にと×ひな! Stage3「神々も恋せよ幻想の片隅で」 SIDE:A
2008.09.05 Friday | category:東方SS(にとり×雛)
鏡に向かって帽子を直していると、不意に背中に気配を感じた。
振り向けば、無言のままにこちらを覗く視線。肩を竦めて、秋穣子は目を細める。
「なに? お姉ちゃん」
「……どこか、出かけるの?」
姉――静葉はためらいがちに、かき消えそうな細い声で、そう問いかける。
「人間の里。今日もお呼ばれしたの」
帽子を目深に被り直して、穣子はどこか投げやりにそう返した。
「収穫の季節ももうすぐだからね」
「……そう」
静葉はただ、小さく頷くだけ。そんな姉の反応にも、もう慣れたけれど。
――それでも、どこかで期待してしまっている自分に、穣子は苛立つのだ。
「お姉ちゃんと違って、私は人の役に立つ神様ですから。じゃあね」
苛立ちを紛らわせるように、そんな憎まれ口を叩いて、ひらひらと手を振り歩き出す。
「……行ってらっしゃい」
背中に小さくかけられる言葉に、また苛立ちが積み重なるのを感じながら。
――ドアを閉め、晩夏の空を見上げて、穣子は大きく溜息をついた。
本当は、お呼ばれなんてしていない。
人間の里の収穫祭は、もっと秋が深まってからだ。
姉は解っているのだろうか。――そんなことは、穣子には知るべくもないけれど。
「……お姉ちゃんの、ばーか」
小さく呟いた言葉は、影を落とす陽射しの中に霞んで消えていく。
◇
ときどき、心配になることがある。
それは、大切な友達のこと。初めてできた友達の、河童の少女のことだ。
厄神の自分と、河童の彼女。根本的に種族の全く違う自分たちは、好みも違えば常識さえも違ったりする。というか、重なるところの方が少ない。
自分の厄神としてのつとめのことは、彼女にはきっとよく解らない世界だし。
彼女の好きな機械いじりのことは、自分にはどうにもよく解らない世界。
――そんなふたりだから、ときどき何の話をしているのか解らなくなることがある。
そんなときは、笑って誤魔化したりしているのだけれど。
そのたびに、どうしようもなく心配になるのだ。
自分は、彼女を退屈させてしまってはいないだろうか、と。
好みも常識も違う自分といる時間を、彼女は本当に楽しんでくれているのだろうか――と。
「……な、雛?」
呼びかけられて、はっと雛は目を見開いた。
「どうしたの? ぼーっとして」
目の前には、首を傾げてこちらを覗きこむにとりの顔。
「……あ、ごめんなさい。なんでもないわ」
小さく苦笑いする雛に、少し釈然としない様子で鼻を鳴らしながらも、にとりは話の続きを喋り出した。テーブルの上にある、新しい発明品のことだ。
にとりの説明を聞いても、雛にはその発明品がどういうものなのかはよく解らない。遠くまで声を届けるもの、らしいのだけれど、一体何に使うのだろう。
ただ、嬉々として説明を続けるにとりが楽しそうだから、雛はそれで充分なのだけれど。
――私みたいに、説明を受けてもほとんど理解できないような相手に話していて、本当ににとりは楽しいのだろうか、というのは、どうしても気になるのだ。
どこまでも一方通行にしかならない会話。だからといって、雛に返せる言葉はほとんど無い。当たり障りのない相づちを打って――そのぐらいしかできないのだ。
「……雛」
「なあに?」
「やっぱり……面白くないかな。雛には、こういう話」
不意に、俯き気味ににとりは呟く。
まるで思考を読まれたような気がして、雛は一瞬、言葉に詰まってしまった。
「――そんな、こと」
「じゃあ……雛。今まで私が説明したこと、解った?」
「それ、は――」
解らない。解ったのは声を遠くまで届けるもの、ということだけ。その原理やら構造やらまでにとりは話してくれたはずなのだけれど、それは雛にはまるで呪文のようで。にとりの言葉だけれど、右から左へと通り抜けてしまう。
「……そうだよね。雛には解らないよね。私みたいな技術屋とは違うんだもんね。それなのに私、全然、雛には面白くない話ばっかりして――」
「にとり、」
「ごめんね、退屈だよね、――私、今日はもう帰るね」
がたん、と椅子を鳴らして、にとりは立ち上がる。「あ、」と間抜けな声をあげて、雛は手を伸ばそうとしたけれど――その手もすり抜けて、にとりは踵を返してしまった。
「……じゃあね、雛」
またね、ではない、別れの挨拶。
それに答えることもできず、雛はただ、にとりの背中を見送るだけで。
「…………にとり」
どうして呼び止められなかったのだろう。
どうして、そんなことない、と言い切れなかったのだろう。
問いかけてみても、今更答えは出ない。
「――――」
視線を落とせば、テーブルの上に、発明品が置き忘れられていた。
確か、名前は……トランシーバー、とにとりが言っていた。
遠くにいる相手に、声を届ける道具。
だけど、ふたつともここにあるのでは、にとりの元へは雛の言葉は届かない。
届くはずも、ない。
◇
妖怪の山の麓には、八百万の神が多く住んでいる。
秋姉妹も、そんな神の中の二柱だ。
姉は紅葉の神、秋静葉。
妹は豊穣の神、秋穣子。
秋を司る二柱の神、その姉妹の仲は端的に言って、あまりよろしくなかった。
喧嘩をするわけではないけれど、互いにどこか距離を置いた関係。それは、互いに司るものが正反対だからかもしれなかった。
紅葉という「死」を司る姉と。
豊穣という「生」を司る妹。
姉は紅葉の美しさを妹に自慢し、妹は豊穣の収穫を姉に自慢する。
何度秋が巡っても、姉妹はすれ違い続けていた。
――互いに、相手に一番言いたいことを、胸の奥に封じ込めたまま。
「ふんだ、お姉ちゃんの根暗、馬鹿馬鹿ばーか」
ぐちぐちと呟きながら、穣子は行くあてもなく川沿いの路をぼんやりと歩いていた。
呼ばれていないのだから、人間の里に行く理由もない。だからと行って出てきてしまった以上、姉の居る家にも戻れない。だからまた、ぶらぶらと散歩でもして時間を潰すしかないのだ。
神を殺せるのは退屈だ、と穣子は思う。妖怪にしてもそうだろうが、不死に近い存在は、それ故に常に飽いている。神にとって手にした時間は永すぎるのだ。退屈だから戯れもする。けれど今は、戯れる相手も特に居ない。
「……はぁ」
川べりに下りて、ゆるやかな流れを覗きこんでみる。鏡の前で意味もなくセットしたはずの顔は、ひどく情けない表情になっていた。
それもこれも、全部姉が悪いのだ。
物静かと言えば聞こえはいいが、単に根暗ではっきりしないだけだ。言いたいことがあるならはっきり言えばいいのに、いつも口ごもって、肝心なことは何も言わないで。好き勝手にほっつき歩く妹にも何も言わず、ぼーっと家に引きこもって。
紅葉なんて、生命の終わりを司る神だから、あんな根暗になってしまったのだ。
「お姉ちゃんのせいだ、全部」
そう、もうすぐ夏が終わり、自分たちの季節が来るというのに。
どうにも気持ちが盛り上がらないのも、全部陰気な姉が悪いのだ。
今年豊作にならなかったら、それも姉のせいだ。そうに決まっているのだ。ふん。
「……あーあ」
溜息をついて、穣子は顔を上げる。さて、今日はどうやって時間を潰そうか。果物の香りで適当に妖精でも捕まえて遊ぼうか。そんなことを思いながら、穣子は歩き出そうとし、
濡れた岩に、盛大に足を滑らせた。
「へぶっ」
びたん、と前のめりに倒れ込んで、穣子は呻く。鼻を打った。痛い。泣きそう。
「ううううう」
姉のせいだ。これも全部姉のせいだ。これだからもう――大嫌いなのだ。
鼻をさすりながら起きあがり、足を滑らせた岩を忌々しげに見つめて、穣子はまた溜息。
――そして、ふと。
「あれ?」
上げた視線に、別の人影を捉えて、小さく声をあげた。
それは、川べりにしゃがみこむ少女の姿。紅のスカートと、赤いリボンと、翠緑の髪。
遠目の気配でも分かった。妖精や妖怪、まして人間ではない。同じ、八百万の神様だ。
何の神様だろう、と目を細めて、そこで穣子は気付く。少女の周囲に漂う薄暗い障気に。
厄神様か、と納得する。そういえば一柱、厄神様がこのへんに居ると聞いた覚えがあった。
――さて、どうしよう。あの厄の渦巻く中に近付いて声をかけるのは多少勇気が要るし、厄神様の近くは神だろうが関係なく不幸になるという。とはいえ、どっちにしても退屈なのだ。それを紛らわせられるなら、多少のことならどうでもいいか――などと穣子は考え、
そうしているうちに、厄神様が不意にこっちを振り向いた。目が合う。
「……あちゃ」
これは、無視するわけにもいかなくなってしまった。
ひとつ息をついて、穣子は厄神様の方へ歩み寄る。
厄神様はどこか困惑したような顔で、こっちを見つめていた。
◇
自分以外の神様をこのあたりで見かけるのは、雛にとっては珍しいことだった。
その神様が、向こうから話しかけてきたとなれば、珍しさは増し増しである。
「あなた、厄神様よね? 何してるの?」
何の神様だかは知らないが、ともかくその神様の少女は、雛に歩み寄って首を傾げる。
「……流れてきてる厄を、回収しているの」
覗きこんでくる視線に居心地の悪さを覚えて、雛は視線を川に戻してそう答えた。
ふーん、と少女はとりたてて興味も無さそうに鼻を鳴らして、それから傍らの岩に腰を下ろす。何の用だろう、と雛は思うが、今は聞き返す元気も無かった。
……にとりを怒らせてしまった。雛の頭の中は、今はそのことでいっぱいなのだ。
悪いのは自分だ。にとりはにとりなりに、自分を楽しませようとしてくれている。そのことは解っている。にとりの好きなことを理解しようという努力が足りないのだ、自分に。そんなことは解っていても、今更どうしようもないのだけれども。
じゃあね、とにとりは言った。またね、ではなく。
それが、もう二度とにとりが家に来てくれないのではないかという――恐ろしい想像を呼び起こして、雛はふるふると首を振る。
自分には寄ってこないはずの厄が、今日は全身に絡みついている気がした。
はぁ、と溜息。と、不意にそれが、もうひとつ別の溜息と重なる。
訝しげに振り向けば、神様の少女もこちらを見ていた。どうやら今のは彼女の溜息らしい。
――よく見れば、彼女もそれなりに厄を溜め込んでいる。
「なに?」
雛の視線に、少女は眉を寄せる。自分に厄が憑いていることには気付いていないだろう。厄というのはそういうものだ。目には見えず、けれど確かにそこに有り、絡みついている。
「……あなたも、厄いわね」
「え?」
「厄が憑いてるわ。……結構な量の」
雛の言葉に、困惑したように少女は自分の身体を見下ろす。
「……そうなの?」
「ええ」
「むぅ。それなら厄神様、厄祓いしてくれない?」
少女の問いかけに、雛はひとつ息を吐き出す。
「それは、構わないけれど……。原因を取り除かないと、また寄ってくるわ」
「原因?」
首を傾げた少女に、雛は訥々と説明する。
厄を引き寄せるのは、負の感情。恨みとか、嫉妬とか、怠惰とか、そういうものだ。
だから自分の厄は、最終的には自分で祓うしかない。厄を呼び寄せる負の感情、その大元を絶たない限り、いずれまた厄は寄ってくるのだ。無論、その厄も永劫に憑いているわけではないにしても、離れる端から新しい厄が寄ってくれば同じことである。
――そんなことをぽつぽつと語ると、少女は大仰に肩を竦めた。
「負の感情、ね。……はぁ、そりゃどうしようもないわ」
ひどく大げさな溜息をついて、少女は蒼天を仰いだ。陽光が脳天気に眩しい。
「厄神様、んじゃ厄祓いついでにちょっと愚痴聞いてくれない? 愚痴」
「え?」
「あ、私、穣子。秋穣子、豊穣の神。よろしく」
少女――穣子は一方的にそう名乗って、溜め込んだ鬱憤を吐き出すように口を開いた。
「とにかくもう、うちのお姉ちゃんってば――」
彼女が吐き出したのは、紅葉の神であるらしい彼女の姉についてのことだった。
曰く、無口で根暗で、何を考えているのか解らない。こっちが話しかけても「うん」とか「そうね」とか相づちを打つばかりで会話は空回り。そのくせ何か言いたげな顔をしては、結局また口ごもって何も言わない。あちこちほっつき歩く妹に何を言うわけでもなく、することといえば紅葉を眺めて悦に入っているばかりで、生産的なことは何もしない神様。落葉へと続く紅葉をもたらす「死」の神なのだから非生産的なのは仕方ないにしても、紅葉の彩りぐらいにはもう少しはっきりしてほしい。言いたいことがあるなら言えばいい、何も言われないのが一番イライラするのだ。無口がどうしようもないならせめて、喜怒哀楽を表情ででも示してくれればいいのだ。伏し目がちに視線を逸らしてばかりじゃ人間だって寄ってこない。笑えば可愛いのに、じゃなくて。おしゃべりで奔放な妹が苦手で嫌いならそう示してくれれば気が楽なのに、それすらはっきりしないからこっちも困るのだ、どうしていいのか困るのだ――。
概ねそのようなことを一方的に早口でまくしたてて、穣子は盛大に天へ溜息を吐き出す。
ぐるぐると彼女にまとわりつく厄が、また一層濃くなったのが、雛には見えた。
「お姉ちゃんのばーか。ばーかばーかばーか!」
地団駄を踏むような仕草で、穣子はそう叫ぶ。
雛はひとつ首を傾げて、穣子が黙ったのに合わせて口を開いた。
「……ねえ、ひとつ確認してもいいかしら」
「なによ?」
半眼で睨まれて、雛は微かにたじろぐ。ふくれっ面で鼻を鳴らす穣子の苛立ちは、自分ではなく姉に向かっているのだ、ということは解っているのだが。
ただ、彼女の愚痴を聞いていて、雛の受けた印象は、正反対のものだ。つまり――
「お姉さんのこと、好きなのね?」
その言葉に、穣子は目をぱちくりさせて――そして、爆発したように真っ赤になった。
「なッ、なななッ、何をッ――なんで今の愚痴聞いてそうなるのよっ!?」
「……嫌いなの?」
「き、嫌いよ! 大ッ嫌いよあんなお姉ちゃん! 無口で根暗で内気で引きこもりではっきりしなくて――大嫌いよ、大嫌い、お姉ちゃんなんか、大、きらい……」
必死にまくし立てる言葉は、しかしだんだん勢いを失っていき、
そして穣子は、諦めたように盛大に溜息を吐き出して、開き直り気味に叫んだ。
「ええそーよ、そうですよ、大好きですよ馬鹿! 無口で根暗で内気で引きこもりではっきりしないお姉ちゃんが好きで好きでしょーがない馬鹿がここに居ますよ! 何よ文句ある!?」
いや、そんなことを言われても困る。雛が気圧されていると、穣子は真っ赤な顔のまま、さらに重ねてまくしたて始めた。
「何よもう、悪かったわね! お姉ちゃんが悪いのよ全部全部! こっちがどれだけ話しかけたって相づちしか打ってくれないし! こっちはお姉ちゃんの笑った顔が見たいのに滅多に笑ってくれないし! 私は紅葉が嫌いなんじゃないの、紅葉ばっか見てこっち見てくれないお姉ちゃんが嫌いなの! ううん、紅葉にも負ける自分が嫌いなのよ馬鹿! こっち見てよ、言いたいことあるなら言ってよ! 期待しちゃうじゃない、こっちはお姉ちゃんと一緒にいたいの、だけどお姉ちゃんが居心地悪そうにするから理由つけて出ていくのに――そのたびに何か言いたそうにして、行かないでって言ってくれるんじゃないか、一緒に居てって言ってくれるんじゃないかって、期待しちゃうじゃないのよ! 馬鹿、馬鹿馬鹿馬鹿、お姉ちゃんの馬鹿!」
ぜーはー、と息を荒げて一気にまくしたてた穣子は、そのまま膝に顔を埋めた。
「……おねえちゃんの、ばか」
最後に呟いた一言は、泣き出しそうなぐらいに弱々しい響きだった。
ぐるぐると彼女の周りを取り囲む厄の塊。それを引き寄せているのはきっと、素直に気持ちを口にできないもどかしさへの苛立ちと、自己嫌悪。
ああ、と雛は息を吐く。――まるで自分のようだ、と思った。
「……少し、じっとしていて」
声に顔を上げる穣子。雛はその周囲に漂う厄を、両手でそっとすくいあげる。絡みつく厄を吸い寄せるように萃めて、スカートの中に封じる。それはいつもの厄払いの手順。
きょとん、と目を見開いて、それから穣子は自分の身体を見下ろした。
「今の、厄祓い?」
「ええ。今憑いていた厄は祓ったわ。……でも、このままだとまた同じだと思う」
厄を呼び寄せる負の感情。その大元をどうにかしなければ、また厄が絡みつく。
「お姉さんに、ちゃんと言わないと――何も変わらないんじゃないかしら」
――自分なんかが何を偉そうなことを。言いながら雛は自嘲気味に目を伏せた。
自分だって同じだ。もっと素直に気持ちを口に出せていたら、きっとにとりを怒らせはしなかった。にとりと一緒に居るのが好きで、にとりの声を聞いているのが好きで、だからそばに居てほしいって――はっきり、そう言えたら、きっと。
「……簡単に言えたら、苦労しないわよ」
「…………そうよね」
ああ、全くその通り。神なる身にもままならぬものばかり。
ふたり同時に吐き出した溜息が、晩夏の空気に淀んで消える。
「ん、でも何か、ちょっと楽になったかも。ありがと、厄神様」
「……そう、それなら良かったわ」
不意に顔を上げ、穣子は笑ってそう口にした。雛は目を細めて頷く。
――ありがと。その言葉をもらったのは、にとり以来だ。
「で、厄神様は?」
「え?」
問いかけの意味が解らず、雛は首を傾げる。
穣子はこちらを、どこか見透かすような視線で覗きこんで。
「厄神様はなんで溜息なんかついてるわけ? 厄払いしてくれた礼に、愚痴ぐらい聞くわよ」
「――――」
息を飲み、口ごもった雛に、穣子はにっと笑ってみせた。
「……友達を、怒らせてしまったの」
その視線に押しきられるような形で、結局雛はそう口を開いてしまう。
「その子は機械いじりが好きで、発明したものとか見せてくれたり、教えてくれたりするんだけど……私には解らないことが多くて。相づちを打ってたら、『退屈?』って聞かれて。……そんなことないって、咄嗟に答えられなくて」
「退屈だったの?」
「そんなことないわ」
答えた言葉は思いがけず大きな声になって、発した雛の方が驚いた。
「……むしろ、そう聞きたいのは私の方なのに。にとりを楽しませるような話なんて、私全然できないのに、にとりは私と居て退屈じゃないんだろうかって――不安、で」
「それこそ取り越し苦労じゃないの? 河童は一途って言うし」
え? と雛は顔を上げる。
「……にとりのこと、知ってるの?」
「いや、知らないけど。このへんで機械いじるような種族って河童しかいないから。その友達、河童なんでしょ?」
「……ええ」
「ま、私も別に河童に詳しいわけじゃないけどさ。厄神様の心配は杞憂っていうか、それこそ向こうが同じ心配してるんだから、退屈に思われてるわけないと思うんだけど」
「――――」
そう、なのだろうか。
にとりは、自分と居て退屈に思ったり、無理をしていたりしないのだろうか。
「厄神様は、その河童のこと好きなんでしょ?」
「……っ」
直球で聞かれて、雛は急激に顔が熱くなるのを感じた。
……好き。すき。その二文字の言葉が、打ち鳴らされた鐘のように頭に響く。
いや、それは友達として、のこと……のはず。その意味の、はず。
そうじゃないなら――何だ。どんな意味の「好き」だというのか――
「好きなんでしょ?」
ずい、と顔を寄せて、穣子はなおも問い詰める。
「……あ、え、えと……ええ」
「もっとはっきり。さっき私にあんなこと言わせたんだから、そっちもぶっちゃける!」
「あ、あう……う、あ……す、すすす……」
舌が上手く回らない。脳裏に浮かぶのはにとりの笑顔。『雛』と呼んでくれる優しい声。
「――好き。にとりが、好き」
口にしてしまって、恥ずかしくて死にそうになった。神なのに。
「よろしい。じゃあ、河童が好きな厄神様と同じ心配をしているんだから、その河童は厄神様のこと好きなのよ。何か間違ってる?」
「え、ええと……えと、」
好き? ……にとりが、私を?
――それはいったい、どういう意味で?
そして、自分は――にとりを、どういう意味で「好き」なのか、
「あーあ、いいなぁ、厄神様は両想いで。どーせ私は冴えない片想いですよ、ふんっ」
ぷいっと拗ねたように顔を逸らして、穣子は足をぶらぶらさせる。
雛は言葉が見つからず、真っ赤な顔を誤魔化すように俯いて吐息した。
――ただひとつ、確かなことは。
にとりにちゃんと言おう、と思った。退屈なんかじゃない、にとりと一緒に居るのが、にとりの話を聞いているのが楽しいから、だから一緒に居てほしい――と。
それだけは、素直にならなきゃいけないのだと、そう思った。
――と、ひどく唐突に。
近くの茂みで、ガサガサと何かが蠢く音。
はっと、雛と穣子は同時に振り向く。
茂みからはみ出しているのは――見覚えのある、緑色の帽子。
「……に、とり?」
呆然と呼びかけてみると、びくりと震えるように茂みはまた音をたてて。
「あー……うー、見つかっちゃった……」
ぽりぽりと頬を掻きながら姿を現したのは、当のにとり本人と、もうひとり。
「え……お、おおお、お姉ちゃんッ!?」
紅葉色のワンピースを纏った、穣子とどこかよく似た少女。
その姿に、穣子は素っ頓狂な声をあげる。少女――穣子の姉、静葉は、ワンピースの色と同じぐらい真っ赤になって、スカートの裾を掴んで俯いていた。
「い、いいい、いつからそこに……?」
「…………」
わなわなと震えながら問いかける穣子に、静葉とにとりは顔を見合わせて。
「えーと、『嫌いならそう示してくれればいいのに、それすらはっきりしないから困る』のあたり……かな」
にとりの答えに、雛は穣子の方を振り向く。それはつまり、最初の愚痴のところで、
その後に続いたやり取りが、全部聞かれていたとすれば――
「……穣、子」
「は、はぁい!?」
静葉が一歩前に歩み出て、穣子の名前を呼んだ。穣子はびくりと身を竦ませて、近付いてくる姉の姿に、怯えるようにぎゅっと目を閉じて。
雛とにとりは、固唾を飲んでその様子を見守り、
硬直した穣子にゆっくりと歩み寄った静葉は、穣子の肩に手を掛けて、
わ、とにとりは声をあげ、雛は口元を押さえて息を飲んだ。
並ぶと少しだけ背の高い穣子の前で、静葉は目を閉じて、軽くつま先立ちをして、
――ぎゅっと目を閉じたままの穣子の唇を、自分のそれで塞いだ。
「……お、ねえ、ちゃ……?」
触れていたのが一瞬だったのか、もう少し永かったのかはよく解らない。
呆然と声を上げた穣子に、唇を離した静葉は、俯いていた視線を上げて。
「……私も、穣子が、好き」
囁くような声で――そう言った。
「え……え、え、え……えええ?」
言葉の意味を理解しかねたように、挙動不審に穣子は視線を彷徨わせる。
その頬に手を添えて、静葉は穣子の視線を自分へと固定させて。
「穣子のことが、大好き」
さっきよりも幾分強い声で、はっきりと告げた。
その顔は、紅葉よりも真っ赤なままだったけれども。
「お、お姉ちゃん……? え、あれ、なんで、だって、」
「……ずっと、言いたかった。一緒に居てって。人間の里なんか行かないでって。……本当は、紅葉よりずっと、穣子が好きだったのに……怖くて、言えなかった。穣子に、嫌われてると、思ってた……から」
頬に触れた手が離れて、静葉はまたスカートの裾を掴んで俯く。
「相づちしか打てなくて、ごめんなさい。言いたいこと、はっきり言えなくて、ごめんなさい。紅葉ばっかり見てて、ごめんなさい。……笑うの苦手で、ごめんなさい」
「おねえ、ちゃ」
「穣子が好き。これからはちゃんと言うから。好きって、何回でも、ちゃんと言うから。穣子が好き、穣子が好き、穣子が大好きっ――」
「お姉ちゃん!」
泣き出しそうな必死の言葉を遮るように、穣子が叫んで。
――今度は穣子の方から、その唇を塞いだ。
「ん……っ」
触れあう時間は、さっきより少しだけ永く。
名残惜しむように唇が離れ――穣子は静葉を、真っ直ぐに見つめて。
静葉の目尻に溜まった雫を、その指先がそっと拭う。
「……ばか。お姉ちゃんの馬鹿。やっぱり馬鹿よ、お姉ちゃんは」
「みのり、こ」
「なんで――なんでそんなこと、泣きながら言うのよっ」
そして、穣子は笑った。紅葉よりも眩しい笑顔で、静葉に向けて笑った。
「……お姉ちゃんが好き。私だって、お姉ちゃんのことが、大好き」
こつん、と額と額がぶつかる。スカートの裾を掴んでいた静葉の手を、穣子がそっと持ち上げて、指と指を絡ませる。離さないように、強く、ぎゅっと。
「やり直し。……泣きながらの告白なんて、嫌なんだから。……もいっかい、ちゃんと」
その言葉に、静葉はただ目を見開いて。
――それから、ふっと、季節外れの花がほころぶように笑った。
「……好き」
「うん」
「穣子が……好き」
「うんっ」
「大好き、大好きだから――どこにも行かないで。そばに、いて」
「――嫌だって言われたって、そうする。お姉ちゃんのこと、もう離さない」
「穣子……」
「ごめんね、素直じゃなくて」
「私も……ごめんなさい、口べたで」
「そんなお姉ちゃんを好きになっちゃった私の負けよ」
「それなら、私だって同じ」
「ふふっ……そうね」
「うん」
そうして、ふたりはくすぐるように笑い合って。
――それから、今度は永く永く、唇を重ねた。
すれ違ってきた日々を埋めようとするように、お互いの温もりを、そばにある大切なものを確かめ合うように、いつまでも離れようとしなかった。
さて。
その一部始終を眺めていた、雛とにとりはといえば。
「…………雛」
いつまでも唇を離そうとしない秋姉妹を、半ば呆然と見つめていた雛は、不意に傍らから囁かれた声に、はっと我に返って振り向いた。
いつの間にか、にとりがすぐ隣まで来ていて。こちらを見つめていた。
「……ごめんね、雛」
最初にこぼれたのは、謝罪の言葉。
「怖かったんだ。雛が、無理に私に合わせてくれてるんじゃないかって……。雛は全然楽しめてないのに、私ひとりで舞い上がって、雛を辟易させてるんじゃないかって、だから怖くて、雛に嫌われるのが怖くて――」
俯き、震えたにとりの言葉に。
雛は、少しだけためらうように、その手を彷徨わせて。
――ぐっと意を決して、にとりを抱きしめた。
「ひな?」
「……私も、同じ」
顔を上げたにとりに、雛は囁く。
「同じこと、私も心配してた……。にとりが私のために無理してるんじゃなかって。気を遣わせて、にとりは私と一緒に居るの、楽しめてないんじゃないかって――」
ああ、本当に杞憂だったのだ。
ふたりで同じことを心配して、怖がるあまり大事なことが見えていなかった。
「……あはは、なんだか間抜けだね、ふたりして」
「そうね……本当にそうだわ」
苦笑するように、ふたり笑い合う。それは本当に、自然に。
その心地よさは、手を繋ぐときの、名前を呼び合うときのあたたかさ。
「……にとり」
「雛」
いつものように、名前を囁きあえば、そこにあるのはもう普段の甘酸っぱい空気。
手を絡めて、額を合わせて、ただ笑い合うだけで、どうしようもなく幸せなのだ。
――こんな幸せを、にとりと一緒に感じていられる。
そのことが、何よりも雛には嬉しかった。
「……えと、それでね、雛」
「うん?」
それから、どれだけそうしていたのか。
不意に、にとりがためらいがちに口を開く。
「……あのね、ええと、立ち聞きしちゃったのは悪かったと思ってるんだけど、その、」
わたわたと弁解しながら、にとりはどこか不安げに、雛を覗きこんだ。
「さっきの……その、ね。秋の神様に聞かれてたこと――」
「え――あ、え、ええと、そ、それは――」
にとりの言わんとするところを理解し、雛は顔から火を噴きそうになった。
『厄神様は、その河童のこと好きなんでしょ?』
穣子の問いに、自分は何と答えた?
『――好き。にとりが、好き』
そのとき、既ににとりはすぐ近くに居たわけで、
好き。にとりが好き。――思い浮かべるだけで穴を掘って埋まりたくなるほど恥ずかしい。
だけど、それはどうしようもないほど、雛の中の真実なのだ。
ただ――
「そ、そう、だって、と……友達、だもの」
「ほえ」
「に、にとりのこと、す……す、好き……よ。友達、だから」
絞り出すような言葉は、雛自身ももう何が何だかわからなかった。
「あ、そ、そうだよね、うん、そうだよね。……わ、私も、雛のこと……す、すすす……好き、だよ。……と、友達、だもんね」
「う、うん。友達、だから。……ふふっ」
「あ、あはは……」
漏れるのは、互いにどこか引きつった、乾いた笑いだった。
ぎこちなさすぎるのは解っていたけれど、どうしようもなかった。
――だって、それが、友達とは違う意味になってしまったら、
どうすればいいのか、わからない――
「……いやまぁ、別にいいけどね?」
傍らから呆れたような声。
錆び付いた人形みたいな動作でふたりが振り向くと、いつの間にキスするのを止めたのか、穣子と静葉がこちらを見ていた。穣子は呆れ顔、静葉は困り顔で。
慌てて、雛とにとりはどちらからともなく離れる。
今更のように、破裂しそうな心臓の鼓動がうるさすぎて。
すぐ近くにあるにとりの顔が、もう見られそうにない。
「じゃあ、馬に蹴られる前に私らは帰ろっか。お姉ちゃん」
「……うん」
「じゃあね、おふたりさん。私らのよーにお幸せに♪」
ひらひらと手を振って、そんなことを言い残し。穣子は静葉の手を引いて踵を返す。
その後ろ姿を、ふたりは半ば呆然と見送って。
思考が千々に入り乱れて、もう何も考えられそうになかったのだけれど。
不意に、右手の指先に触れる感触があって。
振り向かなくても、それがにとりの左手だと解ったから。
――恥ずかしくて振り向けないまま、雛はその手を握り返した。
お互いに真っ赤な顔でそっぽを向いたまま、手だけをしっかりと握りしめて。
そんな厄神と河童の様子を、夕暮れに傾いていこうとする晩夏の陽射しが、ひどく脳天気に照らしていた。
にとり編Stage3へ(to be continued...)
雛編Stage4へ(to be continued...)
⇒ こじたん (11/17)
⇒ 浅木原 (11/16)
⇒ こじたん (11/16)
⇒ 時の番人 (11/14)
⇒ 置き石 (10/14)
⇒ 葉月 (09/19)
⇒ ろっく (05/17)
⇒ 六仁祝 (08/27)
⇒ はまなす (06/20)
⇒ 橘 奏 (08/10)