にと×ひな! Stage4「秋めく恋」 SIDE:B
2009.01.21 Wednesday | category:東方SS(にとり×雛)
恋、という言葉がある。
それはとても、曖昧で不可解な言葉だ。
どこからが恋で、どこまでが違うのか。そもそも、何をもって恋を定義するのか。
誰も答えられはしないのに、みんな当たり前に、恋を謳う。
自分の心に、図面はない。分解することもできやしない。
だから決して、自分の心は調べられない。
得体の知れない痛みの理由も。甘酸っぱい気持ちの意味も。
修理できない心の不具合が、どんどん積み重なって、壊れてしまいそうなのに。
――どうして、それすら心地よいのか。
彼女の顔を思い浮かべて、好き、と呟いてみる。
それだけで、恥ずかしくて嬉しくて、泣き出しそうなぐらいに幸せで、いっそ笑い出したくなるぐらい切なくて、悲鳴をあげるみたいに胸の奥が軋む。
伸ばした腕が、彼女に触れてしまったら――もう、どうしていいか解らない。
そんなときはじっと毛布に突っ伏して、彼女の名を呟くのだ。
――ひな、と。
毛布なら、どれだけぐしゃぐしゃに抱きしめても文句は言わないから。
雛、好き。……ひな、すき。
2文字と2文字、合わせてたったのひらがな4文字。
ただそれだけで、世界がぐるんぐるんと回り始めて。
自分が自分でなくなるような感覚のままに――何度も何度も呟いてしまう。
――だいすき、という4文字を。
ああ、それを恋と呼ぶのだとしたら。
この気持ちはあまりにも、あまりにも――。
ねえ、雛。
――こんな気持ちを、君に伝えてしまってもいいのかな。
答えは、出ない。
◇
その日、彼女の家のドアを叩くのは、いつも以上の難題だった。
「…………ひ、な」
呼びかけようとする声は、掠れた囁きにしかなりはしない。
――秋の神様姉妹の仲を、結果的に取り持った形になった、その次の日。にとりは、いつも通りに鍵山邸の前まで走ってやってきて、けれどそのドアの前で固まっていた。
そのドアを叩いて、『ひな』と呼びかける。それは幸せな、雛との時間の始まりの合図。
毎日それが楽しみで、だけど楽しみすぎるから、躊躇してしまうのもいつものこと。
深呼吸して、口の中だけで呼びかける練習をして。帽子と髪型を手探りで直して、もう一度深呼吸して、それでようやく、勇気を出してドアを叩くのだ。――いつもなら。
だけど、今日は。
お決まりのその動作を何度繰り返しても、どうしてもドアが叩けなかった。
「うぅ……」
気まずいわけではない。雛と喧嘩中だとか、そういうわけじゃないのだ。確かに昨日、ちょっとした諍いはあったけれど、ちゃんと昨日のうちに、仲直りをした。
だからいつも通り――雛の家のドアを叩いて、雛の名前を呼べばいいのに。
それが出来ないのは、どんな顔をして雛に会えばいいのか、解らないせいだ。
「ひ、な……」
いつも通りに笑える自信がない。――雛の前で、冷静で居られる自信が無いのだ。
それは概ね、昨日自分たちの目の前で色々と見せつけてくれた、秋の神様のせい。
抱きしめて、「好き」と囁いて、――唇を重ねたあの姉妹の姿を、自分と雛に重ねてしまって、そんな妄想に一晩中じたばたしていた自分が居る。おかげで寝不足だ。
あんな風に雛に触れたい。ぎゅっと抱きしめてみたい。――キスを、したい。
そんな赤裸々な欲求が、雛を目の前にしてしまったら、一気に爆発してしまいそうで。
膨らむ妄想と感情を、どこに置けばいいのか、にとりには解らない。
「ひ、」
しゃっくりのような声を漏らし、にとりは何度目か、右手を持ち上げて、
――ドアの向こうから、足音がした。
「ひゅい!?」
にとりは跳ねるようにその場を離れる。慌てて家の陰に身を隠した直後、ドアが開いた。姿を現すのは決まっている。雛だ。
「……ひな」
小さく呟いた声は、雛の背中には届かない。
雛はどこかきょろきょろと辺りを見回して、小さく溜息のようなものを漏らすと、そのままくるくるとどこかへ飛んでいった。……たぶん、河に厄を萃めに行ったのだろう。
その姿を見送って、にとりはただ盛大に吐息を漏らす。
どうして隠れてしまったのか。――ああ、これじゃあ出会った頃と何も変わらない。
だけれど、あのときのように、追いかけてお話をするには――胸が、痛すぎるのだ。
「ひな、ぁ……」
得体の知れない痛みに、にとりはその場にしゃがみ込んだ。
その拍子に、ポケットの中で何かがかしゃりと音をたてる。
取り出してみれば――それは昨日、雛との喧嘩のきっかけにもなった機械。
トランシーバーは、スイッチを入れてもただノイズを響かせるばかりで。
「…………ひな」
呼びかけてみても、やっぱり彼女からの返事はなかった。
――自分の声は、今は雛には、届かない。
届けてしまうのが――怖いのだ。
◇
だからといって、やっぱり河童の里にも戻れなかった。
結局、昨日と同じように、にとりは近くの森の中をあてもなくうろうろしていた。
――あるいはそれは、昨日と同じような展開を、どこかで期待していたのかもしれない。
「あ……」
そして、その期待に応えるように――今日も、森の中に彼女の姿はあった。
イチョウ色の髪と、紅葉色のワンピース。秋静葉はまた、どこか寂しげな表情で、まだ色づくには遠い木々を見上げている。
さく、と足元の草が音をたてて、静葉はゆっくりとこちらを振り向いた。
「……昨日の河童さん?」
小首を傾げた静葉に、にとりは小さく頭を掻いて苦笑した。
「あはは……こんにちは。妹さんは、一緒じゃないの?」
近くの樹の根に腰を下ろし、にとりは息をついて静葉を見上げた。静葉は木々から視線を切ると、にとりの傍らにスカートを押さえながら腰を下ろす。
「うん、穣子はちょっと……。そっちは、厄神様は?」
「あ……うん、こっちも、ちょっと……ね」
たはは、と笑って誤魔化すにとりに、静葉は不思議そうに首を傾げた。
「……逃げられちゃった?」
「に、逃げられ……って」
「私は……穣子に、逃げられちゃったんだけど」
軽く頬を膨らませて、静葉は小さく唸る。「ほえ」とにとりは目を見開いた。
「逃げられたって……何かあったの? また喧嘩とか」
ふるふる。首を横に振って。静葉はスカートの裾を握りしめた。
……いったい、何があったのだろう? 昨日の様子を見る限りでは、静葉と穣子は引き離そうとしても離れそうになかったのだけれども。
にとりが不思議そうに目を細めると、静葉は軽く俯いて、「……あのね」と語り出した。
「昨日……あのあと、ふたりで家に帰ったんだけど」
「うん」
「穣子がね、『ただいま』って言ったの。……だから、『おかえり』って、返したの。……今まで、ちゃんと笑って、そう言ってあげられなかったから」
「……うん」
「そしたら、穣子がね、私のことぎゅって抱きしめてきて」
「う、うん」
「そのまま、また穣子にいっぱいキスされて」
「……う、ううう、う?」
「穣子の舌が、私の口の中に入ってきて……」
「ひゅいいいっ!?」
「舌、穣子に吸われて、穣子の唾液飲まされて……だんだん頭がぼーっとしてきて、そしたら、穣子の手が、背中からいつの間にかスカートの中に――」
「わー!? わーわーわーわーわーっ!?」
危険な方向に行きかけた静葉の言葉を、にとりは思わず大声で遮った。
顔が熱い。それはもう尋常でなく熱い。額でお湯が沸かせそうだ。
――それは単に、静葉の語る内容が色々と恥ずかしいというだけではなく。
静葉の言葉のひとつひとつを、自分と雛に置き換えて想像している自分が居るから。
雛に、『ただいま』と告げる。雛が、『おかえり』と答えてくれる。そうしたら雛をぎゅっと抱きしめて、雛の柔らかさと甘やかな匂いを感じて――そして、雛に、
唇を、雛のそれと、自分のを――
「はひゅうううううううう……」
湯気を噴き上げそうな勢いで、にとりは真っ赤になって膝に顔を埋めた。
ああ、ダメだ。そんな妄想は、いけないことだって知っている。
そんなはしたないことを、雛が喜んでくれるなんて、自分に都合のいい妄想は。
――友達だから、好きって、雛は言ってくれたのだから。
そんなのは、友達同士ですることではない、そのはずだから。だから――。
「大丈夫……?」
「あ、あうううう……」
こちらを覗きこむ静葉に、にとりはぷるぷると首を振る。
そ、そういえば、静葉の話がまだ途中だった。……そのはずだ。
「え、えと、それで、なんで妹さんに逃げられちゃったの……?」
「あ……うん。それでね、穣子の手が私の――」
「そのへんの具体的な話はいいからー!?」
「そう……?」
いや、そんな残念そうな顔をされても。昨日話した段階では物静かで引っ込み思案な神様だと思っていたが、彼女は単に天然さんなのかもしれない。
「それで……昨日からずっと、穣子とそんな風にべたべたしてたの」
「ずっとって……ずっと?」
「ずーっと。朝まで、穣子と……してたの」
「だからそういうことは言わなくていいからー!」
からかわれているのだろうか、と真っ赤になりながらにとりは静葉を軽く睨んでみたけれど、静葉は不思議そうに首を傾げるばかりだった。やっぱりただの天然さんらしい。
「……それでね。さっき、私が『もう一回しよ』って言ったら」
「う、うん……」
「『あー、うん、ちょっとパス……』って穣子が、ベッドから抜け出して」
「うん」
「『頭くらくらする……ちょっと風に当たってくるから』って言って。……穣子、そのまま居なくなっちゃった。だから、探しに来たの」
「ほへ……」
スカートの裾を握りしめて、静葉は頬を膨らませる。いや、こっちを睨まれても。
「……もう離さないって、穣子、そう言ってくれたのに。……また、置いていかれちゃった」
その手が震える。膨れた顔が、そのまま水面のように揺らいで、目尻に雫が浮かんだ。
「みのり、こ……」
ぽろぽろとこぼれた雫が、スカートに染みを作る。それをにとりは、おろおろと見守るしか出来ない。というか、そんな急に泣き出されても――。
「あ、え、えと……あ、あのね? ええと」
思わず静葉の手を握って、にとりはもごもごと言葉を探した。
――穣子はどうして、静葉の元を離れてどこかに行ったのだろう?
考えてみる。もし自分だったら――どうするだろうか、と、にとりは思考を追って。
「だ、だいじょうぶ、だと、思う。……たぶん、すぐ、帰ってくるよ、妹さん」
出てきた言葉は、どうしようもなく陳腐な慰めにしかならず、静葉の涙は止まらない。
いや、違う、言いたいのはこんな通り一遍のフォローじゃなくて。
「だって――私も、なんとなくだけど……妹さんの気持ち、解る気が、するから」
はっと、静葉が顔を上げた。「え、えと、私の勝手な想像だよ?」と慌てて前置きして、にとりは小さく呼吸を落ち着けながら、言葉を続ける。
「わ、私も、ね? そりゃ、雛とずっと一緒に居たいよ。河童の里に帰らないで、雛の家にずーっと居て、雛といつでも一緒に居られたら……って、そう思うこと、何度もあるよ。……だけど、だけどね? もし本当に、いつでも、それこそ二十四時間一緒に居られるようになったとしたら――やっぱり、ひとりの時間も、ほしくなるんじゃ、ないかな」
「……どうして?」
「ど、どうしてって言われても……」
「私は……穣子と一緒に居たい。もう、ひとりは嫌なのに……」
ああ、うん、それはそうだろう。何年も大好きな妹とすれ違い続けた彼女は、何よりも妹と一緒に触れあう時間があれば、今はそれで満たされるのだろう。
「うん、それは妹さんも一緒だと思うよ。……だけど、さ。一緒じゃない時間があるから、一緒にいる時間が、もっと幸せになるんじゃないかな……?」
「……え?」
「私も、雛とずーっと一緒に居たいけど。……雛との時間を思い出しながらの帰り道とか、雛とこれから一緒に遊ぶんだってわくわくしながら走る朝とか、そういうのもすごく、すごく幸せだって思うんだ。それは、やっぱり、二十四時間一緒だと、味わえない幸せだと思うから。……そういう時間があるから、雛と一緒に居る時間も、もっともっと大切で、もっともっと幸せに感じるんじゃないかな……なんて、何言ってるんだろ、私。ああ、うん、聞き流して」
自分でもだんだん何を言いたいのかよく解らなくなってきて、にとりはわたわたと顔の前で手を振った。静葉は口元に指を当てて、にとりの言葉を吟味するように首を傾げる。
ああ、何だか言葉はグダグダになってしまったけれど、思っていることそのものは、たぶん自分の中での答えなのだろう、とにとりは思う。
家に帰らなきゃいけないなんて、誰が決めたわけでもない。雛が許してくれるなら、雛の家に泊まって、一晩中雛と語り明かしたっていいのだ。……だけど、それはしたことがない。
たぶんそれは、きっと、好物を最後まで取っておくような感覚なのだと思う。
あるいは、どうしようもなく欲しているものを、手にしてしまうのが怖い感覚――。
もしも、今、雛の全てを手に入れてしまったら、自分はそれ以上に幸せなことなんてなくて。
――そうなってしまったら、雛とのこれからの時間は、本当に幸せだろうか?
ああ、そうだ。自分が怖がっているのは、結局それなのだ、とにとりは悟る。
雛と居る時間は、今でも充分幸せすぎて、これ以上を求めるのが怖いのだ。
今より幸せになってしまったら、もうそれ以上の幸せが手に入らない気がして。
大好きな雛の全部をこの手に収めてしまったら、もう何も掴めない気がして――。
「……恋、してるのね。本当に、あの厄神様に」
「ひゅいいいいいっ!?」
静葉が不意に呟いた言葉に、にとりは素っ頓狂な声を上げる。
「『恋』は『請い』だって、誰か言ってた。……相手の全部を欲しくなるから『請い』なんだって。だけど、絶対に全部は手に入らないから、『請い』は『恋』なんだって――」
「……絶対に、全部は、手に入らない……」
「うん」
静葉の言葉を、にとりは反芻する。噛み締めるように。
「だって、私だって、穣子の全部は解らない。自分の気持ちも、全部は解らないのに、穣子のこと全部なんて、解るわけないから……だから、穣子が欲しくなるの」
「ほひゅ」
「穣子が好き。穣子に触れたい。穣子の全部が欲しい。――手に入らないから、少しでも多くを、自分の腕の中に掴んでおきたい。……だから、逃げないでほしかったのに」
ああ、そういえばそんな話だった、とにとりはひどく間抜けな思考を浮かべて。
それから、静葉の言葉をもう一度、口の中だけで繰り返す。
――絶対に、全部は、手に入らない。
雛の考えてることを全部知ってしまうことは、きっと自分には出来ないのだろう。
どれだけ触れあっても、どれだけ言葉を交わしても、きっとまだ自分の知らない雛が居る。
だとしたら――それはどんなに、素敵なことだろう。
「ひな……」
目を閉じて、大好きな人の名前を呟いてみた。
『にとり』
瞼の向こうで、雛がいつものように静かに笑っていた。
――それだけで、どうしてかにとりは泣きたくなって。
涙を堪えながら、にとりはただ、静かに実感していた。
ああ、自分はこんなにも、鍵山雛という少女に恋をしているのだ――と。
「……大丈夫だよ。きっと、妹さんも、同じ気持ちだよ」
だからにとりは、もう一度静かに口を開く。
秋穣子という神様のことを、にとりは決してよく知っているわけではないけれど。
恋をしているということが、一緒ならば。――きっと、同じだ。
大好きな人のことが欲しくて、でも全部を手に入れるのが怖くて。
ひとりは寂しいけど、その寂しさに、恋する気持ちを確かめて。
大好き、という気持ちを、自分の中にいつまでも、抱きしめていたいと願うから――。
「だから、きっとすぐ、戻ってくるよ。そしたらまた、抱きしめてくれるよ」
「……ほんとう?」
「うん、きっと。だから、帰って待っててあげれば、いいんじゃないかな」
にとりが笑ってそう言うと、静葉は目をしばたたかせて――それから、ゆっくり立ち上がる。
スカートについた草を払って、ぺこりとひとつお辞儀をして。
「……私、戻る。穣子が帰ってきたら、また『おかえり』って言って……今度は、私から穣子のこと、抱きしめることに、する」
「うん」
にとりが頷くと、静葉はどこか決意を浮かべたような笑みを見せて、踵を返した。
ぱたぱたと草を踏みしめて走り去る背中を見送って、にとりは大きく息を吐き出す。
――静葉は、たぶん、答えを見つけた。
じゃあ、自分はこれから、どうすべきだろう?
そんな問いかけの答えなんて、最初から解っていたのだ。
だからにとりは、ポケットを探って、それを取り出す。
トランシーバー。遠くへと自分の声を届ける機械。片方を持っていれば、もう片方のあるところへ、いつでも言葉を届けられる。――昨日それを渡した、雛のところへ。
雛は今、トランシーバーを手にしてくれているだろうか?
――それは奇跡のような確率かもしれないけど、今は何故か、にとりの見えない場所で、雛が同じ機械を手にしているような気がした。
だからにとりは、そのスイッチを押して、静かなノイズに、呼びかけようとして――
『――――――にとり』
声が、聞こえた。
大好きな人の声が、どんな奇跡か、その機械から、聞こえてきた。
ああ、雛だ。雛の声だ。――それだけで、にとりは泣き出したくなる。嬉しくて、切なくて。
その全部の感情をぐっと堪えて、にとりは囁いた。
この機械の向こうにいる、世界で一番大好きな厄神様の名前を。
『…………ひな?』
(まだつづく)
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