東方野球in熱スタ2007異聞「月まで届け、蓬莱の想い」
2008.07.05 Saturday | category:東方SS(東方野球)
――上白沢の寺子屋へようこそ。私が講師の上白沢慧音だ、よろしく。
さて今日は、幻想郷タートルズの一軍二軍の区別について少し説明しよう。
幻想郷タートルズにおける一軍と二軍の区別は、あくまで登録上のもの。外の世界の球団のように、一軍と二軍が別々に行動することもないし、二軍の試合が行われることもないんだ。もともと登録人数が44人しか居ないのもあるし、1シーズン限定の戦いである以上、育成環境としての二軍の意味もあまり無い。そんな状況で、幻影の管理をしているパチュリーに二軍の試合まで管理しろというのは酷な話だからな。
そんなわけで、幻想郷タートルズのメンバーは基本、一軍二軍の区別なくまとまって行動している。試合のあるときも、登録上はベンチ入りしていない面々がベンチやブルペンに居たりするのはそういう理由だ。
ちなみに、投手陣の方には阿求がコーチとしてついているが、野手陣には役職としてのコーチは居ない。アリス監督の作ったコーチ人形はあくまで人形だしな。そんなわけだから、野手陣の練習はみんな基本的に我流だ。一応、守備練習などでは私やメイド長がコーチの真似事のようなことをしているがな。
まあ、そんなわけだから、練習に顔を出さない花屋妖怪や、本業で日曜にしかチームに居ない閻魔様以外は、基本的に試合前にはみんな球場に居る。サインが欲しければ、一軍に居る居ないに関わらず球場に行ってみればいい。まあ、相手によっては書いてもらえるかは保証しかねるが……。
――ん? 昨日、妹紅が球場に居なかったのは、怪我なのかって?
いや、怪我で来ていないわけじゃあないんだ。妹紅は別メニューで再調整したいというので、自主的にチームを離れてひとりで練習している。大丈夫、抹消期間が終わればすぐ一軍に戻ってくるから、安心してくれ。
妹紅はみんなのヒーローだ。今は不調だが、必ずみんなの声に応えてくれる。
一番の妹紅ファンの私が言うんだから、間違いない。
そう、妹紅は、妹紅は……
ああ、うん、大丈夫だ、問題ない、いつものことだから気にしないでくれ。
ええと、ティッシュ、ティッシュはどこだったかな――
◇
ざわめきが遠く、さざ波のように響いていた。
グリップの感触を確かめるように、妹紅は手にしたバットを握り直す。息を吐き出し、閉じていた目を開いた。――響く歓声、眩い照明、振りかぶる相手投手、放たれるボール。狙いを定め、妹紅はバットを一閃する。
――手応えはなく、バットは空しく風を切り。
周囲の風景もスタジアムではなく、いつもの迷いの竹林へと戻っていた。
「…………何か、違うな」
顔をしかめながら、妹紅は再びバットを構える。いつものバッティングフォーム、そしてスイング。だが、何百回と振っても、どこか違和感が拭えないままだった、
8月23日、木曜日。再調整のため登録を抹消されてから、今日で4日目。妹紅はチームを一度離れ、迷いの竹林でひとり、黙々とバットを振り続けていた。
チームにいれば何かとちょっかいをかけてくる輩もいるし、慣れ親しんだ場所で集中したい、という希望を、監督は受け入れてくれた。主砲として期待されながら、7月以降チームに迷惑をかけてきたけじめでもある。シーズンもいよいよ佳境に入った今、これ以上チームの足を引っぱるわけにはいかないのだ。
与えられた猶予は10日間。その間にかつての感覚を取り戻さなければ――。
しかし、そう思うばかりで調子が取り戻せるのならば、誰も苦労はしないのである。
「何が違うんだろうな……」
グリップの高さか、膝の使い方か、腰の回転か。調子を落として以来、天狗の提供する映像も見てチェックを繰り返してきた。だが、6月の絶好調と今の自分と、何かが違っているのは解るのに、何が違うのかが解らない。それが本当にもどかしいのだ。
バットが空を切る音も、心なしか切れ味が悪い。――あるいはそれは、自分の心の惑いが、そのままスイングに現れているのかもしれない。だがそれを意識すればするほど、惑いは大きくなるばかりだ。
スイングが100回を超えたあたりで、妹紅は深く息を吐き出して額の汗を拭った。――ダメだ、こんなスイングを繰り返していたら、かえって癖になってしまう。
休憩を入れようと、近くの竹にもたれて、妹紅はその場に座り込み、
「妹紅」
聞き慣れた声に振り返ると、いつもの顔がそこにはあった。
「慧音」
「お疲れ様。――水、飲むか?」
「ああ、ありがとう」
差し出された竹筒を受け取り、中の水を一口含む。ほどよく冷たすぎない水分が、汗で乾いた身体に染み渡っていくのを感じた。
慧音はそんな妹紅にふっと微笑んで、それから傍らに腰を下ろす。
「調子は?」
「……あまり、芳しくないな」
苦笑しながら答え、妹紅は手にしたバットを眼前にかざした。バットの向こうに見えるのは、スタジアムの光景ではなく、やはりただの竹林だったけれど。
「あまり根を詰めすぎるのも良くないぞ、妹紅。リフレッシュのための登録抹消なんだ、もう少し気楽に、気分転換のつもりで色々試してみてもいいんじゃないか?」
「ああ……解ってはいるんだがな」
答える声に今ひとつ力が無いことは、自覚していた。慧音が心配げに目を細める。
(解ってるんだお、解ってるんだけど気になるんだお……)
気ばかり急いても仕方ない、落ち着いて気持ちを切り替えて、と意識するほど、泥沼に足が沈んでいく。長く生きてきて、思考を無にするのも慣れたと思っていたが、そうでもなかったようだった。――何年生きても、心ばかりはどうにもならない。
「よし、妹紅。一旦バットは置いて、キャッチボールでもしようか」
立ち上がり、慧音はどこからか2人分のグラブとボールを取り出した。
「慧音、……今日も試合じゃないのか?」
「まだ時間はあるから大丈夫だ」
笑う慧音に、小さく笑みを返して、妹紅はグラブを受け取る。
ひとりでの調整を選んだのは自分だったが、ひとりのままではずっと泥沼に嵌りこんだままだっただろう。こうして様子を見に来ては気を遣ってくれる慧音の存在はありがたかった。
「昨日の試合は、どうだった?」
ボールと一緒に、言葉を放る。キャッチボールは会話に似ている、と思った。一方通行なだけでは、成立しない。
「幽香が3発を浴びて4回でKOされたよ。どうもウチはのらりくらりとかわす左腕が苦手だな。フランドールのソロ一発だけじゃどうしようもない」
ああ、あのヒゲの左腕か、と納得する。中日の山本昌、広島の高橋建、横浜の工藤。そのあたりの軟投派の左腕は微妙に相性が悪い。全く打てないわけではないのだが、こちらが捕らえる前に先発が崩れると、そもままずるずると負けパターンに嵌ることが多かった。
「まあ、そういうこともあるだろう。――今日はメルランか?」
「そのはずだ。前回のように三姉妹リレーで上手くいくといいんだがな」
終盤にきて、低迷していた阪神も追い上げてきているらしい。お得意様とはいえ油断は禁物か――などと考えて、考えても自分はどうすることも出来ないのだ、ということを思い出して妹紅は小さく苦笑した。
「どうかしたか、妹紅?」
「いや、自分の立場は微妙だと思ってな。チームが絶好調の中でひとり不振、離脱してる間にチームが勝っても負けても、自分の存在は何なんだろうな、とちょっとな」
自分の不振とチームの不調が重なっているなら解りやすい。が、チームが好調のときに不振で、自分が抜けたらチームの調子が落ちた、なんてことになったらどう反応すればいいのだ。チームの悪い部分を自分が吸い取っていたのか? 全く、厄神様じゃあるまいに。
「――昨日の試合、終盤にチャンスはあったんだ。4点差の8回、2死から久保田を攻めて1、2塁。打順は6番。まぁ、結果は凡退だったんだがな。倒れたのが誰とは言わないが――そのとき、妹紅がいれば、と思った者は、ひとりやふたりじゃないはずだ」
そんな慧音の言葉に、妹紅はひとつ息を吐き出す。
――抹消前、20打席近くも続けてノーヒットだったことを、みんな忘れたわけではないだろう。それでも、期待されている。そのことは解っている。
重圧? そんなのは全く今更の話だ。「失敗しても取り返していけばいい」なんて偉そうなことを言って、大妖精に笑われるというものだ。
「……まだそう思ってもらえるのは、ありがたい話だがな」
「当たり前だろう。タートルズファンはみんな妹紅のファンなんだから」
「それは言い過ぎだ、慧音」
「いや、断言していい。そりゃ、全員の一番ではないだろうけれど、妹紅に期待していない、どうでもいいと思っているタートルズファンなんてひとりも居ないはずだ」
鼻を鳴らし、妹紅は小さく苦笑する。全く、慧音は大げさなのだ。
「そうだといいんだがな」
「河童に聞いたんだが、以前ウチの選手の人気投票があったらしい。そのときは妹紅がぶっちぎりの一位だったそうだぞ、いや本当に」
――慧音、お前が何かやったんじゃないのかそれは?
そう聞きたいのを堪えつつ、「それは光栄だ」と妹紅は笑っておく。
「……妹紅。謙遜が悪いとは言わないが、自虐的になってはいないか?」
目を細めつつ、慧音がそう問いかける。
「そんなことは……、いや、そうなのかもしれないな……」
受け取ったボールを手の中で転がして、妹紅は小さく呟いた。
期待されている中で、結果を出せない自分。そこからもがいて、けれど未だ脱出口を見いだせないことに、一番苛立っているのは自分自身だ。それで何の解決にもなりはしないと解ってはいても。
「妹紅は少し、責任感が強すぎる」
不意に歩み寄って、慧音は妹紅の顔を覗きこんだ。
「もう少し……周りの面々を信じてもいいんじゃないか?」
「――――」
周りを信じても。ああ、そうかもしれない。なまじ6月が絶好調すぎただけに、自分ひとりでチームを引っぱっているような気になっていたのか。そんなことは全くないのに。
「周りを信じる……か」
小さく呟き、妹紅は手にしたボールをぎゅっと握りしめた。
「……ずっとこの竹林にいたら、そんなことは考えもしなかったんだろうな」
思う。この竹林に居を構え、迷いこんだ人間を助けたり、輝夜と殺し合ったりして長い時間をやり過ごす日々。永遠亭の面々との睨み合いと、訪れる慧音以外の存在とは特に交流もなく。かつてのヒトの中から追われた自分は、この幻想郷でもやはり、輪の中に入っていくことはなかった。――あのチームに加わるまでは。
奇妙な集団だと、妹紅自身も思う。人間の巫女に魔女、吸血鬼姉妹、冥界の姫、スキマ妖怪、永遠亭の面々、閻魔に死神に八百万の神、虫やら鳥やら妖精やら河童やら。そんな多彩な、なんて言葉じゃ済まない奇天烈な面々を、ただの人形遣いが率いる野球チーム。
自分がそこに加わったのはどうしてだったか――。ああ、そうだ、慧音に誘われたのだ。
「なあ、慧音」
「何だ?」
「慧音はどうして――あのチームで野球をやろうと思ったんだ?」
その問いに、慧音は目をしばたたかせる。
「……どうして、と言われてもな。あの球場に懐かしいものを感じるのもあるが……」
ああ、そういえばいつだったかそんなことを言っていた。あの黒い魔女は『お前本当はハクタクじゃなくて牛なんじゃないか?』などと失礼なことを言っていたが、何の事やら。
「それ以上に……な。うん……」
「?」
何やら俯いて口ごもる慧音に、妹紅は首を傾げる。何か、自分にも言えないような事情があったのか。言いたくないなら別にいいんだが――と、妹紅は声をかけようとして、
「……妹紅と一緒に、何かしてみたかったんだ」
慧音が呟くように口にした言葉に、妹紅は目を見開いた。
「あ、いや、その、変な意味じゃなくてだな。ああいや、何が変なんだって、いやその何というか……ああ、なんでもないなんでもない。うん」
わたわたと急にわけのわからない弁解をして、慧音はコホンとひとつ咳払い。
そんな様子に、妹紅は目を細める。
――もし慧音が、自分を誘ってくれなかったら、今頃はどうなっていただろう。
きっと野球のことなど何も知らず、退屈な日々をこの竹林で過ごしていただろう。
あの歓声も、勝利の喜びも、敗戦の悔しさも、ボールを追いかける楽しみも――何も。
「慧音。……ありがとう」
ふと、こぼれるように、妹紅は口を開いていた。
「な、なんだ、藪から棒に」
「いや。慧音が誘ってくれなければ、野球を知ることもなかった。……こんな楽しいことを教えてくれたことは、本当に、感謝しているんだ」
そう言って笑いかけると、慧音は何やらもごもごと呟いて、照れくさそうに顔を伏せた。
「別に、大したことは……」
「大したことだよ。……いつだって慧音は、私にいろいろなものをくれるんだ」
――そう、例えば、長い永い時間を孤独に過ごしてきて自分に、隣に誰かの居る温もりを思い出させてくれたように。
「も、妹紅……」
慧音が困ったように声をあげて、そこで妹紅は、自分が慧音の頬に手を添えて、顔を近づけていることに気付いた。――こ、この体勢は、ちょっと問題だった。
「も、妹紅の方こそ、いつの間に……そんなに野球に、真剣になったんだ? 前は、遊び半分だって言っていたじゃないか」
ぱっと妹紅の手から離れて、赤い顔を誤魔化すように慧音は早口でそう問いかける。
その問いに、妹紅はひとつ唸った。
いくつか、答えらしきものが頭の中を渦巻いた。――そして、最初に浮かんだ答え。
(……ああ、そうか)
何か、すとんとわだかまっていたものが抜け落ちた気がした。
ずっとつきまとっていた、惑いの正体が、解ったような気がする。
それは本当に、どうしようもなく単純な話で。
慧音の前で口にするには――少々、憚られるものがあった。
「……あんなに大勢の人や妖怪たちが、自分たちを応援してくれるんだ。遊び半分でやっていたらバチが当たると気付いただけさ」
だから口にしたのは、二番目に浮かんだ答えだった。もちろん、それも真実だったけれど。
「真面目だな、妹紅は」
「慧音ほどじゃないさ」
小さく笑い合い、そして妹紅は傍らに立てかけていたバットを手に取った。
――慧音の問いに浮かんだ、答えのうちの、一番最初の答え。
(慧音の喜ぶ顔が見たいから……なんて、慧音の前で言えるわけないお)
――結局、自分が野球に熱中した理由も、そこに行き着くのかも知れない。
活躍すれば、他の誰よりも、慧音が喜んでくれるから。
だから……不振に陥って、慧音を心配させるのが心苦しくて。
チームを離れてひとりでバットを振っていたのも、そのせいだ。
(格好つけて、泥沼に嵌って……もこたんみっともないお)
華麗に復調して、颯爽とチームに戻って、また慧音に喜んでもらうのだ。
――そんなしょうもないことばかり考えていたのだ、きっと。
全く、自分ひとりで野球をしているわけでもないのに。
「慧音。そろそろ球場に行く時間じゃないか?」
「あ、ああ、そうだな」
竹林に差し込む陽光を見上げて、慧音は頷く。
「じゃあ、行こうか、慧音」
バットを担いで妹紅が言うと、慧音はきょとんと目を見開いた。
「妹紅?」
「個別メニューはおしまいだ。ひとりで悩んだって泥沼に沈むだけだからな。――チームにいれば、誰かから何かが見つかるかも知れない」
そう、格好つけるのは終わりにしよう。泥臭くたって構わない。あがいてもがいて、それでもう一度活躍できるなら、それでいいではないか。
チームのために。監督のために、応援してくれるファンのために。
――そして誰よりも、いつでも自分を見守ってくれる、彼女のために。
「……ああ、そうだな。よし、行こう、妹紅!」
どこか嬉しそうに頷き、慧音は歩き出す。その後を追って、妹紅もゆっくり歩き出した。
夏の夜はまだ遠く、月はまだ空に見えないけれど。
(もこたん、必ずINするお!)
誰にも秘密の意気込みを、妹紅は強く強く、夏の空へ念じた。
夜空高く、月まで届くような歓喜のアーチを、あの球場に描くために。
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