東方野球in熱スタ2007異聞「完全なアナタと不完全なワタシ」
2011.01.18 Tuesday | category:東方SS(東方野球)
憧れのあの人は、いつだって完全で瀟洒で、優雅にして華麗。
自分もああなれたら、なんて大それたことは思わない。ましてや自分があの人を守るなんてあり得ないことだけど。
――せめて、あの人と同じグラウンドに立ちたいと思った。
自分が役に立てる自信なんて無いけれど。
精一杯、あの人の背中を追いかけてみたいと――そう思ったのだ。
◇
4月17日(火)、対横浜ベイスターズ4回戦(幻想郷スタジアム)。
眩く照らされたグラウンドに、スタンドの歓声がこだまする。
『3対3の同点で迎えた8回裏。タートルズ、ノーアウト二、三塁のチャンス。打席に立つのは2番、十六夜咲夜!』
バットを数度握り直し、咲夜はゆっくりと左打席へと向かう。二塁には射命丸、三塁には代走の大妖精。マウンド上、ロージンに手をやる相手投手・三橋を見据えて、バットを構える。
初球、膝元のゆるいカーブを見逃す。ボール。2球目、外角いっぱいの直球をカット、三塁側に転がるファール。3球目のスライダーはワンバウンドし、ワンストライクツーボールとなった4球目。真ん中に入ってきた甘いシュート気味の直球を、振り抜いたバットが芯で捉える。鋭い流し打ちの打球が三塁線を襲い、
――だが、その打球はまるで吸い込まれるように、三塁で構えた村田のグラブにダイレクトで飛び込み。
「あっ、」
飛び出した大妖精は戻ろうとすることも出来ず、ライナーゲッツー。射命丸は即座に二塁へ戻ったためトリプルプレーは免れたが、ノーアウト二、三塁が一瞬でツーアウト二塁となり、スタンドからは大きな溜息が漏れる。
しかしまだ、ランナーは得点圏。気を取り直したように、続く打者のコールに再びスタンドは沸き返る。3番、レミリア・スカーレット。
その豪快なスイングは、僅か1球で大歓声に応えた。
『行ったー! これはとんでもない飛距離です! ――場外へ消えた! 特大のツーランホームラン! レミリア、この土壇場で貴重な貴重な勝ち越し点です!』
悠然とバットを放り、当然とばかりにガッツポーズもなくレミリアはダイヤモンドを一周する。カリスマ溢れるその姿にスタンドは『レミリア! レミリア! おぜうさま!』の大合唱。
――その光景を、咲夜はベンチで静かに見つめていた。
結局、9回表は紫がきっちり4人で片付け、5対3でタートルズの勝利。8回3失点の永琳が2勝目を挙げた。
試合後、三々五々引き上げて行く面々の中で、アリスは咲夜の背中を見つけて呼び止める。
「咲夜」
「――はい」
「今日の打球は良い感じだったと思うの。この調子ならそのうち自然と結果は出てくると思うから、あまり気にしないで」
「はい」
頷く咲夜は、しかし口数も少ないままに再び踵を返す。その背中を見送って、アリスはひとつ息を吐き出した。
「あいつもあいつで気にしてるのかね」
「まあ、チームがどうこうよりレミリアの反応の方だとは思うけど」
魔理沙の言葉に、アリスは肩を竦める。
クリーンナップの活躍でどうにかこうにか白星を積み重ねてはいるものの、チームはまだまだ誤算と不安要素だらけだ。霊夢や映姫、ミスティアのような投手陣の不調が特に大きく、野手では二塁手組の不振。そして何より、2番に据えた咲夜の絶不調は完全な予想外だった。今日も四球をひとつ選んではいるが、不運な当たりも続いて3打数ノーヒットである。
バントや四球選びはそつなくこなすが、打率は2割前後を行ったり来たり。調子が戻るまで下位打線に置く案もあったが、代わりに2番に入るべき二塁手組が咲夜以下の打率ではどうしようもなかった。守備力を考えると、打てなくても咲夜の替えは利かないのである。
「やっぱり藍が2番でいいんじゃないか? 野球はパワーだぜ」
魔理沙の言うことも解らないでは無い。レミリアとフランの3番4番は機能しているだけに動かせないし、妹紅も中軸に置いておきたい。そうでなくても、ケースバッティングに一番信頼が置けるのは藍だ。2番は繋ぎ、というセオリーに囚われない攻撃的2番打者という策があることも把握している。
「……まだ開幕から一月も経ってないのに、コロコロ方針を変えたって仕方ないわ。負けてるならともかく、どうにか勝ててはいるわけだし。采配は軸がぶれなきゃいいって言ったのは魔理沙じゃない」
「そりゃそうだがな。しかし、今のままじゃレミリアやフランの調子が落ちると辛いぜ?」
それもまたその通り。2番に置き続けることが咲夜の重圧になっているなら、魔理沙の言う案も重症になる前に試しておくべきなのかもしれない。軸のぶれないのと、頑固なのとはまた別問題だ。
アリスは溜息を吐き出す。――解っていたこととはいえ、シーズンが始まるとオープン戦以上に気苦労が耐えない。身体、最後まで保つかしら、などと考えつつ、人気の減ったスタジアムを振り返る。
「……」
明日も試合だ。帰って少しでも身体を休めておこう。
アリスも踵を返し、球場を後にする。歓声の気配の消えた球場は、ただ静かにその場に佇んでいた。
◇
セキュリティの効果というものは、防御能力それ自体よりも、それによってもたらされる安心感の方が重大な要素であるといえる。護衛を依頼して、何事も無かったから報酬は払わない、というのはナンセンスな話だ。まず「襲われない」そのこと自体に価値があるのだから。
さて、では館の主が大抵の相手ならば勝負にならないような強者である場合。その館の門番に与えられる役割とは何か。――強いて言えば露払いであろう。主の前に通すまでもない侵入者をふるいにかける役割。だが、この館に敢えて忍び込むような者は、それこそあの白黒の魔法使いぐらいのものである。そしてその魔法使いは、おおよそ門番よりも強い。
では、自分の存在意義とは何だろう? と考えてみれば――結局のところ、「門番がいる」という事実を提示する、というそれだけのことでしかないのだと思う。抑止力になるのかどうかは解らないけどとりあえず置いておく、的な。もちろん多少は、そこはかとなく程度には、もしかしたらほんのちょっとぐらいは、侵入者を撃退する役割を期待されているのかもしれないけれども。
でもやっぱり、自分は期待されてはいないし、名前も覚えてもらえないのである。おかげさまで、紅魔館の一員として参加することになった野球チームでも、案の定二軍だ。もはや既定路線すぎて泣く気も起きない。
――そんなことを思い、溜息を漏らして、紅美鈴は夜空を見上げた。
ペナントレースが始まって以来、チームに帯同している時間は館を離れざるを得なくなる。その分、門番としての仕事時間は深夜にかかっていた。まあ一応妖怪だ、寝不足でどうにかなるほどやわな身体はしていないが。
今日の試合も、お嬢様と妹様の活躍で勝利だ。メイド長は不調が続いているが、試合に出られすらしない自分よりはよっぽど役に立っているのは確かで。
田舎の家族は元気かなぁ、と遠い目をしてみる。天狗のテレビで幻想郷タートルズの試合を見ていたりするだろうか。すみませんお母さん、娘はたぶんこれからも二軍です――。
「……ん?」
と、不意に微かな物音が聞こえて、反射的に美鈴は身構えた。すわ侵入者かと周囲を見回すが、辺りは至って静かな夜のまま。首を傾げて耳を澄ますと――物音は、どうやら屋敷の中からのようだった。何やら空気を切るような音。
まさか、いつの間にか何者かの侵入を許していたのだろうか。寝ぼけていたわけではないが、どっちにしてもナイフが飛んでくるのは避けられない。慌てて美鈴は、正門の脇の通用口を通って屋敷の中へ戻る。とにかく、物音の正体を確かめなければ。
足音を忍ばせ、気配を殺して、音の方に近づく。……何かを振り回しているような音だった。バットのスイング音にも聞こえるのは気のせいだろう。お嬢様や妹様がこんなところで練習しているとも思えないし――。
と、闇の中に人影が見えた。音もそこからだ。物陰に隠れ、美鈴はそっと音の方を覗きこむ。
そして、そこにあった姿に、美鈴は小さく息を飲んだ。
「……咲夜さん?」
そこに居たのは、十六夜咲夜だった。身を包むのはいつものメイド服ではなく、ラフなジャージ。手にしたのはバット。何度か握り直し、闇の中に一閃する。鋭く風を切る音が響いた。
無駄な力の入らない、流麗なバッティングフォーム。野暮ったいジャージ姿なのに、素振りするその姿はどこまでも華麗で瀟洒で、美鈴は思わず溜息をついて見惚れ、
――帽子にナイフが突き刺さった衝撃で我に返った。
「そこで何をしているの」
いつの間にか、咲夜がこちらを半眼で睨んでいた。慌てて美鈴は両手を上げる。
「あ、いえ、そのデスネ、物音がしたので何事かと確かめに――」
「だったらもう済んだでしょう。仕事に戻りなさい」
「は、はひー!」
2本目のナイフが飛んできて、慌てて美鈴は踵を返した。脱兎のごとき逃げ足で正門まで戻り、門にもたれて盛大に息を吐き出す。
「……こんな時間に、ひとりで」
それは美鈴にとっては、充分に意外な光景と言えた。紅魔館におけるほぼ全ての仕事を取り仕切る咲夜は、どこまでも完全で瀟洒な存在で。もちろんチームで練習する姿は見てきたけれど、そこでもやはり華麗で優雅だった。十六夜咲夜という存在は既に完成した完全な形であり、今の不振も不運が重なっている程度のことで、彼女にとっては練習するまでもなくいずれ本来の調子を取り戻すのだろうと――美鈴は勝手にそう思いこんでいたのだが。
現実としてそこにあったのは、夜、仕事を終えてから、ひとりで練習する咲夜の姿。
いや、それすらもやはり瀟洒なのだ。黙して不振を己の責と背負い、見えぬところでの努力を惜しまない。それに比べて――自分は何をしているのだろう?
期待されないのは、期待に見合う力がないからではない。
期待に見合おうとする努力を最初から諦めていると、見抜かれているからだ。
「…………」
正門の傍ら、立てかけておいたバットを手にする。これを一軍で振る日は来るだろうか。来ないかもしれない。――だけど、来るかもしれないのだ。何かの間違いで、自分が必要とされることだって、シーズンは長いのだ、一度ぐらいはある、あるといいな、あると思いたい。
そんなときが来るように。
お嬢様や妹様や――咲夜さんと同じ場所に立てる日が来るように。
自分の力は、みんなに及ばない。ならば、努力するしかないではないか。
「よしっ、ファイト、おー!」
威勢よく声をあげ、美鈴はぐっと踏み込みバットを振る。まずは基本から、素振り100回!
それからしばらく、紅魔館の正門に、バットを振る音が響いていた。
――なお、素振りが終わる頃には、帽子に刺さったナイフは3本に増えていたという。
◇
4月18日(水)、対横浜ベイスターズ5回戦(幻想郷スタジアム)。
「咲夜。今日は8番に入ってもらえるかしら」
試合前、アリスから切り出された言葉を、咲夜は静かに受け止めた。
「降格、ですか」
「気分転換よ。代わりの2番には藍に入ってもらうわ。いい当たりは出てるんだし、結果を恐れずに気楽にやってみて。ショートに貴方が居てくれないと困るんだから」
笑ってアリスは言うが、やはり2番打者の打率が2割前後では困るということだ。結果が出ていないのだから仕方ないことである。その納得も込めて、咲夜は頷いた。
代役の2番が藍というのも妥当な線だろう。アベレージヒッターで足もあり、出塁率は高い。射命丸と並べばまずゲッツーは無いのだから、バントで相手にアウトひとつをサービスする必要もない。そう考えると、あの狐の方が自分よりもよっぽど2番に適任な気がした。
――卑下したって、仕方ないのだけれど。
調子が悪いとは、自分では思わない。実際、打球の手応えはいいのだ。だがその当たりは、ことごとく相手野手の正面に飛んでいく。不運、というにはあまりにもそれが多すぎる。
何が悪いのか、自分でも解らない。それが一番もどかしいのだ。
お嬢様はずっと自分の不振については静観しているが、良く思っているはずはない。あまり不振が続くようなら、紅魔館の面目にも関わってくる。
――気分転換、か。なるほど、監督の言うことは案外と的を射ているのかもしれない。
言う通り、細かいことを考えずに挑んでみよう。咲夜はそう思った。
今日は相手の先発が左腕の土肥ということで一塁が幽々子、二塁が妖夢。ポジションに空きが無くなったため妹紅が休息を兼ねてベンチスタートになった。打順は1番センター射命丸、2番サード藍、3番ライトレミリア、4番レフトフランドール、5番ファースト幽々子、6番セカンド妖夢、7番キャッチャーレティ、8番ショート咲夜。先発は幽香である。
試合は序盤から打ち合いになった。初回、いきなり幽香が村田にツーランを浴びるも、その裏にすぐ藍、レミリア、フランの3連打で同点に追いつく。3回裏にはフランのソロで勝ち越すが、4回表に古木が2点タイムリーを放って横浜が再逆転。その裏、射命丸が三塁打を放つと藍の犠牲フライで再び同点。4対4と一進一退の攻防が続く。
6回表、幽香が相川、佐伯、仁志に3連打を浴び無死満塁になったところで降板。火消しとしてルナサが登板するが、石井琢朗に技ありのスクイズを決められ横浜が勝ち越し。さらに金城の犠牲フライでもう1点追加。なおも二死三塁で、3番手のパチュリーが村田にフェンス直撃弾を浴び、7対4になる。タートルズの打線は6回と7回をホセロに抑えられ、3点差のまま八回裏を迎えた。横浜の投手は木塚に替わる。
先頭、幽々子に替わって一塁に入っていた妹紅がライト前へ運ぶと、代打の慧音がセンター前へ弾き返して無死一、二塁。レティに代打で送られたにとりは一ゴロに倒れるが、ランナーはそれぞれ進塁して一死二、三塁となって、8番咲夜へと打席が回った。
バッターボックスに入り、咲夜は相手投手を見据える。――状況は昨日とよく似ていた。同じ失敗を繰り返すわけにはいかない。素直にセンター前へ弾き返そう。それで2点入るのだ。
外角へ2球、きわどい球が続いてノーツー。3球目、インコースの直球がやや内に入ってきた。狙い球。完璧なタイミングで咲夜はバットを振り抜く。芯で捉えた打球は、鋭いライナーでセンター前へ、
――抜ける前に、ピッチャーのグラブへと吸い込まれた。
飛び出しかけた妹紅と慧音が慌てて戻る。ゲッツーこそ免れたが、これでツーアウト。思わず咲夜は天を仰いだ。スタンドから聞こえてくる落胆の声。ベンチを見やれば――ただ静かにこちらを見つめるレミリアの視線。ひどく無表情なその視線が、どうしようもなく痛かった。
結局、続いて代打で出た萃香が三振に倒れ、タートルズは無得点。9回はクルーンに抑えられ、7対4で試合終了。タートルズの連勝は3でストップした。
◇
夜。メイドの業務を終え、また咲夜はバットを手に、月の照らす庭へ出た。
結局、今日も4打数無安打。試合には敗れたが、代わりに3番に入った藍は4打数2安打1打点と結果を残した。あるいはこのまま、2番の座は譲ることになるかもしれない。――最後は監督の決めることだから、自分がどうこう出来るわけでもないが。
バットを振るう。感触は悪くない。今日のあの当たりだって、抜けているはずの打球だった。だが結果は凡退であり、2割を切った打率こそが現実。
そして何より、主のあの無表情な視線が、咲夜には最も重くのしかかる。
お嬢様と妹様に繋ぐ二番打者。その役割を全うできないならば、十六夜咲夜とは何であるのか? ――時を止める力も封印している以上、ただ守備の上手いだけの選手でしかない。
がむしゃらにバットを振り抜く。それで答えが出るならばとっくに出ているはずなのだ。けれどそれ以外に何が出来るわけでもない。だから咲夜はただバットを振り続け、
「咲夜さん」
ひどく唐突な声に振り向けば、今日も門番の姿がそこにあった。
また仕事を放り出して来たのか。とりあえずナイフを投げておく。
「ま、待ってください〜! さ、差し入れですよぉ。喉、渇いてません?」
帽子にナイフが刺さったまま、門番は手にしていた水筒を差し出した。――咲夜はひとつ息をついてバットを下ろすと、水筒を受け取る。適度にぬるい水が身体に染み渡るのを感じた。
「……ありがとう」
「い、いえいえ〜、別に大したことは」
照れたように門番は笑う。――それはいいとして、早く仕事に戻りなさい。そう言おうと咲夜はまたナイフを取り出そうとして、
「あ、あの、咲夜さん。非常にその、差し出がましいんですけれどもども……」
不意に、門番がこちらを伺うような視線で口を開いた。
「咲夜さんの打席を見てて、ちょっと気になったことがありまして、あ、いえ、自分なんかの言うことがお役に立てるなんて思いませんがひょっとしたらとかええとその、」
「――何?」
訝しげに目を細めて咲夜は尋ね返す。――二軍の門番にアドバイスを受けるようなことがあるとも思えなかったが、聞くだけならタダだ。その程度のつもりで問うと、
「あの……咲夜さん、タイミングの取り方が、変な言い方ですけど、完璧すぎるんじゃないかと思いまして、その」
「…………?」
首を傾げた咲夜に、門番は「ええと、そのですね、あの」とどもりながら言葉を続ける。
「野球の守備陣形って、要は一番打球の飛びやすいところに人がいるわけで。咲夜さんの場合狙いが正確すぎて防がれやすいというか、つまりその、完璧な打球だからかえって真正面に飛んでしまうんじゃないかって……ああ、いや、やっぱり何でもないです、すみませんっ」
わたわたと早口で言って、逃げるように門番は去っていく。半ばぽかんとその背中を見送り、咲夜は訝しげに手元を見下ろした。――完璧すぎるから、ヒットが出ない?
それはひどく奇妙な感覚だった。完全であれ、完璧であれ。それが十六夜咲夜という存在の定義である。だが――そのことが足枷になっているのか。
十割打者などあり得ない。完璧であることなど最初から計算されていないスポーツの中で、自分はいったい、何を目指していたのだろう?
咲夜は再びバットを手に取る。――完全な自分。不完全な自分。肯定すべきはいずれか。目指すべきはいずれか。紅の月は、答えてはくれないけれど。
――とりあえず、また仕事そっちのけでバットを振っている門番にナイフを投げておかないと、と咲夜は思った。
◇
4月19日(木)、対横浜ベイスターズ6回戦(幻想郷スタジアム)。
1勝1敗で迎えた3戦目、横浜の先発は川村、タートルズの先発はメルラン。打順は今日も2番に藍が入り、5番ファースト妹紅、6番セカンド雛、7番キャッチャー輝夜、8番ショート咲夜という形になった。
試合は、2番の石井琢朗以外はずらりと右打者を並べてきた横浜打線に、早々にメルランが捕まった。2回、5番内川のツーベースから吉村、小池、相川と4連打を浴びて3失点。3回にも先頭の金城へ四球から村田にホームランという最悪の形で、3回途中5失点でKOされた。
打線の方も、射命丸こそ塁に出るが、藍に当たりが出ず、レミリアも苦手のインハイを執拗に攻められて上位打線が機能しない。妹紅のツーランで反撃開始といきたかったが、その裏にすぐミスティアが吉村にツーランを食らってはどうしようもなかった。
「こりゃ、今日はちょっとどうしようもないぜ」
苦笑する魔理沙に、アリスも息を吐き出す。今日はどうにも巡り合わせがよろしくない。繋がりが悪いですねぇ、ちょっと勿体ないと思いますよ。解説の決まり文句が的を射ていた。
結局試合はそのまま、3対8で逃げ切られて連敗。開幕カード以来久々の負け越しだった。相変わらずミスティアの調子が上向く気配がない。昨日は結果の出た2番藍も、今日はあえなく4タコだった。そもそもレミリアとフランも打てていないのだからどうしようもないが。
――とはいえ。
「咲夜」
試合後、引き上げていく面々の中から、アリスはまた咲夜に声をかける。
「今日は良かったわね。少し、調子も戻ったかしら?」
「……どうでしょうね」
咲夜は小さく笑みを浮かべる。そのことに、アリスはひとつ安堵した。
今日の咲夜は、第1打席は四球。第2打席は三遊間を抜けるレフト前安打。第3打席も、詰まり気味の打球がライト前にぽとりと落ちるテキサスヒット。第4打席は犠牲フライを打ち、2打数2安打1打点。地味ながら久々の活躍らしい活躍といえる。
「普段からこのぐらいやってもらわないと困るのだけれどね」
悠然と言ったのはレミリアだった。自身が3タコ1死球なことなど関係ないと言わんばかりのその態度は、カリスマと言うべきか傲然と言うべきか。
「次は紅魔館揃って活躍といきたいものね」
「――承知しています」
咲夜を従え、レミリアは勝手に歩き出す。その背中を見送って、アリスは肩を竦めた。
「ちょっといいかしら」
と、今度は別の声。振り向けば、スキマから紫が顔を出していた。
「紫? どうかした?」
「早々で悪いんだけど、藍を5番か6番に戻してほしいのよ」
それはまた早々にも程がある。まだ2試合目だ。もう数試合様子を見ようと思っていただけに、アリスは小さく唸った。
「……どういうつもり?」
「あら、単に自分の式神の体調を案じているだけよ? ただでさえ過労気味なのに、野球でまで過剰に負担かけて倒れられたりしたら私が困るもの」
「普段から過労気味なのが解ってるなら、先にどうにかするのはそっちでしょ……」
溜息を吐き出しつつ、紫の言うことも解らないではないとアリスは鼻を鳴らした。
普段は内野、レミリアとフランが不在のときは外野、紫が投げるときは捕手と、紫ほどではないにしろ藍を便利に使っているのはこっちも同じだ。もちろん戦力的に欠かせないからこそではあるのだが――これ以上の負担をかけて調子を崩されても困る。まあ、紫のことだからもちろんそれだけが理由というわけではないのだろうけど。
「解ったわ、明日の試合はまた中軸に戻ってもらう。2番は咲夜に戻すわ」
「よろしくお願いするわね」
「頼りにしてるわ、って藍に伝えておいて」
スキマに消える紫の姿を見送って、アリスは何度目かの溜息をつく。――本当に、この立場は気苦労が多すぎる。自分からやりだしたこととはいえ、どこかで息を抜かないとやっていられない。
明日も試合だけれど、八目鰻の屋台にでも行こうかしら。そんなことを思った。
◇
また、月が中天高くのぼる時間。
紅魔館の正門前で、美鈴はバットを振り続けていた。
「85、86、87――」
相変わらず、一軍に呼ばれる気配は無いけれど。だからって立ち止まっていていいわけじゃない。練習あるのみである。
と、不意に通用口の戸が開く音がして、美鈴はバットを振る手を止めた。こんな時間に誰が館から? と振り返り――そこにあった姿に、慌ててバットを放り出す。
「さ、さささっ、咲夜さん!? い、いや、サボってませんよ! はい!」
あはは、と笑ってみせる美鈴に、咲夜は何かを取り出した。すわナイフかと美鈴は身を竦めるが、放り投げられたのは別のもの。手元に飛んできたそれを受け止めて、美鈴は目を見開く。
――水筒だった。
「え? さ、咲夜さん?」
「あら、要らなかったかしら?」
「い、いえいえいえ、あ、あああ、ありがとうございますっ!」
狼狽しつつ、美鈴は水筒に口をつけて、慌てすぎて盛大にむせた。
そんな美鈴に呆れたように息を吐きつつ、咲夜は転がったバットを拾う。
「よくやるわね、貴女も」
「あ……いえ、咲夜さんに比べたら、そんな」
差し出されたバットを受け取って、美鈴は頬を掻いた。ひどくこそばゆい。
「やっぱり……その、自分もあそこに立ちたいので」
そう、あのグラウンドに、目の前のメイド長や、館の主であるお嬢様らと同じ場所に立ってみたい。それはいささか分不相応な望みかもしれないけれど。
「自分は努力あるのみなのです、はいっ」
「――門番の仕事も、そのぐらい努力してほしいものだけれど」
「そ、それはその、そっちはそっちでちゃんとやってますぅ〜」
しおしおと小さくなる美鈴に、咲夜は小さく苦笑した。
「そもそも、グラウンドに立ってるだけじゃ何の役にも立たないわよ」
「いや、それは言葉のあやと言うかなんというか」
もごもごと弁解しながら――こちらを見つめる咲夜の視線に、美鈴はひとつ息を飲む。
その視線は、無言で美鈴に問いかけていた。
――一軍のグラウンドに立つ。それはいい。だが、それだけでいいのか? と。
「じゃ、じゃあ」
と、反射的に美鈴は口を開いていた。
「い、一軍で活躍します! それを目標に邁進するであります!」
活躍って何だ。目標にしてはあまりに曖昧すぎる言葉に、しかし咲夜は小さく笑った。
「そうね、少しだけ期待しておくわ、美鈴」
「ほえ――」
え、今、名前、
問いかけようと思ったけれど、メイド長は瀟洒に踵を返して歩き去っていく。
半ば呆然とその背中を見送って――美鈴は鼓動の早い胸の前で、ぎゅっと拳を握った。
「……頑張れ美鈴、負けるな美鈴、我的名字紅美鈴!」
えいえいおー、と拳を月に掲げ、美鈴は叫んだ。歓喜と決意を滲ませて。
そうだ、活躍するのだ。目指すはお立ち台。ヒーローインタビュー!
名前を呼んでくれた、少しだけでも期待してると言ってくれた咲夜さんに応えるために。
不完全なワタシが、完全なあの人に少しでも近づけるように。
そしていつか、紅魔館に紅美鈴ありと――それはちょっと高望みかもしれないけれど。
目標は高く。理想は遠く。前を向いて突き進むのみ!
そうと決まれば素振り倍増、いや3倍増だ。美鈴はバットを振り上げて、
『でも、練習は門番の仕事が終わってからにしなさい』
「――はひい」
結局その日も、美鈴の帽子には3本のナイフが生えることになったのだった。
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