東方野球in熱スタ2007異聞「神奈子様の初恋」
2008.05.06 Tuesday | category:東方SS(東方野球)
大ちゃんの話の後編が上がる前にこっちが出来てしまったので公開。28話のあのネタです。話自体は最終回アフター。なお件の大投手に関する記述はwikipediaや『その時歴史が動いた』等を参考にしております。
結局、早苗は本当に境内にマウンドを作ってしまった。
「いきますよ、神奈子様」
「ああ、思いっきり投げな」
ひとつ頷き、早苗は大きく振りかぶる。細い身体がしなり、思い切り振り抜かれた腕から、放たれる白球。それは真っ直ぐに綺麗な軌道を描いて、乾いた音とともに神奈子の構えたミットに収まった。
「なかなかサマになってきたじゃないかい」
返球を受け取り、早苗ははにかむ。奇跡の力で色々と過程を多少すっ飛ばしているとはいえ、早苗自身が努力していることは確かだから、神奈子も止める気は無かった。相変わらず方向性は間違っているけれど。
諏訪子の方は「やっぱり止めた方がいいんじゃ」などと言うが、野球を通じて麓の巫女や白黒の魔女あたりが友達になってくれるかもしれない。こちらの責任も大きいとはいえ、早苗の浮世離れ、同年代の友達のいないことを気に掛けていた神奈子としては、これがその一歩になればいいと思っていた。
「連中、投手陣はタイトル無しでしたからね。絶対に負けませんよ。目指すは沢村賞です」
「また大きく出たねえ」
あのタートルズの投手陣でも、タイトル獲得者は結局ゼロである。まあ、目標を高く持つのはいいことだ。――その方向が多少変に曲がってしまっているとしても。
「そういえば、神奈子様」
「うん?」
「沢村賞の沢村って、確か昔の大投手の名前からでしたよね? えっと――」
「……沢村栄治」
微かに目を細めて、神奈子は呟く。――それは本当に、懐かしい名前だった。
「そうそう、それです。どんな投手だったのか、神奈子様、ご存じだったりします?」
「――――」
刹那、脳裏に浮かんだのは、たった70年ほど前の光景。陽光を背に、高く左足を振り上げた、あの独特のフォーム。
「……懐かしいね。じゃあちょっと、休憩がてら昔話でもしようか」
立ち上がり、マスクを外して神奈子はひとつ息をつく。
社の階段に腰を下ろすと、タオルで汗を拭いながら、静かに語り始めた。
「そう、あれは70年と少し前の秋のことだったね――」
◇
まだ、日本にプロ野球が無かった頃の話さ。もちろん巨人も阪神もない。学生野球の華やかなりし頃だね。華の早慶戦ってやつさ。
私もね、野球って遊びが人間たちの間で流行ってるってのは知ってたけれど、ルールもよく知らなくてね。変わったものが流行るもんだね、なんて思いながら眺めてたのさ。
そんな頃だったね。麓の方に、やたら人の萃まってる気配があってね。退屈だったものだからちょいとお忍びで降りてみたのさ。聞こえてくる話をまとめると、どうもアメリカの方から野球チームがきて、日本の選抜チームと試合してるらしい。わざわざあの変な遊びのために海を渡ってくるなんて、ご苦労なもんだねえ、なんて思ったもんさ。それで冷やかし半分に、試合の行われる球場に行ってみたわけだよ。
球場は大入りでね、神社にゃ滅多に無いような熱気に包まれててね。スタンドから見下ろしてみれば、アメリカの選手と日本の選手が並んでるわけだよ。これがもう、大人と子供みたいなもんさ。アメリカの選手はみんな太くて大きくてね、見ただけでこりゃあ敵わないねと私でも悟るぐらいさ。実際、そこまで日本選抜は9連敗中だったって話だしね。
そんな日本選抜の中にも、特に細っこいがいてね。どう見ても早苗と同い年ぐらいなんだよ。あんな子供が何してるんだい、と思ってたら、試合が始まるとその子供がマウンドに上がったもんだからたまげたね。投手が投げて打者が打って多く点を取った方が勝ち、ぐらいのことは私も知ってたからね。あんな子供じゃ何点取られるか解ったもんじゃないねえ、なんて思ってたわけさ。
――そう、そのときマウンドに上がったのが、沢村栄治さ。
ん、それで実際どうだったのかって? まあまあ焦るんじゃないよ。話はこれからさ。
周りの話を聞きかじって、色々情報を萃めたんだけどね。日本の沢村って投手はまだ17で、何日か前にボコボコに打たれたって話だった。で、アメリカの方はそれこそ国を代表するようなスター選手揃いってことでね。残酷なもんだねえ、なんて思ってたんだけどね。
彼が投げた瞬間、みんな目を丸くしたのを覚えてるよ。
私もね、一瞬何が起こったのか解らなかったね。そのぐらい速い球だった。
え? あの白黒とどっちが速いかって? さあ、そりゃ解らんね。案外、今ならごくごく普通の球だったのかもしれないさ。けどね、少なくとも私を含めて、球場にいたみんなが呆気に取られたね。もちろんバッターもさ。
それでね、頭一つ大きいようなアメリカのバッターを、バッサバッサと三振に切っていくんだよ。上ずるみたいなストレートとね、大きく落ちるドロップ……今で言う縦のカーブかね。その2種類の球だけで、相手のバットがくるくる回るのさ。当たってもボテボテだよ。丸太みたいな腕した連中が、全然遠くに飛ばせないのさ。
こうね、左足を顔の高さまで振り上げてね。そこからこう、腕がまるで竹みたいにしなるのさ。びゅんっ、て腕が空気を切る音が聞こえてきそうな勢いでね。細いのにどんな足腰してるんだい、ってぐらい力強くマウンドを踏みしめてね、ズバン、ってミットに投げ込むのさ。昔は安物のミットだったからね、捕ってるキャッチャーは大変だったんじゃないかね。
結局ね、向こうの4番にホームラン1本打たれたんだけど、失点はそれだけさ。1失点完投。だけど打線の方が相手に抑えられてね、0-1で負けてしまった。それでもみんな、総立ちで拍手を贈ったもんさ。アメリカ相手に、日本の投手がほとんど完璧に抑えこんだんだ。誰もね、日本がアメリカに敵うわけがない、って思ってたんだろうね。あの人のピッチングのことでしばらくはもちきりだったもんさ。
今でも鮮明に思い出せるよ。太陽を背にしてね、マウンドで振りかぶる沢村がね。――私もね、年甲斐もなく興奮しちまってね。変な球遊びじゃなく、野球ってスポーツが人間たちの中にあるんだ、それはこんなにも面白いもんなんだって、その時初めて知ったのさ。
それから少ししてね、今で言うプロ野球ってのが出来た。東京巨人軍、大阪タイガース、名古屋軍、東京セネタース、名古屋金鯱軍、それに阪急軍と大東京軍。後から大和軍と南海も加わったね。
中でもね、やっぱりあの日本選抜チームが元になった巨人が強かった。スタルヒン、中尾、藤本、三原、中島、田部、吉原……凄い選手がたくさんいてね。けどその中でもやっぱり、あの人は、沢村は輝いてたね。アメリカの強打者が打てなかったストレートとドロップだ、日本の打者なんてみんなキリキリ舞いさ。まぁ、たまにフォアボール連発するのはご愛嬌だったけどね。みんな沢村に憧れて、左足を振り上げて投げてみるんだけど、誰もマトモに投げられたもんじゃない。誰も真似できないフォームで、誰も真似できないボールを投げる沢村は、マウンドの英雄だった。
けどね、そんな英雄がボールを投げさせてもらえない時代があったんだよ。……知ってるだろう? 戦争ってやつさ。
全くね、私もとやかく言えた義理じゃないけどね……。けどね、これだけは言えるよ。あの人の肩はね、手榴弾を投げるためにあったんじゃない。白球をミットに投げ込むためにあったんだ。そのボールでね、球場に詰めかけた私らを、熱くたぎらせてくれる。そのためにあったんだよ。――人を殺すためにあったんじゃ、ないんだよ。
でも、あの人は戦争に呼ばれてしまった。それでね、何より大事な肩を痛めてしまったんだよ。帰ってきたときには、もうあの速球は影を潜めてね。あの左足を高く上げるフォームも出来なくなってしまってた。それでもね、コントロールだけは残ったんだ。だからあの人は諦めずに、自分の武器を変えて投げ続けた。マラリアにやられて、マウンドで倒れることすらあったってのにね……。あのフォームが、あの速球が見られなくなっても、沢村栄治はやっぱりみんなのヒーローだったさ。
けど、残酷なもんさ。二度目の召集から帰ってきたときには、生命線だったコントロールすら無くしちまってね。とうとう下手投げにしてまで、何とかやっていこうとしてたんだけどね。アメリカの大打者を翻弄した沢村栄治の姿は、もうどこにも無かった。
何でだろうね。他にもたくさんの選手が戦争に呼ばれて、身体を壊したり、命を落としたりしてね。景浦、石丸、林、吉原に田部も……。なんで野球が好きで、野球をしたかっただけの人間に、それが許されなかったのかね、あの時代は。私の力であの人の肩を治せたら、なんてことを思ったりもしたもんさ。でも、それは無理でね。――結局、あの人は……三度目の召集からは、帰ってこなかった。
戦争が終わって、プロ野球が再開されてもね、後楽園のマウンドにあの人はいなかった。沢村栄治はね、伝説になっちまったのさ。もう誰の手も届かない、正真正銘の伝説さ。……神がね、人間を信仰しちまうなんて、滑稽な話だよ。だから私はね、いつまでも覚えておこうと思うのさ。あの人の球を、あの人のマウンドでの姿を知る人間が誰も居なくなって、沢村栄治の名前が本当に、完全な伝説になってしまっても……私だけは、あの人の球を、あの人の姿を覚えている。生きた沢村栄治の、生きた球をね。いつまでもこの目に焼き付けておこうと思うのさ。あの秋の日、神の私に知らない世界を教えてくれたあの人への、それが私の恩返し。――つまらないことだけね。
◇
「……って、なんだい、なんであんたが泣いてんだい」
語り終えて振り返ってみれば、早苗がぽろぽろ涙をこぼしていた。
呆れたように息をつき、その涙を拭ってやると、早苗は小さく嗚咽して、「ずびばせん」と鼻声で謝る。
「神奈子様が野球に詳しかったのは、そういう背景があったからなんですね……。私、何も知らなくて、神奈子様にとって大切な野球を――」
「はい、そこまで。早苗が何も気にすることじゃないさ」
ぽん、と早苗の頭に手を載せて、神奈子は苦笑する。
「今のは私の、つまらない思い出話。早苗には関係のない話さ。……野球、楽しいかい?」
「……はい」
こくりと頷く早苗に、神奈子は笑って。
「なら、楽しみな。お前さんも、この間の件で解っただろう? あの連中の野球には“心”がある、って。その“心”ってのは、つまりそういうことさ」
「……楽しむ、こと?」
「そう、みんな野球が好きだから、野球が楽しくて、野球がやめられないのさ。――今のお前さんなら、解るだろう?」
そして神奈子は、グラブとボールを早苗に手渡す。
「ほら、休憩は終わりだよ。沢村賞を獲るって宣言したんだ、しっかりやってもらわなきゃ、いち沢村栄治ファンとして黙っちゃいられないからね?」
「――――はいっ!」
立ち上がる神奈子の背中を追って、早苗も駆け出す。
――結局、野球に夢中なのは自分の方なのかもしれない。
そんな自分に苦笑しつつも、それも悪くないと思いながら、神奈子はマスクを被った。
マウンドには、振りかぶる早苗の姿。その姿は、あの人と被りはしないけれど。
彼がボールに込めた想いは、同じマウンドから、受け継がれていくのだろう。
たとえ彼の名が幻想になっても。野球への想いは、きっと――。
◇
沢村栄治。
生涯通算成績、105試合63勝22敗、防御率1.74。
神々も恋した大投手、と呼ばれたか否かは、定かではない。
*参考
Wikipedia - 沢村栄治
-不滅の大投手-沢村栄治記念館
『その時歴史が動いた』より「世紀の対決 沢村vsベーブ・ルース 〜日本プロ野球誕生の時〜」(youtube)
Comment
BGMを「神々が恋した幻想郷」にしてじっくり読ませていただきました。
読んでから沢村栄治の偉大さと涙が込み上げてきました。
これからもSS頑張ってください。ファンとして応援します。
読んでから沢村栄治の偉大さと涙が込み上げてきました。
これからもSS頑張ってください。ファンとして応援します。
Posted by: 雷降 |at: 2008/05/08 3:34 AM
連続コメですいません orz(土下座
28話終わって直ぐ来ました。
お酒入ってるせいか涙が止まりません。
感動をありがとうございました。
冬コミ作業大変なようですが、体調に気をつけて頑張って下さい。
28話終わって直ぐ来ました。
お酒入ってるせいか涙が止まりません。
感動をありがとうございました。
冬コミ作業大変なようですが、体調に気をつけて頑張って下さい。
Posted by: |at: 2008/11/14 10:26 PM
野球が出来る喜びを再確認できました。
ありがとう。
ありがとう。
Posted by: sss |at: 2009/02/01 11:35 PM
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