にと×ひな! Stage4「秋めく恋」 SIDE:C
2009.01.28 Wednesday | category:東方SS(にとり×雛)
恋を、した。
◆
『…………ひな?』
トランシーバーの向こうから聞こえた、大好きな彼女の声。
たったそれだけで、全身があたたかなもので満たされていく気がした。
「にとり……? 私の声……聞こえる?」
おそるおそる、その機械に呼びかける。聞こえるのは静かなノイズと、そして――
『うん、聞こえる。雛の声、ちゃんと聞こえる。……雛は?』
ノイズの中で、音割れしつつも、確かにこちらに届く、にとりの声。
「聞こえるわ。にとりの声……聞こえてる」
そのあたたかさを噛み締めるように、雛は言葉を返していく。
熱を持った手に、握りしめたトランシーバーの冷たさが心地よかった。
『あは、ちゃんと出来てたんだ。良かった……えへへ』
照れたように頬を掻くにとりの姿が、機械の向こうに見えた気がした。
「……にとり、今、どこにいるの?」
ふと、その問いかけが口からこぼれて、自然に口にしてしまった自分に雛は驚いた。
さっきまでだったら、きっと答えを聞くのが怖くて、口ごもってしまったはずだった。
――だけど、今は。
『え? え、えと……ひ、雛の家の、割と近く……の、あたり、かな?』
何だか歯切れの悪い調子で、たはは、と苦笑しながらにとりは答える。
『ひ、雛は……家に、いるの?』
「……私は、今は、いつもの河のところ」
『あっ、厄萃めてるんだね。そっか、そうだよね』
何か大げさに、にとりは納得の意志を言葉で示す。少し首を傾げつつも、雛は。
「……ひょっとして、入れ違いになっちゃったのかしら?」
『あ、う、うん……たぶん、そうだと思う』
答えるにとりの声は気まずそうで、遠くへ行っていた不安が、少しずつ自分の中で再び鎌首をもたげてくるのを、雛は感じた。
――にとり、どうしたの? なんでそんなに、歯切れの悪い言い方……。
「にとり? ……どうかした?」
『ふえ!? べ、べべべ、別に何でもないよっ!?』
いや、その答えは何かあると白状しているようなものだ。
――ああ、ダメだ。悪い考えが、再び自分の中に厄のようにまとわりついてくる。
にとりは本当は、この会話も早く打ち切りたがっているのでは――とか。
いつもの時間になっても来なかったのも……本当は、もう、
「…………」
『……ひ、ひな?』
雛が沈黙していると、不安げな様子で呼びかけてくるにとりの声。
「にと、り」
渦巻く思考が、ぐるぐると厄のように回り続けて、けれど自分の脳内で淀んでいく。
――信じてあげなさいよ、恋した相手のことぐらい。秋の神様はそう言ったけれど。
きっと、自分が信じられないのは、彼女の気持ちじゃなくて。
自分が、彼女に好かれるに価する存在なのかという――そのことなのだ。
『ひな……』
ああ、どうしてだろう。彼女の声はこんなに愛おしくてあたたかいのに。
幸せと一緒に、同じぐらい心が軋むのだ。
「にとり……どうして、今日は、……来なかったの?」
『ふえ? え、えと……そ、それは、その』
困ったように口ごもるにとりに、雛は口にしてしまった言葉に激しく自己嫌悪する。
ああ、違う。こんな問い詰めるようなことが言いたいんじゃない。
そのはずなのに――軋む胸も、思考も、何もかも自分のもので無いようで。
「……もう、私のところに、来たく……なくなった?」
『ちっ、ちが――違うよ雛! 何言ってるのさ!?』
「だって……だって、にとり、」
痛い。ああ、ひどく痛い。胸が、心が、悲鳴のように震える。
幸せなのに。彼女の声が、彼女の言葉が、その全てが幸せなのに。
その幸せに触れるたびに、白く眩しい光に映し出される自分の淀みが――醜く、見える。
「にとりっ――」
好きだ。こんなにも、今にも壊れそうなほどに――にとりが好きだ。
その事実が、締め付ける鎖のように、雛の身体に食い込んで痕を残していく。
膝をつき、俯き震えて、雛はただトランシーバーを握りしめて、
『ひなっ、いつもの場所だよね!? 河のところにいるんだよねっ!?』
トランシーバーから、鋭く響くにとりの声。
「え……あ、え、う、うん……」
思わず反射的に頷いた雛に、続けてにとりは叫ぶように告げる。
『今から行く! そっち行く! 全速力で走ってくから――逃げないで待ってて!』
そうして、トランシーバーは沈黙し。雛は呆然と、その機械を見下ろした。
――逃げないで待ってて。
その一言が、雷のように雛を打ち据えて、身動きすらとれない。
逃げないで、とにとりは言った。
それは一体、何から? 自分は一体、何から逃げていたのだろう――?
そんな思考に、雛が囚われていた時間は、果たしてどれほどだったのか。
思考に割り込んだのは、近くから聞こえてくる草をかき分ける足音。
振り向けば、近くの森の木々が、不意に吹き抜けた風にざわめいた。
その風に、リボンがなびいて、雛は長い髪を咄嗟に押さえ――
――森の中から躍り出た、青い影ひとつ。
その影は、森の終わりの木の根っこに足を引っかけて、つんのめるように飛び出して。
「おわっ!? わっ、わわっ、わっ――」
バランスを立て直す間もなく、勢いのままに雛の目の前を転がるように横切って、
呆気に取られて見守る雛の前で、――河の流れにそのまま派手に突っ込んだ。
ばしゃん、と盛大に水飛沫があがり、雫を受けて雛は顔を覆う。
「わぷっ!? はわっ、わっ、わーっ!?」
その向こう、大して深くもないはずの河で、飛沫をあげてもがく少女の姿。
「…………あ、あれ?」
ひとしきり水を巻き上げて、そこでようやく立てば腰までほどの深さしかないことに気付いたか、立ち上がって少女は呆然と足元を見下ろして。
――そして、何とも気まずそうな顔で、振り向いたその子は。
紛れもなく、河城にとり本人だった。
「……にとり?」
「ひ、ひな……み、見てた? 今の……」
ものすごくぎこちない笑みを浮かべて、にとりはひどく平板な声で問いかける。
雛はひとつ首を傾げて――そして、ひどく根本的なその違和感に思い至った。
にとりは、河童。河童とは、河と共に生きる妖怪だ。
その河童が、慌てていたとはいえ、――河に突っ込んで、ひとしきりもがいた?
むしろ河の中は、河童の生活圏ではないのか? それとも、まさか――まさか、そんな。
ひとつあり得ない想像が浮かんで、雛は流石にそれは無いだろう、と首を振った。
――まさか、そんな。流石にそれは、河童という存在の大前提が崩壊しかねない。
「だ、大丈夫……? 怪我とか、してない……?」
それより、そう、転ぶみたいな格好で突っ込んだのだ。河は深くないし、にとりが突っ込んだ拍子に怪我でもしていたら大変だ。そう思って、雛はにとりに手を差し伸べる。
「あ、だ、大丈夫、全然大丈夫っ!」
にとりは慌てて、その手も取らず、ざぶざぶと水をかきわけて川べりに上がった。近くの岩に腰掛けて、盛大に息を吐き出すその様子に、雛はまたひとつ首を傾げて。
「あ、あはは……」
顔を上げたにとりは、こちらを見上げて、何だか力なく笑った。
「……ふふっ、あははっ」
それにつられて――雛もどうしてか、笑いがこぼれて。
「あ、ひな、ひどい、笑わなくたっていいじゃん――」
そんな反応に、にとりは頬を膨らませるけれど、口元を押さえて笑う雛に、気付けばにとりの顔もいつの間にかほころんでいて。
――そうして、気が付いたら、ふたりでしばらく意味もなく笑い転げていた。
◇
ああもう、どうしてこう、締まらないんだろう――。
雛と笑い合いながら、にとりは心の中でそう、自分に苦笑していた。
トランシーバー越しに聞こえた、雛の悲しげな声を思い出す。
恥ずかしくて、勇気がなくて、それで玄関のドアを叩けなかった自分が情けなかった。
そのことが、あんなにも雛を悲しませてしまったのだと知って、自分を殴りたくなった。
だから、これ以上雛を悲しませたくなかったから。
走って、走って。どんな朝よりも速く走って、雛の元に辿り着いて。
――そこで格好良く、雛を抱きしめられたら良かったのに。
現実は、河に突っ込んで溺れかける情けない河童が約一名。うう、本当に締まらない。
「にとり、本当に大丈夫? ……怪我、してない?」
「あ、う、うん、平気、ホント、平気だから」
ふと、また心配げにこちらを覗きこんでくる雛に、にとりは苦笑して視線を逸らす。
ああ、ダメだ。やっぱり、そんな風に見つめられたら、息が詰まりそうで――。
胸の鼓動が速すぎて痛いぐらいなのに、その痛みすら心地よいのだ。
「……にとり」
「ひな?」
手を伸ばしたのは、果たしてどちらからだったのだろう。
指先が一瞬触れあって、静電気でも走ったみたいに、ふたり、ばっと身を竦める。
触れた指を握りしめて、視線を戻せば、雛の瞳がそこにあって。
透き通ったその眼差しから、目を離せなくなってしまう――。
「雛……」
「にと、り」
ああ、名前を呼ぶだけじゃなくて、もっと言いたい言葉が、たくさんあったはずなのに。
いつだって、雛を目の前にすると、考えていた賢しらな言葉は吹き飛んでしまって。
馬鹿みたいにこうやって、名前を呼んで笑って、それしか出来なくなってしまう。
――だけど、それがどうしようもなく幸せだから。
今度は、にとりの方から、おそるおそる手を伸ばした。
雛の手が、怯えるように彷徨って――ぎゅっと握りしめられる。
彼我の距離はほんの僅かで、だけど何よりも、埋めるのに時間のかかる距離――。
「雛」
何度、こうして君の名前を呼んだだろう。
「にとり……」
何度、こうして君に名前を呼ばれただろう。
そして、それをこれからも、ずっとずっと、続けていきたいんだ。
だからにとりは、手を伸ばした。大切なものを、掴まえるために。
目の前にいる大切な人は、その手に躊躇いの視線を預けて。
あと数センチ。最後の一歩。――踏み出さなきゃ、これ以上どこへも進めないから。
「――つかまえたっ」
そう、声に出して。にとりは、雛の手を握りしめる。
「あ――」
そしてそのまま、ぐっと雛の身体を抱き寄せた。
どれほどの距離も、踏み越えてしまえば一瞬。そして、ふたりの距離はゼロになる。
「……にと、り」
耳元で囁かれた名前に、にとりはただ、幸せな吐息を漏らして。
「ひな」
そして、雛の顔を、まっすぐに見つめた。額と額が触れあいそうな距離で。
大好きな人の吐息を感じながら、にとりはその肩に手を置いて、目を細めて。
――さあ、最後の勇気を出せ、河城にとり。
大好きな雛に、その気持ちをちゃんと、伝えるために。
「雛が、好きだよ」
◆
恋をした。
それが恋だということを、きっとずっと前から理解していた。
彼女に初めて、手を握られたあの日。名前を呼ばれたあの日から、ずっと。
自分は、彼女の天真爛漫な笑顔に、恋をしていた。
知らない世界を教えてくれる、彼女の言葉に。
あたたかく心地よい時間をくれる、彼女の温もりに。
どうしようもないほど、恋をしていた。
いつだって、彼女に、恋い焦がれていた。
そこにはきっと、どんな理屈も、理由も必要じゃなかったのだと、今更に思う。
ただ、鍵山雛という厄神は、河城にとりという河童のことが好きで。
いつまでも、いつまでも、一緒に居たいと願っていた。
他に何もいらなかった。ただ、にとりが居てくれればそれで良かった。
――それだけの、話だ。
だから。
「雛が、好きだよ」
大好きな彼女の唇が、たったそれだけの、大切な言葉を紡いだとき。
雛は――ただ、一筋の雫を、その瞳からこぼしていた。
他にどんな言葉も、どんな仕草も浮かぶことなく。
静かに、透明な雫が、握り合った手に落ちて、弾けた。
「ひな? ど、どしたの?」
彼女の満面の笑顔が、ひどく慌てた困り顔に変わる。
ああ、だめだ、涙を拭かなきゃ、彼女をまた困らせてしまうのに。
「にと、り」
だけど、一度零れてしまったら、もう何も止めることが出来なかった。
「ふ、ぁ、ぁ……にと、り、にとり……っ」
ぼろぼろと、大粒の雫が、その頬を伝って落ちる。
その雫の意味は、雛自身にもよく解らなかった。
嬉しいのか、痛いのか、幸せなのか、苦しいのか、何も解らないままに。
ただ、――たぶんきっと、厄神としてこの世界に現れて初めて、雛は泣いた。
涙を流すという行為の、どうしようもないあたたかさに、身を委ねながら。
「ひ、ひな……な、泣かないで、泣かないでよぉ……」
おろおろと、自身も涙目になりながら、にとりは雛の頬に手を伸ばして。
その手に、雛はただ、自分の手を重ねて、――囁いた。
「……私、も」
え、と、にとりがその目をしばたたかせる。
「私も、にとりが、好き」
涙と一緒にこぼれ落ちるのは、一番大切な言葉だった。
たった二文字の、魔法のような、この世界の全てよりも愛おしい言葉――。
「にとりが、好き。好きなの。大好き、なの」
「ひな」
ああ、そうして君はいつだって、名前を呼んでくれるのだ。
名前を呼んで、手を取って、笑ってくれるのだ。
ひとりぼっちだった自分に、どんな厄も吹き飛ばしてしまいそうな笑顔で。
――大好き、という気持ちを、くれるのだ。
恋をした。
たったひとりの河童の少女に、厄神は恋をした。
恋い焦がれ、請い求めた。いつでも、どんなときも。
そして、触れあってしまえば、抱きしめあってしまえば、名前を呼びあってしまえば。
どんな理屈もいらなかった。ただそれだけで、理解できた。
これが恋なのだと。これが――大好きという、気持ちなのだと。
それは、きっと河童の少女も、一緒だったから。
――恋と請いは、愛と逢いになる。
「雛」
彼女が、名前を呼んだ。
「にとり」
自分も、名前を呼び返した。
それは今まで、何度も何度も繰り返してきた言葉。
そしてこれからも、繰り返していく言葉だ。
はじまりはそこから。いつだって、そこからはじまるのだ。
『――――――――』
囁き合った言葉は、不意に幻想郷を吹き抜けた風にかき消されて。
傾き始めた晩夏の陽射しが、重なりあって離れないふたりぶんの影を、濃く落としていた。
◇
人見知りな河童は、優しい厄神に恋をした。
孤独な厄神は、天真爛漫な河童に恋をした。
――それは、幻想郷の片隅の、ひどくささやかな恋物語。
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