あなたの人生の物語 8/「あなたの人生の物語」
2010.09.24 Friday | category:東方SS(東方野球)
結局、怨霊の発生だけが止まり、間欠泉は神社の近くに残ることになった。
「これで安心して温泉の工事に取りかかれるわね」
「取りかかれるって、工事するのは私じゃん」
ぶー、と頬を膨らませて萃香は言う。霊夢はやれやれと肩を竦めた。
「普段無駄飯喰らいなんだから、こういうときぐらい働きなさいって」
「ちぇーっ」
不平をこぼしながらも、萃香は工事の準備を始める。何だかんだ言って、頼まれた仕事はちゃんとやるのだ、萃香も。
「全く、居候をこき使ってくれるよ……」
「居候だからこそ、でしょうが」
「何さー。だいたい最近は……」
言い返しかけて、萃香は不意に口ごもった。
最近はあんまり、そもそも神社に居ないじゃん。言いかけたのはきっとそんな言葉だ。
「そうよね、最近どこほっつき歩いているのよあんた」
「どこってさあ……ねえ」
「気でも遣ってるつもり? 居候のくせに」
目を細めて見つめる霊夢に、萃香は少し居心地悪そうに視線を逸らす。
「それとも――もう、うちに居たくない?」
この訊き方は意地が悪いかもしれない、と霊夢はぼんやりと思った。
自分はたぶん、残酷なことを萃香に問うているのだろう。
――けれど、こういうときどうするのが正解なのか、霊夢には解らなかった。
「その訊き方は、ずるいよ、霊夢」
どこか儚げに笑って――萃香は、霊夢が思っていたことをそのまま口にした。
「あのさ、霊夢」
「うん」
「――あんまり昼間からいちゃついてると、文あたりに盗撮されて新聞に載るよ?」
にしし、と萃香は笑った。霊夢は虚を突かれて目を見開く。
「ま、そうならないように、見張り役ぐらいなら請け負うけど、ね」
その笑みは、いつもの萃香の脳天気な笑顔だったから。
霊夢もふっと表情を緩めて、その額を小突いた。
「これから雪も積もりそうだし、家賃とご飯代は雪片付けで相殺ね」
「あいよっ」
頷いて、それから萃香はくるりと霊夢に背を向ける。
萃香がどんな表情をしているのか、霊夢にはよく解らなかった。
◇
「御機嫌よう」
「温泉が湧いたって聞いたけど、本当だったのね」
ちらつく小雪の中、博麗神社に姿を現したのはアリスと阿求だった。
「あら、野球も終わったのに珍しい取り合わせね」
「私はこの間も言った納会の件で」
「幻想郷の出来事を記録するのが阿礼乙女の務めよ。稗田なめんな」
「いらっしゃい〜、立ち話も何だし上がって〜。寒いでしょ〜」
レティがぱたぱたと玄関に姿を現し、アリスと阿求を促す。
「寒いのはあんたのせいでしょ?」
「ちがうってば〜」
半眼で睨むと、レティは頬を膨らませて抗議。その様子にアリスと阿求は肩を竦める。
「あ、温泉はまだ工事中よ? 数日中には終わると思うけど」
居間に場所を移し、霊夢はふたりにお茶を出す。レティには冷茶だ。
「そう、その件で。どうせなら、納会の前にみんなで完成した温泉に浸かってゆったりするのも、いいんじゃないかと思うの」
「へえ、いいんじゃない? ちょっと出歯亀が心配だけど」
「だから、水着着用でね」
「温泉で水着? いまいち風情に欠けるわねえ」
ずず、と自分もお茶をすすって霊夢は息をついた。
「聞いた話だと、外の世界ではそうやって入る温泉もあるそうよ」
「らしいわね。男女混浴だとか」
アリスの言葉に、阿求も頷いた。
「……霖之助さんでも呼ぶ気?」
「まさか。呼ぶのはあくまで選手よ。選手たちを労う宴会なんだから」
「どっちにしても、私にはあんまり縁が無さそうね〜」
冷茶を口にしながら、レティが苦笑混じりに行った。「あんたは仕方ないでしょ、熱いのだめなんだから」と霊夢は肩を竦める。
「ま、了解。そういうことなら萃香に工事も急がせるわ」
「ありがとう。じゃあ、納会はそういう方向で話をみんなに回しておくわ」
「いいけど、レティやチルノの他にもお湯に入れなさそうなのが何人か居ない?」
阿求が言い、「レミリアとフラン? そこは要確認ね」とアリスは首を捻った。
「ところで、その温泉の工事してるところ、見させてもらってもいい?」
立ち上がり、阿求がそう言った。「あ、じゃあ案内するわ〜」とレティが立ち上がる。
「大丈夫?」
「平気よ〜。阿求、温泉はこっちよ〜」
レティが阿求を促して歩き出す。その背中を見送って、それから不意にアリスが霊夢へと改まって向き直った。
「霊夢」
「うん?」
「レティの編み物って、どうなったか知ってるかしら?」
「そろそろ完成するって言ってたけど」
「……そう」
今さら、改まって確認するようなことだろうか。霊夢が少し訝しんで視線を向けると、アリスは僅かに口ごもり――それから、言葉を選ぶように口を開いた。
「――ねえ、霊夢。未来のことについて、考えてみたこと、ある?」
「未来?」
「貴方とレティの――そう、たとえば、五十年後」
五十年後。そんな先のことなど、自分には想像もつかない。
ただ、アリスが何を言いたいのかはすぐに解った。
「少なくとも、次の花の異変までは生きてたいわねえ」
「六十年でも七十年でもいいわ。……その時間は、貴方にとっては一生でも、レティにとっては……たぶん、そんなに永い時間じゃないわ」
「――そりゃあ、そうでしょ。レティは妖怪だもの」
全く、何を今さらだ。
そんなことは……レティのことが好きだと気付いた瞬間から解っている。
自分の人生は、どんなに長くても百年。レティの生はきっとその数倍も、それ以上もある。
一緒に過ごす時間が、たとえこの後の霊夢の一生に渡るとしても――それはやはり、レティにとっては永い時間の一部でしかない。
そうして、自分が居なくなった後に、残されたレティは何を想うだろう。
――それを解っていても好きになってしまったことは、あるいは罪なのだろうか。
「アリス。あんたはその程度のことで――好きになった相手から離れられる?」
「その程度の、って――」
「人間いつかは死ぬのよ。明日かもしれないし六十年後かもしれない。そんな不確かなことに怯えて、今ここにある幸せを逃すなんて――馬鹿馬鹿しいじゃない?」
ほう、とアリスは息を吐き出す。
「……残される、レティのことは?」
「レティだって馬鹿じゃないわよ。そのぐらいのことは自覚してるでしょ。……解ってても、私はレティが好きで、レティも私を好きって言ってくれるんだから、仕方ないじゃない?」
「相変わらず――悩みが無さそうで、羨ましいわ」
「さらっと失礼なこと言うわね」
半眼で睨むと、アリスは小さく苦笑する。
「……そうね、もし私がいつか年老いて死んで、それをレティが悲しんでくれるなら」
霊夢は目を細めて、小雪をちらつかせる空を見上げた。
あるいはひょっとしたら、幽々子のように亡霊となってこの世に留まり続けられるのかもしれない。けれどそんなのはやはり、いつ来るか解らない未来の話だ。
「悲しんでもらえるだけ、レティに好きでいてもらえたって、きっと私は幸せでいられるわよ」
霊夢は笑って、そう答えた。
アリスはただ――ひどく曖昧な表情で、それを見つめていた。
◇
「お? 何だか珍しい顔が来てるじゃん」
わらわらと分裂して作業をしていた萃香が、阿求とレティの姿に目を留めた。今は浴槽になる穴を掘っているところらしい。間欠泉からお湯を引いて、近くの川の水と混ぜて適温にして、ここに湯を張るのだそうだ。
「さすが、力仕事は鬼の本文と」
「まーね。神社の再建とか、コキ使ってくれるよ、霊夢ってばさ」
口を尖らせながらも、萃香の顔はどこか嬉しそうだった。
霊夢に必要とされていることが、嬉しいのかもしれない。レティはそう思う。
「……さて」
黙々と作業を続ける萃香を見つめていた阿求は、不意にレティを振り返った。
「レティ。せっかくだから、ひとつ貴方に提案したいことがあるの」
「提案〜?」
「――字を、習ってみない?」
思いがけない言葉に、レティはきょとんと目を見開く。
レティは一応、人間の使っている文字を読むことはできる。スコアブックの読み方も野球をしながら覚えた。ただ、字の書き方の方はさっぱりだ。何しろ妖怪の場合基本的に、生活の中で読み書きをする必要性がほとんど無いのだから、仕方ないといえば仕方ない。
「霊夢とこれから一緒に暮らしていくなら、覚えておいて損はないと思うわよ」
「ん〜、そうね〜。でも、急にどうしたの〜?」
確かに、覚えておくに越したことはないだろう、とは思う。しかしそれを、慧音あたりではなく阿求から言われたのが意外で、レティは首を傾げた。
阿求はひとつ息をつくと、神社の建物の方を振り返る。
「――そうね、隠すようなことでもないわ。貴方が読み書きを覚えたら、ひとつお願いしたいことがあるのよ」
「?」
「博麗霊夢という少女のことを、一番近くに居る貴方に、記録してほしいの。貴方が共に過ごしていく、彼女の人生の物語を、全て」
そう言った阿求の顔は、どこか寂しげに見えて、レティは目を細めた。
「……そういうのは、阿求の仕事じゃないの〜?」
「私の仕事のための、情報収集の一環。こう言えばいい?」
「なるほど〜」
それだけではないのだろう、という推測は出来たが、指摘はしないことにした。
「でも、記録ってどういうことを〜?」
「堅く考えなくてもいいわ。――貴方が見た霊夢を。貴方が恋をした、貴方に恋をした博麗霊夢という少女のありのままの姿を、貴方の言葉で記してくれればいい」
「……なんだか、それはそれで難しそうだわ〜」
霊夢が好きだ。霊夢は可愛い。霊夢が愛おしくてたまらない。
そういう気持ちを言葉にするというのは、最初は簡単だけど、何度も繰り返すと同じ言葉ばかりで陳腐になってしまう気がするように。
言葉で霊夢を記録するというのは、すごく難しいことのように思えた。
「日記をつけるつもりでいいのよ。その日何があったか。それに霊夢がどんな反応をして、そんな霊夢のことをどう思ったか。――上手な読み物として書けなんて言わないわ。貴方が、貴方のために書けばいいの。……想いを、留めておくために」
付け足すような小さな言葉が、あるいは阿求の本音だったのかもしれない。
レティは頷く代わりに、小雪の舞い散る空を見上げた。
――想いを、留めておくために。
それはあるいは――永い時を経て、自分が彼女を喪ったときのために?
レティはぎゅっと、胸の前で両手を握りしめる。
「ねえ、阿求〜」
「うん?」
「私は、私たちは――これからもずっと、幸せでいるわ〜」
「……そう」
「ずっと。……そう、ずっと、私は霊夢を、好きで居続けられると思う」
それはただの儚い願いなのかもしれないけれど。
貴方の人生の物語の終わりまで、傍にいられるならきっと。
私の人生の物語が終わるまで――ヒロインはただひとりだけだと、信じよう。
そう、レティは思った。
◇
そして、また小雪のちらつく午後。
「レティ、買い出し行くけどあんたも行く?」
「あ、うん、行く〜。ちょっと待ってて〜」
台所から声をかけると、ぱたぱたと足音が廊下の向こうから聞こえた。
上着を羽織って靴を履いていると、レティが「お待たせ〜」と玄関に駆けてくる。
その両手が後ろに回されていることに、霊夢は訝しんで目を細めた。
「なに隠してるのよ?」
「なんでもないわよ〜」
笑って誤魔化すレティに肩を竦めて、霊夢は玄関から外に出る。雪は儚く、ひらひらと地面に落ちて消えていた。まだ積もるような降り方ではないが、本格的な冬ももうすぐだ。
「れいむっ」
背中に声がかかった。「ん、行くわよ」と霊夢は振り返った。
――ふわり、と。その首に、毛糸の感触が触れた。
「っと……これ」
「えへへ〜……さっき、完成したわ〜」
首に巻かれたその毛糸の――紅白のマフラーに触れて、霊夢は目をしばたたかせる。
えへへ、と照れくさそうにレティは笑った。
「……なんか、ちょっと歪んでない?」
「そ、それはご愛嬌ってことで〜」
「ま、いいけどね」
口元をマフラーに隠すように埋めて、霊夢は呟いた。
たぶんそれは、緩んでいる頬を隠すためだった。
――ただの毛糸のマフラーが、こんなにあたたかく感じるのも。
全部、レティと一緒にいる幸せの証なのだから。
「レティ」
「うん?」
巻かれたマフラーの片端を、霊夢は引っぱった。思ったよりマフラーは長い。
そっと、レティの隣に並ぶと、霊夢はマフラーの片端を、レティの首にかける。
「ほへ」
レティが振り向いた。照れくさくて、霊夢はつい、と視線を逸らした。
けれど、その手だけはしっかり握りしめた。強く、強く。
「……ま、せっかく貰ったものだし。たまには恋人らしいこと、してもいいわよ」
ぶっきらぼうに、視線を逸らしたままそう呟く。
自分の顔も、レティの顔も、たぶん寒さのせいではなく真っ赤だった。
「……霊夢」
「何よ」
背中越しに、レティの声が優しく囁いた。
「大好き」
――それは、きっと自分の人生の中で、一番の幸せをくれる言葉だから。
「……ばーか」
振り向いて、その頬をいつものようにつねって。「いひゃいいひゃい〜」と涙目で笑うレティに、そっと顔を近づけて。
触れあった温もりに、霊夢は囁く。
この温もりが、どうか永遠でありますように――と。
◇
幻想郷に雪が降る。
やがて全てを、その雪が白く覆い尽くしてしまうのだとしても。
――あなたの人生の物語は、ここに確かに刻まれていくのだから。
その傍らにどうか、私の人生の物語が、寄り添っていられますように。
〈了〉
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