あなたの人生の物語 3/レティ・ホワイトロック
2010.09.09 Thursday | category:東方SS(東方野球)
毛糸と編み棒は、離れの奥の方に、箱に入って埋まっていた。
とりあえず発掘したのはいいのだが、レティには編み物の心得など全く無い。誰かに教えを請うしかないが、霊夢へのプレゼントを編むのに霊夢に教えて貰うというのも変な話だ。
そんなわけで、レティは人里に足を踏み入れていた。
妖怪であるレティの姿にも、人々は特に奇異の目や怯えを向けることはない。幽香や藍あたりがよく買い物に来ている、という話は聞いた覚えがある。人里に来る人型の妖怪は、変に刺激しなければ話が通じる相手だというのは、人里の共通認識らしかった。
「え〜と……」
人里に来るのは二度目である。もちろん、土地勘などあるはずもない。目的地は決まっていたが、場所がどこなのか確認するのを忘れていた。迂闊である。
困ったわね〜、とレティが視線を彷徨わせていると、「お?」と不意に声がした。
「おや、霊夢ちゃんのお友達じゃないか。霊夢ちゃんは一緒じゃないのかい?」
台車を引いて現れたのは、山菜屋の店主だった。
「あ、こんにちは〜。あの、慧音の寺子屋ってどこだか分かります〜?」
「おお、先生に用事かい? 寺子屋ならそこの角を右に曲がって三軒目だ」
霊夢ちゃんによろしくな、と笑う店主にぺこりと頭を下げて、レティは示された方向へ向かう。果たして、すぐに看板が目に入った。『寺子屋 上白沢塾』。
「みんな、気を付けて帰るんだぞ」
「はーい!」
折良く、がやがやと子供たちが寺子屋から姿を現した。その後ろに、見慣れた長身と変な帽子が見える。慧音だ。
はしゃぎ声をあげて駆け出す子供たちとすれ違ったところで、慧音がこちらに気付いて驚いたように目を見開いた。「こんにちわ〜」とレティは片手を挙げて挨拶する。
「これはまた、珍しいな。霊夢殿は?」
「今日は一緒じゃないわ〜。ちょっとね、頼み事があって来たの〜」
私に? と首を傾げた慧音に、レティは持参したそれを掲げる。毛糸と編み棒だ。
「慧音、編み物できるかしら〜?」
きょとん、と慧音は目をしばたたかせた。
◇
子供たちの去った寺子屋の一室は、がらんとして静かだった。
「まあ、教えるほどのものではないが」
「よろしくお願いします〜」
毛糸玉を挟んで、レティはぺこりと慧音に頭を下げる。
とりあえず簡単にやって見せようか、と慧音は編み棒を手に取る。
「しかし、どうして私のところに?」
「知り合いにこういうの得意そうなの、あんまり思い当たらなくてね〜」
毛糸の巻かれた編み棒が、ちくちくと少しずつ編み目を結んでいく。
ほえ〜、と感心した声をあげるレティに、「基本はこの繰り返しだ」と慧音は苦笑した。
「手芸や裁縫なら、監督殿――アリス殿の方が得意そうだが」
ついつい癖でそう呼んでしまったか、慧音は言い直す。野球はもう終わったのだ。
「うん、最初はアリスのところに行ったんだけどね〜」
「断られたのか? アリス殿に限ってそんなことも無いと思うが」
「そうじゃなくて〜。魔理沙が居たのよ〜」
「……ああ、なるほど」
お邪魔はできないという話である。納得したように慧音は息をついた。
「あ、ひょっとして慧音も、これから妹紅と会う予定だったりした〜?」
「いや、気にしないでくれ。そうだ、私も何か編んで妹紅に贈ろうかな。もうすぐ冬になるし」
窓の外、寺子屋の庭の木々もすっかり葉を落としている。冬はもうすぐそこだ。
「こんな感じだな。やってみようか?」
「頑張るわ〜」
慧音の手本と見比べながら、編み棒に糸を巻いていく。ふわふわの毛糸の感触。
「まあ、裁縫や編み物は根気だ。基本的な技術さえ身につければ、あとは仕上げまでチマチマとした作業の繰り返しだからな」
「時間はたっぷりあるから大丈夫よ〜」
ちくちく。「……あれ?」見た通りにやっていたはずなのに、編み目が変な形になってしまった。「そっちじゃない、こっちを、こう」と慧音が修正を施す。やっているのを見ているときは簡単そうに見えたが、意外と難しい。
「こうやってひとつひとつ、時間をかけて作ってるのね〜」
「どんなものでもそうさ。それを使う人がいるから、作る人がいる」
何もかも、求められて生み出されるんだ。編み棒を動かしながら、慧音はそう呟いた。
――それはあるいは、誰かも、ということなのかもしれない、とレティは思った。
「そうだな、もうひとつ私からアドバイスするとすれば」
ふと動かす手を止め、慧音は正面からレティを見つめた。
「――贈る人への愛情が、編み物を完成させる、一番の秘訣だ」
言うまでもない気はするが、と慧音は苦笑し、レティも頷いて笑った。
◇
「それじゃあ、今日はどうもありがとう〜」
「ああ。毛糸が足りなければ、向こうの道具店に行けばいい。大抵のものは揃ってる」
陽はすっかり短くなった。寺子屋を辞したときにはもう、空は暮れなずみ始めている。レティと慧音の影も、土の上に長く色濃く伸びていた。
「霊夢殿にもよろしく……は、伝えない方がいいのかな?」
慧音は苦笑した。まあ、作っていることを秘密にしているわけではない。
「そっちも、妹紅に逢い引きの時間遅らせてごめんなさいって伝えておいて〜」
「あ、逢い引き違う!」
赤くなって叫ぶ慧音に、レティはくすくすと笑った。
「じゃあ、また……あ」
踵を返そうとして、ふとレティは足を止めた。「ん?」と、寺子屋に戻りかけていた慧音が振り返る。
「ねえ、全然関係ない話になるんだけど〜。慧音って、確か歴史の先生よね〜?」
「ああ、それがどうかしたか?」
「……霊夢の生まれのこととか、ご両親のこととか、知らない?」
再び、慧音は目をしばたたかせる。
「博麗の巫女って、幻想郷の歴史の重要人物じゃないのかしら〜? よく知らないけど〜」
「あ、ああ……いや、すまない。幻想郷内の歴史は、私の専門ではないんだ」
首を振り、慧音は腕を組んでひとつ唸る。
「そういう話なら、阿求殿の方が詳しいだろう」
「そっか、そうよね〜」
幻想郷のあらゆる事象をまとめる幻想郷縁起の編纂が、稗田阿求の仕事だ。それならば、霊夢のことについても色々と知っているに違いない。
『あんまり深入りしない方が幸せってことは、あるもんだぜ?』
ふと、魔理沙の言葉を思い出す。
霊夢について知ることで、何か悪いことが起こるとでも言うのだろうか?
あるいは、霊夢について知ることが、誰かにとって都合が悪かったりするのか――?
「稗田家は向こうだ。この里で一番大きい屋敷だから、見ればすぐ分かる」
「ありがとう〜」
慧音に手を振って、レティは歩き出す。夕暮れ時の空に、カラスが鳴いていた。
黄昏の空。昼と夜の境界。冷え込んできているせいか、人影は少ない。
――あまり、稗田家に長居はしないようにしよう。遅くなったら霊夢が心配するだろうから。
言われた通り、稗田家はすぐ見つかった。明らかにそれと解る、塀に囲まれた立派な邸宅。庭も随分と広そうだ。門には立派な楷書で「稗田」と書かれた表札が下がっている。これも阿求の直筆だったりするのだろうか。
門のところで使用人らしき人に声をかける。レティ、と名乗ると野球のことを覚えていたらしく、すぐに中に通してもらえた。建物の中はけばけばしい豪邸というわけではなく、落ち着いた雰囲気の品の良い調度が並んでいる。
「こちらです」
案内をしてくれた女中にぺこりと礼をして、それからレティは襖を開いた。
「こんばんは〜」
「これはまた、珍しい来客ですね」
広々とした和室で、阿求は文机に向かっていた。顔を上げ、レティの方に向き直る。
女中がどこからか座布団を運んできた。阿求に促され、レティはそこに腰を下ろす。
「紅茶は?」
「冷まして飲んでもいいなら〜」
差し出されるカップを受け取って、傍らに置いておく。阿求はポットから注いだ紅茶をゆっくりと口にした。その動作は、この邸宅の主に相応しい優雅さをもっている。
どこからか聞こえる幺樂の旋律。ほぅ、と息をつき、阿求は閉じていた目を開く。
「それで、貴方がどのような用件で? 霊夢の使いでしょうか?」
「……その口調、何だか違和感がすごいわ〜」
球場での阿求は、もっとざっくばらんな口調だった。必殺の「稗田なめんな」に騒がしいブルペンが静まり返ったことは一度や二度ではない。捕手として投手コーチの阿求と話す機会は割と多かったレティだが、こんな畏まった口調の阿求と相対するのは初めてだ。
「家では基本的にこの口調なので。気にしないでください」
「普通、逆なんじゃないかしら〜?」
「色々と、周りの者がうるさいもので」
どこか苦笑するように阿求は言った。するとやっぱり、球場でのあれが素なのか。家の中で猫を被らなければいけないというのは、なかなかに大変そうである。
「そうそう。え〜と、用件というほどじゃあないんだけど〜。訊きたいことがあって〜」
「何でしょう?」
「霊夢のこと」
さっと、阿求の顔色が変わった。――ように、レティには見えた。
「それなら、今は貴方の方が詳しいのでは? 同棲してもう半年近いでしょう」
静かに阿求はそう答える。その言葉には、拒否の色が含まれているように思えた。
「そうだけど〜。よく考えたら、私、霊夢の生まれとか、博麗の巫女についてとか、全然知らないから〜。霊夢も何も、そのへん話してくれないし〜」
食い下がるようにレティは言葉を続ける。阿求はひとつ息をつくと、また紅茶を口にした。
「彼女が話さないなら、話しても仕方のないことなのでしょう」
「…………」
そう言われてしまえば終わりだ。押し黙ったレティに、阿求は目を細める。
「それを教えてもらえないからといって、貴方と霊夢の関係に何か問題が生じますか? 過去は過去、現在は現在。霊夢の生まれがどうであれ、博麗の巫女が何であれ――私がそれを話したとして、貴方はその内容で霊夢との関係を変えようと思いますか?」
「……思わないけど〜」
「それなら、話しても詮無いことです」
言いたいことは解る。が、何やら釈然としないものを覚えて、レティは冷めてきた紅茶を口にした。……美味しい。神社では霊夢の好きな緑茶ばかり飲んでいるが、紅茶も悪くない。
「話す必要があれば、いずれ霊夢が話すでしょう」
「……阿求は、知ってはいるのね〜?」
「それは、些末なことです」
誰かに口止めされているのかもしれない、という印象は、直感的なものだった。
そして、霊夢について、阿求に口止めするような存在が、幻想郷にいるとすれば――。
「……紫?」
阿求の目が、剣呑に細められる。
「尚更、話すことはありませんね。――忠告をしておきます、レティ・ホワイトロック」
飲み干した紅茶のカップを置いて、阿求は静かな声で言い放った。
「知りすぎることは、時として災いを呼び寄せます。――貴方と霊夢の関係については、今のところは誰も問題視していませんが、貴方が知りすぎてしまえば、話は別になりかねない」
「――――何、それ」
「博麗の巫女、という存在は、貴方が思っているよりも、この幻想郷にとっては大きな存在だということです。――貴方と霊夢の関係は悪ではありませんが、必ずしもその結末は幸福になり得ないという可能性がそれなりに高いということは、覚悟しておいた方がいいでしょう」
紅茶がひどく、渋く感じた。
――阿求の言っていることは、単なる寿命の違い、ということだけではないのだろう。そのぐらいの見当はつくが、それ以上のことは何も解らなかった。
日が沈む。「もうすぐ夕餉ですが」と阿求が言った。話は終わり、という合図だったのだろう。「霊夢が晩ご飯を作っているから〜」と、レティは立ち上がった。
「――ひとつ、こちらからも質問をいいですか?」
帰ろうとしたレティの背中に、不意に阿求の声がかけられる。
「なに?」
「貴方は今、幸せですか?」
振り返って、レティはただ、素直に笑った。
――確かに自分は、霊夢について何も知らないのだけれど。
それだけはどうしようもなく、確かなことだから。
「ええ、とっても〜」
その答えに、阿求はどこかほっとしたように、小さく苦笑してみせた。
◇
博麗神社に帰り着く頃には、すっかり陽も落ちていた。
冬が近付き、暗くなるのも随分早くなった。霊夢はもう晩ご飯の支度をしているだろう。
「ただいま〜」
声を掛けて家に上がる。台所からいい匂いがした。やっぱり、支度中らしい。
――と。
「レティ!?」
急に、随分と慌てたような様子で霊夢が台所から顔を出した。レティが驚いて目をしばたたかせると、霊夢は少し気まずそうに咳払いして、「おかえり」とぶっきらぼうに答える。
「れいむ?」
「遅かったわね。手洗って、晩ご飯の支度手伝ってよね」
背中を向けてそう言うと、霊夢は台所に戻っていく。
流しで手洗いを済ませて台所に戻ると、霊夢はまな板で野菜を刻んでいた。
「どこ行ってたの?」
「慧音のところ〜。編み物教えてもらおうと思って〜」
「ふうん。それならアリスの方が適任じゃないの?」
「アリスのところにも行ったんだけどね〜。魔理沙が居たから遠慮してきたわ〜」
そ、と霊夢は背中を向けたまま答える。お皿を出そうと、レティは戸棚に手を伸ばし、
包丁の音が止まった。足音がした。――戸棚に伸ばした手が、止まる。
「れい、む?」
ぎゅっと、霊夢の両腕が、レティを後ろから抱き締めていた。
振り向こうとしても、背中に押し当てられた霊夢の顔は、よく見えない。
「どうしたの〜?」
「……ちょっと、ね。自分のダメさ加減に呆れてるところなのよ」
レティの背中に顔を埋めたまま、霊夢は呟くように息を吐き出した。
火にかけられた鍋が、コトコトと音をたてる。神社に響く音は、それだけ。
「たかだか数時間じゃないのよ、ねえ、本当にもう……」
「れいむ?」
「恥ずかしいこと言わせるな、ばか」
ぎゅっと、抱きしめられた腕に苦しいほど力がこもった。
その力の強さに、霊夢の求めているものが伝わった気がして、レティはふっと微笑する。
「大丈夫よ〜。……いなくなったりしないわ〜」
「解ってるわよ」
「ちゃんとここに帰ってくるから。霊夢のそばに、いるから」
「解ってるってば」
「霊夢」
「……何よ」
「お鍋、煮えてるみたいだけど〜」
「うあ」
いつの間にか、コトコトという音はぐつぐつと沸騰する音に変わっていた。腕を放して、霊夢は鍋の方に戻っていく。レティは小さく肩を竦めて、ひとつ苦笑。
「……まあ、大丈夫でしょ、うん」
何やら不安なことを呟きながら、霊夢は刻んでいた野菜を鍋に放り込み始める。
「よし、と」
ひとつ霊夢が息をついたところで――今度はレティが、後ろから霊夢を抱きしめた。
「レティ?」
「霊夢〜」
「ちょ、まだ支度終わってない……こら、撫でるな馬鹿」
強く抱きしめて、その頭を撫でると、霊夢はむずがるようにもがいた。
「霊夢の、あまえんぼさん〜」
「ちっ、違っ」
「さみしんぼ〜」
「馬鹿言ってんじゃないの! しまいにゃ怒――んっ」
逃れようとした霊夢を振り向かせて、その唇を不意打ち気味に塞いだ。
何か諦めたように、霊夢の身体から力が抜ける。
そのまま、いつもより少し長く、霊夢の唇の感触を楽しんだ。
「ん……」
唇を離すと、混ざり合った吐息が鍋の湯気と一緒に台所の空気に溶けていく。
たぶんつねられるんだろうなあ、とレティは思った。
解っててやってる、というか、そういう霊夢の反応を見るのが好きなのだけれども。
「……レティ」
なので、霊夢が何もせずに名前を呼んだので、かえって拍子抜けしてしまった。
「なに〜?」
「……何も無いんだったら、明日は一日、うちに居なさいよ」
「ほえ」
「いい?」
「……うん」
こつん、と額を合わせて微笑むと、霊夢は真っ赤になって視線を逸らした。
そんな反応も何もかも、やっぱりレティには全部、愛おしくてたまらないのだった。
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