ストラトスフィアの少女(4)
2008.02.02 Saturday | category:なのはSS(その他)
◆
その世界は、長い間争いを繰り返していた。
たくさんの血を流し、たくさんの悲しみを生み、たくさんの憎しみを宿してなお、戦いは終わらなかった。
何のために戦っているのか。
誰のために戦っているのか。
もう、誰もそれを思い出せなかった。
ただ――殺し合うために、殺し合っていた。
そんな世界の片隅に、ひとりの老いた科学者がいた。
科学者には最愛の息子がいた。父の知性と、母の優しさを受け継いだ、自慢の息子だった。
けれどその息子は、戦場で帰らぬ人となった。
科学者は悲しみ、嘆き、戦争を憎んだ。
息子を奪った戦争を、終わらせなければいけない。
こんな無意味な殺し合いは、止めなければならない。
――そして科学者は、それを作り出した。
碧の髪と碧の瞳。自由に空を舞い、歌う、機械の人形。
蒼穹の歌姫。
少女が奏でる旋律は、平和の果てしなき祈り。
その歌声は、『意志』ある全てに作用する。
人工知能を搭載した機器は元より、ヒトにさえも。
少女の歌声は、全ての『意志』に介入し。
その『意志』を、単一のものへと書き換える。
――平和へ。
戦いを止め、争いを無くす。そんな『意志』へ。
そして、少女はひっそりと大空へと飛び立った。
蒼穹の彼方、成層圏から少女は歌う。
歌声は風に乗り、全世界へと響き渡る。
――そして、この世から争いは消える。
そのはずだった。
しかし、偶然の出会いが、歯車を狂わせる。
編隊からはぐれた一機の戦闘機。
ラースタチュカ――燕の名を与えられたその機体が。
飛行中の歌姫を見つけたことが――事態を動かす。
「女の子が、空を飛んでいたんだ。ひどく寂しそうに歌っていた――」
パイロットの少年の言葉は、最初こそ酸欠で見た幻覚、笑い話として片付けられた。
しかし、各地の戦場で、歌声とともに戦闘機がその戦闘機能を停止してしまう事態が多発。そして、科学者が逮捕されたことにより、歌姫の存在は露見した。
歌声からシステムを防御するプログラムが組まれ、《歌姫》撃墜作戦が始まる。その編隊の中に、最初に《歌姫》を発見した少年パイロットの姿もあった。
そして、成層圏を上昇し続ける歌姫の元へ編隊は辿りつき、機銃が歌姫へと向けられる。
――しかし、先に火を噴いたのは、《歌姫》へ向けた銃口ではなく。最後尾を飛んでいた少年の機体が、味方へと向けた機銃だった。
《――ラースタチュカ8、血迷ったか!?》
《ああ、血迷ったんだ。僕は――歌姫に!》
少女の目の前で始まる戦い。彼女の歌声が響く中で、次々と墜ちていく機体。歌うことしか出来ない彼女には、それをどうすることも出来ず。
――そして、ただ一機で歌姫を守ろうとした少年の機体が、ついに火を噴いた。
墜ちていく、燕の名を与えられた機体。
その中で、少年はただ叫んだ。
『Ad astra』――と。
その言葉を最後に残して――少年の機体は爆散する。
そして、残った機体が、歌姫へと銃口を向け、
――歌姫はただ、一筋の雫をこぼして、歌った。
《Ласточка》――墜ちた燕の名を。
その歌声はあまりに強く、あまりに悲しく――
防御プログラムなど容易く貫いて、戦闘機は次々とコントロールを失って墜ちていく。
そして歌姫は――ただ、燕の残した最期の言葉のままに、高く高くへと飛び立った。ストラトスフィアの向こう、空の果ての向こう側を目指して――
その後、歌姫がどうなったのか、記録には残されていない。ただ確かなことは、その世界では結局戦争は止むことはなく、やがて何の意味もなく、世界は滅びた。
――その後、他の世界で、奇妙な現象が観測され始める。
空から聞こえる、ひどく悲しい歌声。
その歌声は、あらゆるシステムに介入し、その機能を一時的に停止させ――その果てに、ヒトの《意志》にさえ介入する。
介入は永続せず、歌声の消失とともに人々は我を取り戻しそれ以上の影響は残さない。
そして各地に、伝説だけが残っていく。
蒼穹の果てで歌う少女。次元を放浪する悲しき歌姫――その伝説だけが。
ただそれだけの、お伽話。
◇
「歌姫の残骸は、見つからなかったそうだよ」
手渡されたスープは温かく、その熱でようやく、指先の感覚が戻ったような気がして、なのはは息をついた。
ミッドチルダ地上本部医務局。病室で目を覚ましたなのはに付き添っていたのは、ユーノだった。
「あの歌姫は、いくつもの世界に現れては消えている。その理由は、はっきりとはしていないけれど……。今回の件で、なんとなく推測がついた。――たぶん、闇の書と同じで、転生を繰り返しているんだ」
「転生……」
破壊されると、白紙となって別の世界に転生し、新たな主の元で再び蒐集を行っていた闇の書。それと同様に、あの歌姫も転生を繰り返しているとしたら、
「それって、つまり……」
「うん。――たぶん、あの歌姫は、大気圏を突破することが出来ないんだ。どれだけ高く飛ぼうとしても、いずれ大気の中で燃え尽きてしまって、……そしてまた、別の世界に転生して、空の彼方を目指す。……無限にそれを繰り返し続けている」
ユーノの言葉に、なのははカップをぎゅっと握る。
その熱が痛みのように、なのはの手のひらを痺れさせた。
「……ねえ、ユーノくん」
ふと、なのはは口にする。
「アド・アストラ……って、どういう意味か解る?」
その問いかけに、ユーノは軽く目を見開いた。
「どうして、そんな言葉を……?」
「……あの歌を、すぐ近くで聴いたとき、……歌姫さんの記憶を、見たの。その中で――ひとりぼっちだった歌姫さんが出会った、ツバメが。……その言葉を、くれたの」
訥々と語るなのはの言葉は、あの共有した記憶の全てを語りきることは出来なかったけれど。
ユーノは小さく鼻を慣らして。
……そして、耳慣れない異国の言葉を、呟いた。
「Per aspera ad astra.――スクライアの部族にいた頃、発掘で出向いた世界で聞いた言葉だ」
――ペル・アスペラ・アド・アストラ。
その響きを、なのはは口の中で繰り返した。
「Perは、貫いて。asperaは、困難な。adは、その方向へ。astraは、星や天。――繋げると、困難を貫いて、天の方へ。困難を乗り越えて栄光を掴め、っていう格言だよ」
「天の、方へ――」
ああ、そうか。
だから歌姫は、天高くを目指していたんだ。
愛おしいツバメが、それを願ったから。
――そして、きっと、その先に。
ラースタチュカと、再び会えると――
「なのはっ」
不意に、ドアの開く音と、聞き慣れた声。振り返れば、フェイトが病室に駆け込んでくるところだった。
「フェイトちゃん」
「あ、じゃあ、僕はこれで。……お大事に、なのは」
入れ替わりにユーノが席を立つ。その背中を見送って、それからなのはは、フェイトに向き直った。
「なのは……大丈夫?」
「うん、平気。何ともなってないよ」
にゃはは、となのははいつものように笑ってみせる。
けれど、目の前のフェイトの表情は晴れず。
……なのはも、小さく苦笑した。
「ねえ、フェイトちゃん。……フェイトちゃんは、空を飛ぶの、好き?」
その問いかけに、フェイトはどう答えていいか解らず、口ごもった。……フェイトにとっては、空を飛ぶのは別に特別なことでもなく、好きとか嫌いとか、そういう基準で分けることではなかったから。
「わたしは……空を飛ぶのが好き」
フェイトの答えを求めていたわけではなかったようで、なのはは訥々と言葉を続ける。
「だけど……ときどき、ちょっと、怖くなるの」
ふっとフェイトから視線を外して、なのはは病室の窓に目を向けた。そこから見えるのは、四角く切り取られた青空。ゆったりと雲の流れる、どこにでもある、ただの青空。
「空が、あまりに果てしなさすぎて。どこまでもどこまでも飛んでいけそうで――だけど、どこにも辿り着けなさそうで。気が付いたら、わたしはひとりぼっちになってるんじゃないか。空の中で、たったひとり、迷子になっているんじゃないかって――不安に、なるの」
ああ、そうだ。
だから――歌姫のお話を、聞かせてほしかったのだ。
たったひとりで、なのはも届かない成層圏の高みを舞う、蒼穹の歌姫に。
――空の彼方は、どんなところですか、と。
寂しくは、ありませんか。
悲しくは、ありませんか――と。
「空は広くて、広すぎて、わたしは、どこへ飛べるんだろうって。……ちっぽけなわたしが、あの空の中で、どこに辿り着けるんだろう。ひとりきりで、ただ、真っ青な空の奈落に、墜ちていくしかないんじゃないかって――」
そう。果てがないならば――空は、奈落だ。
墜ちていくのと、何も変わらない。
空の果てに燃え尽きて消えるか、
大地に叩きつけられて砕け散るか、
それだけの違いでしか――ない。
だとしたら、そこにどんな希望があるだろう。
無限に空の彼方を目指し続けるしか出来ない、歌姫のように。――そこには、希望なんて、
「……なのは」
突然、あたたかな感触が、なのはを包み込んだ。
それが、自分を抱きしめるフェイトの腕だということを理解するのに、なのはは少しの時間を要して。
「大丈夫だよ」
耳元で囁かれるのは、愛おしい人の言葉。
「私が、なのはの隣にいるから」
頬に触れる優しい手の感触に、なのはは目を細めて。
「なのはは、ひとりじゃない。……私が、なのはと一緒に飛ぶから。なのはと同じ空を、なのはの隣で飛ぶから。だから、なのははひとりぼっちじゃない」
こつん、と額と額がぶつかりあって。
フェイトの瞳が、優しくなのはを見つめる。
「――どれだけ空が果てしなくても、なのはがその中で迷子になっても。私が必ず、君を見つけるから。なのはの空を、孤独になんかしない。――私が、君のそばにいる」
「……フェイト、ちゃん」
「なのはの空を――私にも、分けてくれるかな」
そう言って、フェイトは微笑んで。
なのはの手を、ぎゅっと握りしめた。
その手の温もりは、どんなものよりも確かで。
だから、なのはは。
「……うんっ」
少しだけ、震えた声で、そう頷いて。
そっと、フェイトの胸元に、額を寄せた。
髪を撫でるフェイトの手の優しさを感じながら。
囁くのは、微かな旋律。
――ラースタチュカ。
君が、わたしの、愛おしい、ラースタチュカなんだ。
青空は、どこまでも果てしなく。
世界の彼方まで、続いていて。
吹き抜ける風は、ストラトスフィアも越えて。
その果てへと、いつか届くだろうか。
あの歌声はもう、聞こえないけれど。
"Fall into the Stratosphere" closed.
Comment
なのはが独白する空についての思いは切ないですね。
最後に締めてくれたフェイトは流石です。
………ユーノ、もう少し頑張ろうぜ…
次回作ですかー、次はどんな話か楽しみです。
最後に締めてくれたフェイトは流石です。
………ユーノ、もう少し頑張ろうぜ…
次回作ですかー、次はどんな話か楽しみです。
Posted by: T |at: 2008/02/03 8:50 AM
おー、これは。
ミクの孤独、なのはの心の奥の不安、フェイトの暖かさ、そしてユーノの哀愁とがなんともいえない余韻を感じさせる締め。
最後のは特にw
ミクの孤独、なのはの心の奥の不安、フェイトの暖かさ、そしてユーノの哀愁とがなんともいえない余韻を感じさせる締め。
最後のは特にw
Posted by: JollyRoger |at: 2008/02/03 5:07 PM
完結お疲れ様です
ACとか空好き、ストラトスフィア好きな私は読んでて何故か泣いてました^^;
とっても良かったですーヽ(´▽`)/
ACとか空好き、ストラトスフィア好きな私は読んでて何故か泣いてました^^;
とっても良かったですーヽ(´▽`)/
Posted by: 時祭 |at: 2008/02/03 10:32 PM
目から汗が出てきました。
また、どこかに歌姫は転生するんでしょうか。そしてまた歌い続けるのでしょうか。そう考えると哀しい物語ですね。
そして、ユーノ……こちらも哀しいです(別の意味で)。
素晴らしいSSでした! 次も楽しみにしてます。
つまらない疑問ですけど、ペル・アスペラ・アド・アストラって、どこの言葉ですか?
また、どこかに歌姫は転生するんでしょうか。そしてまた歌い続けるのでしょうか。そう考えると哀しい物語ですね。
そして、ユーノ……こちらも哀しいです(別の意味で)。
素晴らしいSSでした! 次も楽しみにしてます。
つまらない疑問ですけど、ペル・アスペラ・アド・アストラって、どこの言葉ですか?
Posted by: なかざわ |at: 2008/02/03 11:19 PM
>Tさん
というわけで、なのは×ミクと見せかけてフェイト×なのはな話でした(ぇー
淫獣は我が身を弁えているというかあの場に居続けても立場が無いというか(ry
次はデPのあの曲です。削除されたヤツじゃないですよ?w
>JollyRogerさん
淫獣の哀愁溢れる背中をぽんと叩くエイミィさん一名(ry
>時祭さん
涙腺を刺激する話になってましたか?(汗
初回掲載時に多くの人に期待されてた方向とは違う話になったのは確かだと思うのですがw お楽しみ頂けましたなら何よりです〜。
>なかざわさん
なのは×ミクシリーズは基本的に哀愁の物語です。たぶん。それにしても何でみんなそんなに淫獣に言及するんですかw
ともかく、お楽しみ頂けましたなら幸いです〜。
あと、「ペル・アスペラ・アド・アストラ」はラテン語ですね。
というわけで、なのは×ミクと見せかけてフェイト×なのはな話でした(ぇー
淫獣は我が身を弁えているというかあの場に居続けても立場が無いというか(ry
次はデPのあの曲です。削除されたヤツじゃないですよ?w
>JollyRogerさん
淫獣の哀愁溢れる背中をぽんと叩くエイミィさん一名(ry
>時祭さん
涙腺を刺激する話になってましたか?(汗
初回掲載時に多くの人に期待されてた方向とは違う話になったのは確かだと思うのですがw お楽しみ頂けましたなら何よりです〜。
>なかざわさん
なのは×ミクシリーズは基本的に哀愁の物語です。たぶん。それにしても何でみんなそんなに淫獣に言及するんですかw
ともかく、お楽しみ頂けましたなら幸いです〜。
あと、「ペル・アスペラ・アド・アストラ」はラテン語ですね。
Posted by: 浅木原忍 |at: 2008/02/03 11:25 PM
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