にと×ひな! Stage3「神々も恋せよ幻想の片隅で」 SIDE:B(後編)
2008.10.22 Wednesday | category:東方SS(にとり×雛)
◇
そうは言っても、である。
人間の里に行っていないのだとしても、だからといって家に居ない穣子がどこに居るのかなど、もちろん静葉には知るべくもなかった。
そんなわけで、先に済ませるのはにとりの方。彼女の友達だという厄神様の家に戻るところからスタート。そういう結論になり、にとりと一緒にやって来たのはいいのだが。
「ひな。……ひな?」
コンコン、とにとりがノッカーを鳴らすけれど、ドアの向こうから返事はない。
「……留守?」
「あ、厄を萃めに行ってるのかも。川の方に居るんじゃないかな……」
川のある方角を見やり、にとりが微かに逡巡したように足先を彷徨わせる。
――やっぱり怖いのだ。喧嘩してしまった相手と顔を合わせることは。
相手が怒っていても、呆れていても、出来ることは謝ることぐらいなのだけれども。
「……行かないの?」
「い、行くよ、もちろん行きますとも!」
よし、れっつらごー、とよく解らない気合いを入れて、にとりは歩き出す。
静葉もその後を追いながら、――ちゃんと考えておかないと、と思う。
穣子に、どんな言葉を伝えるべきなのか。
ごめんなさい? それとも――もっと別の、
「……あ」
思考に沈んでいた静葉は、不意に足を止めたにとりの背中にそのままぶつかってしまった。抗議の声をあげる間もなく、にとりはばっと身をかがめる。ちょうど目の前の茂みに姿を隠すように。静葉もわけがわからないままそれに倣って、
(居た……雛だ)
にとりが小声で囁き、茂みの隙間を指し示す。
(もうひとり、誰か居る。……誰だろ)
そんなにとりの囁きを聞きながら、静葉は隙間から川べりを覗きこみ、
息が止まるかと思った。その程度にはびっくりした。
(みのりこ、)
見間違えるはずもない。深紅のスカートを翻す翠緑の髪の少女の隣。葡萄の飾りのついた帽子、黄昏色のエプロンドレス。――彼女の、よそ行きの姿。
(ほえ? ……まさか、妹さん?)
首を傾げるにとりに、静葉は頷く。ふたり顔を見合わせた。いったいどんな偶然だろう。
穣子は、雛と呼ばれた厄神様の傍らで、石に腰掛け素足をぶらぶらさせていた。厄神様に向けて、何かを喋っている。わりと一方的に、まくしたてるように。
「ホント、お姉ちゃんってばさあ!」
びくり、と身体が震えた。――穣子が喋っているのは、自分のことだ。
「嫌いなら嫌いってはっきりそう言ってくれればいいのに。勝手にあちこちほっつき歩く私のこと、嫌いならさあ。そうはっきり示してくれればせめて気が楽なのに、もうお姉ちゃんってばそれもはっきりしないんだもの。何よもう、いつも何か言いかけるばっかりで、私にどうしろって言うのよ、困るじゃないのよ、もうっ――」
そして穣子は、盛大に天に溜息を吐き出して。地団駄を踏むように叫んだ。
「お姉ちゃんのばーか。ばーかばーかばーか!」
ふん、と鼻を鳴らし、穣子は黙り込む。
……違う。静葉はぎゅっと手を握る。嫌いなんかじゃない。穣子のこと、嫌いなんかじゃないのに、どうしてそんな、ねえ、穣子――私は、
「……ねえ、ひとつ確認してもいいかしら」
「なによ?」
ふと厄神様が首を傾げて、穣子に問いかけた。半眼で睨む穣子に、たじろぐようにしながらも、厄神様は静かに口を開く。
「お姉さんのこと、好きなのね?」
その瞬間、穣子は目をぱちくりさせて。
覗いていた静葉は、「え?」と呆けたように口を開いて。
――そして、穣子の顔が、ここからでもはっきり解るほど赤く色づいた。
「なッ、なななッ、何をッ――なんで今の愚痴聞いてそうなるのよっ!?」
「……嫌いなの?」
「き、嫌いよ! 大ッ嫌いよあんなお姉ちゃん! 無口で根暗で内気で引きこもりではっきりしなくて――」
慌ててまくし立てる穣子。その言葉のひとつひとつが、ちくり、ちくりと静葉に刺さる。そうだ、やっぱり自分は嫌われているのだ。そんなことは解っているのに――
「大嫌いよ、大嫌い、お姉ちゃんなんか、大、きらい……」
だけど、穣子の言葉はだんだん力を失っていって、
そして穣子は、溜息とともに、やけくそのように叫んだ。
「ええそーよ、そうですよ、大好きですよ馬鹿! 無口で根暗で内気で引きこもりではっきりしないお姉ちゃんが好きで好きでしょーがない馬鹿がここに居ますよ! 何よ文句ある!?」
――――え?
ほえ、と隣でにとりが小声をあげて静葉を振り向いた。だけどそんなことは、完全に静葉の意識の埒外だった。
今、穣子は何て言った? 自分のことを――何て言ったのだ?
「何よもう、悪かったわね! お姉ちゃんが悪いのよ全部全部! こっちがどれだけ話しかけたって相づちしか打ってくれないし! こっちはお姉ちゃんの笑った顔が見たいのに滅多に笑ってくれないし! 私は紅葉が嫌いなんじゃないの、紅葉ばっか見てこっち見てくれないお姉ちゃんが嫌いなの! ううん、紅葉にも負ける自分が嫌いなのよ馬鹿! こっち見てよ、言いたいことあるなら言ってよ! 期待しちゃうじゃない、こっちはお姉ちゃんと一緒にいたいの、だけどお姉ちゃんが居心地悪そうにするから理由つけて出ていくのに――そのたびに何か言いたそうにして、行かないでって言ってくれるんじゃないか、一緒に居てって言ってくれるんじゃないかって、期待しちゃうじゃないのよ! 馬鹿、馬鹿馬鹿馬鹿、お姉ちゃんの馬鹿!」
肩で息をしながらまくしたてた穣子は、そのまま膝に顔を埋めて、
「……おねえちゃんの、ばか」
今にも泣き出しそうな声音で、そう呟いた。
――ああ、そうだ。思い出した。
どうして穣子と喧嘩をしてしまったのか――今更のように、思い出した。
『あの樹が色づいたら、あの下で一緒にお芋でも食べよう』
いつかの秋に、そんな約束をしたのだ。穣子と。
だけど、その樹が一番綺麗に色づいた日、穣子は人間の里に呼ばれてしまって。
――その日の夜、秋の嵐が訪れて。雷が落ちて、その樹は焼けてしまった。
『ごめん、お姉ちゃん……約束』
次の日、その樹の焼け跡を見上げて、穣子が謝って、
『……綺麗、だったのに』
一番綺麗な紅葉だったから、穣子と一緒に楽しみたかったのに。
自分が俯いていたら――不意に、穣子が怒り出して。
『何よ、仕方ないじゃない、収穫祭に行かないわけにいかないでしょ! 悪かったって言ってるじゃない! それとも何、そんなに紅葉が大事? だったらひとりで楽しめばいいじゃない! 私との約束なんてどうでも良かったんでしょ!?』
――違う。違うのだ。綺麗な紅葉は大好きだけれど、それを穣子と一緒に見るのが好きだから、だから穣子と一緒にこの樹の彩りを見たかったって――それだけなのに。
『何よ、言いたいことがあるならはっきり言いなさいよ!』
『あ……え、えと、』
だけど、その気持ちは上手く言葉にまとまらなくて、
『――お姉ちゃんの馬鹿、大っキライ!』
そうだ。結局のところ、全部自分が悪いのだ。
言いたいことをはっきり口にできなかったから、喧嘩になってしまって。
そのままずるずると、いつまでもすれ違い続けたままで。
『こっちがどれだけ話しかけたって相づちしか打ってくれないし!』
どんな言葉を返せば穣子が喜んでくれるのか、それとも怒らせてしまうか、解らなくて。
『こっちはお姉ちゃんの笑った顔が見たいのに滅多に笑ってくれないし!』
いつもぐるぐると思い悩んでいるばっかりで、笑い方さえ忘れてしまったようで。
『私は紅葉が嫌いなんじゃないの、紅葉ばっかり見てこっち見てくれないお姉ちゃんが嫌いなの! ううん、紅葉にも負ける自分が嫌いなのよ馬鹿!』
違う。紅葉よりもずっと――ずっと、穣子のことが好きなのに。
そのことが気恥ずかしいから、目を背けていただけだった、
『こっち見てよ、言いたいことあるなら言ってよ! 期待しちゃうじゃない、こっちはお姉ちゃんと一緒にいたいの、だけどお姉ちゃんが居心地悪そうにするから理由つけて出ていくのに――そのたびに何か言いたそうにして、行かないでって言ってくれるんじゃないか、一緒に居てって言ってくれるんじゃないかって、期待しちゃうじゃないのよ!』
行かないで、って言いたかった。一緒に居て、って言いたかった。
居心地悪そうにしているのは、穣子の方だとずっと思っていたのに。
『馬鹿、馬鹿馬鹿馬鹿、お姉ちゃんの馬鹿!』
ああ、本当に、馬鹿だ。こんなに馬鹿馬鹿しいぐらい、盛大にすれ違って――
「ちゃんと言わないと――何も変わらないんじゃないかしら」
思考に沈んでいた静葉は、その言葉にはっと顔を上げた。
その厄神様の言葉は、自分に向けたものではない。穣子へのものだ。
――だけど本当に、自分にとっても、それが真実。
「……簡単に言えたら、苦労しないわよ」
「…………そうよね」
穣子は厄神様と、揃って溜息をつく。
――どうしよう、いつここから出ていけばいいだろう。……それともここから、今は立ち去るべきなのだろうか。立ち聞きしてしまったのはいけないことだし、
「ん、でも何か、ちょっと楽になったかも。ありがと、厄神様」
「……そう、それなら良かったわ」
迷っているうちに、穣子はどこか吹っ切れたような表情で、厄神様に笑いかけていた。
「で、厄神様は?」
「え?」
「厄神様はなんで溜息なんかついてるわけ? 厄払いしてくれた礼に、愚痴ぐらい聞くわよ」
「――――」
今度は穣子が、厄神様を問い詰めだす。隣でにとりが、ひゅぃ、と息を飲んだ。
「……友達を、怒らせてしまったの」
厄神様は、そんな穣子に押しきられるように、ぽつりと口を開く。
「その子は機械いじりが好きで、発明したものとか見せてくれたり、教えてくれたりするんだけど……私には解らないことが多くて。相づちを打ってたら、『退屈?』って聞かれて。……そんなことないって、咄嗟に答えられなくて」
「退屈だったの?」
「そんなことないわ」
その声は思いがけず大きくて、静葉もにとりも音をたてそうになってしまった。
「……むしろ、そう聞きたいのは私の方なのに。にとりを楽しませるような話なんて、私全然できないのに。にとりの好きな機械いじりの話も、全然ついていけないのに、にとりは私と居て退屈じゃないんだろうかって――不安、で」
「それこそ取り越し苦労じゃないの? 河童は一途って言うし」
え? という様子で厄神様が顔を上げる。
「……にとりのこと、知ってるの?」
「いや、知らないけど。このへんで機械いじるような種族って河童しかいないから。その友達、河童なんでしょ?」
「……ええ」
「ま、私も別に河童に詳しいわけじゃないけどさ。厄神様の心配は杞憂っていうか、それこそ向こうが同じ心配してるんだから、退屈に思われてるわけないと思うんだけど」
「――――」
黙り込む厄神様。隣を見れば、にとりも同じような表情で考え込むような仕草をしていた。
この河童の少女と厄神様のことは、静葉はあまり詳しくは聞いていなかったけれど。どうやらこのふたりも、自分たちのようなすれ違いをしていたようだった。
「厄神様は、その河童のこと好きなんでしょ?」
「……っ」
ひゅぃぃっ!? と、隣でにとりが変な声をあげた。
幸いその声は、穣子と厄神様には聞こえなかったみたいだったけれど。
「好きなんでしょ?」
「……あ、え、えと……ええ」
「もっとはっきり。さっき私にあんなこと言わせたんだから、そっちもぶっちゃける!」
「あ、あう……う、あ……す、すすす……」
もごもごと口ごもりながら、厄神様は真っ赤な顔で、けれどここまで聞こえるぐらいはっきりと、その言葉を口にする。
「――好き。にとりが、好き」
横を見れば、にとりが両手で顔を覆って震えていた。紅葉みたいにその顔は真っ赤だ。
「よろしい。じゃあ、河童が好きな厄神様と同じ心配をしているんだから、その河童は厄神様のこと好きなのよ。何か間違ってる?」
「え、ええと……えと、」
「あーあ、いいなぁ、厄神様は両想いで。どーせ私は冴えない片想いですよ、ふんっ」
拗ねたように声をあげる穣子。――そんなことはない、と伝えなきゃいけないのに。
(……ひ、ひなぁ……ぁぅぁぅぁぅ……)
にとりは真っ赤な顔のまま、酔っぱらったみたいにくらくらと身体を揺らしていた。
――そして、もつれた足が、近くの枝を踏んで、ぱきりと音をたてる。
(!)
びくり、と慌てたにとりが、さらにバランスを崩し――そのまま、茂みに倒れ込んだ。
その音に、穣子と厄神様は同時に振り返る。茂みからはみ出したにとりの緑色の帽子。ああ、見つかってしまった……。
「……に、とり?」
厄神様が呆然と声をあげ、にとりは顔について草を払うと、ぽりぽりと頬を掻きながら立ち上がって、茂みを出る。
「あー……うー、見つかっちゃった……」
たはは、と冴えない声をあげるにとりの後ろで、静葉も溜息をついて立ち上がった。
このまま隠れているわけにも、逃げるわけにもいかない。
――これは、河童と厄神様のくれた、チャンスなのだと。そう思った。
「え……お、おおお、お姉ちゃんッ!?」
姿を現した静葉に、穣子が素っ頓狂な声をあげる。
その顔が直接は見られなくて、静葉は赤くなってスカートの裾を掴み俯いてしまった。
ああ、これだから駄目なのだ。ちゃんと穣子の顔を見て――言わないと。
「い、いいい、いつからそこに……?」
「…………」
震えながら問いかける穣子に、静葉はにとりと顔を見合わせる。
「えーと、『嫌いならそう示してくれればいいのに、それすらはっきりしないから困る』のあたり……かな」
答えたのはにとりだった。穣子が何か妙な呻き声をあげる。
それはそうだろう。あんなのを当の本人に聞かれていたと知ったら。
――勇気を出そう、自分。ちゃんと、伝えるのだ。穣子に、自分の気持ちを。
「……穣、子」
「は、はぁい!?」
一歩前に出て、静葉は穣子の名前を呼ぶ。頓狂な反応を返す穣子に、静葉は歩み寄って、
――ああ、やっぱり、言葉はぐるぐるで、上手くまとまってくれなかったから。
一番シンプルに、好きという気持ちを伝える方法を、取ろうと思った。
身を竦めてぎゅっと目を閉じた穣子は、自分より少しだけ背が高いから。
ほんの少しだけ背伸びをして、静葉は目を閉じて。
穣子の唇に、自分のそれを――そっと重ねた。
「……お、ねえ、ちゃ……?」
触れあう時間はほんの一瞬だけど、その甘やかさは永遠のようだった。
困惑の声をあげる穣子を、静葉は見上げる。恥ずかしいけれど、目を逸らさずに。
「……私も、穣子が、好き」
だけど、大切な言葉は、やっぱり掠れた声になってしまった。
「え……え、え、え……えええ?」
穣子は混乱したように視線を彷徨わせる。
静葉はその頬に触れた。意を決して、もう少し大きな声で、真っ直ぐに穣子を見つめて。
「穣子のことが、大好き」
一番伝えたかった言葉を――ちゃんと、口にすることが、できた。
「お、お姉ちゃん……? え、あれ、なんで、だって、」
震える穣子の声。一度こぼれてしまえば、あとは堰を切ったように言葉が溢れだす。
「……ずっと、言いたかった。一緒に居てって。人間の里なんか行かないでって。……本当は、紅葉よりずっと、穣子が好きだったのに……怖くて、言えなかった。穣子に、嫌われてると、思ってた……から」
止められない言葉。言わなきゃいけないこと。俯いて、静葉は吐き出す。
「相づちしか打てなくて、ごめんなさい。言いたいこと、はっきり言えなくて、ごめんなさい。紅葉ばっかり見てて、ごめんなさい。……笑うの苦手で、ごめんなさい」
「おねえ、ちゃ」
「穣子が好き。これからはちゃんと言うから。好きって、何回でも、ちゃんと言うから。穣子が好き、穣子が好き、穣子が大好きっ――」
もう、わけがわからなかった。頭の奥がじんと痺れて、高ぶった感情が止めどなくこみあげてきて、ひどく頬も瞼も熱くて、握りしめた手に汗が滲んで、
「お姉ちゃん!」
穣子が叫んだ。
穣子の手が、静葉の肩を掴んだ。
穣子の顔が、近付いた。
――唇が、重なった。
「ん……っ」
塞がれる言葉。触れあう唇。こぼれる吐息。――穣子の、熱。
何が起こっているのか、静葉には咄嗟に理解できなくて。
穣子にキスされているのだ――と、脳が理解したときには、唇は離れてしまっていたけれど。
伸ばされた指先が、静葉の目元を拭った。……そこで静葉は、自分がまた泣いていたことに気付いた。溢れてしまうのは、言葉だけじゃなくて――
「……ばか。お姉ちゃんの馬鹿。やっぱり馬鹿よ、お姉ちゃんは」
いつもの、呆れたような調子の言葉。だけどそれは、とても優しい響き。
「みのり、こ」
「なんで――なんでそんなこと、泣きながら言うのよ」
そして、穣子は笑った。静葉に向けて、真っ直ぐに笑った。
いつ以来だろう。そんな素直な、穣子の優しい笑顔を見たのは――。
「……お姉ちゃんが好き。私だって、お姉ちゃんのことが、大好き」
囁かれたのは、静葉が一番ほしかった言葉。
きっと手に入ることはないだろうと思っていた――大好きな妹の気持ち。
額と額がこつんと合わさった。肩を掴んでいた穣子の手が、静葉の手を持ち上げて、指を絡めた。きゅ、と優しく、だけど強く、握りしめられた。
穣子の瞳に、泣き出しそうな自分の顔が映った。
ひどく、みっともない顔をしていた。
「やり直し。……泣きながらの告白なんて、嫌なんだから。……もいっかい、ちゃんと」
――ああ、そうだ。その通りだ。
自分は穣子が好きで、穣子も自分を好きで居てくれるなら。
その告白が泣き顔なんて、おかしいではないか。
だってこんなにも――幸せなんだから。
「……好き」
素直に、どこまでも素直に、その言葉はこぼれた。
それと一緒に、穣子の瞳の中の自分も、紅葉のように鮮やかに、笑っていた。
「うん」
「穣子が……好き」
「うんっ」
「大好き、大好きだから――どこにも行かないで。そばに、いて」
「――嫌だって言われたって、そうする。お姉ちゃんのこと、もう離さない」
「穣子……」
「ごめんね、素直じゃなくて」
「私も……ごめんなさい、口べたで」
「そんなお姉ちゃんを好きになっちゃった私の負けよ」
「それなら、私だって同じ」
「ふふっ……そうね」
「うん」
そしてまた、穣子と唇を重ねる。今度は永く永く、決して離さないように。
その甘やかな時間で、すれ違った時間を埋め合わせるように。
ずっと触れたかった温もりを抱きしめて、ずっと欲しかった温もりに抱きしめられて。
息が苦しくなっても、離れたくなくて、穣子の背中にぎゅっと手を回して。
擦れ合う唇の感触と、こぼれる吐息と、伝わる熱とを確かめ合って。
静葉はそのまま、本当に息が続かなくなるまでずっと、穣子に身を任せていた。
◇
目の前で、静葉と穣子が熱烈なキスを交わしていた。
お互い抱きしめ合ったまま、全く離れようとする気配がない。
いつまでそのままでいる気だろう――と、にとりは顔を赤くしながらそれを見ていて。
ふと視線を横に向ければ……雛も同じように、顔を赤くしてふたりを見つめていた。
そうだ。
静葉は勇気を出して、気持ちをちゃんと伝えたのだから。
――自分も、勇気を出そう。ちゃんと、雛に言葉を伝えよう。
意を決し、にとりは雛に歩み寄る。雛はこちらに気付いていない様子だった。
「…………雛」
秋姉妹の邪魔をしないように小声で、そっと雛に囁く。
はっと我に返ったみたいに、雛は赤い顔のままでこちらを振り向いた。
――見つめ合う、瞳と瞳。雛の澄んだ眼差しに、にとりはなぜか泣きたくなる。
ああ、もう、どうしてこんなに――雛のことが好きなんだろう。
「……ごめんね、雛」
色々と最初の一言を思い悩んだ挙げ句、結局出てきたのは謝罪の言葉だった。
「怖かったんだ。雛が、無理に私に合わせてくれてるんじゃないかって……。雛は全然楽しめてないのに、私ひとりで舞い上がって、雛を辟易させてるんじゃないかって、だから怖くて、雛に嫌われるのが怖くて――」
訥々とこぼれる言葉は、あれだけ考えたのに、上手くまとまらなくて。
自分の気持ちがちゃんと伝わっているのか、不安は消えないままだったけれど。
――不意に、雛の手がこちらに伸ばされて。
ぎゅ、と。……雛に、抱きしめられた。
「ひな?」
顔を上げる。雛の顔が、すぐ近くにある。
雛の腕が、背中に回されている。――雛との距離が、ゼロになる。
「……私も、同じ」
目を細めて、にとりを見つめて、雛はそう囁いた。
「同じこと、私も心配してた……。にとりが私のために無理してるんじゃなかって。気を遣わせて、にとりは私と一緒に居るの、楽しめてないんじゃないかって――」
溢れる言葉は、まるで自分と同じ心配ごと。
すとん、と何か、憑き物が落ちたような気分で、にとりは笑った。
なんだそれ。なんて間の抜けた構図だろう。ふたりとも、心配事は一緒だったなんて。
同じ気持ちでいたのに、お互いの気持ちを知るのが怖くて――すれ違っただけ。
「……あはは、なんだか間抜けだね、ふたりして」
「そうね……本当にそうだわ」
にとりの漏らした笑いに、雛も苦笑いする。
そんな自然な笑みを交わせることが、どうしようもなく嬉しかった。
――こんなあたたかくて甘い時間が、本当に好きだから。
だから、雛の元から離れられなんて、しないのだ。
「……にとり」
「雛」
そうしてまた、いつものように囁き合う名前。
ただそれだけのやり取りで、全身がほっこり幸せでくるまれる。
どんな技術も敵わない、魔法の言葉なのだ――。
「……えと、それでね、雛」
「うん?」
それから、どれだけそうしていたのか。
今更のように、確かめておきたいことがあったのを、にとりは思い出した。
いや、忘れていた方があるいは良かったかもしれないのだけれども――。
「……あのね、ええと、立ち聞きしちゃったのは悪かったと思ってるんだけど、その、」
弁解しつつ、にとりは雛の顔を覗きこむ。
「さっきの……その、ね。秋の神様に聞かれてたこと――」
そう、さっき立ち聞きしてしまった、穣子と雛のやり取り。
『厄神様は、その河童のこと好きなんでしょ?』
その問いに、雛は答えた。
『――好き。にとりが、好き』
まるで甘いお菓子のような、その二文字の言葉を――。
「え――あ、え、ええと、そ、それは――」
雛の顔が真っ赤になる。にとりも赤くなっているのを自覚しながら、雛を見つめた。
……ねえ、雛。
好き、って、それは、どういう「好き」なのかな。
自分もよく解らないけれど。でも、だけど――雛のことが、
「そ、そう、だって、と……友達、だもの」
「ほえ」
「に、にとりのこと、す……す、好き……よ。友達、だから」
どうにか絞り出したような雛の言葉。
それを聞いて、にとりはどうしてか――安堵のようなものを覚えた。
「あ、そ、そうだよね、うん、そうだよね。……わ、私も、雛のこと……す、すすす……好き、だよ。……と、友達、だもんね」
「う、うん。友達、だから。……ふふっ」
「あ、あはは……」
お互いに引きつった笑みを浮かべながら、ひどくぎこちなく笑い合う。
友達として。……そう、そういう「好き」だ。それでいい、はずなのだ。
たぶん。……たぶん。
今、雛のことを考えるとこんなにドキドキするのも。
雛に触れられていると、胸の奥がぽかぽかして、ふわふわした幸せな気持ちになるのも。
――友達だから、「好き」だから。……それで、いいはずなのだ。
だって、それが、友達とは違う意味になってしまったら、
どうすればいいのか、わからない――
「……いやまぁ、別にいいけどね?」
すぐ近くで溜息混じりの声。
慌てて振り向けば、穣子と静葉がこちらを見つめていた。どこか呆れたような様子で。
慌てて、にとりと雛はどちらからともなく離れる。
今更のように、破裂しそうな心臓の鼓動がうるさすぎて。
すぐ近くにある雛の顔が、もう見られそうにない。
「じゃあ、馬に蹴られる前に私らは帰ろっか。お姉ちゃん」
「……うん」
「じゃあね、おふたりさん。私らのよーにお幸せに♪」
ひらひらと手を振って、そんなことを言い残し。穣子は静葉の手を引いて踵を返す。
その後ろ姿を、ふたりは半ば呆然と見送って。
心臓がまた痛いほど鼓動を響かせていたけれど。
雛の方を振り向けないまま、にとりはそっと、雛の方に左手を伸ばす。
微かに触れた指先の感触が、くすぐったくて仕方なくて。
――雛の手がきゅっと、その手を握り返してくれた。
それだけで……またにとりは、どうしようもなく幸せになってしまうのだ。
ねえ、雛。
君のことが、好きなんだ。
その「好き」がどんな意味でも、
君は――私のそばに、いてくれるかな。
何度となく手を握り直して、だけどお互い顔を見ることができないまま。
にとりと雛は、背中合わせのような格好で、脳天気な陽射しの下に突っ立っていた。
――こんな甘くて苦しい時間が、終わって欲しいような、いつまでも続いて欲しいような、そんな矛盾した気持ちを、伝わる温もりと一緒に抱きしめたままで。
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