魔法少女リリカルなのはFROZEN 第1話「流転-Returning End-」(1)
2007.08.01 Wednesday | category:投稿SS(FROZEN)
*注意*本作は「魔法少女リリカルなのはBURNING」の三次創作です。本編のネタバレを大いに含むため、先に「なのはBURNING」を読まれることを推奨致します。
というわけで、沈月さんによるBURNING三次創作連載長編がスタートですよ!
というわけで、沈月さんによるBURNING三次創作連載長編がスタートですよ!
――闇が、そこにあった。
光という印象、距離という概念、時間という定義……そこには何も無く、ただ“無”だけが存在していた。
否、それは矛盾だ。
“無い”が有るなどという事象は、精々が常では理解し難い哲学の中くらいでしか有り得ない。
故に、そこにはもう一つの事実がある、と言えるのだろう。
――そこには、自分というモノ以外には何も無い、と。
朧げに浮かぶ自分の姿、虚ろに響く自分の声。奈落の底の更に底で……彼女はただ、孤独感に苛まれながら膝を抱え、無力感に打ちひしがれながら震えていた。
「……アリサ、ちゃん」
もう何度目か。呟くようなその呼びかけは、今や己の耳にさえ届かない。
これが終わりなのか、と。ふいに、そんな考えが頭を過ぎった。
嗚呼、成程。確かに道理だ。長く、これほどまでに圧倒的な無に浸されていれば……何か、人として、存在としての何かがひどく希薄になってしまうのも頷ける。
ならば今の自分は、紅茶に融ける砂糖のようなものか――そう考えると、何だか無性におかしくなった。
こんな、誰が飲むはずもない紅茶に砂糖を入れた誰かの酔狂さもさることながら、こうして律儀に融けようとしている自分自身も。
――いや、違う。
自分がここでこうしているのは、ただ律儀なせいか。それだけなのだろうか。
そうじゃない……そんな気がする。ならば、何だろう。
惰性? そうかも知れない。抗えない何かに流されるまま流されて、今此処に在る。それは事実だ。
だが、本当にそうだろうか。その“何か”は、本当に抗えないものだったのだろうか。
――違う、と思う。
その証拠に、ほら。
自分は――わたしは、今、こうして無力感に打ちひしがれてる。
抗えない何かに直面してしまったせいで感じる絶望じゃない、抗えたはずの何かに抗い切れなかったからこその、無力感に。
――ああ、だから……なんだ。
こんなにも悔しいのは。
たとえここに、自分一人しかいないのだとしても……それでも、自分だけはここにいて。
今となってはもう、どうすることもできないとわかっていても……諦められなくて。
こんなにも身を焦がす、とうに失ってしまったはずの……それ。
――冷めない、熱が……わたしの心の深いところで、燻っているのは。
ああ、そうだ。そうなんだ。此処にはそれが、確かに在る。
とてもとても小さいけれど、決して我が身が消えることを潔しとしない、希望のような光が。
とてもとても脆いけれど、それでも敢然と終わりに抗おうとする、命のような炎が。
――確かに、在るんだ。
そう気付いた瞬間、わたしは全てを知覚し、自覚した。
ここは内側。閉ざしていたのは、『世界がわたしを』じゃなく、『わたしが世界』だったということ。
ここは内面。わたしというヒトの意識の、心の、内面。この闇は、きっと……絶望なんだ。
――だから、
膝を固く固く抱いて自らを拘束していた心という名の腕が解け、地面など、重力などという概念すら存在しないそこを、しっかりと自分自身の二本の意思という名の足で踏みしめたわたしの目に映る――光。
あれはきっと、希望。
それはひどく儚く、あまりにも遠い輝きだけれど。確かに在る。
それは出口。自らを閉じ込めていたわたしが唯一開いた、ほんの微かな、希望の光。
――ここはもう、閉ざされてなんていない。
◇
魔法少女リリカルなのはFROZEN
第一話 「流転-Returning End-」
◇
追憶に沈む意識を現実へと引き戻したのは、鍋の中で煮立つ粘性の液体を連想させる、ぼこぼこというくぐもった音だった。
「――っ!」
とぼとぼと葬列に加わる者の一人のような沈痛な面持ちで、廃墟めいた無人の町並みを歩いていた少女は、はっと我に返り、顔を上げた。
見れば眼前、ほんの数メートル先のコンクリートの地面を突き破りながら、何十倍にも早回しにしたような異常な速度で、歪にねじくれた木の根のようなものその先端を覗かせていた。
「…………」
ぼこぼこと、まるで悪い魔女が掻き混ぜる、緑色の液体が満ちた鍋のような音を立てるそれを、少女はまるで恋人の仇でも見るような目付きで睨み付け――そして、その手で腰に提げられた何かを掴み、すらりと抜き放った。
曇天に覆われた灰色の空の下にあって尚、目も眩むほどの輝きを放つ純白。少女が手にした、それは刀だった。
芸術の域に達した名刀を前に、人は言う。常に清らかな水に濡れたように、妖しい輝きを放つ刀身と。であれば、少女の華奢な手に握られたそれもまた、同じ印象を見る者に抱かせるだろう。唯一異なるのは、その刀身が水に濡れたように見えるのではなく、真実濡れていることか。
否、その形容もまた的確ではない。その刀身は、氷に包まれていたのだから。
怒涛の如く落つ滝の、その
荘厳なまでの美しさを醸す、奇跡によって鍛えられたとさえ思える白刃を手に、しかして少女は何ら感慨を抱いた様子を見せない。
当然だ。今この瞬間、少女を支配しているのは、ただただ深く純粋な、切なるまでの憎悪でしかないのだから。
そして少女は、手にした白刃に語りかけるかのように、静かに唇を開いた。言葉を、紡ぐ。
「――
その声に呼応するように、紫色の――かつて緋色と混じり合い、黄昏の彩りを放っていた――宝石が輝きを強める。
ちりりと凍て付く冷気を右手に感じながら、少女は渇いた大地のように縦横に罅の走ったコンクリートの地面に、その刃を深々と突き立てた。
既に迸るほどに荒れ狂っていた冷気の波が、刀身を伝って地を駆ける。硝子の軋むような音と共に、地面が、隣接する崩れた建造物が、歪な成長を続けていた木の根のような何かが、絶対零度-アブソリュート・ゼロ-の死の静寂に停止する。
そして、深淵へと木霊するかのように呼ばわる、刃たらんとせしその名。目を閉じ、心の内に収めるように、見知らぬ誰かに囁きかけるように呟く、その名は。
「ヴァイオレット・ローウェル……セット、アップ」
『――s……y――』
果たして、応える声は、無かった。じり、と一瞬だけ耳を聾したノイズのような音が、もしかすれば、振り絞った末の声無き声であったのかも知れない……。
瞬間、少女の身体を魔力の渦が包み込んだ。その顕現の形は、氷の結晶。豪雨のように、吹雪のように、濃霧のように、ありとあらゆる形を持った水が、身に纏った白い服を凍て付かせ、霜のようにさらさらと分解していく。代わってその身を包むのは、少女が強く望む、幸福の結晶。
揺るがぬ、染まらぬ、変わらぬ……白く白く白い、他の何よりも心に強く焼きついた、穏やかなる想いのカタチ。
大空を映した大海に似た薄藍が彩る、制服を基調とした防護服。次いではためくは、柄に輝く宵闇の宝石と対照の妙を示す、眩いまでの朝色の外套。
この一瞬、少女は優しさを擲ち、戦う者としてその意識を塗り替える。否、凍て付かせる。
その絶対の証明のように、再び開かれた眼は、身に纏う清廉を研ぎ澄ませたが如き白銀に染まっていた。
在りし日の平穏、自ら幸福と呼んだかつての温かさ全てをひた隠し、涙さえも凍て付かせたその姿で、少女――月村すずかは、自身と大地とを繋ぎ止めていた白刃を抜き放つ。同時に、楔を解かれたかのように、空間を死の静寂に包んでいた氷が一斉に砕け散った。
舞い散る結晶は更に一点――すずかの背中に集う。天使の囁き-ダイアモンドダスト-の一枚一枚を織り合わせ紡がれたそれは、流水にも似た清らかさでもって風を孕む、仄青い氷の翼だった。
その翼でもって、ふわり、と。風に舞う粉雪の軽やかさで、すずかは空に舞い上がる。
次いで――、
「満ちよ、冷気!
手にしたヴァイオレット・ローウェルの切っ先を地に向ける。唱えられた文言と共に、地から生えた歪な木の根目掛けて刀身を覆う氷が
放った氷の槍は、しかして対象を切り裂く直前に空中でその伸張を止めていた。初めに顔を出した木の根の周囲から新たに6本の根が生え出し、その内の3本が楯のように広がり、これを防いだのだ。
「ん、やっぱり……」
すずかの行動に対し能動的な自衛行動を取った根――その事実に、すずかは抱いていたある確信を更に深めた。
あれは、ここ一週間何度も戦ってきた“敵”の中でも、最も優先的に滅却すべきものだ。
一刻も早く――
そう考える間にも、残った3本の根がすずかを目掛けて伸びる。
「――っ!」
ジェリッドスピアーの先端――延長した刀身は、楯の役割を果たす木の根に突き刺さり、動きを封じられている。迷うことなくすずかは術を解除し、刃を形成していた氷を解き放った。
自由を取り戻した身体を捻り、迫る3本の根を紙一重で躱す。同時に、背にはためく氷の翼に吹雪の推力を宿し、加速。空を切った根が背後で反転する気配を感じつつ、一気に本命との距離を詰める。
背後から迫る根……植物としては確かに異常な速度だろうが、速すぎるというわけではない。充分に、間に合う。
「たぁぁぁぁっ!!」
再び立ち塞がる3本の根の楯。諸共に貫かんとばかりに、魔力を集束させた切っ先を突き出す。
一枚、二枚と。木の板どころか、分厚い鉄板を刺し穿つ感触。その三枚目を貫き――、
「!?」
ざりっ、と。コンクリートの地面を削る手応え。咄嗟に伸びた木の根の隙間から飛び出し、空中で制動をかけつつ振り返る。視線の先には、円形に生えた6本の根と、その中心にぽっかりと空いた穴……。
「っ、逃げられた……?」
今だ蠢動を続ける6本の根には目もくれず、すずかは周囲を見渡す。
「どこに……っ!」
いくら目を凝らしても、道路は静寂を保ったまま。縦横に走る罅全てが怪しく見えて、次第に逸る心が抑えきれなくなる。
――早く、早く見つけ出さないと。見つけ出して……、
「壊さなきゃ、いけないのに……」
あれは、鎖の一つ。大切な人を、この世界ごと閉じ込めた檻を縛する、鎖の一つだ。幾重にも巻き付いたその一端……ようやく見つけた断片なのだ。
ここで逃がすわけにはいかない。
「っ! 見つけた!」
願いが通じたか、すずかの視界の中に歪なシルエットが映る。幸いなことに、距離もそう離れてはいなかった。ただ一つ違うのは、その根には葉が生えているということ。
今までは成長の途中だった為に気が付かなかったが、今ならはっきりとわかる。根のように見えたあれは、その実、枝としての役割を担うものだったのだ。
そう、あれは“枝”。葉を繁らせ、花を咲かせ、植物としての職務を全うする為の、末端。
その成長が終わったとき、開いた花は花粉を……花粉の名を借りた“砂”を撒き散らすだろう。時間と空間の認識――その虚と実の境界を崩壊させる、幻想の砂礫を。
この世界を、多くの人々の理想と切望と幸福と現実とを奪い去って実を結んだ、絶望の災禍を。
――壊さなくてはならない。
ほんの少し前までは現実だったささやかな幸福と、今となっては切実に望む他ない理想を……僅かの欠片だけでも取り戻すために。
意志を失ったこの刃も、そう望んでいるはずなのだから……。
だが……、
「――え?」
望みだけで覆せるような災禍なら、人は絶望とは呼ばない。
例え光の名を借りた希望でも、灯ったそれを闇に閉ざすことの方が、あまりにも易しい。
初めに知覚したのは、成長を続ける“枝”を捉えていた視界を覆う、何かだった。続いて、それが今の今まで失念していた、“枝”を守る6本の“根”だということに気付いたときには、全てが手遅れだった。
槍のように鋭く尖った根が、すずかの心臓目掛けて伸びていた。身を躱そうにも、いつの間にか両手足は回り込んでいた根に捕らえられ身動きが取れない。手にしたヴァイオレット・ローウェルで障壁を展開しようにも、根は刀身にも巻き付いており、術式を構築する端からその魔力を吸い取られてしまう。
そうだ。これはただ動くだけの植物ではない。養分の代わりに魔力を吸って無限に成長を続ける大樹……故に、亡国の伝承を頼りに『世界樹』と名付けられたのだと……そう、聞いていたというのに。
そんなことさえ忘れてしまうほど、自分は焦ってしまっていたのか。
「あ……」
たったそれだけの失態で、終わってしまうのか。
「あ、あぁ……」
希望だと信じた光も、結局は風前の灯火でしかなかったのか。
「アリサ、ちゃん……っ!」
輝き闇を照らした一瞬も、所詮は期待させるだけさせておいて、最後には闇の濃さを際立たせる演出にしかならないのか。
現実が、重く圧し掛かる。
たった一人では変えられない。誰も救えない。何一つとして、取り戻せない。
――
舞い降りたのは、黒い影。そして、光よりも眩く視界を侵す、闇のように輝く黒銀の魔力光だった。
「……カラドボルグ――」
破壊の象徴たるその名を呟く、突如として上空から飛来したその人影。落雷めいた速度で繰り出された蹴りは衝撃波を伴い、すずか目掛けて伸びる根とその周囲の空間ごとを拘束し圧し潰す。
固定され、圧縮され、相転移直前にまで高まった圧力を、
「――エクスプロード!」
一転、瞬時に爆散。指向性を持って空間を伝道するその余波が、すずかの手足とヴァイオレット・ローウェルの刀身を拘束していた根を悉く壊滅させた。
「ったく、世話の焼ける……
すずかを救った黒い人影は、振り向くや否や、開口一番そう毒を吐いた。
「え、あ……クー、さん……?」
クー・カイン。壊れてしまったこの世界で、希望に縋るすずかに度々気紛れな善意を向ける、掴み所の無い不思議な男。
その突然の闖入者に、すずかは目を丸くしながらも声を返した。
「すみません……助かりました」
「これで少しは懲りてくれると、俺としては助かるんだがな。さて……」
やれやれとばかりに頭を掻いて、クーはさもどうでも良さげに眼下の“枝”を見下ろす。
「『深い森に囚われた最愛の人を救うべく、かくして少女は山へ芝刈りに』……ってか? シュール過ぎて涙が出るな。そら、さっさと片付けて来い」
「……はい」
茶化すようなクーの比喩は、けれども真実的を射ていた。
この街は今や一本の大樹から成る森であり、その中心――クーが『世界樹』と呼んだものの中に、今もアリサは囚われている。
それを救う為にすずかがしていることと言えば……こうして刃片手に無人の街へ繰り出して、まやかしの花粉を撒き散らす枝を刈ることだけだ。
無論、そんな喩えを受け入れられるほど、事は軽くない。ただ、咄嗟に否定する言葉が浮かばなかったのが悔しくて、すずかは表情を翳らせつつ、“枝”のもとへと降りた。
クーが根を破壊したことで、枝を守っていたものはなくなった。間抜けなほどあっさりと、すずかは花を咲かせ始めていた枝を切り落とす。根元から断たれたそれは、見る間にさらさらと砂になって消えた。まるで夢幻であったかのように。
地面に穿たれた昏い穴だけを名残に、幻影の砂礫を撒き散らす枝は、同じ幻影へと還っていた。
「――――」
ヴァイオレット・ローウェルを鞘に納めながら、すずかは一つ息をつく。
感慨はおろか実感さえ湧かないが……ともあれ、これでまた一歩、すずかは目的に近付いたことになる。千里で足りるかすら分からない広大な道のりの、これが、その数歩目。
*
数刻の後、すずかとクーは一先ずの拠点として定めた月村家に戻っていた。
と言っても、そこは庭だった。寝るのに困らないテントと寝袋と、火を熾すのに充分なスペースがあるだけの、簡素且つ粗末な野営地である。
と言うのも……、
「どうだった?」
焚き火用の薪を組み上げていたクーの問いに、家から戻ってきたすずかが浮かない顔で答える。
「まだダメみたいです……」
「ま、だろうな」
『屋内に入れない』――二人がこうして外に寝床を構えている、それが理由だ。
扉や窓等、外部との出入りを可能にする箇所全てが、何かに固定されているかのように……いや、もっと言えば、壁に描かれた一枚の絵のようにびくともしないのだ。さながら開けるという動作を想定せずに組まれた、舞台道具のように。
この事実に対し、クーは「認識できる情報の中で、この家の時間が止まっているせいだ」と説明してくれた。「枝を破壊していくことで、少しずつ認識が現実に近付いていくだろうな」と。
それでこうして、すずかは我が家に否定されたまま、その庭でなけなしの暖を取っていた。風雨を凌げる場所なら、他にいくらでもあったが……恐らくこれは執着だろう、と自分でも理解はしている。
優しい姉も、使用人も、見渡せばそこかしこでじゃれていた猫たちも……遊びに来る親友達の声も無い、虚無に彩られた実家。それでも離れられないのは、未練だろうか。
「…………」
かれこれ、一週間。これまで破壊してきた枝の数は、先程の分も含めて5本を数えている。だと言うのに、世界には一向に変化が訪れない。
全てを破壊した瞬間全てが元に戻るのか、それとも……今まで破壊してきた5本では何ら影響を及ぼさないほど、途方も無い数の枝が残っているのか……それはわからない。
不安や心配が無いと言えば嘘になる。だがすずかは――魔法技術というものにあまりに疎いすずかでは、クーの言葉を信じて、今の枝刈りを続けるしかないのだ。
「納得できないか?」
「あ……」
顔に出ていたのかも知れない。すずかの疑念をいち早く察して、クーはすずかに問いかけた。
「そう、ですね。全部が納得できてるわけじゃ……多分、無いんだと思います」
「そりゃそうさ。誰だって認めたくない現実ってのはある。納得の行かない今に疑念を抱きながら、『こんなはずじゃなかった』、『あのときああしていれば、こうはならなかった』って後悔に潰されないように自分を誤魔化して、何とか日々をやり過ごす……極端な話、生きるってのはそういうことだ」
揺れる炎を眺めながら、昔語りでもするようにクーは語る。そこには確かな実感が感じられて、クーにとっても『こんなはずじゃなかった』何かがあったのだろうかと、不意にそんなことを考えた。
それと同時に、頭を過ぎった一つの単語。
気付けば、口に出して呟いていた。
「――地獄…………」
と。
何処かで何かを間違えてしまった自分は、その間違いを引き摺ったまま、生きたまま地獄へ送られた……そう考えると、この状況も何だか納得の行くものに思えた。
だが……、
「……地獄?」
すずかが何気無く使ったその単語に、クーは怪訝な顔をした。
「地獄、地獄ねぇ……?」
さも可笑しげに、反芻するように“地獄”という言葉を舌先で転がしながら、クーはくつくつと笑う。
「――何か、言いたいことでもあるんですか」
心外だ。何気無く口走った言葉とはいえ、すずかにとってそれは真に的を射ている喩えだと言うのに。
「いやなに、お前の目にはこの世界が“地獄”に映るのかと思ってな」
「…………」
憮然とするすずかに、クーは続ける。
「思うのさ、俺は。『一切の希望が無い』ってのが“地獄”の在るべき姿、その定義だってな。だったら、お前にとってこの世界は違うだろう? 唯一残った希望に縋ってんだからな。その希望があるから、他の幾多の絶望にも立ち向かっていけてる。だったら、もっといい喩えがあるじゃねぇか」
込み上げる笑いを御しきれぬかのように、クーは高らかに告げた。
「――『パンドラの箱』って、よ」
「パンドラの、箱……」
その言葉自体は知っている。ギリシャ神話の一節だ。
曰く、神々から様々な才能と好奇心を与えられた原初の女性パンドラは、決して開けてはならないと言い含められた箱を、好奇心に負け開けてしまった。それにより箱の中からはあらゆる災いが解き放たれ、最後にはたった一つの希望が残っていた……と言われているが、実はこれは通俗的な風潮だ。
その真実、真相は、もっと根深いものである。
箱の中に入っていたのは、その全てが災いだったのだ。最後に残っていたのは希望ではない。飛び出していった災いに、パンドラが慌てて箱を閉めたために解き放たれずに済んだ、最後の災い――それは……『前兆』だ。
予言、と言ってしまってもいい。つまりは、『未来に起こることが全てわかってしまう』という災い。これが解き放たれずに済んだため、人類は希望だけは失わずに、あるいは絶望することなく生きていられることになった。
これが、真相だ。
とすれば、なるほど確かに。今の状況に、“地獄”よりも相応しい形容と言えるかも知れない。
先が分からない……どんなに困難で辛く厳しい状態でも、きっといつかは報われると信じることができる。信じて、諦めず続けることができる。
無知であるが故の希望。道化めいた切望。今の自分が間違った方向へ進んでいないと嘘をつきながら進む、虚飾に彩られた暗闇の道。
的確過ぎて、涙も出ない。
「薄暗い道を歩くときは、手探りで前に進むより、後ろを振り返る方が何倍も容易い……ってな。人生余計に生きてる人間の戯言だ、聞き流せよ」
そう言い残して、クーは立ち上がった。今の言葉の真意を探るすずかを尻目に、その場を後にする。
「クーさん……? どこへ行くんですか?」
「煙草吸ってくるだけだ。……あんま、根詰めすぎんなよ。強さを追求して弓を張り詰めても、切れやすくなるのが落ちだ」
ひらひらとぞんざいに手を振って、クーは立ち去る。
その後姿を追いながら、すずかは考える。
「後ろを振り返る方が何倍も容易い……かぁ」
全面的に肯定するわけではない。が……今の自分の在り方を確かめるのに、それは正しい手段に思えた。
少し、思い出すのもいいだろう。思えばこの一週間、我が身を省みる
薄気味悪いほどの虚ろに侵された、黄昏の朱と蒼に染まった空を見上げて、すずかは追憶にその身を浸らせた。
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Comment
他の魔法少女三人や管理局の人々はどうなっているのか? すずかの持っているデバイスの正体は?
いろいろ気になります。
ともあれ、すずかさんガンバw
続きお待ちしておりますw
いろいろ気になります。
ともあれ、すずかさんガンバw
続きお待ちしておりますw
Posted by: 勝山陽希 |at: 2007/08/02 3:24 AM
アリサを助ける為に戦うすずか、カッコイイです〜
気になるのは、すずかはいつデバイスを手にいれたのか?なのは達は何処にいるのか?
続きが楽しみにしてます。
気になるのは、すずかはいつデバイスを手にいれたのか?なのは達は何処にいるのか?
続きが楽しみにしてます。
Posted by: ほわとと |at: 2007/08/02 7:36 AM
新キャラのクーが気になります。
いつすずかと出会ったのか、どんな人なのか。
続きを待ってます。
いつすずかと出会ったのか、どんな人なのか。
続きを待ってます。
Posted by: ユリかもめ |at: 2007/08/02 3:09 PM
どうも、初めまして……になるのかな? FROZEN作者の沈月です。
色々と謎の多いまま始まった本作、実は『物語の最初の部分を回想という形で表現する』という、沈月的にも新しい試みが組み込まれております。
とまあ、そんな楽屋話は置いといてw
姿の見えないなのはたちの行方、すずかの持つデバイスの正体、謎の男・クー……これから少しずつ明らかになっていきます。
たった一つのハッピーエンドのためだけに、僅かな希望を頼りに戦うすずかの物語――未熟ながらも全力で取り組んで参りますので、どうか最後までお付き合いいただければ、と思います。
では、沈月でした。
色々と謎の多いまま始まった本作、実は『物語の最初の部分を回想という形で表現する』という、沈月的にも新しい試みが組み込まれております。
とまあ、そんな楽屋話は置いといてw
姿の見えないなのはたちの行方、すずかの持つデバイスの正体、謎の男・クー……これから少しずつ明らかになっていきます。
たった一つのハッピーエンドのためだけに、僅かな希望を頼りに戦うすずかの物語――未熟ながらも全力で取り組んで参りますので、どうか最後までお付き合いいただければ、と思います。
では、沈月でした。
Posted by: 沈月 影 |at: 2007/08/03 9:22 PM
謎いっぱいの展開・・・。
大変気になります。
大変気になります。
Posted by: ぎりゅう |at: 2007/08/03 10:37 PM
うわーーなんておもしろい物語なんだーー!!
新キャラクーが一発で好きになっちゃったー!
すずかもイイーー!
本編の大樹発芽の後ってことらしいですが、もう謎謎々な展開ですね。
続きが超気になるんですよ。
すずかとクーはどこで知り合ったのか?
すずかのデバイスは、アリサのものと対を成すものなのかな?
最後はハッピーエンドかな?
執筆頑張ってください!
(ダークな展開でも僕はバッチコーイですよ?)
新キャラクーが一発で好きになっちゃったー!
すずかもイイーー!
本編の大樹発芽の後ってことらしいですが、もう謎謎々な展開ですね。
続きが超気になるんですよ。
すずかとクーはどこで知り合ったのか?
すずかのデバイスは、アリサのものと対を成すものなのかな?
最後はハッピーエンドかな?
執筆頑張ってください!
(ダークな展開でも僕はバッチコーイですよ?)
Posted by: 吉 |at: 2007/08/05 1:23 AM
⇒ こじたん (11/17)
⇒ 浅木原 (11/16)
⇒ こじたん (11/16)
⇒ 時の番人 (11/14)
⇒ 置き石 (10/14)
⇒ 葉月 (09/19)
⇒ ろっく (05/17)
⇒ 六仁祝 (08/27)
⇒ はまなす (06/20)
⇒ 橘 奏 (08/10)