東方野球in熱スタ2007異聞「夏に忘れた無何有の球を」(後編)
2008.06.29 Sunday | category:東方SS(東方野球)
◇
8月3日(金)、対読売ジャイアンツ13回戦(幻想郷スタジアム)。
「霊夢〜」
「ん?」
「今日はね〜、少し球数を減らす方向でいこうと思うの〜」
試合前の投球練習。マウンドに駆け寄ってきたレティが、そう囁いた。
「打たせて取るってこと?」
「そゆこと〜。だから、今日はフォークは基本封印ね〜」
「……そうね、この暑さだし」
熱気の消えない空を見上げて、霊夢は呟く。萃香が何かやらかしていたらしい昨日の阪神戦ほどではないにしろ、今日も蒸し暑い中でのナイトゲームだ。元々、霊夢自身先発としてはそれほどスタミナがあるほうではない。7回ぐらいで握力が落ちて制球が乱れ、四球を出して降板というパターンが多いから、なかなか勝ち星にも恵まれないわけで。
「ルナサとリリカが昨日投げてるしね〜。なるべく、私たちでいけるところまでいきましょ〜」
左の強打者の多い巨人相手とはいえ、この暑さの中、貴重な左である2人に無理はさせたくないところだ。まあ、あのふたりは騒霊だから暑さはあまり関係なさそうだが。
「そういうことなら、リードは任せるわ」
「りょうか〜い」
頷き合い、レティは踵を返す。――と、不意に。
「レティ」
「なに?」
呼び止められて、レティはいつも通りの脳天気な笑顔で振り返る。霊夢はその表情に、微かに目を細めて――結局、「何でもない、しっかりいきましょ」としか言えなかった。
ホームに戻っていくレティの背中を見送り、霊夢はひとつ息を吐き出す。
――顔色が悪そうに見えたのは、気のせいだったのだろうか?
しかしもう、確かめる術はない。相手の1番、高橋由伸が打席に入るのが見えた。
ボールを握り直し、霊夢は顔を上げる。すっと視界がクリアになった気がした。見据える先にあるのは、ただ――レティが構えたミットだけ。
歓声の中、プレイボール、と審判の声が響く。
どこか澄み切った意識の中で、霊夢は振りかぶると、初球を真っ直ぐに投げ込んだ。
試合は、思いがけず楽勝ペースで進んだ。
初回、5番に入った藍の3ランで先制すると、3回にはレミリアが2ランで続いて先発の内海をあっさりKO。5回にも野選と犠飛で2点を追加し、投げては霊夢が5回まで僅か40球、パーフェクトピッチング。7-0となって、迎えた6回表だった。
先頭の7番ホリンズが、2球目の外角ストレートをセンター前に弾き返す。パーフェクトが途切れたことにスタンドから溜息が響いたが、霊夢は構わずボールを受け取ると息を吐き出した。別に、元から完全試合を狙えるとは思っていない。ここまでが出来すぎなのだ。
「霊夢」
と、8番脇谷が打席に向かうところで、レティが駆け寄ってきた。
「何よ」
「んー、気にしないで行きましょ〜、って言おうと思ったんだけど」
「気にしてないわよ。あんたも私を信用しなさいって」
苦笑を返すと、「そうね〜、信じてるわ〜」と笑って、レティはミットで霊夢の肩を叩いた。
――その笑顔が、やはりどこか、力なく見える。
「レティ」
「ん〜?」
「あんたの方こそ、大丈夫?」
「私は何も問題ないわよ〜」
いつもの調子でそう答えて、レティは戻っていく。――本当に、大丈夫だろうか。
雑念を一度振り払い、霊夢は再びミットへ向けて投げ込む。脇谷は初球を打ってボテボテのショートゴロ。二塁フォースアウトでランナーが入れ替わり、打順が投手に回ったところで代打清水が起用された。
『走ってはこないと思うけど、一球外して様子見ましょ〜』
『了解』
サインに頷き、ランナーをちらりと見やりつつ、外角にウェストした直球を放る。同時、ランナーがスタートを切った。捕球したレティが、躊躇わず二塁へ――
送球しようとした体勢のまま、まるで糸が切れたように、崩れ落ちる。
点々とこぼれるボール、ざわめくスタンド、ベンチを飛び出すアリス、その中で、
「――レティ!?」
真っ先に声をあげて、霊夢は俯せて動かないレティへと駆け寄った――。
◇
試合は結局、霊夢が3安打完封。8-0でタートルズの快勝だった。
「あら、今はヒーローインタビューの時間じゃなかった?」
医務室を訪れた霊夢を、永琳は特に驚いた様子もなく出迎えた。「4打点の藍に譲ってきたわよ」と答えて、霊夢はこころもち静かに医務室のドアを閉める。
「……レティは?」
「過労と熱中症。命に関わるような症状じゃないけど、夏場の間は休ませた方が良さそうね。今は向こうのベッドで寝ているわ」
永琳が視線で示した方へ、黙って霊夢は向かう。カーテンを開けると、氷嚢を頭に載せて、レティは静かに寝息をたてていた。
「……全く」
溜息を漏らし、霊夢はその髪を撫でる。普段から纏っている冷気も、随分弱まっていた。
もう3週間も神社に居候していたというのに、そのことに気付けていなかったのか。
――やっぱりまだ、自分には見えていないことが多すぎる。本当に。
「霊夢」
と、小さく呼びかける声。振り向くと、アリスの姿があった。
「アリス。――どうするの?」
「レティの登録は抹消してきたわ。控え捕手は……とりあえず、大妖精にお願いするつもり。本人に話も通してきたわ」
「まあ、萃香に守らせるわけにもいかないものねぇ」
他に捕手の出来る面々といえばチルノや美鈴だが、チルノは数日前に登録を抹消したばかりだし、美鈴はなんだかんだで二塁のレギュラーだ。そうなるとあとは大妖精しかいない。
「レティは、まだ?」
「うん、気持ちよさそうに寝てるわ。起きたら私が話しておくから」
「……お願いね」
頷いて、それからアリスは新しい氷嚢を霊夢に手渡していった。だいぶ溶けていた氷嚢を取り替えて、霊夢は近くにあったイスに腰を下ろす。
遠くから、まだスタジアムの歓声が響いていた。本来ならその中に居るはずの自分が、こんなところで静かに座っていることに、巡り合わせが悪いわねぇ、と小さく苦笑する。
「……れいむ?」
と、微かな声。視線を下ろせば、レティが薄く瞼を開けて、こちらを見上げていた。
「おはよ。気分はどう?」
「……そうね〜、だいぶ楽になったわ〜」
額に載った氷嚢に手を添えて、吐き出すようにレティは口にする。
「全く、具合悪いならそう言いなさいよ」
「ごめんなさいね〜……」
呆れたように言いつつ、自分なら言い出せただろうか、と思う。自分を指名してくれた投手が、調子を取り戻しているときに、少し気分が悪いから休みたい、と。――言い出せてしまうだろう自分に苦笑しつつも、レティが言い出せなかったのも、解る気がした。
「そもそも、冬妖怪のあんたが夏場に調子いいわけないのよね。……悪かったわ、無理させて」
「そんなこと、ないわ〜。……霊夢のせいじゃないから」
「いいから寝てなさい」
起きあがろうとしたレティを、きっぱり押しとどめる。レティは大人しく横になると、天井を見上げて大きく息を吐き出した。
「……そうね〜、明日の試合までに元気にならないとね〜」
「そんな顔色で馬鹿言ってんじゃないわよ。――もうあんたは登録抹消済み」
「え? でも明日の試合は〜……」
「輝夜がいるし、大妖精も控えててくれてるから。あんたはしばらく休んでなさい」
心配げに尋ねるレティに、苦笑して霊夢は答える。『すっかりベンチに居るのが仕事ね〜』などと言ってはいても、控え捕手が居てくれるありがたさは、捕手であるレティ本人が一番よく解っているのだろう。
「……ごめんなさいね〜」
「だから謝らないの」
そう、むしろ謝らなければいけないのは自分の方だ。
霊夢は、そっとレティの身体に布団を掛け直す。
「ん〜……霊夢、」
「なに?」
目を細め、囁くように、レティは呟いた。
「……霊夢ってやっぱり、意外と優しいわね〜」
その言葉に、霊夢は小さく目を見開く。
――優しい? 自分が? ……今まで、そんなことはとんと言われた記憶がない。
まあ、だからこそ、『意外と』なのだろうけれども。
「…………反応に困る発言ねぇ」
「正直な感想よ〜」
「ま、ありがたく受け取っておくわ。意外と、が余計な気もするけど」
苦笑して、霊夢はそう答えた。そんな霊夢に、レティはふっと笑みを浮かべる。
――それは、とても優しく、冬妖怪とは思えないほどに、あたたかい笑顔。
「……霊夢のそういうところ、好きよ〜」
その言葉は、あまりに真っ直ぐで、どうしようもなく暖かくて。
だから、答える言葉が、霊夢には咄嗟に見つけられなかった。
「霊夢?」
「うっさい。神社までは後で送るから、今は寝てなさい」
「……ん、おやすみ〜」
顔を逸らしてそう言うと、レティは静かに瞼を閉じて、また寝息を立て始める。
その寝顔を、溜息混じりに見下ろして。
「…………レティ」
続ける言葉が思い浮かばなかったから。
霊夢はただ、その寝顔に手を添えて。
「……おやすみ」
ただそれだけを――優しく、囁いた。
◇
「輝夜」
「ん? 何かしら」
8月10日、広島東洋カープ戦。試合前、霊夢はその日先発マスクの輝夜に声をかけた。
「ちょっとね、リードに関して相談があるんだけど」
「ああ、最初から組むのは初めてよね。要望があれば合わせるわよ」
誰でも任せなさい、とばかりに不敵に笑う輝夜に、霊夢は小さく肩を竦めて。
「じゃあ。――今日の組み立て、私の好きにやらせてくれない?」
「え?」
その言葉に、輝夜はきょとんと目を見開く。
「いやまぁ、それならこっちは楽でいいけど。大丈夫なの?」
「大丈夫よ。巫女の勘がそう言ってるの」
「はいはい、それじゃお任せするわ〜」
何かを察したのか、愉しげに笑って輝夜は頷く。
――そうして試合は始まり。初回の攻撃が終わって、霊夢はマウンドへ向かった。
ミットを構えるのは、レティではないけれど。――やることは、変わらない。
私を信じて、と言ったレティは居ないけれど。レティが信じてくれた自分が、ここにいるのだから。
霊夢の出したサインに、輝夜が頷く。それを確かめて、霊夢は振りかぶった。
――さあ、宴を始めよう。夏の夜に、冬の陽炎に捧げる、白球の宴を――。
◇
そうして、夏はやがて終わり、9月1日。
「ただいま〜。今日から一軍復帰よ〜」
「おかえり、ってのも何か変な言い方だけど。ま、良くなって何よりね」
まだ残暑は消えていないが、8月いっぱい休んだことで、レティはすっかり回復していた。纏う冷気もすっかり強さを増している。寒い寒い。
「でもね〜。ちょっと困ったことになったわね〜」
「何が?」
首を傾げる霊夢に、レティは苦笑混じりに霊夢を見やる。
「何だか、私が居ない間、霊夢が絶好調だったみたいだから〜」
「……あー」
思わず頭を掻いて、霊夢は小さく苦笑する。
結局、8月の霊夢は4勝0敗、防御率1.22で、快進撃の立役者として月間MVPを受賞した。やられいむ、うたれいむと揶揄されていた前半戦とはエライ違いである。
「やっぱり、霊夢も私より輝夜の方が合ってるのかしら〜」
少々俯きがちに、レティはそう呟く。――まあ、そう思うのも無理はないが。
ひとつ、呆れたように肩を竦めて。霊夢はレティの肩を叩いた。
「輝夜にね、つまんないわって言われたのよ」
「え〜?」
「私が投げる球全部決めちゃうから」
目をぱちくりさせるレティに、霊夢は苦笑して。
「レティだったら私に何を要求するか、ずっと考えっぱなしで投げてたわけ。――正直、この一ヶ月で一生分頭使ったわね」
「……なんで、そんな?」
きょとんと首を傾げるレティ。霊夢はその顔を真っ直ぐ見つめて、答える。
「あんたが信じてくれた私と、私の知ってるあんたのリードを、信じたのよ」
――その結果が月間MVPならば、全く、上等なものではないか。
「やっぱり疲れるわね。もうこりごりだわ。――だから」
そして、霊夢はふっと微笑んで。
「――これからも、よろしく。レティ」
そっと肩を抱いて、耳元でそう囁いた。
「……うんっ、任せて〜」
頷くレティの声は弾んでいて、触れる身体は冷たいけれど、どこか暖かくて。
それが心地よくて、霊夢はしばらく、そのままでいた。
――これが異変解決だからじゃなく。巫女の勘でも、なんとなくでもなく。
ただ、博麗霊夢を信じてくれた、レティ・ホワイトロックのために。
最後まで、この右腕で、ボールを投げ抜こう。
博麗の巫女の名ではなく、幻想郷タートルズの背番号06、博麗霊夢の、名にかけて。
◇
なお、翌日の文々。新聞タートルズ特集ページにおいて、レティ一軍復帰の記事に添えられていた写真と、その写真につけられたキャプションを巡って霊夢と射命丸が繰り広げた弾幕勝負に関しては、全くの蛇足なので多くは語らないこととする。
ただ、博麗神社に届けられた文々。新聞の該当記事が、誰かの手によってこっそり切り抜かれていたことだけは、ここに付記しておこう。
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