あなたの人生の物語 7/レティ・ホワイトロック
2010.09.21 Tuesday | category:東方SS(東方野球)
その日、幻想郷に初雪が降った。
「雪よ、雪よ〜。こな〜ゆき〜♪」
「ご機嫌ねえ」
ひらひらと雪の舞う博麗神社の庭で、レティはくるりとターン、そしてステップ。
そんな様子に、霊夢は身を竦めながら白い息を吐き出していた。
「だって、私の季節だもの〜」
湧きあがる高揚感に任せて、レティはくるくるその場を回った。待ちこがれた自分の季節。寒ければ寒いほど、レティには過ごしやすい季節になる。気分の浮かれないはずもない。
「うう、寒……」
とはいえ、人間の霊夢にしてみれば逆の話なのだろう。巫女服から剥き出しの腕をさすって、霊夢は縁側から粉雪を落とす雲を恨めしげに見上げる。
「そんな格好してるからじゃないかしら〜?」
「これが普段着なんだから仕方ないでしょ。誰が決めたんだか知らないけど」
半眼で睨む顔を向けられて、レティはむぅ、と唸った。
「だからって〜。風邪引いちゃうわ〜」
出掛けるときのように、上着でも羽織ればいいものを。
「てゆか、寒いのはあんたのせいじゃないの?」
「それは濡れ衣よ〜。今は別に寒気操ってないもの〜」
「そう?」
確かに自分は寒気を萃めて気温を下げることは出来る。自分の過ごしやすさを優先するなら、もっともっと寒くしたいところだ。――けれど、ここでそれをしたら霊夢が凍えてしまう。
「……へぷしっ。うう、どてらでも出そうかしら」
「そうした方がいいと思うわ〜」
くしゃみをひとつして、霊夢はまた白い息を吐いた。
「頼むからこれ以上寒くしないでよ?」
「しないわよ〜」
また半眼で睨まれる。冬妖怪だからって、ところ構わず極寒の地にしているわけではないというのに、どうしてそんな恨めしげに見つめられなければならないのか。理不尽である。
「イマイチ信用ならないわねえ」
「ひどいわ〜。そりゃあ、私は寒い方が好きだけど〜」
「神社で凍死はしたくないわね……」
「もう、霊夢〜。人を何だと思ってるの〜?」
さすがに怒っていいと思う。頬を膨らませて縁側の方に詰め寄ると、霊夢は肩を竦めた。
「雪女でしょ」
「そうだけど〜。霊夢ってばひどいわ〜」
「何よ」
霊夢の傍らに腰を下ろす。庭に舞う雪はひらひらと、幻のように儚い。
「確かに、私は寒い方が幸せだけど〜」
そう、確かに自分は寒い方が好きだ。極寒の冬こそ、自分の生きる季節だ。
――けれど今は、それ以上に大切なものがある。
「霊夢のそばにいるのが、一番幸せなのよ〜?」
振り返ってそう言うと、霊夢は一度目をしばたたかせて、それから口を尖らせた。
「何よ、急に」
「だから、霊夢が嫌なら、寒くしたりなんてしないわ〜」
「……どーだか、ね」
つい、と視線を逸らして、霊夢はぼやく。
「ひどい〜。なんで信じてくれないの〜」
「へくしっ。うー、こたつにでも入ってるわ、私は」
レティの抗議を無視して、腕をさすりながら、霊夢はくるりと踵を返した。
「霊夢〜。むう〜」
その巫女服の裾を掴んで、レティは頬を膨らませる。――人がせっかく、その、少々照れくさいことを言ったのに、完全スルーはひどいと思うのだ。いやまあ、霊夢がぶっきらぼうになるのはいつものことだけれども――。
「寒いのよ、馬鹿」
「馬鹿じゃないわ〜」
「はいはい、何でもいいから、積もったら雪片付け手伝いなさいよ?」
「解ってるわよ〜」
どっちかといえばそれは萃香の仕事のような気もするが。頬を膨らませたままのレティに、霊夢はどこか疲れたようにひとつ首を振った。
「……それと、ね」
「うん?」
すっと、霊夢がその場に膝をついて。両手がレティの肩に触れて。
――唇が寄せられるのは、一瞬のことだ。
「……はふ。れ、霊夢こそ、急に何するの〜」
唇が離れて、顔がだらしなく緩むのを自覚しながら、レティは抗議のふりをする。
何だかんだ言って、霊夢は最後には、自分の望むものをくれるのだ。
「別に」
「別にって〜」
口を尖らせたまま、霊夢は素っ気なく言うけれど、やっぱりその頬は赤いのだ。
「……あんまり恥ずかしいこと言うんじゃないわよ」
そんな、ぶっきらぼうな仕草も言葉も何もかも、やっぱり愛おしくてたまらない。
「れいむ?」
「あー、寒い寒い。こういうときはこたつで熱いお茶に限るわね」
わざとらしく言って再び立ち上がった霊夢の裾を、またレティは掴む。
「れいむってば」
「何よ」
「……もいっかい、して」
「断る」
即答だった。それはちょっとひどいと思う。
「なんで〜? れいむ〜」
「こら、ひっつくな」
立ち上がり、その背中に抱きついてみた。霊夢はもがくけれど、本気で引きはがそうとはしない。そのことがまた、やっぱり嬉しかったりする。
「こうすれば、あったかいでしょ〜?」
「それとこれとは――」
「……霊夢。好き」
霊夢の抗議を遮るように耳元で囁くと、その頬の赤みが増した気がした。
「っ、何よもう――」
「好き。大好き。……冬より雪より寒さよりも、霊夢が好き」
「だから恥ずかしいこと言うなっ」
もがく霊夢を押さえて、レティは緩む頬を霊夢に寄せた。伝わる熱と鼓動が心地よい。
「何回でも言うわ〜。霊夢がもいっかい、キスしてくれるまで」
「……あーもう、そっちの方が寒くされるよりよっぽど勘弁してほしいわね」
諦めたように息を吐いて、霊夢はこちらを振り向いた。その笑みは、やっぱり優しいのだ。
「れいむ〜」
「解ったから、もう。――目、閉じなさい」
「ん……」
そして、白く染まる吐息の距離を近づけて。
目を閉じて、レティは霊夢の柔らかな熱が触れるのを待って――。
突然響き渡った轟音が、寸前でふたりの間に無粋に割り込んだ。
「ちょ、何事!?」
地面の揺れと、破裂音のような爆音に、ふたりは驚いて振り返る。
白く粉雪が舞う博麗神社の庭、その向こうに見える景色に。
――何の冗談かと思うような、水柱が噴き上がっていた。
◇
「間欠泉?」
「要するに温泉よ、温泉。お湯が噴き出してるわけ、どばーっと」
水柱を確認しに行った霊夢は、戻ってきて開口一番にそう言った。
「個人的にはあんまり近付きたくないわね〜」
「そりゃそうでしょうね」
霊夢は肩を竦めた。冬妖怪のレティは基本的に熱が苦手だ。なので、身体を洗うのは基本的に水浴びである。霊夢と一緒にお風呂に入れない、というのは寂しくはあるのだけれども、人間にとってはぬるま湯的な温度でも、レティには結構辛いのだ。
「この匂いもそのせいかしら〜?」
「みたいね。なんて言うかこう……」
「おならみたいな?」
「言うな」
間欠泉から漂ってくる、卵の腐ったような匂い。レティはよく知らないが、これが温泉の硫黄臭らしい。まあ、嗅覚は割とすぐに慣れるが。
「おお? 何か妙なもんが見えたから来てみれば、何だこの匂い?」
と、そこに舞い降りてきたのは箒に乗った魔理沙だった。
「何かね〜、温泉が湧き出してきたみたいで〜」
「温泉? 穴掘って洞窟の宝探しでもしてたのか? まあ、お前なら膝の高さから落ちて死ぬようなことはないだろうけどよ」
「何よそれ。てゆか、そもそも勝手に噴き出してきたのよね」
「それこそ妙な話だな」
ちょっくら私も行ってくるぜ、と魔理沙は再び箒に跨ると間欠泉の方へ飛んでいた。それを見送り、霊夢はふむ、とひとつ首を傾げる。
「温泉、ねえ」
「霊夢〜?」
「温泉、観光名所、賽銭収入アップ――いいんじゃない?」
名案を思いついた、とばかりに霊夢はニヤニヤと笑みを浮かべる。何を考えているのかはレティにもだいたい想像がついた。
「温泉の工事、となれば萃香の仕事よね。――どこ行ったのかしら?」
「れ〜い〜む〜。よからぬこと考えてない〜?」
「何よ。こんな文字通り湧いてきたもの、活用しなきゃもったいないじゃない」
賽銭収入も最近さっぱりだしねえ、と霊夢はため息。まあ、確かに球宴異変の終盤はこの境内にも優勝祈願の参拝客をよく見たが、あれ以来は本当に誰も来ない。――ふたりでいちゃついている分には、誰も来ない方がいいというのはさておき。
「入浴料を賽銭にするっていうのはいいかもしれないわね」
「それって何か色々と罰当たりな気がするわ〜」
「おいおい、取らぬ狸の何とやらもいいけどよ?」
と、そこに魔理沙が戻ってくる。あらおかえり、と顔を上げた霊夢に、魔理沙は肩を竦めた。
「何か、お湯以外のものも湧き出てるぜ?」
「へ?」
魔理沙の言葉に、霊夢とレティは顔を見合わせた。
◇
沸いて出てきていたのは、怨霊だった。
怨霊たちは、間欠泉と一緒に天高く舞い上がって、それからふよふよと辺りを漂い始める。
「これじゃ、人間のお客が寄ってこないじゃない」
むぅ、と唸りつつ、しかし霊夢は漂っている怨霊をどうかしようという気は無さそうだった。
「れいむ〜、このままでいいの〜?」
「さてねえ。ま、害が無ければいいんじゃない?」
幽々子とかルナサとかと似たようなもんでしょ、と投げやりに霊夢は言い放つ。ふよふよと頭上を漂っているこれと一緒にされたら幽々子も怒ると思うが。
「止められるもんならともかく、温泉と一緒に沸いてるんじゃねえ」
「ホントに温泉開業する気なのね〜」
「何よ、不満?」
「ううん、霊夢がいいなら別にいいんだけど〜」
歯切れの悪い言葉に、霊夢は訝しげに目を細めた。
「――あやややや、異変解決の専門家たる博麗霊夢さんとしては、今のは問題発言では?」
と、そこに黒い羽根を散らして割り込む影。文だ。
「相変わらず目ざといわねえ」
「情報は鮮度が命なもので。――で、この怨霊は放置プレイですか?」
「少なくとも、今のところ私には害は無いみたいだしねえ」
ずずず、と霊夢はお茶をすする。あやややや、と文は肩を竦めた。
「困りますねえ」
「何がよ?」
「そうねえ、困るわねえ」
ひょい、とさらにその場に現れる影ひとつ。空間がぱくりと割れ、そのスキマから姿を現したのは――八雲紫だ。レティは傍らで小さく息を飲む。
「紫、あんたまで何よ?」
「それは勿論、異変解決のお手伝いをしてさしあげなければなりませんわと」
「こら、ちょっと――」
「あ……」
紫と文に引きずられるように霊夢は連行されていく。レティはそれを見送ることしかできない。――まるでそこに存在しないかのように、文と紫には完璧に無視されていた。
結局、自分の存在は彼女らにとってはその程度なのだろうか、と思う。
スキマ妖怪。妖怪の大賢者、八雲紫。
幻想郷でも最強、最高齢クラスの妖怪、鴉天狗の射命丸文。
――吹けば飛ぶような冬妖怪の自分が、霊夢のそばにいることなど、彼女たちにとっては些事でしかないのだろうか。だとしたら。
「……れいむ」
レティは胸の前で、ぎゅっと手を握りしめた。
◇
その場に戻ってきたのは、八雲紫だけだった。
「……霊夢は〜?」
おそらく無視されるのだろう。そんな予感を覚えながらも、レティは紫に訊ねる。
けれど紫は、その声にゆっくりと振り向くと、底の見えない笑みをその顔に浮かべた。
「霊夢には、ちょっと異変解決に向かってもらいましたわ」
「どこに?」
「地底に」
それで自分は地上から高みの見物だとでもいうのか。レティは眉を寄せる。
いただくわね、と紫は霊夢の飲みかけのお茶に、勝手に口をつけた。
『誰がちょっかいかけて来るか、解ったもんじゃないからな。――霊夢に関しては』
『貴方と霊夢の関係については、今のところは誰も問題視していませんが、貴方が知りすぎてしまえば、話は別になりかねない』
魔理沙と阿求の言葉が、不意に頭をよぎった。
彼女らが口にした『誰か』とは――おそらく今、目の前にいる妖怪だ。
八雲紫。スキマ妖怪。アリスによれば、あの球宴異変の首謀者もおそらくは彼女だ。
――その思考が読めない。彼女が何を望み、何を求め、……今の自分と霊夢の関係をどう思っているのか。解らないから、ひどく居心地が悪いのだ。
「……ねえ、紫」
「あら、何かしら?」
レティの呼びかけに、紫はゆっくりと振り返った。
その瞳の色は――どんな色をしていたのか、レティにはよく解らなかった。
「…………」
どんな問いかけをかけるべきなのか、言葉は空転し、レティは口ごもる。
霊夢のこと。博麗の巫女とは何なのか。紫にとって――霊夢とは何なのか。
訊きたいことは確かにあった。けれどそれは、彼女に問いかけるべきことなのだろうか。
八雲紫が何を求め、何のために動き――自分を、自分と霊夢のことを、どう見なしているのか。それが解らないから、問いかけは形にならずに口の中で淀んで消える。
紫はただ、言葉を待っているのか、それともレティのことなど気にも留めていないのか、悠然とお茶を飲んでいた。「ちょっと渋いわねえ」と顔をしかめる。
「紫は――霊夢のこと、好きなの〜?」
結局、口にできたのはそんな陳腐すぎる問いかけだった。
紫は静かに、湯飲みをその場に置くと、目を細めてレティを見つめる。
その顔が、不意にレティには、ひどく寂しそうに見えた。
「そうね、好きよ?」
さらりと、紫はそう口にした。けれどその言葉は、ひどく機械的にレティには聞こえた。
「……私と、同じ意味で〜?」
「その問いに、貴方はどんな答えを期待しているのかしら?」
問い返されて、レティは口ごもる。
――紫がただ、霊夢に恋をしているのならば。
そんな単純な恋敵ならば――話は解りやすかったのだろう。
『もし紫が何かちょっかいをかけてきたら、『霊夢は私が居なきゃもう生きていけないのよ』ぐらいのことを言い返してやればいいわ。紫はどんな顔するかしらね?』
アリスとそんなことを言って笑い合ったのを思い出す。
けれど、実際には。――今、目の前にした紫は。
冬の雪原に取り残されて、ひとりで泣いている少女のように、レティには見えた。
そんなのは、自分の錯覚だったのかもしれないけれど。
「……私は、霊夢が好き。霊夢も……私のことを好きって、言ってくれるわ〜」
ひとつ唾を飲んで、レティはそれから紫を見つめて口を開いた。
「素敵なことね」
平板な言葉。感情は見えない。そもそも――彼女に感情というものはあるのだろうか。
スキマ。全ての境界。それを操る彼女の目に見えるのは、何だろう?
「ねえ、好きな人のことを知りたいと思うのは、いけないことなのかしら〜?」
「――――」
紫は沈黙する。ひらひらと舞う雪に、音が吸い込まれるように、静寂が張りつめる。
「貴方は今、幸せかしら?」
不意に、ゆかりは静かにそう口にした。
その問いは、数日前に阿求からかけられた問いと同じ。
『――貴方と霊夢の関係は悪ではありませんが、必ずしもその結末は幸福になり得ないという可能性がそれなりに高いということは、覚悟しておいた方がいいでしょう』
自分は妖怪で、霊夢は人間。寿命が違う、ということは理解している。
けれど、あるいはそれ以外に、自分たちに何か不幸があるのだとして。
――だからといって、そんなことを誰かに決めさせはしない。
「ええ、幸せよ〜。今も、これからも〜」
そうだ。これからも、自分たちは幸せなのだ。
霊夢がそばに居る限り、幸せでいられるはずなのだ。
「これからも、ね。――霊夢の時間が、あなたよりも遥かに短いとしても?」
「そんなの、解ってるわ〜」
「――そうね、そういうことにしておくのが、幸せということよね」
皮肉めいた言い回しに、レティは眉を寄せた。
その言葉は皮肉のようなのに――やっぱり、レティには。
紫の言葉も表情も、何かを知ってしまったが故の孤独に見えるのだ。
それは、あるいは、八雲紫という妖怪も――レティと、同じように。
「紫」
その言葉は、レティにとってはただ、ぽつりとこぼれた印象だった。
「――紫も、誰かを好きになったこと……ううん、今も、誰かを好きなの〜?」
そしてそれは、たぶん霊夢ではない。もっと他の誰かなのだ。
その誰かは――紫のそばにはいない、誰か。
レティにはなんとなく、そんな風に思えた。
「…………」
紫は答えなかった。ただその沈黙には、最初に紫と向き合ったときのような息苦しさは感じなかった。
雪がまた、ひらひらと舞い降りる。風はない。白が、世界を覆い始めようとする。
想いも何もかも、その雪の下に覆い隠されてしまうのだとしても。
――いつか雪が溶けたとき、そこに何が残るのだろう。
「あら、どちらへ?」
立ち上がったレティに、紫が振り返って顔を上げた。
「霊夢が帰ってきたときのために、ご飯でも用意しておくわ〜」
あまり熱いものはつくれないけれど、自分に出来ることをしよう、とレティは思った。
今は、そうすべきなのだと思った。
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