にと×ひな! Stage6「明日晴れたら、雨は昨日へ」(1)
2009.02.15 Sunday | category:東方SS(にとり×雛)
それでも、好きという気持ちを止められなんてしなかった。
◇
天狗の里を出た途端、霧は大雨に変わった。
「あやややや、これはまたタイミングの悪い」
大粒の雫をこぼす天を見上げて、文は呟く。
椛もあまり濡れるのは好きではない。が、今はそうも言ってはいられなかった。
「文様は里に戻って雨宿りしてていいッス。自分が行ってくるッスから」
「何を言ってるのよ。ほら、丁度いいもの持ってるじゃない」
一応椛としては気を遣ったつもりなのだが(無論文がいると話がややこしくなるとか、あんまり近くに居られると色々と精神衛生上よろしくないとか、そういう事情はあるにせよ)、文の方は全く頓着しない様子で、椛の左手を指し示した。
そこに持っているのは、哨戒天狗の標準装備であるところの盾である。
「これは盾ッス! 傘じゃないッス!」
「傘の代わりになりそうなものなんてそれしかないじゃない。ほら、もう少しくっつけばふたりで入れるでしょ」
と、椛の左手を持ち上げて、文はぐっと身体を寄せてきた。
ふわりとした匂いが鼻腔をくすぐり、胸元の柔らかさが二の腕のあたりに押しつけられる。
あわわわわ、と真っ赤になる顔を逸らす椛の傍らで、「あやや、やっぱり少し小さいわね」と文は少し不満げに呟いていた。
「ま、ともかく。行くわよ椛」
「行くって、このままッスか!?」
「別に、その盾貸してくれるならそれでもいいけど」
どうしろというのだ。椛は口をぱくぱくさせる。と――
「ん? あやや、どうかした?」
雨の中、一羽の鴉が黒い羽根を散らして、文の腕に止まった。文がときたま、取材のときに引き連れている鴉だ。名前があるのかどうかは椛はよく知らない。
「山の方に侵入者? それなら椛の管轄でしょ」
鴉が一声啼き、どこからか伝言を文に伝える。その伝言に、文は訝しげに椛を見やった。
「え、侵入者ッスか? そんな連絡は――」
答えかけた刹那、甲高い音が椛の耳に届いた。白狼天狗の間で用いられる警笛の音だ。長音2回、短音1回は『侵入者アリ』の合図。続く侵入区域の知らせは――よりにもよって、椛の担当区域であるこの近辺ではないか。
「ちょ、自分の担当ッスか!? うあ、どうしよ――」
椛は呻く。哨戒天狗たるもの、侵入者アリとなれば駆けつけないわけにはいかない。とはいえ今は河童探しを引き受けたばかり、しかも割と急を要する状況である。
「椛、あんたは河童を探してなさい。私が行くわ。上に話はつけておくから」
「文様?」
振り返ると、文は鴉を飛び立たせて、椛に向かって楽しげに笑みを浮かべた。
「先に引き受けた仕事は完遂する。ほら、行った行った」
背中を叩く文に、椛は躊躇するように山の方を見やり――それから、ぺこりと頭を下げた。
「すいません、文様。――お言葉に甘えるッス」
「いいわよ。脱走患者より、侵入者の方が記事のネタとしては美味しいもの」
やっぱりそういうことか。小さく苦笑を漏らして、椛は宙を蹴った。
振り返れば、山の方へ飛んでいく文の姿が雨の中に遠ざかっていく。
「にとりさん、これは勝手に貸しにしておくッスからね――」
呟いて、椛は雨の中を下流へ向かって飛んでいった。
◇
遠目から見たとき、それは闇に見えた。
世界の中でそこだけ切り取られたような漆黒の闇が、妖怪の山へ向かって飛んでいく。
いつぞや取材した、宵闇の妖怪のことを文は思い出した。自分の闇で自分も前が見えないくせに、そんなことも気にせず日がな一日ふわふわ飛び回っている、少々頭の弱いあの妖怪。侵入者というのが彼女なら、追い返すのは比較的簡単だ。頭は弱いが妖精と違って物わかりはいい方だし、いざとなっても文が負ける相手ではない。
しかし、あの程度の妖怪なら他の天狗たちでも追い返せるだろう。わざわざ警笛を鳴らしてまで警戒する相手とも思えないが――。
「……あやややや、これはまた」
訝しみながら近付いて、そして文はようやく気付いた。それが闇ではないということに。
それは、障気の塊だった。普段なら目にも見えないだろう障気が、一箇所に固まって、ぐるぐると渦を巻いている。雨の中、異様な禍々しさを放って飛ぶそれは、文も流石に迂闊に近付くのは躊躇われた。
なるほど、哨戒天狗が警笛を鳴らすはずである。こんなのが山に入って天狗の里に来られたら、何が起こるか解ったものではない。
――しかし、こんな障気の塊を操るような妖怪など、このあたりに居ただろうか?
雨の中、文は傍らからその障気の塊を追い越し、前に出る。そこでようやく、渦巻く障気の中心にある姿がぼんやりと見えた。
見覚えのある姿だった。真紅のスカート、大きなリボン、翠緑の髪。どこで見たのだったか、と文は記憶をたぐり、障気の中心でくるくると回る姿にぽんと手を打った。いつぞや見かけた、河童といちゃついていた厄神様である。
あれ、そういえばさっき椛が探そうとしていた河童の名前は、確かにとりといったはずだ。そしてこの厄神様がいちゃついていた河童の名前も、確か――。
「…………誰?」
ぼそりと、か細い声が雨の中に響いた。それが厄神様の声だと気付き、文は顔を上げる。
「あやややや。侵入者と聞いて飛んでくれば、これはまた随分と厄い。厄神様が、そんな大量の厄を引き連れて、この妖怪の山に何の御用?」
警戒心を露わに目を細めて、文は厄神様――確か雛という名前だ――を見やる。
「……何も、用なんて無いわ」
ひどく平板な声で、雛はそう答えた。
「それならお引き取り願いたいところ。そんな厄を山に撒き散らされても困るので」
「撒き散らす気なんて無いわ。……私は、誰も居ないところへ行きたいだけ」
ふうん? と文は鼻を鳴らす。幻想郷は狭い。どこかに必ず妖精や妖怪や人間や亡霊が棲んでいる。「誰も居ない」場所など、厳密には存在しないだろうに。
「まあ、麓よりは山の頂上の方が住人は少ないけど。というか、今はあの新しく来た神様ぐらいしか住んでないわよね」
「……何でもいいわ。この厄が、誰も傷つけないところなら……どこでも」
雛の答えに、文は眉を寄せる。
病院から逃げ出したという河童。その河童と、彼女の恋人が同じ河童なら――ひどく陳腐なストーリーが思い浮かんで、文はやれやれと肩を竦めた。
そうすると、自分はメロドラマの狂言回しか? 全く、たまったものじゃない。
そもそも、自分がここで彼女を説得する義理なんてどこにもないのだ。
まあ、一応確認はしておこう。文はポケットから一枚の写真を取り出す。
「恋人さんが居たと記憶してるけど。そっちはいいのかしら?」
取り出したのは、雛とその恋人が口吻を交わす写真。雛の顔色が、さっと変わる。
「……あなたには、関係の無い話だわ」
「あやややや、全く仰る通り」
大仰に肩を竦め、文はひとつ息を吐き出す。
じわり、と背中に嫌な汗が滲んだ。渦巻く障気は、そうそう長い時間直視していたいものではない。正直、さっさとこの場を離れたかった。こんな障気とまともに相対していたら、こっちの身に何が降りかかるか解ったものではない。
「まあ、侵入者は通すなとは言われているけれど。正直、あなたとやり合いたくはないわね。そんな厄の塊をぶつけられるのは勘弁だわ」
「…………」
沈黙する雛に、文はにっと笑って、一本指を立てる。
「取引しましょうか」
文の言葉に、雛は訝しげに目を細めた。
「私は、あなたとやり合って負けたと上に報告します。あなたはこの先へどうぞご自由に進んでください。ただし条件はふたつ。ひとつは、ここから東にある天狗の里に近付かないこと」 文が視線でその方角を指し示すと、雛は黙って小さく頷いた。
「そしてもうひとつは――最近、山の頂上の方に変な神様たちが新しく住み着きましてね」
山を見上げての文の言葉に、雛は怪訝そうに首を傾げた。
営業スマイルを浮かべ、文は万年筆を右手にくるくると回す。
「その神様たちの様子を、ちょいと見てきてこちらに教えてもらえませんかね? あ、極秘で」
◇
溺れそうな雨が、途切れることなく降り注いでいた。
「うぁっ」
濡れた草が足に絡んで、にとりはまた転ぶ。それでもすぐに起きあがり、また走りだした。
雨が降る。行く手を遮るように、雨粒のカーテンが視界を閉ざす。
それでも、にとりの足は止まらなかった。
「ひなっ――」
叫ぶのは、愛おしい人の名前。
いなくなってしまった、大切な、大好きな、彼女の名前――。
「ひな、ひなぁっ、ひな――」
目が覚めたとき最初に感じたのは、ひどく身体が軽い、ということだった。
鉛を詰め込まれたようなだるさは消え、指先や足先の痺れも感じない。試しに動かした右手は自在に動いて、足も何ともなく。――まるで憑き物が落ちたようだった。
そこまで理解して、それからようやくにとりの意識はその場の光景を認識する。
寝ていたのは雛のベッド。そこが雛の寝室、いつか一緒に眠った場所。
だけど、その部屋の主の姿はどこにもなくて。
テーブルの上に置かれたリュックの傍らで、雛にプレゼントするはずだった機械人形が、まるで主の代わりのように、無言でそこに佇んでいた。
それを見たときに感じた予感は、結局ただの事実でしかなく。
土砂降りの雨が降りしきる中で、雛の姿は、家の中のどこにもなかった。
――雛が、居なくなった。どこかへ行ってしまった。
それはきっと、自分の手の届かない場所へ――。
思い至ったときには、にとりは雨の中へ飛び出していて。
そして今も、当てもなくただ走り続けている。
「雛っ、返事して、ねえ、雛ぁ――っ」
叫ぶたびに、苦い雨粒が口の中に流れ込む。いや、苦いのは転んで切った口の中から溢れる血なのかもしれない。どっちでも関係など無かったが。
――雛。どこへ行ったの。どこに行こうとしているの。
解らない。解らないけれど、今は走るしかなかった。
「うぁぷっ」
また転ぶ。膝をすりむいた。痛い。だけど、立ち止まってる暇はない。
「雛――」
目尻に浮かびかけた涙を、ぐっと手の甲で拭った。
泣くな。泣いたら雛が心配する。雛を見つけて、雛に言うんだ。ちゃんと笑って。
――私は大丈夫だって。雛のことが、大好きだって。
何度でも、何度でも、雛が嫌がったって何度でも言うんだ。
「雛ぁっ――」
解っている。ここ数日の体調不良の原因も、雛がいなくなった理由も。
きっとそれは、雛が祓いきれなかった厄のせいだったのだろう。
――そして、だから雛は居なくなった。これ以上、自分に厄を寄せてしまわないように。
ああ、そんなのは全く――冗談じゃない。
厄神様の近くにいれば、不幸になる? そんな迷信、くそくらえ、だ。
誰にも否定させなんかしない。雛といた時間の幸福を。雛がくれた温もりを。
鍵山雛が、河城にとりにくれた沢山の幸福は――雛自身にだって、否定させはしない。
絶対に。絶対に、だ。
「ひな――ひなぁっ」
走る。走り続ける。あてなどなくても、それしかできないのだから。
この幻想郷中の、どこまでだって走って、雛を見つけるんだ。
見つけて、抱きしめて、大好きだって――伝えるんだ。
「にとりさんッ」
不意に名前を呼ばれ、にとりは顔を上げる。
雨の中、白い天狗がこちらに舞い降りてくるのが見えた。椛だ。
「見つけたッス。何やってるんスか、病院抜け出したりして――」
心配げにこちらに伸ばす椛の手を、にとりは思わず引きずるように掴まえた。
「おわっ!?」
「雛を、見なかった?」
慌てる椛に構わず、にとりはそれを問いかける。今必要なのは、ただその情報だけだ。
「ちょ、待つッス、いいからともかく、里の医者のところに戻って――」
「うっさい黙れこの犬天狗! 質問に答えろッ!!」
何やら言いかけた椛の言葉を遮って、にとりは叫んだ。
「い、犬じゃないッス、狼ッス!」
「どっちでもいい! 雛を見たか見てないか、それだけ答えろ返事は!?」
「み、見てないッス」
その答えだけを確かめて、にとりは椛の腕を振り払って走りだした。雛の居場所を知らないならこれ以上用はない。けれど椛は、慌てたようにこちらについてくる。
「に、にとりさんっ、ちょっと落ち着くッス――」
「うっさい! もういいから放せ――」
「落ち着くッス!」
ちゃっ、と椛が右手に剣を抜いた。切っ先を眼前に突きつけられ、にとりはたじろぐ。
「何だよ、邪魔する気!?」
「こっちの質問にも答えるッス」
「どいてよ、どけってば――」
「――河童ごときが天狗ナメてんじゃねえぞ、ああ!?」
ドスの利いた声が響いて、気圧されたようににとりはたたらを踏んだ。
「……あ、いや、失礼。いいから少し落ち着いてくださいッス」
つい一瞬前の声は、果たして本当に椛のものだったのか。すぐにいつもの調子に戻って、椛は剣を仕舞うとにとりの肩を叩く。ぺたん、とにとりはそのまま座り込んだ。
椛に促されて木陰に雨宿りし、椛はにとりの前に座ると、ぴっと指を立てる。
「確認したいのはひとつだけッス。……身体は何ともないんスか?」
「あ……う、うん。大丈夫」
「本当ッスか?」
頷いたにとりの瞳を、椛は値踏みするように覗きこむ。
「ほ、本当だよ、ほら」
動かなくなっていた右手の指を、椛の前で動かしてみせる。椛はその手と、にとりの顔色を見比べて、やれやれといった調子で息を吐き出した。
「けど、病院抜け出すのはよくないッス。とにかく一度里に戻って――」
「やだ」
「いや、だから――」
「雛を、探す」
きっぱりと言い切る。椛は疲れたように溜息をついて、首を振った。
「雛さんが、居なくなったんスか?」
「……うん。ホントに、見てない?」
「見てないッス。……あ、でも」
「何!?」
椛が何か言いかけて、にとりはその襟首に掴みかかった。
「ちょ、放して、苦しいッス」
「あ、ごめん……」
抗議に手を放すと、ごほん、と椛はひとつ咳払い。
「さっき、山の方に侵入者があったらしいッス。文様がそっちに向かってるッスけど……」
「山の方だね!」
「いや、雛さんだって確証は無いッスよ!?」
立ち上がったにとりに、慌てて椛が声をかけるが、にとりは首を振った。
「何でもいい、雛かもしれないんだったら追っかける! どこまでだって!」
そう言い放って、にとりは走りだした。後ろから椛が追いかけてくるが、構いはしない。
降りしきる雨は弱まりもせず、全身を打ち据える。それでも、足は止まらない。
「雛さんって、厄神様ッスよね!?」
背後から声。振り返りもせず「そうだよ!」とにとりは雨音に負けないように叫び返した。
「にとりさん、体調不良の原因って、厄神様なんじゃ――」
「だから何さ!?」
そう、何を今更、そんなことなんて解りきっている。
「私は雛が好きだ! だから雛を探して、雛を掴まえる! どこまで逃げたって絶対に掴まえるんだ! 厄がなんだ、不幸になんかなってやるもんか、バカヤローッ!!」
後ろから、盛大な椛の溜息が聞こえた。
馬鹿だろう。愚かだろう。笑うなら笑え。それが恋だ。恋をしたのだ、雛に。
それを誰にも、不幸だなんて呼ばせはしない。そう、雛にだってだ。
――雛。雛。雛!
ただ、大好きな厄神の笑顔だけを思い浮かべて、にとりは河を遡るように走り続けた。
妖怪の山、その頂を目指して。
(つづく)
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