にと×ひな! Stage5「少女が見た幻想の恋物語」(2)
2009.02.07 Saturday | category:東方SS(にとり×雛)
◇
全く、椛ときたら、犬のくせに生意気なのだ。
そんなことを言えば『犬じゃないッス! 狼ッス!』ときゃんきゃん吼えるけれど、そもそも下っ端のくせに狼なんてのが既に不遜なのである。
別に、白狼天狗自体が嫌いなわけではない。椛に限った話である。椛なんて犬で充分なのだ。
「あやややや、無駄足でしたねえ……」
妖怪の山の麓、川沿いの空を飛びながら、溜息混じりに文は呟く。
ネタを求めて人里の方へひとっ飛びしてみたものの、これといったネタは無かった。幻想郷は今日も平和である。さて、そうするとどこへ向かうか。魔法の森、迷いの竹林、あるいは紅魔館か冥界か。指折り文が考えていると、
「ひ、ひなぁ〜!」
ひどく情けない声が、眼下から聞こえた。
見やれば、なぜかくるくると回りながら逃げる少女と、それを追いかける少女の姿。
追いかけている少女の方は河童だ。というか、どこかで見たような……と文は記憶をたぐり、すぐに思い出した。椛とさっき、将棋を打っていた河童ではないか。
「ということは、椛は今フリーかしら? ていうか、本当に将棋打ってたのかしらね」
などと思いつつ、くるくる回って逃げる少女の姿が面白かったので、文はそのまま視線で追いかける。大きなリボンを揺らし、真紅のスカートを翻しつつ逃げる少女の周囲には、何やら薄暗い障気のような気配がまとわりついているが、河童の少女の方は気にも留める様子はない。
「雛っ――わぷっ」
びたん。何もないとこで河童の少女が転んだ。雛、と呼ばれていた少女の方が、ぴたりと足を止めて振り返る。「ううう」と顔を上げる河童の少女。回っていた少女が心配げにそこに歩み寄る。
「だ、大丈夫? にとり」
「う〜……掴まえたっ」
ばっと起きあがり、にとりと呼ばれた河童の少女は、雛の手を掴んで笑った。
「に、にとり……」
「……ごめんね、雛」
顔を赤くした雛に、にとりは目を伏せて囁く。
「ごめんね……」
「……怒ってるわけじゃ、ないわ」
にとりの目尻に浮かんだ涙を、雛の指がそっと拭った。
「ただ……私だって、拗ねたり、やきもち焼きたくなることくらい、あるの」
「ふえ」
きゅ、とにとりの肩を掴んで、雛はこつん、と額を合わせた。
「にとり」
「はひゅ」
「キス、して」
「うみゃあ!?」
目を閉じた雛に、「あ、あぅあぅ」とにとりは真っ赤になって口をぱくぱくさせ、
「……ひな」
観念したように目を閉じて、雛の唇に、自身のそれをそっと重ね――
――反射的にシャッターを切っている自分に、文は近くの樹上で小さく苦笑した。
「あやややや……河童と、厄神様かしら? 異種族同士のラブストーリー……小説の題材としても陳腐だし、ましてや新聞向きのネタでもなし、と」
まあ、とりあえず何かに使えるかもしれないから、この写真は残しておくとして。
そこのバカップルを眺めていたらこちらが当てられそうだったので、文はそれ以上視線を向けることなく、近くの樹から飛び立った。
「……というか、恋人のいる河童に手を出して、あのわんこは何をしてるのかしらね?」
天狗と河童と厄神様の三角関係? 修羅場に発展すればそれはそれで面白いかもしれない。
――が。
「…………」
何故だかその想像にひどく腹立たしさを覚えて、戻ったらとりあえず椛のしっぽをもふもふしていじめてやろう、と文は密かに黒い笑みを浮かべる。
――スクープが恋人を自称する射命丸文に、それが小さな嫉妬であるという自覚など、もちろんあるはずもなかった。
◇
大好きな人の唇が甘いものだということを、雛に触れて初めて知った。
もちろん、本当にお菓子のような甘さが口の中に広がるわけではない。その甘さは、触れた唇の柔らかさや、あたたかさから伝わる――幸せの甘さだ。
キスをする、というのがどうして、恋人同士の特別な儀式なのか。
機械を解体してみるように、触れてみなければ解らないことがある。
――唇という繊細な場所を重ね合わせて、温もりと吐息を近づける行為。
それはただ率直に、どんな言葉よりも真っ直ぐに――好き、という気持ちを伝える儀式。
唇の触れた回数だけ、「好き」と耳元で囁かれているのだとすれば。
溶けてしまいそうなほど幸せなのも、当たり前の話なのだ。
雛が好きだ。大好きだ。離したくない。ずっとずっと、そばにいたい。
そんな気持ちを、たった数日で、もう何度伝えただろう。
――雛は何度、そんな気持ちを、自分に伝えてくれただろう。
唇で言葉を紡ぎ、唇で想いを伝える。
この唇は、大切な人の幸せのためにあるのだと――にとりは、初めて知った。
「……ん」
だから、唇を離してしまうのは、いつだって名残惜しい。
けど、息が続かないからいつまでもキスをしてはいられないし、やっぱりそれも、あんまり頻繁になってしまうと幸せが希釈されてしまいそうで、ちょっと怖いのだ。
「にとり……もう一回」
……雛の方は、あんまりそのへん気にしてないみたいだけど。
「え、いや、でも……」
「……嫌?」
「嫌じゃないよっ」
で、即答してしまう自分がいるわけで。……結局もう一回することになるのである。
まあ、幸せだからいいんだけど。
「雛……キスするの好きだよね」
こつん、と額をまた合わせて、苦笑混じりににとりは囁く。
「だって……にとりの気持ちが、いっぱい伝わるもの」
はにかんでそう答える雛に、ひどく照れくさくて、にとりは頬を掻いた。
気持ちは一緒。そのことには、もう何の不安も無かった。
だってあのとき、ちゃんと気持ちを伝え合ったのだから。
にとりは雛が好きで、雛もにとりが好き。――言葉にしてしまえば、それだけのこと。
「ね、もう一回」
「いや、さすがにそれはちょっと」
「むぅ……」
頬を膨らませて雛は拗ねてみせる。そんな様子も可愛くて、にとりはまた頬が緩んだ。
「雛。……そりゃあ、私だって雛と……その、キス、いくらでも、したいけど、さ」
「うん」
「でも、そのね? 雛とキスするのは、幸せすぎるから。……あんまり幸せが多すぎても、持ちきれなくなっちゃうよ。……だから、ほどほどに、ね?」
そのへん、にとりとしては最後の理性が押しとどめる一線なのだけれども。
「……もっと、にとりは欲張りになっていいと思うわ」
「そ、そう?」
「私は……にとりの全部がほしい。にとりを独り占めしてしまいたい」
「ひゅいっ、や、ひな、あうあう」
ぎゅっと抱きしめられて、にとりは思わず変な声をあげた。
「……わ、私だって、それは、一緒だよ?」
「遅刻したくせに」
「はうっ」
今更のようにジト目で睨まれた。いやだからさっきからそれに関しては謝ってるじゃない確かに将棋に夢中になってた私が悪いんだけどだから許してってば雛――
「……怒ってるのよ?」
「さっき怒ってないって言ったじゃん!?」
「怒ってるって言ったら……もう一回キスしてくれる?」
「あー、う〜……」
雛の方が、こっちの理性に遠慮なく揺さぶりをかけてくるわけで。
――これも惚れた弱みって言うのかな。先に惚れたのはたぶん自分の方なのだし。というか、思い返してみればどう考えても一目惚れだし。
「え、えーと、キス以外にまからない?」
「だーめ」
「う〜……雛のキス魔」
「にとりにだけよ」
「知ってるよぉ。……これで最後だよ?」
「最後、なの?」
「……今は、ね」
ああもう、押しに弱いのは自分の方だ。
というか、告白しあって以来、雛がやたら積極的でにとりは困っているのである。
――他人に言えば「全身から砂糖を噴き出して死ね」と言われそうな話であるけども。
「雛」
「……にとり」
そうしてまた、唇を重ねて。ああ、やっぱり幸せだなぁ、と実感する。
結局、キス魔なのは自分も変わらないのだろう。
だって、こんなにも幸せなのだから――仕方ないではないか。
◇
この両手は何のためにあるのだろう、と考えることがある。
ものを持つため。それが一番単純で、一番正解に近い答えだろう。
日々の生活を営む中で、両手が無ければ何も出来ない。
――だけどそれは、どこまで行っても自分のための話だ。
じゃあ、誰かのために、この両手はどう使えばいいのだろう、――と、考えれば。
答えは、やっぱり目の前にある、大好きな人の笑顔が教えてくれる。
触れたい。抱きしめたい。離さないように、強く、強く。
ただ一心に、その気持ちを込めて、彼女に触れれば。
ああ、この手はこのためにあったのだと、確かに解る。
大切な人を抱きしめるために、この両手はあるのだと――。
「ねえ、……にとり」
「うん?」
夕暮れに傾き始める陽射しが、カーテン越しに部屋の中を紅く染めていた。
ソファーに並んで座り、自分の肩に頭を預けるにとりの髪を撫でながら、雛は囁く。
「今日……ね」
「ん……」
もうどれだけの時間、そうしているだろう。
ただそうやって、何の言葉もなく触れあっているだけで、雛は満たされていた。
にとりの温もりを、すぐそばで感じられれば、それだけで。
「今日、……泊まっていく?」
ほんの少しの勇気を振り絞った言葉に、「ほえ」とにとりは目を見開く。
こちらを見上げて、ためらうように口をぱくぱくさせるにとり。
「…………いいの?」
囁かれるのは、確認の言葉。雛はただ頷いて、にとりの頬に触れる。
くすぐったように目を細めたにとりに、またそっと、幾度目か唇を寄せて。
混ざり合う吐息を感じながら、にとりの身体をきゅっと抱きしめた。
「じゃあ……お言葉に甘えちゃおう、かな……えへへ」
照れくさそうに笑って、それからにとりは雛の首元に顔を埋めた。
蒼い髪が、さらさらと揺れる。紅い光が、世界をグラデーションに染めていく。
昼と夜の境目のように、混ざり合ってしまえたらいいのに。そんなことを思った。
「雛……」
「……なに?」
こちらを見上げないままに、にとりが囁いた。
「ずっと……こうしていられたら、いいね」
その言葉が、不意にひどく儚く聞こえて、雛はにとりをきつく抱きしめた。
「……離さない、わ」
「ん……」
「にとりは……今、幸せ?」
「うん。……雛は?」
「私も、幸せ。……だから、にとりのこと、もう絶対、離さないから」
そうだ。厄神は不幸を呼ぶ存在なんて、誰が言ったのだ。
自分は今、こんなにも幸せで。にとりも、幸せだと笑ってくれる。
この両手が、にとりに幸せを与えられるなら――いつまでだって、抱きしめていたい。
何の為に自分が存在しているのか、その理由があるとすれば。
世界で一番大好きな人を幸せにする、ただそのためなのだから――。
「……雛、好きだよ」
幾度目かの、言葉。
「にとり……好き」
幾度目かの――どうしようもなく単純な、言葉。
神はその愛を、誰に誓えばいいだろう?
――それはきっと、愛する人自身に。
そうして、やがてまた幻想郷に、夜の帳が下りる。
人も妖怪も、妖精も亡霊も眠る丑三つ時。
その深い闇の中で――不意に、雛は目を醒ました。
目をしばたたかせて、ベッドから身体を起こす。ぼんやりとした視界は、いつもの自分の部屋の光景を映しだして。――けれどひとつ、そこに確かな違和感があった。
「……にとり?」
隣で寝ていたはずの、にとりの姿が無い。
目を擦り、雛はベッドから下りる。お手洗いだろうか。ぺたぺたと足音を鳴らして、閉ざされた扉に手を掛けて――
――ガシャン、と、何かが砕け散る音がした。
「にとりっ!?」
慌てて扉を開け放つ。廊下の向こう、台所から光が漏れていた。ほんの僅かな距離を走って、雛はそこに駆け込んで、
「ひな……」
砕けたグラスを足元に、呆然と佇むにとりの姿があった。
「にとり……どうしたの? 大丈夫?」
「あ、危ないよ、足元」
踏み出しかけて、床に散らばったガラスの破片に、雛は足を止める。
「ごめん、ちょっと水飲もうと思ったら、手が滑っちゃって……」
「動かないで、今、片付けるから」
箒は近くの物置にあったはずだ。踵を返し、雛は最短距離で目的のものを探し出すと、すぐに台所に戻る。――にとりはその場にしゃがんで、破片を拾い集めていた。
「危ないわ、にとり。私がやるから」
「あ、うん……」
手にしていた大きな破片をテーブルに戻して、にとりは慎重に数歩後じさった。雛は念入りに、床に箒をかける。厄を萃めるように慎重に、細かい破片まで逃さないように、
――そして、床にこぼれた、その痕跡に気付いた。
「にとり?」
微かに黒ずんだそれは、小さな血痕。
はっと顔を上げると、「え?」とにとりは自分の手を見下ろす。
そして、指先を見て小さく声をあげた。――まるで今、その傷に気付いたように。
「だ、だいじょぶ、ちょっと切っただけ」
そう答えて、切った指先をにとりはくわえる。集めた破片を一旦隅に寄せて、雛はにとりに歩み寄った。にとりの左手に触れる。……中指に血の雫が浮いていた。
「へ、平気だよこんなの、舐めてれば治るから――」
慌てたように言うにとり。確かに、大した傷ではない。日常の中でいくらでも起こりうる些細な切り傷。何も特別なことなど、あるはずはない、のに。
――なんだろう、胸の奥でざわめきのようなものが、ひどくうるさいのだ。
「にとり……」
掴まえたその指先を、雛はちゅ、と口に含む。ふひゃ、とにとりが変な声をあげた。
にとりの血は、鉄錆のような、苦い味がした。
幸せだった。
鍵山雛と河城にとりは、その時までは確かに、どうしようもなく幸せだったのだ。
大好きという気持ちを伝え合って。触れあって、抱きしめ合って、言葉を交わして。
厄神と河童は、幻想郷の誰よりも、その時までは、幸せだった。
――その手足に絡みつく枷に、気付いてしまうまでは、幸せでいられたのだ。
(つづく)
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