そして、マウンドで大きく振りかぶった――。
◇
あとはもう、その試合について語るべきことは多くない。
初回、石井琢朗の内野安打、金城にフォアボールで一死1、2塁。いきなり先制のピンチで、打席には前回満塁弾を打たれた村田。私はそこで、初球、外に構えた。首を振られるのはもちろん覚悟していた。だけど幽香さんは、それが当たり前のように、外角いっぱいへ最高のストレートを放ってくれる。
2球目は低めの変化球でタイミングを外し、3球目。私が意を決して構えたインコースに、唸りをあげる160キロのツーシームが弾丸のように飛来する。バットが目の前で砕け散って、村田は完全に詰まった投ゴロ併殺打に終わった。
そこを凌げば、あとは幽香さんの独壇場だった。いつもの大雑把なコントロールが嘘のように、内も外もきわどいコースが面白いように決まる。横浜打線は幽香さんの剛速球に手も足も出ず、詰まった凡打を繰り返していった。
打線の方も、3回にレミリアさん、フランさんのアベック本塁打で山口を粉砕すると、一気に畳みかけて早々と試合を決めてしまった。
私も、5回の第2打席。一死1、3塁で打席が回る。後ろは打撃も得意な幽香さんだし、三振でもいいんだと割り切って思い切り振ったら、ショートの頭上を超えて前進守備のレフトとセンターのちょうど真ん中を破る打球になった。ボールが左中間の深くへ転がっていくうちに、私は夢中でダイヤモンドを走る。二塁にたどり着いた時点で一塁走者の美鈴さんは三塁を蹴っていて、ボールはようやくセンターの金城が追いついたところだった。――行ける。私は迷わず二塁を蹴り、そのまま三塁へ全力で駆けた。最後はヘッドスライディング、タッチの感触はない。立ち上がってスコアボードを見れば、ちゃんと2点が入って、私はアウトになっていなかった。たぶん誰も予想していない、2点タイムリー三塁打。
続いて打席に入った幽香さんは、初球ストレートを思い切り弾き返してセンター前へ。私は一気に本塁に駆け込む。もう1点追加。ホームベースを踏んで顔を上げると、次打者の文さんが右手を差し出していた。
――ハイタッチは痛かったけれど、今までで一番、気持ちが良かった。
試合はそのまま、幽香さんが2回以降ノーヒットに抑えて1安打完封。打線も17安打で10点を取る圧勝。先週の木曜から続く連勝は6まで伸びた。
◇
試合後。
快勝に沸く球場の声援を遠くに聞きながら、私は左手をチルノちゃんの氷で冷やしていた。
今日の幽香さんの球は、重くて速かった。正直、終盤は手が痛くて捕るのが辛くなるぐらい。
それでも、ボールを後ろに逸らさなかったことは、自分でも少し、誇りたいと思う。
――輝夜さんとレティさんは、本当に凄い。改めてそう思った。
「あら、ここにいたのね」
声。驚いて振り向けば、試合後のインタビューを終えたのか、幽香さんがそこにいた。
「あ、幽香さん……」
「お疲れ様」
幽香さんは手を後ろに回したまま、笑顔でこちらに歩み寄る。
――う。今まで無理矢理追いやっていた怯えが、今更のように鎌首をもたげてきた。
勝手なイメージだとは解っていても、やっぱり幽香さんの笑顔はどこか剣呑で怖い。
「怖がらなくていいわよ。――今日は気持ちよく投げられたわ。ありがとう」
ふっと幽香さんはその笑みを和らげる。それは太陽のように眩しい笑顔だった。
「はい、どうぞ」
そして、後ろに回っていた手がこちらに差し出される。
そこに握られていたのは――少し小さな、一輪の向日葵だった。
「この間のオシロイバナは取り消すわ。そしてこれは、貴女がくれた花へのお返し」
いや、だから私は花を贈ってはいないのだけど……。
「あ、あの」
「なに?」
「……向日葵の花言葉って、聞いてもいいですか?」
首を傾げた私に、幽香さんはとっておきの秘密を教えるようにウィンクした。
「熱愛」
「ええええっ!?」
叫んだのは私ではなかった。驚いて振り向けば、ドアのところにルナサさんがいた。
「あらあら、冗談よ冗談。お邪魔だったかしら?」
くすくすと幽香さんは笑う。ルナサさんはひどく気まずそうにひとつ咳払いする。
「あ、あの……」
「そこの彼女に聞いてみればいいと思うわよ」
幽香さんはそう言って、踵を返すとルナサさんの肩を叩いて、そのまま出ていってしまった。
ルナサさんは小さく肩を竦めると、頭を掻きながらこちらにやってくる。
「大ちゃん、大丈夫? 手」
「はい、平気です……って、え、今、」
何か思わぬ呼び方をされて、私はきょとんと目を見開く。
「あ、いや、他がそう呼んでるからつい……」
慌ててルナサさんは、どこかしどろもどろにそう答える。私は思わず笑みを漏らした。
「いいですよ。ルナサさんにそう呼んでもらえたら、嬉しいです」
「あ……じゃ、じゃあ、だ、大ちゃん」
「はい」
「……何か照れくさいなあ」
ぽりぽりとルナサさんは頬を掻く。なんでルナサさんが照れるんだろう。
「あ、そうだ。ルナサさん、さっきの」
私が手元の向日葵を見下ろして言うと、「ああ」とルナサさんも頷いた。
「向日葵の花言葉は……ええと、確か、熱愛の他には――」
◇
向日葵の花言葉。
「熱愛」「あこがれ」「私の目はあなただけを見つめる」「光輝」――そして、「敬慕」。
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