『東方野球異聞拾遺 弐』(2) 博麗霊夢の場合(一)
2011.02.15 Tuesday | category:東方SS(東方野球)
別に、これといって劇的なきっかけがあったわけではなかった。
ドラマチックなことなんて何もない。ただ――なんとなく、投げやすかったから。
彼女とバッテリーを組んだのは、本当にただそれだけのことだった。
◇
3月16日、オープン戦、対西武ライオンズ(幻想郷スタジアム)。
1対0、タートルズのリードで迎えた5回表。先頭の8番赤田が内野安打で出塁し、送りバントで一死2塁。1番福地の右飛で三塁に進み、二死3塁のピンチ。
打席には二番の片岡。カウントはツーワン、追い込んだ。
マウンドの霊夢はロージンを手に取り、ひとつ息を吐き出した。白球を握り直し、後ろ手に隠す。キャッチャーボックスのレティからサイン。霊夢は頷く。
4球目。アウトローに緩い直球、片岡のバットが鋭く振られる。――が、その直前でボールは、見えない手に叩き落とされたような角度で縦に落ちた。
バットが空しく空を切り、ワンバウンドしたボールをレティはがっちり受け止める。三振、スリーアウトチェンジ。ふっと息を吐いて、霊夢はゆっくりマウンドを降りた。
「ランナー三塁でフォークって、後逸したらとか考えなかったわけ?」
「そこは意地でも止めるのがキャッチャーの仕事よ〜」
「よくやるわね」
レティと短くそんな会話を交わし、霊夢はベンチに腰を下ろす。レティは輝夜と何やら話をしていた。捕手同士、配球談義でもしているのだろう。
開幕まで残り2週間、オープン戦も後半戦だ。そろそろ実戦モード、というわけで、今日は霊夢も6回までと、実戦に近いイニングを投げることになっている。ここまで5イニングで被安打4の四球ひとつながら無失点。まあ、まずまずといったところか。
一方打線の方は、西武先発の帆足に手こずっていた。2回にフランドールのソロで先制したが、それ以外が2安打2併殺ではいかんともしがたい。この回は5番の藍からだった。
その藍は初球打ちでサードゴロ。続く6番幽々子が3球目の直球を左前に運ぶ。主を一塁に置いて打席に入るのは7番妖夢だ。
「妖夢〜、ゲッツー以外ならなんでもいいわよ〜」
一塁から幽々子がそんな声をかける。ゲッツーの多いアンタが言うな。そう思ったのは恐らく霊夢だけではないだろう。妖夢が打席で小さく溜息をつくのが見えた。
その妖夢はツーツーから3球ファールで粘ると、最後は外角のカーブを見極めて四球を選ぶ。一死1、2塁。この試合では初めてのチャンスらしいチャンスだ。
「よし、早いけど仕掛けるわよ。妹紅、代打行ってきて」
「出番か。まあ、何とかしよう」
アリスの言葉に、今日はベンチだった妹紅がバットを担いで立ち上がる。ネクストバッターズサークルに居たレティが、入れ替わりにベンチに戻ってきた。
「もう一押し欲しいな。おーいウドンゲ、代走行ってこい」
「ウドンゲ言うな」
「ていうかアンタが勝手に指示だすな! でもそうね、鈴仙、お願いするわ」
「了解、行ってくるわ」
幽々子に替わって、二塁に鈴仙が代走に入る。妹紅が打席に向かうのを見て、霊夢も立ち上がった。一応、次の打順は自分であるが、回れば代打も有り得る場面だ。
「ああ、霊夢。貴方は予定通り、次の回もお願いするわ」
「りょーかい。ま、妹紅で点が入らなかったらあまり期待しないでよね」
そんな風に答えて、霊夢はネクストバッターズサークルに向かう。打席では妹紅が初球、内角の球に少し身体をのけぞらせて、むっとした顔を投手に向けていた。
3球目、妹紅は真ん中低めのパームをすくいあげる。右中間へ打球は舞い上がったが、風向きが悪く押し戻される格好で、赤田の守備範囲に落ちてきた。捕球を確認して、二塁の鈴仙がタッチアップ。状況は二死1、3塁に変わる。
打席に入り、バットを握り直して、霊夢はマウンドの方へ向き直る。それほど勝敗を重要視しないオープン戦とはいえ、もう少し援護がほしいのは事実だった。結局、それも自分でやれということか。やれやれ、と初球のスライダーを見送る。ボール。
なんとなく、次に甘い球が来そうな気がした。
果たして2球目、やや外よりの甘い直球。とりゃ、と霊夢はバットを振る。いい手応えがあって、打球は帆足の足元を抜け、センター前へ転がっていった。三塁の鈴仙がホームイン、待望の2点目である。一塁に駆け込み、霊夢はほっと息をついた。やれやれ。
続く射命丸はセンターフライに倒れ、スリーアウトチェンジ。ベンチに戻ってグラブを取り、霊夢はマウンドへ向かう。キャッチボールが出来なかったのが少し気になるが、まあこの回までだし、なんとでもなるだろう。
「よろしくね」
と、声に振り向けば、マスクを手に輝夜が笑っていた。ああ、そうか。レティに代打が出されたのだから、この回から捕手交替である。妹紅が一塁、鈴仙が二塁に入り、妖夢が代わりに引っ込んだようだった。
マウンドで数球、輝夜の構えるミットに投げ込む。まあ、捕手が替わったからといってどうということはない。今まで通りに投げるだけだ。
打順は3番の中島から。3球目、外角のスライダーを流し打たれる。打球は一、二塁間を抜けてライト前へ転がった。また先頭を出してしまった。霊夢は軽く手首を振る。
打席に入るのは4番カブレラ。輝夜からのサインは初球フォークだった。霊夢は頷くが、何か意識に引っかかるものを感じた。それが何なのかはよく解らなかったが。
投じたフォークはワンバウンドする明らかなボール球。指がひっかかったか。輝夜からの返球を受け取りつつ、霊夢は首を振る。2球目、サインはもう一球フォーク。
振りかぶり、投げる。――手元の感覚が狂ったのがすぐに解った。
すっぽ抜けたフォークが内角に飛び、カブレラの肘を掠めた。審判が手を挙げる。デッドボールの判定。カブレラは軽くこちらを睨んで、一塁へ歩き出した。帽子を取り、霊夢は首を傾げる。何か、おかしい。
「どうしたの? 急に」
「別に、ちょっと手元が狂っただけよ」
マウンドに寄ってくる輝夜に短くそう答える。しっかりしてよね〜、と輝夜は肩を竦めてキャッチャーボックスへ戻っていった。言われなくても解っている。
打席には5番和田。呼吸を落ち着けて、霊夢は白球を握り直した。
輝夜のサインは外角のシュート。……嫌な予感がして、霊夢は首を振った。スライダー。それも首を振る。スローカーブ。頷いた。セットポジションから、投げる。
和田のバットが鋭く振られた。快音。ライナーがレフト線へ飛ぶ。
だがその打球は、そのまま妹紅のミットに吸い込まれた。一塁走者のカブレラは戻れずタッチアウト。ライナーゲッツーで二死2塁に変わる。霊夢は大きく息をついた。
6番中村が打席に入る。警戒すべきは一発だけ。輝夜は外角スライダーのサイン。頷く。
――だが、投じたボールは高めに浮いた。絶好球。
再び快音が響く。高々と舞い上がる打球は左中間へ。射命丸が快足を飛ばして追うが、フェンス最上段を直撃してはさすがの鴉天狗にもどうしようもなかった。中島が悠々とホームインし、中村も巨体に似合わぬ俊敏さで二塁に駆け込む。2対1。続くは第1打席で二塁打の7番細川だ。
自分では落ち着いているつもりだった。だが、手元の狂いが修正しきれない。直球、スライダー、シュート、直球。4球全て外れてストレートのフォアボール。流石にベンチからタイムがかかる。アリスがゆっくりマウンドに向かってくるのが見えた。
「そんな急に崩れられても困るわよ」
「ごめん、何かちょっと手元がおかしいわ」
手首をぷらぷらさせて、霊夢は肩を竦める。
「解った。これ以上投げても悪化するだけみたいだし、ここまでね」
「了解。悪いわね」
「一応準備はさせておいたから大丈夫よ。お疲れ様」
アリスに肩を叩かれ、霊夢は肩を竦めてマウンドを降りる。ルナサがブルペンから出てくるのが横目に見えた。
「自分で点取った直後にこれは無いと思うぜ?」
「悪かったわね。次はしっかりやるわよ」
ベンチに戻れば、魔理沙が苦笑しながら出迎えた。タオルで汗を拭って、ベンチに腰を下ろす。右手を見下ろして、何度か握り直してみた。
何だろう、あの微妙な違和感は。正体が解らないのが、どうにも心地が悪い。ヒットを打って、キャッチボールが出来なかったせいか。それとも捕手が輝夜に替わったせいか?
首を捻っているうちに、グラウンドではルナサが赤田に同点のタイムリーを浴びていた。勝ち星消滅である。霊夢は小さく溜息をついた。
◇
試合はその後、7回に妹紅が勝ち越しのタイムリーを放ち帆足を引きずり下ろす。しかし9回、抑えとして登板した穣子が代打リーファーに同点ソロを浴びると、その裏は小野寺に抑えられ、9回終了3対3で引き分けとなった。
「しかしまあ、ここまではっきり差が出るとは思わなかったわね」
試合後、スコアシートを見ながら阿求が呟く。アリスも息をついて頷いた。
今日の試合、5回でのレティの交替は、ある程度予定通りの展開だった。提案者は阿求。いわく、捕手がレティのときと輝夜のときとで霊夢の成績に開きがある。それが誤差の範囲か、起用上優先的に考慮すべき問題かを見極めたい、ということだった。
結果は言うまでもない。捕手レティの5イニングは被安打4、四死球ひとつで無失点。しかし輝夜に交替した途端、被安打2、四死球ふたつの2失点である。
「これで、レティのときの防御率は2点切ったわ。けど、輝夜のときの防御率は6点台」
「まあ母数が少ないし、今日のだって直前の打席の影響があるかもしれないけど……数字は数字よね。霊夢のときはレティ優先起用にした方がいいかしら」
「相性なめんな、って言っておくわ、私からは」
阿求の言葉に、アリスはひとつ唸る。
現状、輝夜とレティの間には、打撃でも守備でも明らかな差は無い。それなら阿求の言う通り、投手との相性で起用を決めるのも悪くないように思えた。……オープン戦の数字だけではいささかデータとして母数的に心許なくはあるのだが、それはどうしようもない。
6回から別人のように制球が定まらなくなった霊夢。開幕投手候補一番手が5回までしか投げられないのでは困りものなのだが、それは次の試合で見極めよう。
開幕まで2週間、戦力図は固まりつつあるものの、ほぼ当確の主力組以外はまだまだ流動的だ。活かすも殺すも監督次第、か。アリスは紙コップのコーヒーを口にしつつ、目を細めた。
◇
翌週のオープン戦、開幕1週間前の最終登板。霊夢は阪神を相手に8回を1失点に抑え、開幕投手を内定させた。ちなみに、捕手は最後までレティであった。
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