にと×ひな! Stage6「明日晴れたら、雨は昨日へ」(3)
2009.02.18 Wednesday | category:東方SS(にとり×雛)
◇
「近付か、ないで」
雛の言葉に、注連縄を背負った女性は鼻白むように眉を寄せた。
「厄が、あなたを不幸にするわ」
震えた声で拒絶を告げる雛に、その女性は「ふん」と小さく鼻を鳴らす。
「不幸、ね。――今まで、それで誰かを不幸にしてきた。そんな顔だね」
構わず、彼女は雛に向かって一歩を踏み出した。身構え後じさる雛に、彼女は苦笑する。
「そう怯えるもんじゃないよ。私が怖いかい?」
「…………」
違う。自分が恐れているのは――誰かを傷つけてしまうこと。
この厄が、にとりのように、自分に触れた誰かを蝕んでしまうこと。
だから雛は今、ここにいるのに。
「落ちたりとはいえ、この八坂神奈子――」
ざわり、と厄がざわめいた。近付く女性――神奈子に、厄は絡みつくように引き寄せられ、
けれどそれは、まるで逃げるように、神奈子の身体に触れずに流れていく。
「この程度の厄、いかほどのこともない」
にっ、と笑って、彼女は雛の眼前まで歩み寄った。
渦巻く厄の中心で、紅の瞳が雛を見つめて。
「――だから、そんな泣きそうな顔でいるもんじゃないさ。綺麗な顔が台無しだよ」
ぽん、とその手のひらが、雛の頭に乗せられた。
くしゃり、と髪を掻き乱す手のひらが、ひどくあたたかくて。
それはまるで――にとりの手の温もりのようだった。
「あ……ぁ、ぁ」
気付けば、感情が瞼から溢れだしていた。
軋む痛みに耐え続けようとしていた心が、胸の奥で脈打って。
そのまま、崩れ落ちかけた雛を、神奈子がそっと抱き留める。
唐傘を叩く雨が、不意に一際、強くなった。
連れてこられた先は、古めかしい神社の社務所だった。
境内に佇む何本もの巨大な柱と、本殿に飾られた物々しい注連縄は、見る者をひれ伏させるような威光に満ちて、曲がりなりにも神の一柱たる雛も気圧されるものを感じる。
「おかえりなさい、神奈子様。……そちらは?」
出迎えたのは、巫女装束に似た格好の人間の少女だった。しかし、ただの人間と呼ぶには不釣り合いな気配を感じる。まあ、この神とともに暮らしているのならば、普通の人間ではないのだろう。
「ただいま、早苗。こちらは、ちょいと来客さ」
「……解りました。お茶でも用意しますね」
早苗と呼ばれた少女は、雛の周囲の厄の気配に僅かに表情を変えたようだったが、特に何も言うことはなくそのまま踵を返した。その背中を見送り、それから神奈子に促され、雛は社務所に足を踏み入れる。
通された和室で、差し出された座布団に腰を下ろすと、ほどなく先ほどの少女が湯飲みと急須を持って現れた。注がれた緑茶を口にすると、熱と渋みがほっと全身を伝う。
早苗は神奈子と目配せを交わし、そのまま退出した。障子が閉ざされると、外の雨音が切り離されたようにすっと遠くなる。
「名前は?」
不意に神奈子が口を開く。一瞬それが自分にかけられた言葉だと理解できず、雛は湯飲みを手にしたまま呆けたように神奈子を見返した。神奈子は小さく肩を竦め、「名前だよ、あんたの」と繰り返す。
「……雛。鍵山雛」
「雛、ね。なるほど。――流し流され、今度はどこへ行こうって?」
「――――」
そんなことは、雛自身にも知り得ないことだ。自分がこんな厄を抱えたまま、孤独に暮らすことの出来る場所なら、どこだってよかった。そんな場所があればの話だが。
「河は流れ、やがて海に辿り着く。ま、この幻想郷には海は無いようだが――」
お茶を啜って、神奈子は不意に語り出した。
「海は雲を作り、雲は風に乗って雨を運び、雨は河となる。かくて万物は流転せり」
目を細め、神奈子は雛を見据えた。
「厄もまた然り。祓い流し、それでおしまいってわけにゃいかない。流された厄はやがてまた誰かにまとわりつき、また祓われ流転する」
「――それを引き受けるのが、私だわ」
そう。流転する厄を自らの元に引き受け留める、それが厄神の仕事だ。
そしてそれ故に、自分は孤独であらねばならなかったのに。
――どうして、彼女を求めてしまったのだろう。
「お前さんが今抱えたその厄も、そうして引き受けたものかい。――その厄で、お前さんは誰を不幸にした? 人間かい? それとも――」
「…………っ」
熱を失っていく湯飲みを握りしめて、雛は俯く。
「……何よりも、大切なものを」
「そんなこったろうと思ったよ」
雛の答えに、神奈子はやれやれと肩を竦める。
「難儀なもんだ。神なる身も、真に孤独ではいられない。それは摂理だ。だからこそ神も、人のごとくに伴侶をもち、子を為す。――お前さんがその例外であっていい道理はないさ」
「でも――私は」
「不幸にしてしまった。大切なものを、この厄で。――本当に、そうかい?」
試すように、神奈子は雛の顔を覗きこんだ。
そこに浮かぶ表情は、笑みのようにも、怒りのようにも見える。
「たとえば、の話をしよう。あるところに、大病を患った男がいた。いまだ若くして余命幾ばくもない。それはひどく不幸な話だ」
「…………」
「けれどその男には、愛する妻と子がいた。かけがえのない友人たちがいた。男は彼らに愛され、幾ばくもない余命を安らかに過ごし、皆が泣く中で笑って逝った。――それは不幸かい?」
「そんな、の――」
そんなのは、相対的な話だ。大病が無ければ、男はもっと幸せだっただろう。ならばそれはやはり不幸なのだ。男も、その周囲の者たちも。
――そう、それがたとえば、にとりの話であったとするならば。
自分と居ることで、にとりの寿命が縮むようなことは――不幸以外の何物でもない。
「そうだね。男を失った周りの人間は不幸だ。けれど男は、自分が不幸だとは思わなかった。自分の人生に満足して逝った男が不幸でなければ――」
すっと、神奈子がその右手を雛の元に差し出し、厄をひとつまみ掬った。
「さあ、もう一度聞こう。お前さんがその厄で不幸にしたのは――誰だい?」
「――――――ッ」
息を飲んで、雛は自分の両手を見下ろした。
渦巻く厄は、自分の周りをただぐるぐると回り続けて――。
厄は自分の周囲で回り続ける。その影響は、自分には訪れない。
けれどその厄は、近くに居る者を不幸にする。――誰かが言ったそんな言葉。
ああ、それはなんという、世紀の大嘘つきだ。
厄が鍵山雛を孤独にするならば、
雛が不幸にしたのは――雛自身に、他ならない。
「お前さんの大切なひとは、お前さんと居ることを、不幸だなんて言ったのかい?」
「そ、んな」
「それなら――厄を祓うべきは、お前さん自身だ。違うかい?」
神奈子の手が、雛の頬に触れた。――にとりのように、温かい手だ。
「無理、よ……。私の厄を、誰が祓うの。誰が、この厄を引き受けるの」
震えた雛の声に、神奈子はけれど、悪戯っぽく笑って答えた。
「私が。この八坂神奈子が、鍵山雛の厄を引き受けようじゃないか」
「――――――え」
「厄は流転するもの。それを留めるから不幸を呼ぶ。――なら、あんたの厄は私が引き受けよう。そして私の厄も、またどこかへ流そう。そうして、流転させ続ければいい。お前さんひとりが、この世の不幸を背負い込むべきなんて、誰が決めたんだい?」
にっ、と人なつっこい笑みを浮かべて、神奈子は雛の背中をなだめるように叩いた。
雛は呆然と、その顔を見上げた。
「私、は――」
言いかけた雛の言葉を遮るように、神奈子はその髪を、もう一度くしゃりと撫でた。
「求めよ、さすれば与えられん。――幸せにおなりよ」
誰もそれを、邪魔などしないのだから。
「……にと、り」
雛はただ、こみ上げる何かを堪えるように、ぎゅっと瞼を閉じた。
『ひな』
浮かんだのは、大好きな彼女の笑顔だけだった。
――どうしようもなく、それが答えなのだ。
障子が開いた。風が、神社の中を吹き抜けた。
その風に乗って、雛のまとった厄が、空の高みへと舞い上がる。
神奈子がそれを見上げると、雛はひとつ首を振って、立ち上がった。
「…………ありがとう」
そう囁くように口にして、雛は踵を返す。
――向かうべき場所は、もう、解っていたから。
雛はただ、そこに向かって走りだした。
にとり。にとり。――にとり!
ただ、その脳裏に、大好きな彼女の笑顔だけを思い浮かべて。
◇
「……やれやれ、信仰ひとつ萃めるのも、ゼロからだと難儀なもんだねえ」
舞い上がった厄を自らの手元に寄せて、神奈子はひとつ溜息をつく。
引き受けたはいいものの、神奈子自身は軍神だ。厄の取り扱いなど専門外である。
「とりあえず、形代を建てて預けておくかね。まあ、何事も地道が一番か」
境内の空いた場所に、小さな社でも建てることにしよう。いっそ、信仰を萃めるのに厄払いを売りにしたっていいのだ。
「一度無くしてしまえば、取り返すのは難儀なもんだよ、全く」
そんな風に繰り言が増えたのも、歳をとったということなのかもしれない。そんなことを思って、「やだねえ、やだやだ」と神奈子はひとり、肩を竦めた。
「神奈子様、お客様は?」
「ああ、早苗。あの子なら帰ったよ」
「そうですか。……って、何で神奈子様がそんな厄を受け取ってるんですかっ」
と、ぱたぱたと駆けてきた早苗が、神奈子の抱えた厄を見て声をあげる。
「いや、信仰萃めにね?」
「うちは厄払いの神社じゃないでしょう! もう、いくら信仰萃めだからって、御利益を無節操に増やしていいわけじゃありませんよ?」
「解ってる、解ってるよ。人助け、いや神助けだ、見逃しておくれ」
不満げに頬を膨らませる早苗に、神奈子は苦笑して返す。
「それより、諏訪子はまだ戻らないのかい?」
「まだ雨ですから、しばらくは湖の方じゃないですか? お腹が空くか、雨が止んだら帰ってくると思いますけど。迎えに行きます?」
小首を傾げた早苗に、「いや」と神奈子は小さく肩を竦めた。
「案外、すぐ帰ってくるかもしれないね」
苦笑混じりの神奈子の呟きに、早苗は不思議そうに首を傾げた。
(つづく)
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