東方野球in熱スタ2007異聞「夏に雪桜は咲かないけれど」(1)
2008.09.26 Friday | category:東方SS(東方野球)
無理をしていたつもりは無かった。
普段なら一日中寝ているだけのこの季節、炎天下で動き回ることが楽だったとは言わない。疲労はあった。それは認める。だけどそれは、同じくシーズンを戦っている仲間たちも同じことだ。基本的にベンチの自分は、むしろ楽をしている方のはずだった。
――それに、何より。
『任せたわよ。しっかりやりましょ』
彼女のその言葉は、自分にとってはどうしようもなく、全てだったのだ。
彼女が、自分を必要としてくれること。彼女のために力を尽くせるということ。そして今、彼女のそばに居られるということ。
『いぇい♪』
会心の笑みを浮かべた彼女と、歓声の中でハイタッチを交わす瞬間。
それだけで、多少の疲れなんて吹き飛んでしまう。そんなつもりでいた。
けれど、現実はただ、自分の現状から目を背けていただけで。
ぷつりと糸が切れるまで、それに気付けていなかったという――それだけのことだった。
◇
瞼を開けて、最初に視界に入ったのは、白い天井。
それから、見慣れた彼女の長い黒髪だった。
「……れいむ?」
ぼんやりとその名前を呟けば、彼女は振り向いて、苦笑混じりにこちらを見下ろした。
「おはよ。気分はどう?」
「……そうね〜、だいぶ楽になったわ〜」
額に載せられた氷嚢に手を添えて、レティは吐き出すように口にする。
本当は、まだひどく身体はだるい。ずしりと全身に重しがのしかかっているようだった。
……ああ、そうだ。ぼんやりとした思考の中、試合中に倒れて医務室に担ぎ込まれたのだと思い出す。盗塁を刺そうと、二塁に送球しようとしたところで急激に襲った眩暈。暗転した視界。そして意識はぷつりと途切れて。
「全く、具合悪いならそう言いなさいよ」
「ごめんなさいね〜……」
呆れたような霊夢の言葉に、苦笑して返そうとしたけれど、笑えたかどうかはよく解らなかった。顔の筋肉を動かすのも、ひっどく億劫だ。
――具合が悪かったつもりは無かったのだ。疲れてはいたけれど、それは他のみんなと同じようなものだと思っていた。けれど、今の身体のだるさこそ現実だ。
と、不意に霊夢が心配げに目を細める。
「そもそも、冬妖怪のあんたが夏場に調子いいわけないのよね。……悪かったわ、無理させて」
こぼれたのは、思いがけない謝罪の言葉。
違う。霊夢のせいじゃない。確かに無理をしてしまったのかもしれないけれど、それは決して、霊夢の責任なんかじゃない。
「そんなこと、ないわ〜。……霊夢のせいじゃないから」
「いいから寝てなさい」
起きあがろうとしたけれど、霊夢にきっぱり押しとどめられた。実際、それだけの動作でまた眩暈がしたので、レティは大人しくまたベッドに横になった。
「……そうね〜、明日の試合までに元気にならないとね〜」
そうだ。明日も試合がある。明日の先発は魔理沙だから自分は控えだけれど、控え捕手がいなければ輝夜に代打も出せないのだ。今はゆっくり休んで、明日はまた――
「そんな顔色で馬鹿言ってんじゃないわよ。――もうあんたは登録抹消済み」
「え? でも明日の試合は〜……」
「輝夜がいるし、大妖精も控えててくれてるから。あんたはしばらく休んでなさい」
くしゃ、と霊夢の手が髪に触れた。それがくすぐったくて、レティは目を細める。
自分の代役は大妖精か。まあ確かに、萃香に守らせるのは不安に過ぎるから、普段はブルペン捕手の大妖精が一番適任だろう。……監督にも大妖精にも、迷惑をかけてしまうことには変わりないのだけれども。
「……ごめんなさいね〜」
「だから謝らないの」
霊夢がずれた布団を掛け直す。ぶっきらぼうなその言葉は、だけどとても優しい響き。
「ん〜……霊夢、」
「なに?」
「……霊夢ってやっぱり、意外と優しいわね〜」
ふと、そんな言葉が口をついていた。――自分で言って、意外と、は余計だったかしら、と思う。まあ実際、基本ぶっきらぼうで敵には情け容赦のない霊夢を気に入る妖怪は多くても、優しいと評するのは人間にも妖怪にも居ないのだけれども。
「…………反応に困る発言ねぇ」
「正直な感想よ〜」
「ま、ありがたく受け取っておくわ。意外と、が余計な気もするけど」
苦笑する霊夢に、レティはふっと微笑む。今度はちゃんと、笑えたと思う。
「……霊夢のそういうところ、好きよ〜」
ぽろりとこぼれた言葉に、言ってしまった後で少し顔が熱くなった。
霊夢が小さく唸って黙り込む。――霊夢の顔も少し赤くなっていたように見えたのは、疲労で朦朧とした意識が見せた幻想だったのだと思うけれど。
「霊夢?」
「うっさい。神社までは後で送るから、今は寝てなさい」
いつものぶっきらぼうな言葉。だけどそれが、レティの好きな霊夢の優しさだから。
「……ん、おやすみ〜」
息を吐き出して、レティは言われた通り目を閉じる。
……だけど、疲れているはずなのになんだか寝付けなくて、寝たふりしか出来なかった。
心臓の鼓動が少し早いのは、すぐ隣に霊夢が居るからだと解っている。
「…………レティ」
不意に、囁くような霊夢の言葉。振り向きそうになったけれど、不意に霊夢の手が頬に触れて、レティは目を開けられなくなってしまった。
すっと近付く気配。目を開ければきっと、目の前に霊夢の顔がある。
それを直視してしまったら、冬妖怪の自分はそのまま溶けてしまいそうな気がした。
「……おやすみ」
耳元で、そっと囁かれた言葉は、本当にどこまでも優しくて。
微かに届いた吐息が、どうしようもなくくすぐったくて、動悸が速まる。
そのまま、霊夢は手を離さずに、ずっと髪を撫でてくれていた。
目を開けることも出来ず、鼓動がうるさくて眠れもせず、心地よさとくすぐったさと、逃げ出したくなりそうな気恥ずかしさとがごちゃ混ぜの中で、レティは寝たふりを続けるしかできなかった。
◇
霊夢とバッテリーを組むようになったのに、きっかけらしいきっかけは無かった。
オープン戦で霊夢が輝夜のときは投げにくそうにしていたから、自然と霊夢は自分と組むようになった。具体的にいつからかは覚えていない。本当に、いつの間にかだった。
エース(笑)なんて言われるけれど、実際のところ霊夢の力は本来充分エースが務まるはずのものだ。いい時のコントロールは永琳以上だし、あの落差のフォークは打てる球ではない。それなのに、現実には炎上して二軍落ち。
自分の責任だと思った。投手の力を引き出せないのは、捕手のリードが悪いからだ。霊夢が二軍に落ちて、輝夜に正捕手を譲っている間、そのリードを見ながらずっと考えていた。どうすれば霊夢の本来の力を引き出せるのか――。
そんな中、交流戦の閻魔様の試合でスタメンマスクを被ったときのこと。試合開始前に、閻魔様はただ一言だけ、自分にこう告げた。
『リードは任せます。信頼していますよ』
――その一言で、つっかえていた何かがストンと落ちた気がした。
そうだ。自分は――霊夢に、信頼されていないんだ。ただそれだけのことだった。
バッテリーを組んでいるのに、投げている霊夢は、真っ直ぐ自分を見てはいない。サインの交換をして、首を振られることがある。その理由を問うたことが一度あった。『巫女の勘よ』と霊夢は答えた。――それで納得してしまった自分がいた。
それではダメなのだ。霊夢の勘が優れていることは知っている。だけど――勘を頼りに投げられたら、捕手は何をすればいい? ただボールを受け止めるだけか? それなら壁で充分だ。
霊夢に信じてもらえなければ、自分が捕手を務める意味はない。
――けれど、信じてもらうために、今まで自分は何をしてきただろう?
ただ漫然と、霊夢の投げるボールを壁のように受け止めていただけだ。
自分は、霊夢のことを知らなさすぎる。だから、知りたいと思った。
霊夢に信じてもらうために。そして、自分自身が、霊夢を信じてそのボールを受け止められるように。霊夢のことをもっと知りたいと、知らなければと、そう思った。
――だからといって、博麗神社に押しかけて居候したのは、我ながら先走りすぎたかもしれない、とは思う。いきなり『結婚しましょ』なんて、強引にも程がある。だけど、今まで特に私的な交流も無かった霊夢の元に押しかける理由が、他に思いつかなかったのだ。
もちろん、迷惑と言われたらすぐに去るつもりだった。結婚は冗談にしても、いくら霊夢でも急に居候させてくれと言われて、すぐ頷いてくれるはずはない。だから――本当はちょっと後悔していたのだ。全くの逆効果だったんじゃないだろうか、と。
けれど霊夢は、神社に居ていいと言ってくれた。
復帰戦の横浜戦で、初めてちゃんと、自分を見て投げてくれた。
――嬉しかった。何が一番嬉しかったのかは、自分でもよく解らないけれど。
その試合の後、萃香が勝手に始めていた酒盛りに混ざって、久しぶりにお酒を飲んだ。
『神社の新たな居候の歓迎会〜。ついでにふたりの門出を祝して、的な?』なんて冗談めかして言う萃香に、霊夢は呆れたように息をついていて。
『ま、これからよろしく。レティ』
笑って杯を差し出した霊夢と、小さく杯を打ち鳴らして。
顔が熱かったのは、たぶんアルコールのせいだけじゃなかった。
それから3週間。
博麗神社に居候して、一緒に寝起きして、知らなかった霊夢をたくさん知って。
料理が意外と上手いこととか。巫女の仕事は仕事でちゃんとやっていることとか。お風呂場で変な歌を口ずさむ癖があるとか。あの腋の出ている巫女装束は同じのを何着も持っているのだとか。――照れたときにものすごくぶっきらぼうになるとか。
そんなひとつひとつを知るごとに、きっと、自分は――。
ああ、曖昧な言い回しは止めよう。
霊夢のことが、好きだ。
――どうしようもなく、好きになってしまったのだ。
◇
結局、いつの間にかまた眠ってしまったらしかった。
次に目を開けたとき、白い天井は木目に色を変え、寝かされているのもベッドから布団に変わっていた。障子越しに射し込む陽光と雀の声。――博麗神社の、いつもの朝だった。
「ん……?」
目をしばたたかせると、ぼんやりとした視界が徐々に焦点を結んでいき。
――すぐ傍らに、座ったままうつらうつらと舟を漕ぐ霊夢の姿があった。
「え、れ、霊夢?」
思わず声をあげると、霊夢はひとつ唸り、「……あ、おはよ」と目を擦りながら答える。
いや、どうして霊夢がここにいるのか。起こしに来たというなら、自分の布団の横で舟を漕いでいる理由がない。霊夢は寝起きはいい方のはずだし――
「あれ……なんで?」
「いや、なんでって言われてもね」
苦笑して、霊夢は右手で膝元を指し示す。視線をそちらに向ければ――
そこで、霊夢の左手を自分がしっかり握りしめていることに、ようやく気付いた。
「あ〜、ご、ごめんなさい〜……」
慌てて手を離す。まさか、自分が手を握りしめていたから、昨日の夜からずっとここに居たというのだろうか? 試合後で霊夢だってよっぽど疲れていたはずなのに――。
「いや、別にいいけど。それより、具合どう? 起きられる?」
「え……あ〜、う〜ん……はふ」
のしかかるようなだるさはあまり感じなかったけれど、起きあがろうとしても身体に上手く力が入らなかった。「だめみたい〜」と呟くと、霊夢は苦笑して額に触れてくる。――その手のひらがあたたかくて、レティは「ひぁ」と変な声をあげてしまった。
「はい、んじゃ病人はそのままゆっくり寝てなさい。――何か食べたいものある?」
ゆるゆると首を横に振る。食欲はあまり無かった。蓄積疲労は自分でも意識しないうちにかなりのものになっていたらしい。こんな状態で試合に出られるはずもなかった。
「……霊夢」
「うん?」
「霊夢はゆうべ、ちゃんと寝たの〜?」
「……ここで寝ようにも、ずっと手握られちゃ布団も敷けなかったわよ」
ふわ、とそこでようやく欠伸をひとつ漏らし、霊夢は苦笑混じりに左手をさすった。
「……ごめんなさい〜」
「いいわよ、試合は夜だし、今から寝れば大丈夫だから」
立ち上がり、霊夢は押入を空けて布団を取り出す。それをレティはぽかんと見つめた。
「霊夢?」
「ん?」
「……ここで寝るの〜?」
「動けないんじゃ、何かあったとき近くに居ないと困るのはそっちでしょ」
「でも、」
「ふああ……流石に眠いわ。何かあったら起こして。……お休み」
ぼふ。レティの戸惑いを余所に、霊夢は毛布を被ってあっという間に寝息を立て始める。
「……れいむぅ」
抗議の声をあげてみるけれど、霊夢はもう起きる気配は無かった。
どうしろというのだ。いや、寝ていろというのだろうけれども。……こんなすぐ近くで霊夢が寝息を立てている状況で眠れるはずがないではないか。だいいち目が覚めたばかりだし。
かといって、起きあがることも出来ないのでは、本当にどうしようもない。
「人の気も知らないで〜」
頬を膨らませて、それからレティは眼前に右手をかざした。一晩中、霊夢の左手を握りしめていた手。……熟睡していたのだから、振りほどかれたってきっと気付かなかったのに。霊夢は一晩中、この手を握り返してくれていたのだろうか。
――ねえ、霊夢。どうしてそこまでしてくれたの?
無理をさせてしまった責任感? ただのお節介?
それとも――それとも。
一晩中そばにいて、心配してくれる程度には――自分は、霊夢の中で大事な存在になれたの?
もし、そうだとしたら。そうだとしたら――
「……レティ」
不意に名前を囁かれて、心臓がひとつ大きく跳ねた。
おそるおそる振り向いてみたけれど、くるりとこちらに寝返りをうった霊夢は、目を閉じて静かに寝息を立てていて。……寝言なんて、心臓に悪すぎる。
「もう……」
溜息をひとつついて、それからふと思う。――居候して三週間になるけれど、霊夢の寝顔を見たのは、そういえばこれが初めてだった、と。
安らかなその寝顔は、普段の霊夢のどんな喜怒哀楽よりも、無防備な表情。
その柔らかそうな頬に触れてしまいたかったけれど、思うままにならない身体がもどかしい。いや……むしろ、動けないことは重畳だったのかもしれないけれども。
「れいむ、」
ああ、だめだ。何かもう、幸せなような、逃げ出したいような、気恥ずかしいような、わけのわからない感情が入り乱れて、霊夢の顔が見られない。
――好き。
口の中だけで呟いた言葉を、レティは顔を覆いながらぐっと飲みこんだ。
そんな言葉を口にしてしまったら、夏の陽射しの中に溶けて消えてしまいそうな気がした。
ただ、言えない言葉の代わりに――レティはおそるおそる、右手を霊夢の方に伸ばす。
触れるのは、霊夢の左手。その細い指をきゅっと握ると――微かに、握り返された。
それだけで、どうしようもなく幸せで。
レティはしばらくそのまま、布団越しに霊夢の手を握り続けていた。
(つづく)
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