にと×ひな! Stage5「少女が見た幻想の恋物語」(4)
2009.02.12 Thursday | category:東方SS(にとり×雛)
◇
この家のドアを叩くのは、たったひとりしか居ないはずだった。
だからその日も、雛は彼女が来たものだと信じ切って、いつもの笑顔で扉を開けた。
――にとり、と、大好きな河童の少女の名前を呼んで。
また、幸せな時間が来るのだと、何の疑いもなく――その時までは。
「すいません、にとりさんじゃないッス。……鍵山雛さん、ッスよね?」
けれど、扉の向こうにあったのは、愛おしい彼女の姿ではなかった。
中性的な顔立ちの、小柄な白髪の少女。犬走椛、山の天狗ッス。少女はそう名乗った。
山の天狗。天狗という種族が妖怪の山に住んでいることは、にとりの話から雛も知っていたけれど、実際に見るのはこれが初めてだった。
「ちょっとご連絡が。それと、にとりさんから伝言を預かってきたッス」
「……にとりから?」
目を細める雛に、椛と名乗った少女は、こほんとひとつ咳払い。
「にとりさんッスけど、ちょっと体調を崩して、今日は来られないそうッス。で、『行けなくてごめん、明日には元気になってるから、心配しないで』――とのことッス」
「――――」
息を飲んで、右手をぎゅっと握りしめた雛に、椛が訝しげに目を細めた。
「ええと、雛さん?」
「あ……ありが、とう」
首を振り、絞り出すように答えた雛に、椛はひとつ鼻を鳴らした。
「じゃあ、確かに伝えたッス。――あんまり深刻に考えなくても大丈夫ッスよ。それじゃあ」
最後の一言は、彼女なりの気遣いだったのだろう。飛び去っていくその背中を半ば呆然と見送って、雛は脱力したようにその場に座り込んだ。
――にとりが、体調を崩した? 昨日はあんなに、元気そうだったのに?
『また明日ねー』
そう言って、帰っていったにとり。その笑顔は、いつもと全く変わらなくて。
何か、予兆があったのかもしれない。だけど、自分はそれを見落としていたのか。
ああ、そうじゃない。そんなに深刻に考えるようなことでもないのかもしれない。ちょっと風邪をひいたとか、それだけのことだろう。きっとそうだ。にとりはそそっかしいから、お腹を出したまま眠ってしまったとか、そんな間抜けな話なのかもしれない。
――明日には元気になってるから。にとりがそう言っているのなら、きっとそうなのだ。
明日にはまた、元気に笑って、『ひな』と名前を呼んでくれるのだ。――そのはずだ。
でも、この背中にまとわりつくような、嫌な予感は何だろう?
「……にとり」
名前を呼んでも、答えてくれる声と笑顔はどこにもない。
――そうだ、お見舞いに行こう。もし厄がついているなら、自分が祓ってあげるのだ。
にとりに、厄が――厄、が。
「私の……厄、が?」
その想像に、雛は慄然と立ちすくむ。
――自分の近くにいれば、人間も妖怪も不幸になる。
誰かが言った言葉。誰から聞かされたのかも定かでない言葉。
にとりの笑顔は、そんなの勝手な思いこみだって、吹き飛ばしてくれたはずなのに。
その言葉がまた、雛の頭の中にこだまする。
「そんな、はず……」
そう、だって帰り際には、いつもちゃんとにとりの厄を祓ってあげていた。
にとりに厄がついたまま帰したことなんて、一度もない。――そのはずなのに。
「にとり、」
行こう、にとりのところに行こう。行って確かめるのだ、にとりの体調不良の原因を、
――どこへ行って?
河童の里だ。あの河の上流にあるはずの、にとりの暮らす里――。
――自分の周りの、大量の厄を引き連れて、大勢の河童のいるところへ?
――河童の里に、厄を撒き散らしに行くのか?
踏み出しかけた足が止まり、深い霧の中で、雛は呆然と立ちつくした。
厄のように渦巻く霧の雫が、全身を濡らしていく。
まるで水の中で溺れているみたいに、呼吸が苦しい。
「にとり――」
どうすればいいのか解らなかった。何が出来るのかも解らなかった。
それはただの杞憂なのかもしれない。明日になれば笑い話になるのかもしれない。けれど今は、雛はただ霧の中、来るはずのない少女の姿を求めて、立ちつくすしか出来なかった。
――にとりは来なかった。
その日も、次の日も、雛の家のドアを叩く者は、居なかった。
◇
3日続けての濃霧には、さすがに天狗の面々も辟易していた。
射命丸文も例外ではない。新聞という紙媒体を扱う彼女の場合、なおさら湿気の多さは天敵である。まあ、風を操ることで自分の近くの霧は吹き飛ばせるが、所詮気休めでしかない。
「あやややや……早いところ晴れてほしいわねえ」
額についた水滴を拭いながら、文は霧の中を飛んでいた。ネタを探すのに天気は関係ないのである。まあ、この長い濃霧について書けば紙面は埋まるが、それでもっと美味しいネタを逃してしまっては元も子もない。
――とはいえ、相変わらず平和な妖怪の山近辺に、ネタの気配は無さそうなのだが。
「霧は水、水といえばこの辺では河童。……河童の里でも行ってみようかしら」
それは単なる思いつきだった。まさか河童が濃霧を起こしているわけでもないだろうが、まあ紙面の穴埋め程度に面白い話でも聞けるかもしれない。そんなことを思って、文は河童の里の方角へ翼を羽ばたかせる。
ほどなく辿り着いた河童の里は、何やら河童たちが浮かれていた。水の中がホームグラウンドの河童たちには、湿気の多い天気は気分のいいものなのだろう。その様子を上空から見下ろした文は何か腹立たしさを覚えて、やっぱり帰ろうか、と思い直す。
――と、その中に数名、妙に慌てた様子の河童たちが目に付いた。白衣を着ているところからすれば、研究者か医者の河童であろう。ネタの匂いかと、文はひらりと舞い降りる。
「天狗様、こんなところにわざわざ、何用でしょう?」
文の姿に気付いた白衣の河童は、足を止めると畏まって一礼した。
「あやや、ちょっと立ち寄っただけです。ところで、さっきから何かあったんですか?」
文の問いかけに、「はあ、それが」と白衣の河童は困ったように首を傾げた。
「入院中の患者が一名、病室から逃げ出しましてな。探しているところなのです」
「それはまた、元気な患者ですねえ」
「とんでもない。安静にしていなければいけない症状だったのですから、そうそう遠くへ行けるはずがないのですが、どうにも見つかりませんで」
ふうん、と文は鼻を鳴らす。事件になるならネタとしては面白そうだが、さてどうするか。
「人捜しなら、部下を貸しましょうか? 千里眼持ちなので、うってつけですよ」
「いやいや、天狗様にそのような――」
「呼びましょう。椛」
ぱちん、と指を鳴らす。――ほどなく、白狼天狗は本当にその場に姿を現した。
「なんスか、文様?」
「あやや、本当に来るとは思わなかったわ」
「……たまたま近くに居ただけッス。気付いたのもたまたまッス」
ふてくされたように答える椛に、文は愉しげに微笑する。
「で、河童の里なんかに呼び出して、何かあったんスか?」
椛が首を傾げると、「おお、一昨日の天狗様」と白衣の河童が声をあげた。
「あ、一昨日はどうもッス」
椛もぺこりと一礼。何だ、知り合いなのか。文はひとつ鼻を鳴らす。
「にとりさんはどうッスか? 元気になったッスか?」
「いや、それなんですわ。河城のところの娘が、病室から逃げ出しましてな」
「――――え?」
椛は目を見開き、白衣の河童は肩を竦めた。
文も眉を寄せる。――にとり? どこかで聞いた名前だが、
「ちょっと待ってくださいッス。……そんなに悪かったんスか?」
「はあ、それが担ぎ込まれてから、じわじわ症状が悪化しましてな。今朝方なんて、とても起きあがれるような状態じゃなかったのですが、先ほど看護婦が病室を見たら、これがもぬけの空でして」
「――にとりさん、何やってるんスかもう」
頭を掻いて、椛は大仰に溜息をつく。
「それなら、行き先は見当がつくんで、ちょいと探しに行ってくるッスよ」
「おお、申し訳ありませぬ」
「すぐ連れ戻すッス。それじゃ、」
「はいストップ。私を無視して話を進めようとはいい度胸じゃない?」
と、飛び立とうとした椛の尻尾を、文はむんずと掴まえる。しかし相変わらず、もふもふして気持ちいい尻尾だ。
「わひゃあ!? あ、文様、何するッスか――」
「いいから私も連れていきなさい。ついでに事情を説明すること、OK?」
「な、何でそんな、睨むッスか!?」
「ほら、行くわよ犬」
「犬じゃないッス、狼ッス!」
そんなことを言い合いながら、文と椛は霧の中に飛び立つ。
白衣の河童は、その様子を呆然と見送っていた。
◇
霧は、今日も雛の家まで深く立ちこめていた。
時計の秒針が、ゆっくりと時間を切り刻む音だけが、ひどく静かな家の中に響く。
――ひとりの時間は、こんなにも永いものだっただろうか。
進まない時計の針を見上げて、雛はどこへも届かない溜息を吐き出した。
飲みかけの紅茶はすっかり冷めてしまって、クッキーに手を付ける少女はどこにもいない。
待ち続けても、にとりは来ない。
「にとり……」
一昨日、見知らぬ天狗が告げていった、にとりの体調不良。
そして、伝言に反して、昨日も来なかったにとり――。
今日も来ない。にとりは来ない。――これからも?
「にと、り……っ」
ああ、だからといって、どうすればいいのか、雛には解らないのだ。
――もしも、もしもにとりが本当に、そんなに具合が悪いのだとしたら。
思い当たる最大の原因は、自分自身なのだから。
自分が溜め込む厄。祓っていたつもりだったそれが、にとりと毎日会って、触れあううちに、少しずつにとりを蝕んでいたのだとしたら――。
だとしたら、自分は。
――厄神の周りでは、みんなが不幸になる。
『雛』
彼女の笑顔と声が浮かんで、雛は泣き出したくなった。
にとりに触れたい。にとりの笑顔が見たい。にとりに、名前を呼んで欲しい。
こんなにも恋い焦がれているのに――それが、にとりを苦しめるのだとしたら。
自分は、自分は――。
時計の針は進まない。ひとりきりの時間は永遠に引き延ばされていく。
軋むように胸が痛んで、雛は小さく呻いた。
手を伸ばしてみても、触れられる温もりは、どこにもない――。
玄関の方から、物音が、した。
はっと、雛は立ち上がる。
それは、力ない音ではあったけれど――ドアをノックする音だった。
この家のドアを叩く者など、ひとりしかいない。彼女しか、いない。
転がるように、雛は玄関へと飛び出る。靴を履くのもそこそこに、ドアノブに手をかけ、
――扉を、開け放つ。
「ひな」
ずぶ濡れの少女が、そこにいた。
立ちすくんだ雛の目の前で、ずれた帽子を持ち上げて。
少し背の高い雛の顔を、その蒼い瞳が見つめた。
「……ひ、な」
土気色の唇が、掠れた声を吐き出した。
青ざめた頬が引きつるように歪んで、笑みのような表情を形作った。
そして、少女は、すがるように、両手を伸ばして――
河城にとりは、そのまま前のめりに崩れ落ちる。
「にとりっ!!」
悲鳴のように叫んで、雛は霧の中、そのずぶ濡れの身体を抱き留めた。
血色のない肌。雨に打たれたように濡れそぼった全身はひどく冷え切って。
だらりと力を失った全身の重みによろめいて、雛はそのまま膝をついた。
「に、とり……」
瞼を閉じて、にとりは意識を手放していた。
何だ、これは。何なのだこれは。――どうして、こんな、
震える手で、雛はにとりの頬に触れた。死人のように、その頬は冷たい。
持ち上げた手は、指先が紫色に変色していた。――技術者の命の、指先が。
『あー……うん、最近はあんまり、インスピレーションがねー』
そう言って、にとりは苦笑した。――こんな指で、何かが生み出せるはずが無かった。
気付かなかった。気付けていなかった。その事実に、雛は愕然と天を仰いだ。
あんなにも近くで、にとりと触れあっていたのに。
――自分は、にとりの異変に、なにひとつ、気付けていなかったのだ。
その事実に、ただ慄然と凍りついた雛の、眼前で。
ただひとつの――直視したくなかった現実が、姿を現す。
微かに開いたにとりの唇から、どろり、とそれが溢れだした。
厄だった。どんな闇よりも深く淀んだ、あまりにも濃い厄の塊だった。
それが、にとりの唇から吐き出されていく。どろどろ、どろどろと。
その厄は、雛の周りをぐるぐると渦巻いて――
――厄神の周りでは、みんなが不幸になる。
悲鳴のように、雛は声にならない声で、絶叫した。
◇
夢を見た。
夢の中で、大好きな彼女の腕に抱かれていた。
彼女は泣いていた。ぼろぼろと涙をこぼしていた。
瞼に雫を溢れさせながら、自分の名前を呼んでいた。
その涙を拭ってあげたかったけれど、指先がうまく動かせなくて。
名前を呼ぼうと思ったけれど、声がうまく出せなくて。
彼女の涙を、どうすることもできなかった。
それだけの、夢。
◇
霧はやがて、土砂降りの雨に変わった。
河童の少女は、ベッドの上で安らかな寝息を立てている。
その寝顔を見下ろして、雛はそっと目を伏せた。
そして、視線を彷徨わせる。……目に付いたのは、床に放り出したにとりのリュック。
テーブルの上に置いておこう、とそれを持ち上げて――隙間から、小さな袋が覗いていることに、雛は気付いた。
震える指で、その袋を取り出す。両手に収まるほどの小さな布袋に、固い感触。
紐を引いて、袋の口を開ける。
「これ……私……?」
取り出したそれは、小さな機械人形だった。
真紅のスカートとリボンをまとった人形が、台座の上でおすまししている。
台座に、小さなボタンがあった。
それを押してみると――微かな旋律とともに、人形は台座の上でくるくると回り出した。
まるで、雛のように、くるくる、くるくると。
『――今度、また何か作ったら持ってくるからさ』
にとりはあの日、そう言って笑った。
「にと……り……」
回り続けるその人形を抱いて、雛は涙を流さずに、少しだけ泣いた。
ねえ、にとり。
あなたのことが、本当に大好きだった。
それは、何よりも幸福な恋だった。
たとえ、幻想の恋物語だったのだとしても。
――それだけは、たったひとつだけ、確かなこと。
私を好きになってくれて、ありがとう。
私にあんなにたくさんの幸せをくれて、ありがとう。
これは、大好きなあなたへ、最後のお願いで、最後のわがまま。
どうか、名前さえも忘れてください。
あなたに恋をした厄神がいたことも。あなたが恋をした厄神がいたことも。
何もかも、全ては幻想の中に。
それが、私があなたにできる、最後の厄祓いだから。
――さようなら。
世界で一番、大好きなひと。
◇
そして、瞼を開ければ、ただ雨が降っていた。
見上げた窓を、無機質な雫が打ち据えていた。
にとりは、震える指先を、虚空へと伸ばして。
「……ひな?」
呼びかける声に、答える声はなく。
回ることを止めた人形が、テーブルの上に静かに佇んでいた。
(第6話へ続く)
Comment
ぬおおおおおおおおおお!!
なんなんすかなんなんすかこの切ない話はっ!!?
いやすいません。自己紹介もしないまま初めての感想を書き込んでしまって;
これまでになのフェイ(順不同)小説を求めてここに辿り着いて色々楽しく読ませてもらってきたクランと申します。リアルタイムに琴線に触れるお話に出会ったのは初めてだったのでコメントさせていただきます。
そうでしたか・・・雛にも見えない体の中に厄が溜まっていた、と・・・も〜どーなるんですかこれ・・・ああ!続きが知りたいのにネタばらしとかされても困るっ!!
と、ゆーわけで無理しない範囲で続きの執筆をお願いします。なにとぞ〜m(_ _)m
なんなんすかなんなんすかこの切ない話はっ!!?
いやすいません。自己紹介もしないまま初めての感想を書き込んでしまって;
これまでになのフェイ(順不同)小説を求めてここに辿り着いて色々楽しく読ませてもらってきたクランと申します。リアルタイムに琴線に触れるお話に出会ったのは初めてだったのでコメントさせていただきます。
そうでしたか・・・雛にも見えない体の中に厄が溜まっていた、と・・・も〜どーなるんですかこれ・・・ああ!続きが知りたいのにネタばらしとかされても困るっ!!
と、ゆーわけで無理しない範囲で続きの執筆をお願いします。なにとぞ〜m(_ _)m
Posted by: クラン |at: 2009/02/13 10:10 PM
うわぁ……うわぁ……
Posted by: クロガネ |at: 2009/02/16 7:12 AM
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