にと×ひな! Stage1「人恋し河童と厄神と」 SIDE:A
2008.06.10 Tuesday | category:東方SS(にとり×雛)
自分がいつから独りだったのか、覚えていない。
ただ、気が付いたときには独りで。それからもずっと独りだった。
独りでいることが当たり前で、そのことに疑問も覚えずにいた。
――幸福を知らない者に、不幸という概念が理解できないように。
◇
厄についての基礎知識。
この世に存在する厄の総量は一定であり、それは常に循環している。
気流や川の流れのように、厄も流れ移ろうものだ。不幸が永遠に続かないのはそのためである。誰かに取り憑いた厄は、やがて流れ移ろい、別の誰かに取り憑く。そうして一定の厄が、世界をぐるぐると回っている。
厄を人形に託して「流す」のは、そうした厄の性質に基づくものだ。厄の流れというものは、気流や水流のような他の「流れ」に沿っていることが多い。だから、厄を川に流すというのは理にかなっている。
そうして、流された厄を溜め込むのが、厄神の仕事だ。
大量に集まった厄は悲惨な不幸を呼ぶ。そんな塊のような厄も、小さな厄もまとめて引き受け、そしてささやかな厄に散らして、少しずつ放流していく。
厄を消し去ることは出来ない。幸福と不幸が等量であることは世界の大前提だ。故に、厄神はあくまで厄を溜め、細かくちぎってまき散らすだけ。
そうするように定められているから、そうする。
――それだけの、存在だ。
そして、大量に厄を溜め込んでいる厄神は、大前提として孤独である。近付けば必ず、その大量の厄が不幸を呼ぶのだから、当然の話だ。
厄神に厄を祓ってもらう者も、それ以上厄神に近寄ろうとはしない。厄神は厄を祓うと同時に、厄を呼ぶ存在でもあるのだから。
鍵山雛も、そんな厄神のひとりである。
◇
その日、河で河童の少女を拾った。
妖怪の山の滝から流れてくる河の傍らに、雛の家はある。
そして雛の活動範囲は、河の周辺にほぼ限られていた。河を流れてくる厄を回収し、溜め込む。それが雛の仕事であり、それ以上何をするわけでもない。無論のこと、本来不可視である厄が見ても解るほど溜め込まれている雛の周辺に近寄って来る者など、妖怪でもまず居ない。
そのはずだったのだが。
「……どうしたものかしら」
ぐったりと横たわる少女の姿を見下ろして、雛は溜息をつく。
人形なら厄を回収するだけで済むが、河童が流れてくるのは想定外だ。放っておくわけにもいかないが、しかし溺れた河童への対処法など知っているはずもない。だいいち河童は溺れるものなのか?
「厄いわ……」
もう一度溜息。よく見れば、河童の少女にははっきり解るほどの厄がまとわりついていた。これでは河で流される程度の不幸で済んだのは僥倖かもしれない。
とりあえず、厄を回収しておこう。雛は少女へとおそるおそる手を伸ばし、
「――びっくりするほどポロロッカッ!」
全く唐突に、少女は跳ね起きた。わけのわからない言葉と一緒に。
「……あれ? ここは?」
ぽかん、と目を見開いて、少女は周囲を見回す。その様子を、雛は口をぱくぱくさせながら、尻餅をついたまま見つめていた。情けないことに、びっくりして腰が抜けた。
「そうだ、確か河で足が滑って……って、あわわわっ」
少女はぽんと手を叩き、それから慌てて背中のリュックを覗きこむ。中をじゃらじゃらと音をたてて掻き回し、大げさに安堵の息をついた。
「はぁ〜、良かった、リュックは無事だぁ……」
そんな目まぐるしい少女の様子を、雛はただただ呆然と見つめて、
そこで、顔を上げた河童の少女と目が合った。
目をぱちくりさせる少女。その視線が何かひどく気まずくて、雛は思わず視線を逸らし、
「えーと……ひょっとして命の恩人さん?」
「え」
「助けてくれたのかな。ありがとねっ」
ずい、と身体を寄せて、少女は雛の手を握る。冷たくて柔らかいその指の感触と、ぐっと近付いた少女の顔に、雛が半ばパニックに陥っていると――少女は不意にポケットをまさぐって、何かを取り出した。
「えと、これあげる」
手渡されたのは、緑色の細長い物体。きゅうりだった。
「美味しいよっ」
「は、はぁ」
にぱ、と笑う少女の顔が眩しくて、雛は俯き気味に視線を逸らす。手の中には瑞々しい緑色のきゅうり。……なんできゅうり?
「っと、里に戻らなきゃっ。じゃあね、ありがとっ!」
実にせわしなく、少女は立ち上がって踵を返す。雛は茫然自失から抜け出せないままに、その背中を見つめて。
――けれど、少女が走りだそうとした瞬間、足元に絡みついた厄が、靴底を滑らせた。
「はぅぁっ!?」
べしゃ、と派手な音をたてて前のめりに少女は転ぶ。
そこでようやく、雛も我に返った。
「あ痛たたた……」
鼻をさする少女の足元に歩み寄ると、そこに絡みついた厄をそっとすくい取る。ちゃんと厄を祓っていないらしく、それなりの量の厄が溜まっていた。これでは、上手くいくこともいかなくなる。
「じっとしていて」
少女の全身にまとわりついた厄を、ゆっくり自分の元へ吸い寄せると、スカートの中に封じ込んだ。……これで、よし。
「これで、大丈夫」
「ほえ」
振り向いた少女は、また目をぱちくりさせる。厄はよほど濃くならない限り普通は目に見えないから、何をされたのかは彼女には解らなかっただろう。ただ、言葉通り憑き物が落ちたような感覚はあるらしく、少女はただ首を捻って。
「んーと、よくわかんないけどありがとねっ。じゃっ!」
ぱっと立ち上がると、今度は転ぶこともなく駆けだしていった。
あっという間に遠ざかるその背中を見送り、雛は大きく息を吐き出す。
「……厄い、わ」
ぺたんとその場に座り込み、雛は胸に手を当てた。
――何故だかひどく、動悸が速かった。
握られた手の感触を思い出す。
水に濡れて冷たい手は、けれど柔らかくて。
すぐ目の前から、自分を見つめてきた視線。
遠巻きに自分を眺める妖怪や妖精のものとは違う、真っ直ぐな瞳。
――何もかも、雛にとっては初めてのものだった。
『ありがとう』
それが、感謝の言葉だということは知っている。
けれど、こんなにも真っ直ぐにかけられたのは初めてだった。
厄神は厄を引き受けて、溜め込む存在。だから厄を祓うと同時に、厄を呼ぶものでもある。――人も妖怪も妖精も、ただ厄を押しつけて、自分を遠巻きに眺めるだけだった。『ありがとう』なんて、誰も言いはしない。流される雛人形はただ流されるだけ。捨てられたもの、見たくないもの、ただのいらないもの――。
『これあげる』
だから、厄以外のものを、誰かから貰うのも、初めてだった。
おそるおそる、雛はそのきゅうりを囓る。
河の水に浸っていたせいか、きゅうりは冷たくて。
「…………」
けれど何か、胸の奥があたたかくて。
その温もりの正体が分からないまま、雛はきゅうりをぼんやりと見つめていた。
◇
淀んだ沼の水がやがて濁り腐るように、厄も留まることでその場所を腐らせていく。
移ろう厄を萃め留めておくのが厄神の仕事。だが、ただ厄を萃めるだけでは、留まった厄が周囲を腐らせてしまう。
故に、留めた厄も「流れ」に乗せておかなければならない。一箇所に留めつつ、厄を流し続ける。それはつまり、同じ所をぐるぐると回し続ける、ということ。淀まぬように水をかき混ぜるのと同じことだ。そうすることで厄は小さな「流れ」に乗り、淀み腐ることなく留めておくことが可能になる。
雛が常にくるくると回っているのは、そういう理由だ。意味も理由もなく回っているわけではない。――本人が、それを意識しているかどうかは別として。
何事につけても、この世には理由が必ず存在する。因果の歯車から抜け出せるものがあるとすれば、因果の境界すら操る妖怪ぐらいのものだろう。しかしその境界を操る行為にも因果がまとわりつくならば、結局は鶏と卵のパラドックスだ。
ともあれ、あらゆることには原因があり、そして結果がある。これは世界の大前提。
それは、幻想郷でも例外ではなく。
そして、因果とは即ち、その出来事のもつ意味である。
――その意味を、個々人が如何に解釈するかは、また別問題としても。
要するに、全ての出来事には意味がある、という話だ。
例えばそれは――全く縁の無さそうな、厄神と河童の偶然の出会いであっても。
◇
翌日も、普段通りに雛は河で厄を回収していた。
常と異なる点があるとすれば、水面に映る自分の表情だろう。困ったような、浮かないような、自分でもいわく形容しがたい表情。
「……今日も、厄いわ」
溜息を吐き出す。脳裏にちらつくのは、昨日この河で拾った河童の少女のことだった。
くるくると変わる表情と、忙しない動作と、――向けられた、笑顔。
それが眩しすぎて、瞼に焼き付いて消えてくれないのだ。
『助けてくれたのかな。ありがとねっ』
耳の奥に甦るのは、彼女の声。
名前も知らない河童の少女。残していったのは一本のきゅうりだけ。もう、会うこともないはずなのに。――どうしてこんなにも、彼女のことばかり、頭から離れないのだろう。
あるいは、心のどこかで期待しているのかもしれない。
また、彼女がこの河を下ってここに来てくれるのではないか、と。
そんなことは、あるはずがないのに。
――周囲に不幸を溜め込んだ厄神に近付く者なんていない、と。
誰から聞かされたのか、それは雛の奥底に刻み込まれた言葉。
厄神という存在は不幸の象徴。不幸に近寄る者などいない。故に、厄神は孤独だ。
そう、だから彼女も、もうここに来ることはない。仮に来たとしても、厄を祓うだけで、自分に近付こうとはしないだろう。それが当たり前、いつも通りのことなのに――、
『美味しいよっ』
浮かんでは消える、彼女の声と笑顔。
それは雛には眩しすぎて、明るすぎて。
だから雛は、全てを振り払うように、首を振って――
木陰からこちらを見つめる、少女と目が合った。
一瞬、時間が止まった気がした。
そこにいたのは、確かに。帽子を被り、重そうなリュックを背負い、やけにポケットの多いスカートを翻した、――昨日の河童の少女だった。
少女は視線が合ったことに気付くと、「はぅっ」と小さく声をあげ、こそこそと別の木へと移動しだす。そしてまたその陰から顔を出し――雛の視線がしっかり自分についていることに気付いて、「あぅぁ」と変な悲鳴をあげた。
「……何をしているの?」
訝しみつつも、おそるおそる雛が声をかけてみると、少女は照れくさそうに頭を掻いて、「おかしいなぁ、なんで見つかっちゃったんだろう」と呟きながら前に歩み出た。――どうしても何も、最初からその姿は丸見えだったのだが。
「えーと、こんにちはっ」
気を取り直すように、少女はにぱっ、と笑う。雛の顔を覗きこむように身を前に乗り出してきたので、思わず雛は一歩後じさってしまった。
「とりあえず、これ」
と、少女はポケットをまさぐり、何かを取り出した。――またきゅうりだった。
「改めて昨日のお礼。助けてくれてありがとねっ」
差し出されたきゅうりと、差し出す少女の顔を、雛は困惑して見比べる。その様子に、少女は少し困ったように眉尻を下げた。
「……きゅうり、嫌いだった?」
「あ……別に、そういうわけじゃ、ないけど」
雛が首を振ってきゅうりを手に取ると、少女はまた満面の笑みになる。眩しい、その笑顔。
「きゅうり、美味しいよねっ」
嬉しそうに何度も頷いて、少女はじっと雛を見つめる。その視線がひどく気恥ずかしくて、雛はくるりとそっぽを向いた。――顔が、何だかひどく熱い。手の中のきゅうりは冷たいのに。
「そういえば、昨日から何だか身体が軽いんだけど、ひょっとして何かしてくれたの?」
と、少女が首を傾げながらそんなことを言う。
はふ、とひとつ息をついて、振り返らないまま雛は答えた。
「……厄が憑いてたから、祓ったのよ」
「厄? あ、このへんに厄神様がいるって聞いてたけど、やっぱり君のことだったんだ」
「――――」
きゅうりをぎゅっと握って、雛は俯く。――そう、自分は厄神。厄を祓い、厄を呼ぶ神。
「知ってるなら……早く帰った方がいいわ」
「ほえ?」
雛の言葉に、少女はきょとんと目を見開く。
「私のそばにいたら、厄が移るもの。……また不幸になるわ」
そうだ。自分がここに溜め込んでいる厄が、また少女にまとわりついてしまう。溜め込んだ厄に、誰かを巻き込んでしまってはいけないから、だから自分は独りでなければならないのだ。――そのはずなのだ。
けれど、「んー?」と少女は腕を組んで首を捻る。
「えーと、昨日、私に憑いてた厄を、君が祓ってくれたんだよね」
「……ええ」
「で、君の近くにいると、厄が移るの?」
「そうよ。……目に見えるぐらい、厄が溜まってるでしょう」
障気のような厄の塊が、雛の周囲には漂っている。こんなものがまとわりついてしまう前に、早くここから立ち去らないと、さもないと――
「んー? よくわかんないけど、厄が憑いたらまた君が祓ってくれればいいんじゃないの?」
「……え?」
思いがけない言葉に、雛は思わず振り向く。
「だから、君の近くにいて新しい厄が憑いても、帰るときに君が昨日みたいに祓ってくれれば、何も問題無いよね? ……何か間違ったこと言ってるかな?」
――え? え、でも、だって……あれ?
思考が混乱して、雛は目を白黒させる。――だって、厄が移るといけないから、でも祓えばいいって、確かに祓えるわけだけど、あれ、だけどそれじゃ――あれ?
パニックに陥った雛を、少女は不思議そうに見つめる。雛より少し低い位置からの視線は真っ直ぐで、その視線に何かが崩れていくような感覚をおぼえた。
「で、でも、これだけの厄が近くにあれば、それだけで不幸になるわ」
「んーと、じゃあ厄神様は? その厄の真ん中にいて、不幸なのかな?」
「――――」
自分が不幸か? ……解らない。不幸、という概念が、雛には実感として理解できない。
ただ、厄の影響は自分には及ばない。そのことは知っている。厄の流れの中心にいるから。ちょうど台風の目のようなものだ。ぐるぐる循環する厄の流れは留まらないから、その中心にいる自分には厄がまとわりつくことはない――
雛がそんなことをつっかえながら答えると、少女はまたにぱっ、と満面の笑みを浮かべた。
「じゃあ、厄神様のすぐそばにいれば安心だねっ」
――そして、まるで飛びつくように、少女は雛の腕にぶら下がった。
「ぁ……」
急に触れてきた柔らかさと、少女の冷たい手の感触に、心臓が跳ねる。かーっ、と顔が熱くなって、雛は見上げる少女の視線から目を逸らした。けれど、腕にしがみついた少女の感触は離れなくて、心臓はどんどん鼓動を早くして、
「……それとも、迷惑かな」
不意に、少女の声が弱々しくなる。見やれば、少女は小さく俯いて。しがみついていた腕を、そっと放そうとして――
思わず、雛はその手を握りしめていた。
「ほぇ」
顔を上げた少女は、きょとんと雛を見つめて。雛はどうしていいか解らず、しばらく口をぱくぱくさせて――それから、きゅっと少女の冷たい手を握り直した。
「……そんなこと、ないわ」
結局、ようやく捻り出せたのはたったそれだけの言葉。
――だけど、答えはそれだけで充分だったのかもしれない。
「なら、友達になろう」
少女の言葉に、雛は目を見開く。少女ははにかんで、雛の手を強く握り返して。
「友達。ね?」
首を傾げてみせるその姿は愛らしく、笑顔はどこまでも明るく眩しくて――。
「とも……だち」
その言葉の意味を確かめるように、雛は呟く。
知識としては知っている。友達。一緒におしゃべりしたり、遊んだりする相手。――そんな風に、知識としてしか知らない存在。自分には、縁がないと思っていた、存在。
目の前の少女と、友達になる。
その意味とか、やり方とか、雛にはよく解らなかったけれど。
――ともだち、という言葉の響きが、なぜだかとても、心地よくて。
「私で……いいの?」
「うんっ」
いっそ気持ちいいほどの即答で、少女は飛び跳ねるように雛の手を揺さぶる。
「えへへ、友達っ。よろしくね、えと――」
と、急に口ごもり、少女は困ったように首を傾げた。
「えと、……名前、聞いてなかったや」
たはは、と頬を掻いて、少女は苦笑する。雛も、そんな様子に小さく笑みを漏らした。
ともだち。――その言葉の在り方は、まだよく解らないけれど。
目の前の少女の手を、離したくないという今の気持ちは、大切なものな気がしたから。
「……雛。鍵山、雛」
あるいは、誰かに名乗ったのも、これが初めてだったかもしれない。
誰も自分の名前を呼ばないから、名前の意味も、知らずにいた――。
「ひな。……雛」
確かめるように、少女はその名前を繰り返す。少女の唇が、ひな、という2文字を紡ぐことがひどくこそばゆくて、雛は小さく吐息を漏らして。
「私、にとり。谷カッパの河城にとり。――よろしくね、雛っ」
そして少女も、今までで一番の笑顔で、そう名乗った。
「……にと、り」
雛も、一文字一文字を確認するように、その名前を呟く。
ただそれだけで、身体がほっと暖かくなった気がした。
「うんっ」
――にとり。にとり。……にとり。
口の中だけで、その名前を繰り返して。雛は、そこで初めて悟る。
名前というものは、きっとこんな風に、呼び合うためにあるのだと。
呼び合うだけで、こんなにも――心の奥が、暖かくなるから。
「雛」
「……にとり」
――ああ、そうか。こういうのが、幸せなんだ。
えへへ、と互いに笑い合って、名前を呼び合うだけで、どうしてこんなに幸せなんだろう。
その理由は解らなかったけれど、今はただ、それだけで充分だった。
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雛編 Stage2へ
⇒ こじたん (11/17)
⇒ 浅木原 (11/16)
⇒ こじたん (11/16)
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⇒ 置き石 (10/14)
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⇒ 六仁祝 (08/27)
⇒ はまなす (06/20)
⇒ 橘 奏 (08/10)